虎と龍とにゃんにゃんと
東京ジャングルで奪われた件
(こ、これが……七種のフルーツバケットフレンチトースト……! 東京スィーツおすすめランキング一位、飲み物ついて1680円!)
目の前に降臨した憧れのワンプレートに、膝の上で握った手が小刻みに震える。
以前ティーンズブランド専門誌のスィーツ特集でこれを見つけ、東京に行ったら絶対食べようと心に決めていた。
有名なスィーツカフェに一人で入るのはもの凄く勇気がいったけど、あたしはまた一つ試練を乗り越えたのだ!
(メニューに載ってた写真より、ずっとキレイで可愛くて美味しそう……! 食べちゃうのが勿体ないよー)
「お飲み物は温かいものでよろしかったでしょうか?」
シックなエプロンドレス姿のウェイトレスさんが、にこやかに紅茶を置きながら声をかけてくれた。安易にホットとか言わない所もなにやら奥ゆかしい。さすが東京!
「は、はい。あたたきゃいもので!」
……噛んだ。
「ではごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスのお姉さんが立ち去っていっても、まだトキメキが止まらない。
食べるのが勿体ないと思いつつ、あたしは猛然とフレンチトーストにナイフを入れ、そのひとかけらを口に運んだ。
(なにこれ、美味しすぎ! サクッとフワッと、深い甘さ。ああ、東京に来て良かった……ビバトーキョ!)
改めてフレンチトーストと、本日上京できた喜びを噛みしめる。
あれから数か月、昼も夜もなく勉強してなんとか志望校に合格できた。反対すると思っていたお父さんも意外にもアッサリ、東京の高校を受験する事を許してくれた。
但し、かなりレベルの高い私立校を指定され、住む所もお父さんの知り合いの人の家にお世話になると言う条件付きだったけれど。
(でも元々地元から出られれば受験校はどこでも良かったんだもんね……)
今でも思い出すと胸がチクンと痛む。フラれ続けて13人、告り魔夕愛の信州伝説。
(きっとあたしってどこかズレてる感じがあるんだろうな……。でも自分じゃよくわかんないや)
女の子の友達はけっこういたし、断られるたびに彼女たちも首を傾げてくれたのに。
(ああ、ダメ! あたしはここでやり直すんだから。笑って、夕愛)
「笑顔は人生の花……笑顔は人生の花……」
これはあたしの元気が出る呪文。
いつもお父さんが言ってた。辛い事があっても笑える努力をしなさいって。幸運は蝶々みたいに、素敵な笑顔に舞い降りるのだよって。
数日後には入学式。今日からあたしは東京の住人となり、心機一転新しい生活が始まるのだから。
(よし、笑顔セット完了。……あ、もう食べ終わっちゃった)
気がつくと、すっかりプレートは空っぽ。
この後は雑誌に載ってたファッションビルで買い物をして、お世話になるお宅へ向かう予定だ。
(トイレは……あ、あそこだ。寄ってからお店を出よう)
あたしはバッグを持ってTOILETという案内表示に従ってお店の奥へ。
角を曲がって突き当りのドアにlady'sのプレートが掛かったドア、そして右側のドアにはgentleのプレート。
その前に立っていた背の高い男の人が、あたしのやって来た気配に振り返った。
(はぅっ……!?)
薄暗がりの中でもわかる、その人の整った目鼻立ちに鳥肌が立つ。細身のスーツ姿から大人の男性だと思い込んでいたけど、意外にも若い。
ノーネクタイの真っ白なシャツには何かの模様の刺繍、しかもこんなイギリス紳士ご愛用みたいなハット帽を普通に一般人が被ってるなんて。
東京ってやっぱりスゴイ!
「……あんた、トイレ入るのか?」
その低い声とレモン形の少しキツい目がカッコ良すぎて、思わず背筋が凍りつく。
「は……はい、そのつもりです、けど……」
「ツレが気分が悪いって入ったきり、出てこないんだ。ちょっと様子を見て来てくれないか。男の俺が女子トイレを覗くのもアレだし」
そう言って彼は心底困ったようにため息をついた。憂いを含んで伏せた目元がまたカッコ良くてポーッとなってしまうけれど。
「つ、連れって彼女さんですね? わかりました、見てきます!」
うん、彼女がいて当たり前だ。
他人様の彼氏さんに一瞬でも見とれてしまうなんて失恋女王のあたしがオコガマシイ、ゴメンナサイ。
恥ずかしさのあまり慌ててトイレのドアに体当たりすると、いきなり彼があたしの手をギュッと掴んだ。
(っ!? 男の人に手ぇ握られたーー!?)
「どこいくんだ。こっちは男子トイレだぞ」
綺麗に引き締まった薄い唇が目の前でそう囁いて、あたしの顔がさらにボッと熱く燃える。
中学時代、彼氏ができたらやってみたかった事ナンバー2。今あたしは初めて男の人に手を握られてる――!(色々違うけど)
「別に慌てなくていい。あいつにはよくある……こと……。……」
彼が眉根を寄せて、あたしの手を握ったままの自分の手をじっと見つめる。
「あんた……」
「ひゃい……なん、でしょう……?」
ドキドキ脈動とザワザワ動揺が、あたしの手からこの人に伝わってしまいそう。
「あ、いや、なんでもねぇよ。じゃあ悪いが頼む」
「はいー……」
トンと背中を押され、今度こそあたしは女子トイレのドアを開けて中に入った。
あまりのイケメンオーラと手を握られた余韻で、足元がフワフワとおぼつかない。
(あんなイケメンが街中のカフェに普通に野放しにされてるなんて。恐るべし東京ジャングル……!)
なんて言ってる場合じゃなかった。具合が悪くなって動けなくなってる彼女さんの様子を看てあげないと。
トイレとは言ってもかなり広々としている。手洗い場の奥にある三つの個室はどれもドアは開いていて人影はない。
(おかしいな。あ、こっちかな?)
見ると入り口の真向かいに『パウダールーム』と書かれたスイングドアがあった。
(パウダールームってお化粧直しするとこだよね)
スイングドアを押し開けたあたしの目に入ったのは、鏡が横長に広がった大きな化粧台と、その上にヘニャッと横たわっている……一匹の白い、子猫?
(…………)
思わずドアを閉めて元の位置に戻ってしまった。
(……なに今の。何でこんなところにネコが迷い込んでるの?)
一瞬しか見なかったけど、フカフカの白い身体には灰色の縞模様。耳はなんとなく丸っこくて、ちょっとネコとは違うような。
あたしは恐る恐る、もう一度ドアを開けて中を覗き込んだ。……が、あのフカフカ小動物は見当たらない。
(あれ? どこ行っちゃったんだろ)
ドアを大きく開いて中に入ると、化粧台の奥に置かれたカウチソファで女の子がぐったりと横になっていた。
「だぁれ……?」
まろやかなテノールの声でつぶやき、気だるそうに視線を上げた彼女は。
(はぁうっ!?)
そのお顔を拝見し、あたしは本日二回目のチキン肌スタンダップ。
(な……なにこの美少女! てか、おっきなお人形さんじゃないの? コレ生きてるの!?)
ふわっとウェーブした長い髪は艶やかなアッシュグレイ。睫毛ふっさふさの大きなお目目に、ふっくら愛らしいサクランボの唇。
淡いブルーのロリータワンピは、まるで不思議の国のアリスのよう。さっきの彼とワンセットとは、美男美女のカップルにも程がある!
「あ……あの、あたし。あなたの彼氏さんに頼まれて様子を」
「彼氏? ああ、
美少女は物憂いため息を一つついて、横になっていたカウチの上に起き上った。
「は、はい。待ってるみたいですけど……顔色良くないですね」
「うん……いつもは少し休めば楽になるんだけど、なんか今日はダメ」
同い年くらいだろうか。ばっちりメイクしてるから確信はできないけど。
「帰ってお家で休んだ方がいいと思う。動けそうにない?」
「そうしたいんだけど、力入らなくて……」
美少女が辛そうに目を閉じる様子はなんとも痛々しくて、男じゃなくても何とかしてあげたくなってしまう。
あたしは彼女の隣に腰を下ろして、その背中に腕を回した。
「あたしが支えて歩いてあげるから。なんとか彼氏さんの所まで……!」
ぷちゅ。
(あぅ……!?)
倒れ込んで来た彼女の唇が、あたしの上唇に重なった。
ぱちっと開いた大きな瞳とあたしのドングリまなこが、数センチの距離で交錯する。
「やん、ぶつかっちゃった。ごめんね」
硬直するあたしに彼女がテヘと笑いかける。
「……ダイ、ジョーブ……」
他に言葉が見つからない。
初めてだけど、ファーストキスと言えばそうだけど!
(でも相手は女の子だし、今のは衝突事故のようなモノ……!)
そう思うのに、あたしは脳みそがショートしたまま石像のように動けない。
すると彼女がふと思案顔になり、今あたしに触れた自分の唇を確かめるように指でなぞった。
「んん? ……あれ? ねえもしかして君、さっきここで……ええと、猫っぽいモノ見たりした?」
「うん……まぁるいお耳のニャンコ……」
まだ脳みそショート中。
「え、見えたの? 君、
「ごへい餅なら……好き」
まだまだショート中。
「ごへ……? 違うのかな。じゃ、もう一回ね」
そう言った瞬間、彼女の唇が再びあたしの唇に押し付けられた。今度は頭を引き寄せられ、小首を傾げてピンポイントで。
(……っ!)
東京ジャングルのド真ん中で、今あたしは、
(ふ……、あ、あぁぁぁあ……!?)
いきなりファーストキスを奪われています……。
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