真実の赤い糸-下-「三人称」
「では次に動機ですが、しかしこれを見つけるのはとても大変なことでした。なにしろ私が一番疑っているあなたには佐々木さんを殺害する動機がなく、推理によって削っていった彼女たちには充分な動機があったのですから」
玲奈は役者のように声を大きくして言った。
「ですので私は自分の誤りを訂正するため、もう一度事件を一から見直して動機面の方から犯人を絞り出すことにしました。するとどうでしょう。やはり小笠原さんと遠藤さんに佐々木さんを殺害する動機はなかったという新事実が分かりました。
まず小笠原さんからです。いじめによって自殺した伏見さんの復讐ということでしたが、半年以上も時間が経っているのにもかかわらず伏見さんは佐々木さんが原因で自殺をするなんて考えられますでしょうか? それにもし本当に彼女がいじめに関わっていたと小笠原さんが知っていたのなら、高校三年生になるまで待っているはずがないし時期的にもありえません。高校三年生は人生を左右する大学受験がありますので、せめて犯行は大学が決まってからか、それより前の高校一年生の時だと思います。そして後者ならば今ごろ、彼女はいじめをしていた全ての人間に復讐を果たし少年院で生活していたことでしょうが、なにもなかった。
それでは次に遠藤さんです。佐々木さんが恋人の高橋さんを奪ったからということでしたが、果たしてその件があったにも関わらず二人を許して普通に接していた彼女に、佐々木さんを殺すほどの憎悪が本当にあったのでしょうか? 取り調べで高橋さんは別れたと言っていましたし、彼女もそうだと思っていたようです。だから彼女が佐々木さんを殺害するとしたら、事件は大喧嘩をしたときに起こっていたはずです……」
「でも私は見たのよ。伏見さんがあの子にいじめられていたことも、高橋くんがあの子と秘密に会っていたことも」
「あなたの言いたいことは分かります。たしかにあなたは実際に佐々木さんが伏見さんを裏でいじめていたということを知り、佐々木さんと高橋さんが二人で遊んでいたところを目撃しています。そうでもなければカモフラージュのために二人が疑われそうな要因を作り出したりしませんからね。なので私はその確認も兼ねて佐々木さんがよく訪れるゲームセンターに行き、あななたち教師がここに来るのかという目撃情報を遠藤さんから教えてもらいました。そして平野さんに頼み、大月中学校の卒業アルバムを見せてもらったのです。そこには確かにあなたが写る写真がありましたよ。……そう、佐々木さんが中学一年生の時にいたあの年に、あなたも大月中学校の教師として働いていたんです。だからあなたはこの両方の事実を知っていたのです。
しかし、それは間違っています。伏見さんについても、高橋さんについても、あなたはすべてを見たわけではありません。それこそ、あなたが作った事件の表面上しか見ずに捜査を進め、間違った解釈をしてしまった警察と同じです。伏見さんの自殺に佐々木さんは直接的に関係していませんし、高橋さんと佐々木さんがゲームセンターで遊んでいるときに遠藤さんも一緒に来ていたんです。音楽ゲームの筐体から少し離れていますが、自動販売機の近くにあるベンチに座って二人をずっと見ながらずっと……」
「そ、そんな……」
由紀恵は、自分の間違えに困惑するように右足を一歩後退させながら弱々しく呟いた。
「これで動機面でも、容疑者はあなただけだと絞ることが可能になりました。では肝心のその動機とはなんなのか……。あなたについてなにも知らない私はまず、被害者である佐々木さんを恨む人物が他にいるのかということに注目しました。そしたら、捜査を進めて得た証言の中にとても興味深い内容があったなと思い出したんです。それは、彼女は万引きや痴漢冤罪を利用してお金を稼いでいた過去があり、そのせいで警察沙汰なったことが何度もあるというものでした。彼女を恨む人物がいるとしたらこれしかない、佐々木さんと部活動以外で関係が薄いあなたの動機を突き止めるにはこれしかない……。だから私は警察の方に頼んだんです。佐々木さんが関わった事件の一覧を作ってくださいと……」
玲奈は真実を見通す鋭い目つきで、由紀恵を見据え続ける。
「佐藤秀樹さん、あなたの夫である彼は、二ヶ月前に痴漢の罪で逮捕されていますね……」
「違うっ――!」
廃教室で由紀恵の叫び声が響く。ついに彼女は怒りを隠すことをやめたようだった。
「違う……、違う違うっ! あの人は明菜に痴漢なんかしていないわ。結婚してまだ数年しかたっていないし、なによりもいつも真面目で私のことを考えてくれているあの人が、そんなことするはずないでしょっ!」
彼女の声は今までと違って取り乱しているようだった。それはただ感情的になって騒いでいる女子高生と変わりなかった。
「だけど世間は佐々木さんに味方しました」穏やかに中学生は口を開く。「大人の真実ではなく、高校生の嘘を信じたのです。そして彼女は警察に黙る代わりにお金を要求しようとしたんでしょうけど、真面目な秀樹さんはその罪を認めてしまったんです。結果は誰もが望まない事になってしまい、秀樹さんの妻であるあなたは佐々木さんを恨みました。あなた達の幸せな生活を壊した彼女を、殺したいほどに」
「……ええ、そうよ」なにかが吹っ切れたように、由紀恵はあっさりと認める。「私はあの子を殺してやりたいって思うほど恨んだわよ。だけど法律が邪魔だから、絶対に私が犯人だと分からせないよう計画をたてた。死亡推定時刻を早めたのも犯人が遅い時間に殺したと誘導させるため、首を絞めたのもあの子の血がつかないようにして勉強会に参加するため。全部、何度も計画を練り直した。使い捨てカイロを大量に買って部室の中にしまっておいたし、縄跳びを使ってあの子の不意をつく動きだって練習した。一回だけ本当に縄跳び縄で人を殺せるのか試すため自分の首にまいて強度を確認したこともあるくらいね……」
由紀恵は自分の首を両手で掴みながら狂気を帯びた目で玲奈を見る。声は低く、背筋が凍りそうなほどだった。
「それでね、この前ついに明菜にそのことを伝えたの。そしたらあの子、なんて言ったと思う? 『もう終わったんだからどうでもいいことでしょ』て言ったのよ。憎たらしい顔で……。謝る気もなく、あの人がどんくさいだけだって罵倒して……。
その時よ、やっぱりこいつは絶対に殺さないといけない人間だって決心がついたの。たまたまその日はバスケ部の練習試合で実行することはできなかったけど、すぐにあの日は訪れた。そして、私はついに殺したのよ。あの子をこの手で。私の愛する彼のためにっ!」
もはや由紀恵は正常を保てていなかった。自分の行いが全て善だと思いこんでいるように幸せそうな顔で。
「ねえ、これが悪だと思う?」と言った。
「当たり前です!」玲奈が叫んだ。「どんな理由であれ、などと言うつもりはありませんが、それでもあなたは自分の欲求のために無関係の遠藤さんと小笠原さんを巻き込み、そしてその人生を奪おうとしました。まさしく、嘘をついて他人を巻き込みお金を稼いでいた佐々木さんと同じことです。あなたが佐々木さんの行いを悪と認識しているのなら、あなたの行いも立派な悪です」
由紀恵は声を大きくして否定する。
「私は違うわ。私はただあの人のためにやったのよ。だから、自分のためだけに人の人生を狂わせた明菜とは違う! これは、正義のためよ」
それを聞いて、玲奈はそれ以上なにを言っても伝わらないと諦めた。
人には独自の素晴らしい思想が存在するが、それが負の感情に犯され他人では覆せないほど大きく固まったときに犯罪を起こすんだと理解している。今の彼女も、愛している夫の復讐のためだからなにをしても許されると思っているのだ。
数分の沈黙のあと、玲奈は強引に辿った道筋の話を締めくくった。
「以上のことよりあなたが犯人です……。これが、私が導き出した答えです。いかがでしたか?」
「正解よ。全て、百点満点だわ。私がこの事件の犯人よ……」
由紀恵は全てを認めて、そして浅くため息を吐き。
「だけどあなたは私に、捜査状況をいろいろ教えてくれてたわよね。なのに、いつから私を疑い始めたっていうの?」と聞いた。
すると玲奈の目は輝き始めた。彼女は、本当は話を終えずにもっと由紀恵と会話をする必要があると思っていたのだ。小さな口を開いて答える。
「実は、私は初めからあなたを疑っていました。取り調べで初めて会った時、あなたから香る香水の匂いと同じものが、佐々木さんの後頭部から香ってきたんです。あなたはタバコを吸ったあとその臭いを隠すため必要以上に香水をつける人だと聞きます。だから当日も、佐々木さんを殺害する前にタバコを吸っていたあなたはいつものように香水をつけたはずです。なのでその時つけた香水の、トップノートと言いましたっけ? まだつけてすぐの香水の匂いが彼女の髪にうつったということです。
しかし遠藤さんも、そして佐々木さんもそれと同じ香水をつけている可能性があります。私はあまり香水について詳しくないのですが、閉成中学校のクラスメイトの一人にやたら香水を集めている物好きな人がいまして、その子に調べてもらうために事件の関係者全員が使っている香水の名前を手に入れることにしました。まず私は佐々木さんのお宅を訪問し、彼女の化粧道具入れから香水を見つけて商品名をメモしました。次に遠藤さんですが、あの人、私が考える犯人の人物像からとてもかけ離れているんです。あなたと違って勝負事を好まないし自分をアピールしたいような気持ちも薄い。化粧せずとも、充分に魅力があってナチュラルな人でした。まあ一応取り調べのときに彼女の匂いを嗅ぐため近づきましたが、やはり香水の匂いは香ってこなかったので、遠藤さんは香水をつけていないと分かりました」
「私のはどうやって調べたのよ」
「あったじゃないですか。事件が起きた次の日、あなたは私にハンカチを貸してくれましたよ。だからそれを香水に詳しい子に渡して調べてもらったのです。その子は数分間悩んで、そして自信をもって教えてくれました。佐々木さんの持っているのは『イヴ・サンローラン』と『ランバン』の香水で、あなたが使っているのは『ガブリエルシャネル』の香水であるということです。私も三つの香水の匂いをかぎましたが、確かに佐々木さんの持っていた香水はあなたのと違った匂いでした……」
無言のまま由紀恵が近づいてくる。
玲奈は気にせず続けて。
「それと、あなたに警察が小笠原さんを一番疑っていると伝えたのも、なにか行動をしてもらうためです。思った以上に捜査が進まないと焦ったあなたは、指輪を生徒会室に置いて小笠原さんが犯人である決定的な証拠を警察に見つけさせようとすると思ったのです。
それから後はあなたがいつ行動を起こすかを待つだけでしたよ。読書でもしてゆっくりとね。途中でとても興味深い本を見つけたので不規則な生活を送ることになりましたが――」
鈍い音が鳴った。
由紀恵が振り下ろした木の棒が玲奈の頭を直撃し、切り傷から血が垂れていた。
「とても気に入らないわ。あなた、まるで明菜を見ているよう……。私よりも人生の経験が少ないくせに、私よりも一歩先に進んでいるって勘違いして、とても憎たらしい子……」
由紀恵はすぐにでも爆発しそうなほど怒りが高まっていた。
「本当は少しだけ痛い目を見てもらってから開放してあげようかなって思っていたんだけど……やっぱりやめた。あなたはここで死んでもらうことにするから」
言い終えると、彼女の合図とともに奥のドアから二人の男が表れた。
彼らは上下を黒いジャージで纏い、ピアスやらなんやらをしている。和田克幸に似た、イメージ通りの不良だった。
由紀恵は彼らを紹介するように言う。
「教師を続けているといろんな生徒たちにバカにされる時があってね。威厳を保つため少し教育してあげないといけないの。けれど私は教師だし暴力で解決することはできない。だから彼らに協力してもらっているの。彼らは常に人を傷つけたいと思っているネジの外れた子たちでね。手を汚さずに罰を与えたい私と、何でもいいから人を傷つけたい彼ら。いい関係でしょ?」
「今回はこの女をくれるのかよ。最高だねえ」
気持ち悪い笑いを浮かべ、男たちは近づいてくる。縛られたままの玲奈は、芋虫のように身体を使って後退しようとしたが無駄だった。すぐ後ろは壁だったのだ。
「だけどこの子たちもたまに言う事聞かなくてね。だからあなたみたいにわがままで生意気な女子生徒たちを彼らに差し出してるってわけ。本当はそれだけで済まそうかなって考えてたけど、もう遅いわ。あなたも死んでもらう」
由紀恵の放ったこれ以上ない恐怖に、玲奈は身体を震わせながら。
「やっぱりあなたは最低な人間です。私からしたら、まだ佐々木さんのほうが普通に見えます」と叫ぶ。
しかし由紀恵は笑って。
「何度でもいいなさい。いずれは助けを乞う惨めな姿になってるんだから」と言って後ろに下がった。
「おい、いいのかよ先生。こいつ、まだ中学生だろ」
片方の、身長が高い方が振り向き聞いた。
「あら、幼すぎる子はだめかしら?」
「なわけ。俺は女ならなんでもいいし、中学生を犯す機会なんてめったにないから楽しみだぜ」
もう一人の男の手が、玲奈の体に触れる。
「おい、こいつすげえ震えてるぞ」
「当たり前だろ。初めてを知らないやつに奪われるんだから」
二人の男の手が、彼女の制服を荒々しく掴む。目からは涙が出てきていた。
「ふふふ。泣いても無駄よ。もうあなたは助からないんだから」
教室には醜悪な笑い声しか聞こえなかった。消えるくらい小さな嗚咽を漏らす玲奈は、紐をほどこうと身体をくねくねと滑稽に動かす。彼女にはもう、震えることか頭の中で考えることしかできなかった。
私は探偵として未熟なのだ。だからこんなことででしかこの人の自供を得ることができなかったし、結局自分が追い詰められていることになっている。もしもミステリー小説に出てくる名探偵たちなら、こんな手間を掛けずすぐに犯人を断罪できていたはずだ。
私はまだまだ実力不足だ。
それはもう認めている……。
痛いほど認めている……。
認めているから……。
早く、助けに来て――。
その瞬間に、玲奈の視界から二つの恐怖が消えた。
ガシャンと、大きなガラスの割れる音とともに、なにかが彼女の目の前を横切り、そしてものすごい勢いで二人の不良が一緒になって反対側の壁に飛んでいく。
「な、なんなの!?」
由紀恵が叫んだ。視線を移動させることには、連れてきていた不良たちがのび、一人の男が立ち上がろうとしている。
そしてそのすぐ後に、赤く光るサイレンが近づいてきた。
「け、警察……? な、なんでっ!?」
窓の外は、星のように輝く赤い光で溢れていた。ドカドカドカと数人の足音が響いてくる。
「ああ、あああ……」
由紀恵にはもう、隠しの抜け道でもない限り逃げられるルートがなかった。彼女は崩れるようにその場に座り込み、持っていた木の棒を転がした。廃教室に突入した警察官は無抵抗の由紀恵に手錠をかける。
しかし玲奈にその音は聞こえなかった。彼女の注目はガラスを割った張本人だけに向けられていた。
そこには――。
「必ず来てくれるって信じていたよ。兄さん」
右腕につけてあるアップルウォッチを指で撫でながら、玲奈は兄の背中に向かってそう呟いた。
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