真実の赤い糸-上-「三人称」
玲奈が言った後、由紀恵はいつも生徒たちに向けているような穏やかな顔で笑って。
「もちろん、あなたには永遠に事件について黙っててもらいたいからここに連れてきたの」と、遠まわしに言った。
罪の意識のない声に玲奈の全身はぷるぷると震えた。あの棒でもう一度殴られたら、本当に気絶どころでは済まなくなるだろう。
「恨まないことね。このままなにもなければ小笠原さんが犯人として逮捕されるはずなんだから、あなたのせいでそれが台無しになっても困るの。私の完璧な犯罪がね」
「完璧な犯罪ですか……」玲奈は精一杯の強がりをみせるため、怯える瞳で由紀恵を睨んだ。「あれは、あなたが考えるほどそう立派なものでもありませんよ。小笠原さんに罪をなすりつけられたのも、ただ運が良かっただけにすぎませんから」
言い終えるころには、由紀恵の顔にシワができていた。
「じゃああなたはこの事件の答えに辿り着いたってことかしら。ホームズでいう赤い糸を隅から隅まで一インチずつに刻んでね……。ふふ、ぜひ聞かせてもらいたいものよ。あなたの推理を」
「それならいくらでも」
玲奈は深く深呼吸した。
「まずこの事件の概要から始めます。被害者である佐々木明菜さんは、帝国高校の体育館内にある女子バスケットボール部の部室で縄跳び縄に首を締められて殺されていました。時間帯は部活動が終わりほとんどの生徒が居残り勉強会のため教室にいる、まさに罪を誰かになすりつけるには最適なタイミングのどこかで。
それで事件の発覚は二十時三十分、あなたと河野さんが部室に向かったところで佐々木さんの死体を発見した時です。それからすぐに警察が現場へ到着し、検証では主に四つのことが判明されました。第一は縄跳び縄で殺されたこと、第二は遺体の服には大量の使い捨てカイロが詰められていたこと、第三はバスケ部と関係のない人間の私物が落ちていたこと、第四は被害者の私物から唯一盗まれていたのが指輪だったこと。
使い捨てカイロは稀ですが、その他はどこにでもある普通の殺人と同じような状況です。それで警察は真っ先に容疑者のターゲットを、メガネケースの持ち主か佐々木さんと人間関係でいざこざのあった人物であると定めました。どちらも、あなたが捜査の目をくらますために仕掛けた偽の手がかりだとも知らずに……」
結果として警察を出し抜いたことになった由紀恵は、顔を得意げにニヤつかせる。
「ですが私は物による証拠から容疑者を絞ることはしませんので、いつものように現場にあった要因を全て無視して頭の中を真っ白にしたまま全体を観察してみようとしました」
玲奈の目が輝く。
「すると、あの殺人現場には大きな綻びがあることが分かりました。メガネケースも指輪も関係なく容疑者を絞る重要な手がかりが存在していたのです。それはなにか……。稚拙な探偵小説の解答編のように長い前置きはやめて結論から言いますと、この事件は部室の中にある道具を使いすぎているということでした。もう一度現場を思い出してみましょう。犯人は物干し竿にかけてあった縄跳び縄を使って佐々木さんの首を締め付け、そして死亡推定時刻を狂わせるため使い捨てカイロを部室にある棚の中から取り出し、別の棚に入っていたハサミを使って封を開けたということですが……不思議だと思いませんか? なぜ犯人はこれだけ部室にある物を使っているのに、部室を荒らさずピンポイントでそれを手に入れることができたのでしょうか……。私は少し考え、犯人は女子バスケットボール部と関わりの深い人物であったという仮説を立てることにしました。もしなんの関わりもない人ならば、部室のどこに使い捨てカイロが保管されているかなんて分かりませんよね? だから必ずそれを探そうと物色していた形跡が残るはずです。
しかしそれだけではまだまだ容疑者を絞れていません。可能性は低いですが、帝国高校の関係者全員が部室のどこに何があるのかを知っているかもしれないですので……。
けれども、現場にはもう一つ重要な手がかりがありました。女子バスケットボール部の人間と、事件当日から三日前以降に部室へ訪れた人間にしか知らないとても大きな手がかりが……」
「それはなんなのかしら?」
遠い記憶を探るように、由紀恵は目を細めながら首を傾ける。
「照明用のリモコンですよ」玲奈はゆっくりとした声で教えた。「事件当日から三日前、部室の照明スイッチが壊れてしまい彼女たちは照明用のリモコンを代わりに使いオンとオフを切り替えることになりました。そしてそのリモコンは紛失しないよう棚の中に厳重に保管してあったと聞きます。けれど警察はこのことを全く重要視しませんでしたが、実はこの事実にこそ大事なことが隠されているんです。佐々木さんの生存が確実に確認できた時間は十八時十分でしたが、その時間なら外は暗くなっているので部室の電気は点いているはずです。しかし取り調べであなたと河野さんは死体発見のとき部室の電気は消えていたと仰っていました。それは普通の状況でしたら当たり前のことで、犯人は殺害後にスイッチを使って電気を消しただけのことです。しかし今回の事件は普通の状況とは違いスイッチが壊れていた。だから殺害後、反応しない照明スイッチを諦めて電気を消さないまま部室を出るのが自然な流れのはずです。いくら安全な時間帯で念入りに計画を立てた犯人でも、想定外の出来事に時間をとられたくないですからね……。ですが現場の証明は消えていました。つまり殺害後、犯人はわざわざ入り口から遠い棚に収納されていたリモコン使って電気を消したことになります。リモコンの場所を知らない人物が部室を荒らさずこんなにも冷静に行動できるでしょうか? よって、犯人はこれすらも事前に知っている人物に限られます。
これだけわかったので、次は容疑者を削っていきます。まず女子バスケットボール部の生徒たちですが、幸運なことに全員にアリバイがあり第三者の後押しもありましたので除外されました。次にメガネケースの持ち主であった小笠原麻衣さんですが、彼女もありえません。女子バスケットボール部の生徒とは関わりがないと分かっていますし、生徒会長といえども学校の全てを把握するほどの権力はございませんので照明用スイッチが壊れていることを知るはずがありません。それに、十八時四十五分から十九時五分の間に学校内で彼女を見たという証言を得ることができたんですよ。全校生徒に一人ずつ電話をかけてね。まあ全部で三日間かかりましたよ。しかしおかげで小笠原さんは殺害をする機会がないと証明できます……。最後に高橋直哉さんの名前が刻まれた指輪を盗んだかもしれない遠藤綾さんについてですが、彼女は完全に除外することはできませんでした。遠藤さんは部活動をしていませんし佐々木さんとも仲が良かったので、最近部室に行っていないという証言を信じるわけにはいきませんですので……。さて、これで容疑者は二人になりました。それは遠藤さんとあなたです」
「ちょっと待ってよ」由紀恵は木の棒の先端を玲奈に向けながら意義を申し立てる。「なんで私が入っているの。あの子のスマートフォンのメッセージ履歴から死亡推定時刻は十八時五十分からに決まったんでしょ。じゃあその時間帯に居残り勉強会の教室にいた私は除外されるはずよね?」
そして自信のある顔を見せる。
「そうです。あのメッセージ履歴はあなたが作った予防線のようなものでした。ですけど……」
しかし玲奈も由紀恵を小馬鹿にしたように冷笑を向けた。
「スマートフォンのメッセージ履歴なんて全く当てになりませんよね。なにせ佐々木さんが持っていたのはiPhoneⅩです。目が開いた彼女の顔さえあれば、パスワードを知らずとも画面のロックを外せるのですから……」
由紀恵の眉がほんの少し吊り上がる。中学生の馬鹿にしたような言い方に怒りを感じるよりも前に、玲奈の言葉が計画の核心をつき本格的に戸惑い始めたようだ。
「私は顔認証システムがスマートフォンに搭載されると知ったとき、便利さよりもまずこのアリバイ工作を思いつきました。これは、犯人にとってとても利用価値のあるものです。元の場所に戻すことさえできれば、あなたがやったように死亡推定時刻を偽装することが容易にできますから……。ですがそれは捜査をする側に、履歴は関係ないとヒントを与えてくれることにもなります。なので私は十八時五十分まで生きていたという死亡推定時刻を当てにせず、さらにそのスマートフォンは丹念に磨かれ指紋がなかったことと、前のことを重ね合わせて考えた結果、佐々木さんと二人きりの状況を作ることができたあなたを容疑者の一人としたのです。本当に、なぜ犯罪捜査の経験が私よりも豊富な警察のみなさんがこの事に気づかなかったのでしょうか……」
玲奈は最後、この事件をともに捜査した二人の警察官に対して哀れみを込めて呟いた。
「これで容疑者は二人にまで絞られましたが、遠藤さんを容疑者から外すのは簡単なことでした。これは、和田さんが部室から出てきて遠藤さんを目撃したことと、現場にメガネケースが落ちていたおかげです。
あなたちの証言によりこの殺人には二つのパターンが存在することが分かりました。まずはあなたが犯人だった場合の、居残り勉強会へ行く前に佐々木さんを殺害し現場を構築したパターンと、遠藤さんが犯人だった場合の、あなたが部室から出ていった後に佐々木さんを殺害し現場を構築したパターンの二つです。では遠藤さんの場合、彼女は十八時十分から十八時五十分までは高橋さんと電話をしていたので、その間に彼女が殺人を完成させるのはありえません。縄で首を絞めるには両手が必要だし、なにかしらの音も高橋さんには聞こえているはずです。ならば、その後に犯行に及んだということになりますが、なぜ遠藤さんは現場に戻ってきたのでしょうか? 実際に彼女が体育館近くで見つからず家にいたという証言だけで突き通せば、ああまでも疑われることはなかったはずです……。そしてそもそも遠藤さんに、別クラスである小笠原さんのメガネケースを盗む瞬間があったのでしょうか? それぞれの時間割を確認しましたが、小笠原さんが授業で教室を離れている時間に遠藤さんは体育の授業があったんです。だから小笠原さんの教室に行ってメガネケースを盗むなんて時間的に不可能ですよね。着替えがあるのですから……。
それに比べてあなたはどうでしょう。その時間、授業のなかったあなたにならチャンスは一時間もあります。このことによって、あなたが犯人である可能性が百パーセントになったというわけです……。コナンドイルの言葉を借りるなら、『Once you eliminate the impossible, whatever remains, no matter how improbable, must be the truth.』シャーロキアンのあなたなら分かりますよね?」玲奈は明るい声で、由紀恵を見上げながら言う。
「次は動機です」
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