第3話 方舟

 無機質な機内、幸流とエデンは向かい合ってお互いを見つめている。幸流の方は睨み付けると言った方が正しいかもしれない。


「⋯⋯重いわね、空気」

「あ?」

「はいエデン。それと、あなたにも」

「ありがとうございます、シディリアさん。ほら貴方様もゆっくりしてって下さい」

「お前らはバカなのか。やっぱりお前ら、頭のイカれた宗教団体なんじゃねぇのか?」


 差し出されたカップを受け取り、一口飲む。温かくて甘い味が、口の中にゆっくりと広がっていった。甘ったるくてまずい。


「⋯⋯何も入ってねぇだろうな」

「安心して。ただのココアよ」

「夏だぞ今」

「夏? シディリアさん、今は夏なのですか?」


 エデンが不思議そうに首を傾げる。確かに今は温度管理のされた機内にいるが、先程までクソ暑い地上にいたはずだ。幸流も、エデンと呼ばれる天使も。


「北半球は夏ね。もしかして、口に合わなかった?」

「いや別に」


 そっぽを向いて黙り込む幸流。そんな幸流をエデンは興味深く、シディリアは苦笑いでまじまじと眺める。


「⋯⋯なんだよ。てか、俺をどこに連れてく気だ。もうかれこれ1時間は経ったぞ」


 流されるまま乗ったVTOL機。それは幸流達を載せて、幸流の知らない場所へと向かっていた。

 説明されるかと思いきや、シディリアと呼ばれる女性は何やら誰かと電話したりで忙しくて何も話してくれなかった。様子を見た限り、今やっと一段落ついて2人の前に顔を出したみたいだ。


「エデンと契約したからには、契約者としてあなたを方舟に移送するわ。そこで色々と手続きを済ませてもらえれば、あなたは正式に楽園部隊の人間よ」

「俺の他にもいるのか」

「そうね。でも、巫女が生まれる確率が限りなく低いせいで世界中で100人もいないわ」

「え? 巫女ってそんなにいないの?」


 70億分の100弱。図らずもそんな希少な存在に出会えるとは人生どう転ぶか分からない。


「宝くじ買っときゃ良かったわ。そう言えば、なんでエデンは空から落ちてきたんだ?」

「あなたが倒した赤い騎士。あれがエデンを載せた航空機を襲撃した。なんとか居合わせた契約者によってコード666は退けられたけど、スキをつかれてエデンは航空機から振り落とされた。そこからは、あなたの知る通りよ」

「まさか、こんな高空にまで来るとは思いませんでしたから。油断していた私の責任です」

「おいおいあいつ空飛ぶのかよ⋯⋯」


 周りにそれらしきものが飛んでいないか、幸流は窓の外を眺める。見えるのは青い空と、眼科に広がる雲海だけだ。


「はぁ⋯⋯」


 幸流はほっと胸を撫で下ろす。もう一度あいつとやりあえなんて言われたら、絶対に殺される。今回勝てたのはたまたまだ。


「それにしてもあいつらは何なんだ。コード666とか悪魔とか呼ばれてるけど、実際どんな奴らなんだ?」

「奴らの目的は分からない。けれど確実に言えるのは、人間を見つけ次第殺して回る化け物って事よ。あなたも見たでしょう、あのおぞましい姿と声を」

「あ、あぁ⋯⋯」


 思い出すと少し気分が悪くなってくる。軽く戻りかけた胃の中身を押さえつけ、話を続ける。


「人間では、奴らには勝てない。神から選ばれた者である巫女の加護を受けた人間、契約者と呼ばれる者達にしか倒す事は出来ない。火力が無いとかじゃなくて、通じる法則自体が違うのよ」

「だろうな」


 ガソリンで一部屋まるまる吹っ飛ばしても生きてた奴だ。あれで火力不足だって言うなら戦争を起こすくらいじゃないと倒せない。

 そう言えば爆破した校舎、監視カメラとか大丈夫なんだろうか。


「でも、結局戦うのは契約者だろ? 巫女は戦う力あげたらあとは高みの見物じゃねーか」

「それは⋯⋯」

「それは違います。私も、ほら、その⋯⋯結界とか張れますし!」

「10秒持つか持たないかくらいだったけどな。結界」

「うぁ⋯⋯でも、貴方様1人で戦わせはしません!」

「分かった分かったから。それにほら、あの結界があったから俺達は契約できたみたいなものだし。うん、まぁ結果オーライ」


 シディリアの言葉を遮って、エデンが騒ぎ立てる。うざいので適当にフォローを入れると、エデンは満足そうな顔に切り替わる。見た目の年齢は大して幸流と変わらないが、中身はガキだな。


「んでシディリア。何か言いかけてなかった?」

「何でもないわ。それよりも、そろそろ方舟に着くわ。シートベルト、しっかり締めておいて」

「方舟に着いたら、俺は何をするんだ?」


 幸流はシートベルトを締め、きっちりと席に座ってシディリアに問いかける。戦う理由も、敵も分かった。だけど、なぜ幸流がここにいるかの理由をまだ聞いていない。


「まずはあなたの登録手続きをして、それから居住区と各施設の案内をします。ほかの契約者や巫女たちとも顔を合わせておいた方が、後々の戦いで動きやすいでしょうし」

「⋯⋯ん、待て。居住区ってなんだ。俺は別に方舟に住むつもりなんざねぇぞ」

「え? もしかして聞いてないの?」

「何をだ。俺は何も聞いてないぞ。空から降ってきた女キャッチして、気づいたら化け物と殺しあって終わったらVTOLに乗せられて空の上だ。さっきようやっと気になった点をいくつか質問しただけ」

「じゃ、じゃあ家族や友達との別れは⋯⋯」

「んなもん、なんでしなきゃなんねぇんだよ。別に死ぬわけじゃないし」

「⋯⋯⋯⋯」


 ポカーン、とシディリアが口を開けたまま呆然としている。隣では、エデンがニコニコ微笑んでいた。


「な、なぁ⋯⋯もしかして俺、帰れないのか?」

「そうよ。機密保持の関係からも、地上には滅多に降りれなくなる」

「ふざけんな! 何も聞いてないぞ俺は!」

「でも、きっと方舟は貴方様も気に入る場所ですよ。私も一緒にいますから、そんな嫌な顔をしないで」

「⋯⋯てめぇ、最初から知ってたのか? 契約者は拉致同然で連れてかれて、そのまま帰れないって知ってたのか?」

「そうですよ? でも、契約者になる方達は皆そんな事気にせずに契約されるので⋯⋯」

「ぶっ殺すぞてめぇ!!」


 思わず立ち上がり、エデンに掴みかかろうとした。しかし、先程ガッチリと締めたベルトに阻まれ、既のところで手は空を切る。

 機内の空気が一気に重くなる。幸流は血走った目でエデンを睨みつけ、呪詛の言葉を矢継ぎ早に投げつけた。


「ふざけんな、ふざけんじゃねぇ! 勝手に人の事バケモンにしやがって、その上監禁同然の扱いを知ってて隠してただァ?! 元はと言えばてめぇが勝手に落ちてきたせいだろ! 何自分勝手に助かりたいからって俺を戦わせて、その上平然と何の説明もなく連れていきやがって!」


 半狂乱に怒号を発しながら、八つ当たりにカップを地面に叩きつける。投げつけなかったのは、最後にギリギリ残った良心のせいだった。

 陶器製のカップは粉々に砕け散る。だが、幸流の怒りは収まらない。


「今すぐ引き返せ! 俺を帰らせろ!」

「無理よ。もう、方舟の直前まで来てる。それに一度結んだ契りは、どちらかが死ぬまで一生消えることはないの。だからあなたは、どう足掻いてももう戻れないの」

「ふざけやがって、ふざけやがってふざけやがってふざけやがって⋯⋯!! 何が巫女だよこの人攫い! えぇ、おい?! なんとか言ってみろよクソアマ!」


 恨みを込めた視線で、幸流はエデンを睨みつける。だがエデンは、何が悪いのかわからないと言った表情で首を傾げるだけだ。それが余計に幸流の神経を逆撫でする。


「そんなに嫌がらないで下さい。きっと、貴方様も気に入りますよ?」

「⋯⋯馬鹿だろお前、お前だって急に元いた場所から拉致られて帰れないって言われたら怒るだろ」

「ごめんなさい。私はずっと方舟にいたので、分からないんです。外の世界の事も、下の世界のことも。だから貴方様のそばに居られるのが、嬉しくて⋯⋯」

「やっぱり馬鹿だろお前」


 しゅんと俯くエデンに、幸流は怒りを通り越して呆れた。自分本位の子供な考えを押し付けられて、誰が喜ぶって言うんだ。


「⋯⋯着陸に入るわ。今はとりあえず、大人しく座っていて」

「ちっ、クソが」


 舌打ちをすると、幸流はもう一度シートに腰掛ける。機体がゆっくりと降下していくのを感じ、外に何があるのか気になってちらりと窓を見る。


「⋯⋯なっ!」


 窓の外に映るものを見た幸流は思わず絶句する。


「これが⋯⋯方舟だって? まるで軍隊の船じゃねぇか⋯⋯」


 雲海に浮かぶ、巨大な甲板。写真で見た事のある空母を何倍にも大きくしたその巨体は、浮いてると言うよりは雲の海を航海している様だ。

 その巨体は甲板に、VTOLは静かに着陸した。


「来たるべきコード666に備えて世界各国が協力して建造した巨体飛行船、通称方舟。その最新機、クレイドル」

「そして、私の生まれた場所で家です。ようこそ、貴方様」

「⋯⋯⋯⋯は、はは」


 外に出ると、暖かな風と日差しが迎えてくれた。地平線と見紛う程広い甲板。空に雲はなく、心なしか太陽が大きく見える。これだけ高高度なのに、不思議と寒さは微塵も感じない。


「なんでこんなものが浮かべるんだ⋯⋯」


 先程までの怒りも忘れて、ただ呆然と踏みしめたモノの大きさを感じる。と、床が突然下がり始めた。


「なんだなんだなんだ?!」

「落ち着いて、機体を格納庫に運ぶためのエレベーターよ」

「すげぇ⋯⋯基地みたいだ⋯⋯。こんなもんが空に浮いてるのに、普通の人は気づかないのか?」

「光学迷彩って言葉、聞いたことある? この船はその技術を用いて、外部からの発見がほぼ不可能になってるから見つからないの」

「⋯⋯すげぇ。凄すぎて、すげぇって言葉しか見当たらねぇよ」


 文字通り言葉を失って、幸流はただ下がる床に突っ立って上を見る。四角く切り取られた真っ青な空。1番下の階層に到達した幸流は、シディリアに案内されて艦内を歩き始める。


「ここは格納庫エリア。1番下のエリアの端にあるから、迷ってもなんとか到達できるはずよ。方舟から出る際はここを使うから、覚えておいて」

「他にもエリアがあるのか?」

「もちろん。居住区、司令部、環境保護区、トレーニングエリア。あとは乗員の為の娯楽施設なんかも、一通りはあるわ。ひとつの街がそのまま浮かんでるって思ってもらうと説明が簡単ね」

「⋯⋯夢でも見てるのか、俺は?」


 頬をつねるが、普通に痛い。どうやら現実らしい。

 廊下のような通路を歩く事数分、少し開けた場所に出た。


「とりあえず、司令部であなたを登録しに行くわ。さ、これに乗るわよ」

「⋯⋯駅?」

「艦内は広いから、これで移動するの。乗り心地はまぁ、我慢すればなんとかなる」


 地下鉄の駅のような場所に、電車の様な物が行き来している。電車通学の人間としては、見慣れた光景だ。


「嘘だろこれ。ほんとに動くのかよ」

「早くしないと置いてかれるわよ。さ、乗って」

「あ、あぁ。にしてもここ、空の上なんだよな?」


 地下鉄を乗るような感覚すらあるこの場所は、雲の上にいることを忘れてしまいそうだ。


「⋯⋯ここ、ほんとに空の上?」

「未だに信じられないって顔してるけど、これは現実よ。あなたのその目で、実際に見てる事じゃない」

「目なんて電気信号を脳に送るだけの肉塊だ。全ては信じられない」

「あなた、けっこう偏屈なのね」

「悪かったな、へそ曲がりで」


 シディリアに屁理屈を突きつけ、一方的に会話を断ち切る。今は、電車の外に広がる景色に集中しよう。

 どうやら無人運転らしいこの電車は、大きなトンネルのような場所を突き進んでいく。途中何ヶ所か分岐してる道があった。

 

「⋯⋯随分入り組んでるな」

「あ、そろそろ着きますよ! ほら、見てください!」


 エデンの指さす方を見る。こじんまりとした駅のホームのような場所の先には、病院の入口のような扉があった。

 電車を降りて、扉の前に立つ。


「あれ、あかねぇぞ」

「そうか、そう言えばあなたまだ生体認証の登録がされてないから⋯⋯ちょっと待ってね」


 シディリアが扉の横にあるタッチパネルに手をかざす。何やらチカチカとパネルが点滅し、扉が音を立てて開く。


「⋯⋯なんだここ?」


 目の前の光景に、幸流は再び絶句する。例えようがないが、強いていえば宇宙ステーションのごちゃごちゃ感を取り除いたような廊下だった。突き当りまで歩くと、また扉がある。


「⋯⋯あら、シディリア。エデンの確保には成功したらしいわね。良かったよ」

「ネミル。今はみんな、待機状態?」

「うん。まぁ、そんな感じ。で、彼が噂のエデンの契約者?」


 扉が開き、そこに立っていた女性。ネミルと呼ばれた彼女は、クマの出た眠そうな目で幸流を眺めた。


「そう。えーと、そう言えばまだ名前を聞いていなかったわ」

「幸流だ。で、ネミルと言ったか。あんたは契約者か? それとも巫女か?」

「ははは、どっちでもないよ。ただ少しばかり危ない事に首を突っ込んだ結果ここに連れてこられた、ただの技術者だよ。それにしても一般人が何の予兆も無しに巫女と、それもエデンと契約するなんてね。おかげで医療班と技術班がさっきまで大急ぎで君のデータを作ってたところさ。あー、眠い」

「んな事言われてもな⋯⋯俺もなし崩し的に契約しただけで、最初から契約するつもりは無かったからな。てか、今もねぇよ」


 だるそうに欠伸をするネミル。何故か幸流のせいにされてるらしく、ちょっとばかりむかっ腹が立った。好きで契約したわけじゃねえよ。


「こいつは失敬。何分君みたいな事例は初めてだからね、こっちも慣れてなかったからドタバタしてしまったのさ。で、エデン。あんたはようやっと見つけた契約者とは、仲良く出来てるのかい?」

「もちろんです。ネミルさんも、お仕事ご苦労様でした」

「おい勝手に仲良くすんな。まだ出会って4時間くらいじゃねえか」

「いいじゃないか。君もエデンの契約者になれたこと、光栄に思いなよ。彼女は巫女の中でも、高嶺の花だからね」

「もっと相応しい人間がいるってか? そいつは結構、その人間がさっさと俺の役目を貰ってくれ」

「また随分と血気盛んだねぇ⋯⋯鉄砲玉の小僧と引き合わせてみたいよ。ふぁ〜、にしても眠い。シディリア、ユキル君の初期登録はいつもどーりできるからいつもどーりやってくれ。あたしゃ一眠りしてくる」

「はいはい」


 おぼつかない足取りでネミルはどこかへと行ってしまった。あの様子だと下手したらそのへんの床で寝てそうだが、大丈夫なのだろうか。


「ここが司令部。ここで地上の様子を24時間体制で監視して、コード666の出現に備えている」

「宇宙センターみたいだな」


 正面に大きなモニター、それを中心にディスプレイやら機材やらの乗った机が扇形に広がっている。ロケット打ち上げの映像なんかが流れている時によく見るような部屋だ。コントロールルーム、と言うのだろうか。


「任務でも何人かとは関わる事になるだろうし、今はとりあえず紹介はしなくていいかな。さて、じゃあ次はメディカルチェックを受けてもらうわ」

「一旦帰っていいか? 疲れた」

「⋯⋯何度も言うようだけど、あなたはもう帰れない。世界各国が秘密裏に行ってる任務に、あなたはもう関わっている」

「あーはいはいわかったとっとと案内しろ」


 もう怒る気にもなれない。


「エデンはもう着いてこなくてもいいわ。部屋に戻って、待機してて」

「私もメディカルチェックに付き合います。契約者の管理も、巫女の役目ですから」

「一人で行くからいいだろ別に。てめぇが着いてきたってなんも意味ねぇだろ」

「ダメです。行きます」

「なんなんだよお前は。勝手に人に役目押し付けやがって、その上余計な所で着いてきやがって。邪魔なんだよ、少しは俺の頼みも聞いてくれよ」

「⋯⋯ごめんなさい」


 1歩近づいてきたエデンを睨みつけて追い返し、踵を返す。強い拒絶に、エデンはただうなだれるだけだった。ざまぁみろ。


「邪魔者もいなくなるし、さっさとメディカルチェック受けさせろ。とりあえず休みてぇ。怒りすぎた」

「わかったわ。じゃあ、エデン。また後でね」

「はい⋯⋯」


 悲しそうに俯くエデンの頭を、シディリアは優しくポンと叩く。その横を、幸流は素通りして部屋を出る。

 メディカルチェックの場所はどこだ。見渡すが、廊下は似たような扉ばかりで判断ができない。


「こっちよ。着いてきて」

「あい」

「あ⋯⋯⋯⋯」


 何か言おうとしたエデンを無視して、幸流はシディリアの後を追う。戻れと言われたのにさっさと戻らないノロマなんぞ、放っておけばいい。

 廊下を歩くこと数分、シディリアの指した扉を通って医療デッキへとたどり着く。


「後は医療スタッフの指示に従って。私は先にあなたに必要な物を揃えてくるわ」

「帰宅用のヘリでも持ってきてくれんのか?」

「違うわ」

「ちっ、使えねぇな」

「⋯⋯まだ、私達を信じてくれないの?」

「信じるわけねぇ」


 何から何まで機密事項だから、一度入ったが最後出られない。そんな奴ら、信じろという方が無理に決まってる。


「この世の理が通じないから、こっちも理から外れる。どの道、どっちも人間じゃないバケモノだ。人間じゃない奴らなんか、信じたくもないね」


 もう消えろ、と手でシディリアを追い払う。


「んで、メディカルチェックってのはどこでやるんだ?」

「こちらです」


 白衣を着た医療スタッフの指示を受けて、幸流はさら奥の個室に入る。

 個室には、一人の医者の様な風貌の男性が何やらCTスキャンのような機械を調整していた。あちこちに飛び出す癖毛に、分厚い丸メガネの人物は幸流を見るとにこやかに挨拶を交わした。


「やぁ、こんにちは。君がユキル君だね」

「あんたは⋯⋯医者か?」

「まぁそんな所かな。あぁそう緊張しなくていいよ。身体測定感覚でいてもらえれば大丈夫」

「本当だろうな。いつの間にか改造人間にされてたとか、今時の子供にゃ受けないぜ」

「ははは、僕はそう言うの好きだけどなぁ。ごめん、もう少しかかりそうだからその辺に座ってて」


 そう言って医者は、再び機器の調整に手を動かす。


「⋯⋯なぁ、お医者様よ。あんたは契約者か? それとも巫女か?」

「どちらでもないよ。僕はただ、医療技術担当でこの船に乗らせてもらったんだ」

「ネミルと同じか。ここの人間ってのは、どいつもこいつも自分の意思で乗ってるのか?」

「そうだね。君みたいに突然連れてこられて乗らされるってのは、もしかしたら初めてのケースかもしれない」

「どいつもこいつもそればっかりだな。俺だって、何もわからねぇまま連れてこられてここに来たんだ」


 暇つぶしに、部屋の中を眺める。特に変わったものは無い。退屈だ。


「今回のケースは、不測の事態が重なりすぎたんだ。結果、一般人である君に被害が及んでしまった。それはこの船全体のミスであるから、君はこの船全員に上から怒れる権利はある」

「二次被害は食い止めて欲しかったんだがな。クソが」

「君は、人を助けるのが嫌い?」

「顔も知らねぇ誰かを助けるのは嫌だね。友達ならまだしも、顔も知らねぇ誰かのために命かける程お人好しじゃないんで」

「⋯⋯え、その言い方だともしかして巫女の話は聞いてない?」

「あ? 巫女の話なんて、契約者に戦わせるくらいしか聞いてねぇよ。他になんかあるのか?」

「巫女は⋯⋯いや、話してないってことはきっと知らなくていいことなんだ。僕の口からは言わないよ」

「んだよ気分悪ぃ。隠し事してるってのもまた信用出来ねぇ」

「まぁ、色々機密とかあるからね。さて、じゃあここに横になってもらっていいかい?」

「へいへい」


 促されるまま、機械に据え付けられたベッドに横になる。


「今から君の体を色々と調べるけど、万が一体に異常がある時はすぐに言ってね。本当に万が一だから、多分何も無いから安心してほしいけど」

「おいおいおいその言い方が1番こええんだって⋯⋯やめろよマジで」


 幸流の顔が恐怖で引き攣る。別に注射も採血も人並みに平気ではいるが、面と向かって医者からそう言われると恐ろしいものがある。


「じゃ、いくよ。楽にしててもらって構わないから」


 機械が小さな唸り声を上げて、ベッドの上をゆっくりと行き来する。


「⋯⋯メディカルチェックって、採血とか心電図とか測るものじゃないのか?」

「今の医療技術的には、これだけで健康診断なら十分検査できるんだ。もっと専門的な病気なんかは別の検査がいるけどね。君、特に今病気とかは無いでしょ?」

「あぁ、いたって健康だ」


 幸流には特に持病はない。こればっかりは両親に感謝だ。


「帰れないってことは、親とももう会えねぇってことか⋯⋯」

「⋯⋯ごめん」

「あんたが謝る必要はねぇだろ。一番の元凶はエデンだ。あのクソ巫女が大事な事も話さないまま命おしさに俺を契約者にしやがったんだ」


 ギリ、と幸流は歯を食いしばる。必死に助けた自分が馬鹿らしくなってきた。


「あの子は⋯⋯ううん、君の言い分は正しいね。僕が口を挟む問題じゃない」

「なんだよさっきから気になる言い方しやがって。シディリアと言いあんたと言い、ろくでもない組織にはろくでもない人間が多いんだな」

「口が悪い、と」

「検査記録関係ねぇだろ!」


 何やらカルテのようなものに医者がペンを走らせた。幸流の口の悪さは生まれつきだ。


「うん、問題ないみたいだね。起きてもらって構わないよ」


 モニターに映し出された結果を見て、医者は満足そうに頷く。幸流は起き上がると、医者にこう訪ねた。


「なぁ、俺は今から何をするんだ? こんな所に拉致されて、人体実験でもされるのか?」


 巫女が100人もいない希少な人種ならば、その巫女と契約した人間も同じ人数しかいないはずだ。つまり、契約者の数も必然的に100人以内になる。

 そんな希少な人間なら、何をされるかわかったもんじゃない。


「帰れない、機密情報、身体検査。どうせロクでもない事ばっかやってんだろ」

「それはきっと、シディリアが説明してくれる。きっと僕よりも、彼女の方がわかりやすい」

「たらい回しかよ。じゃあいい、説明してもらう。じゃあな」

「あぁ。もし何かあったら、ここに来てくれ。出来ることなら、僕は精一杯力になるよ」

「そういう人間は出来ることもできねぇって言うのがオチだ」


 振り返ること無く、幸流は部屋をあとにする。元来た道を歩くと、シディリアが向こうからやってきた。


「メディカルチェックは終わったぞ」

「これを渡しておくわ。バイタルチェック用のリストバンドと、あなた専用のデバイス端末。スマホ、壊したんでしょ? 外部との通信は出来ないけど、私とエデンとなら連絡出来るように設定しておいたわ」

「何だこの圏外スマホ。まだ今どきの音楽プレイヤーでももうちっと使えるぞ」

「作戦行動中はそれで連絡を取るから重要な物よ」

「で、だ。エデンの連絡先っつったな。邪魔だし消しとこ」

「ちょっとストップ、待ちなさいよ! そんな簡単に消しちゃうのあなたは?!」

「興味ねぇし」

「⋯⋯はぁ。先が思いやられるわ。とにかく、消すのはやめてもらないかしら。あなたがどう思ってるかは分からないけど、あの子はきっと消されたら悲しむわ」

「ワガママな奴だな⋯⋯後で絶対消してやる」


 端末をポケットに突っ込む。使い慣れてたスマホより幾分サイズが大きいせいか、少し違和感がある。まぁ、じきなれるだろう。


「リストバンドは左手に。長時間信号が無いと行方不明扱いになるから、なるべく着けておいて」

「防水?」

「防水」


 パチリ、と細いリストバンドを幸流の腕に取り付ける。何やら小さな機械が内蔵されてるが、何のための機械なのかはさっぱり見当もつかない。ただ、これが幸流の身体の様子を伺ってるのは直感的にわかった。


「今頃あなたの生体データが方舟に登録されてるはずよ。これでこの舟の中で使える権限が、あなたにも与えられたわ」

「てことは、さっきみたいなドアを開けてもらう必要は無いってことだな」


 試しにその辺にあったパネルを触ってみる。パネルがほのかに光り輝き、横のドアが開いた。


「おぉー、カッコイイじゃん」

「カッコイイ⋯⋯?」

「こいつはどこまで行けるんだ? 個人の生体データを使う以上、特定の人間じゃないと入れない場所があるって事だろ。立ち入り禁止区域、非公開データ。組織ってのは大体そんな物だ」

「プライベートエリアには、そのエリアの管理者が許可しないと入れないわ。情報の公開として、そうね⋯⋯技術関係のデータには幾分かロックがかかってるけど、その他はかかってないはずよ」

「ふーん」

「部屋の方に、パソコンタイプの端末も用意してあるわ。データ閲覧には、そっちを使って」

「随分と豪華なもんまで用意してあるんだな。まぁどうせ、ネットには繋がんないだろうけど」

「そうね。でも、専用の回線で音楽だったり映画は一通り楽しめるわよ。もっとも、無いものは無いけど⋯⋯」

「機密を守りながらも娯楽には力を入れてるってわけか」

「広いとは言え閉鎖空間だからね。補給のタイミングさえ合えば、色々と輸送もして貰えるわ」

「補給⋯⋯」


 外部との繋がりを見つけた。幸流は微かに口角を釣り上げ、密かにある計画を思いついた。


「次の補給はいつなんだ? 試しに見てみたいんだけど」

「ちょっと待ってね。えーと⋯⋯あ、丁度いいわ。明日来るけど、何か要求事項があるならまだ間に合うわよ」

「とりあえず様子だけ見てみたい。明日はそれを見せてくれ」

「わかったわ。じゃあ、明日のスケジュールは補給の見学で決まりね」


 やった、と幸流は内心でニタリと笑う。補給と言うからには、外部から何らかの形で物資を運ぶための乗り物が来るはずだ。方舟の運用方法からするに、おそらくは飛行機の類。つまりその飛行機に上手く潜り込めれば、ここから脱出できる。

 そうと決まれば、まずは下調べと準備だ。マップを頭に叩き込み、出来る限りの事態に備えてシミュレーションを行う。


「今日は疲れた。とりあえず案内は明日にしてもらって、今は部屋だけ教えて貰えれないか?」

「じゃあ居住区に行くわ。ここから電車に乗るとすぐよ」

「あぁ。楽しみだな」


 密かに練り上げる計画。それに気づかないシディリア。

 幸流は既に、この方舟の人間を見限っていた。


「下らねぇ奴らと下らねぇ世界なんざ、俺の知った事じゃないな」


 陰る心をひた隠し、幸流はただひたすらにシディリアの後をゆっくりと着いていく。

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