第2話 握る手、繋がる契

「⋯⋯馬鹿だろ、お前」

「結界を張りました。長くは持ちません。私の話を聞いて下さい」

「手短に頼む」


 ジリジリと、赤い騎士が後ずさっていく。目に見えない壁に押されてる様だった。


「あの悪魔には、この世界の理は通用しません。どれ程の力があろうとも、理から外れた者には届かないのです」

「じゃあ逃げろ。俺はもう眠い」


 横腹の感覚がもうない。血が出てるのか抉れてるのかわからないが、見れば目を覆うような惨状になってるだろう。


「ですが私は先程申したように、巫女。この世の理から外れた神の加護を受けし者。そしてその加護は、私自身を神に贄として捧げる事で第三者が振るうことの出来るモノとなります」

「あ、そうなんだ⋯⋯へぇ⋯⋯」


 意識が朦朧としてきた。何を言ってるのか理解できない。頼むから早く逃げてくれ。


「ですから、貴方様は私と契を結んで頂きます。貴方様にとっては不本意かもしれませんが、私には十分すぎるほどに貴方様から命を受けた」

「早くしろ、眠い」

「どうか手を」

「わぁったようるせぇなァ!!!」


 最期の力を振り絞って右手を突き出す。その指先に、誰かの手が触れる。意識が宙に浮いた。羽が生えたようだった。


「どうか貴方に、神の御加護がありますように⋯⋯」


 天使は祈り事を呟く。幸流の目には、真っ白な光だけが映り込んでいた。


「─────────」

「あぁ、わかったよ。わかったから、少しだけ黙って死んでろ」


 立ち上がる。もう動かない体が、再び立ち上がる。もう見えないはずの目が、世界をしっかりと捉える。もう何も掴めなかった手が、しっかりと彼女の手を握りしめていた。


「貴方様の為に命を削りましょう。貴方様の手で、私の命をお護り下さい」

「どうしてこうなったんだかなぁ⋯⋯」


 結界が破れた。猛烈な勢いで突っ込んでくる騎士は、どっしりと槍を構えて真っ直ぐにこちらを狙っていた。幸流は天使を守るように1歩前に出て、その槍の先端を掴んで騎士ごと受け止める。


「どけ、邪魔だ!」


 そのまま膂力を全開にして投げ飛ばす。2、3回程地面をバウンドした騎士と馬は、驚いたようにこちらを見て固まった。知性があるのかないのかわからないが、気味が悪い。2度と天使に近寄るな。


「死ねよ。てめぇは此処にいちゃいけないんだ」


 サッカーボールを蹴る様に、馬の頭を蹴り飛ばす。首の取れた馬は、ピクピクと痙攣しながら次第に動きを弱めていく。なんだ、ちゃんと死ぬのか。


「次はてめぇだ、小汚ねぇゴミ」

「ァーーーーーーーッーーーーーーーァーーーヮー」

「黙れよ。死ぬ時ぐらい、黙って死ねよ屑が」


 殺意の塊が、幸流の右手に刀を握らせる。込めた憎悪とは裏腹に、刀は天使と同じ穢れのない無垢な白虹に輝いている。

 顔面を的確に狙う槍。根元から叩き折ってやる。殺す。今すぐ即座に、この瞬間。殺す、ぶち殺す。


「死ね。失せろ」


 脳天から真っ直ぐ、刀を振り下ろす。刀は一閃の軌跡を描いて、騎士の躰を両断する。ドス黒い血が、噴水の如く吹き出して辺りを黒く染める。それでも天使と刀だけは、白く輝きを放っていた。

 騎士と馬は死んだ。最後に甲高い笛の音を遺して。寒気の走る音、世界の果てまで響く音に聞こえた。


「終わった⋯⋯のか?」


 茫然自失のまま、刀を取り落とす。あまりにも呆気ない。ただ虐殺しただけ。神、天使と言った単語からは想像もつかない惨劇が、あっけなく幕を閉じた。

 

「えぇ。何とか、初めてでしたけど⋯⋯これは聞いてた以上に、壮絶ですね⋯⋯はぁっ⋯⋯」

「おい、なんでてめぇが死にそうになってんだよ!」

「私の命は、もう貴方様の物ですから⋯⋯」

「おいクソ、しっかりしろ!」


 倒れた天使を抱き抱えて右往左往。揺すろうが怒鳴ろうが起きやしない。どうしたらいいか思いつかない幸流は、とりあえず校舎内に身を隠す。休憩所に天使を寝せ、大きな呼吸を繰り返す。手が血みどろだ。水道へと歩くと、ジャボジョバと水で血を洗い流す。


「うぷっ⋯⋯お、えっ」


 排水溝に流れる血。ドス黒い血を見て、胃の中の物が残らず出てきた。最悪だ。最悪のコンディションだ。


「あら、ここは?」

「目ェ覚めたか⋯⋯とりあえず校舎内だ。何か飲むか?」

「お構い無く。貴方様の方こそ、顔色が悪いですよ。横になって下さい、膝枕してあげます」

「ふぅ⋯⋯コーラで良いか⋯⋯」


 天使の誘いをガン無視して、自販機にコインを入れる。血と吐瀉物を吐き出した口は、いくらすすいでも後味が悪い。


「不味い。おえっ」


 ぐびぐびと缶コーラを喉に残さず流し込む。多少楽にはなったが、相変わらず口の中は酷い有様だ。

 服は血みどろ、体調は良いところがひとつも無いくらいに万全。そして街は人気が消えている。まるで人類滅亡後の世界だ。


「さっきのあれはなんだ。俺の体は一体どうなっちまったんだ」


 悪魔を虐殺した力、この世のものとは思えない暴力。天使の手を握りしめた途端、幸流の体は生まれ変わったように怪力になっていた。


「あの刀はなんだ。あの力はなんだ? 一体お前は何者なんだ? 教えてくれ、じゃないと俺は次にお前を殺さなきゃならない」

「落ち着いてください。混乱するのも無理はないでしょう。貴方様はもう、この世の理から外れたのですから」

「何言ってんだお前は! お前は一体、何を知ってるんだよ!」

「⋯⋯どうやら迎えが来たようです。さぁ、参りましょう」

「待てよ! どこに行く気だ!」


 突然歩き出した天使を追って、幸流は校舎内を駆ける。天使が向かったのは、さっきまで化物のいたグラウンドだった。

 だがそこに死体はなく、代わりに目を疑うような光景が広がっていた。巨大なVTOLが着陸していたのだ。校舎に囲まれたグラウンドに、だ。


「⋯⋯⋯⋯は?」

「エデン、無事だったのね!」

「シディリアさん、私契約者を見つけました!」

「こんな辺鄙な片田舎の国で? 探してみるものね」

「あの方は悪魔を払ってくださまいました。きっと、楽園部隊の人達の力になってくれます!」


 思考が完全に停止してる幸流を尻目に、天使とVTOLから降りてきた女性は何やら楽しそうに会話をしている。


「さぁこっちです。詳しい話は、本部に着くまでにシディリアさんが話してくれます」

「君がエデンの契約者ね。よろしく」

「⋯⋯⋯⋯はぁ、どうも」


 パンクした頭には、何一つ理解できない内容だった。誰だこの女は、俺は一体どうなっちまうんだ。そんな疑問に応えてくれる人間は、ここには残念ながら存在しない。幸流は促されるまま鉄の塊に乗り込むと、そのまま地面から離れ飛び立っていった。

 かくして、海崎幸流の長い長い日々が始まる。永劫に続くような地獄と、不可思議な人間の世界。この世の理を外れ、人間は何処へ向かうのだろうか。

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