音ゲーマー

「こんにちは遠藤さん」


 驚き挨拶を忘れる俺の横で、玲奈は普段どおり礼儀正しく会釈をする。


「探偵ちゃんも一緒にいたんだ」綾は妹の方へ、子供に対する笑顔を向ける。「こんなところでなにしてんの? 事件の捜査?」

「私たちはただ遊びに来ただけです」妹は平気で嘘をついた。「遠藤さんこそどうしてここにいるんです?」

「ああ、私はあの音ゲーマーについてきただけ」


 ちらりと彼女の向いた視線の先を追うと、例の音ゲーイベントの参加者の中に高橋直哉の姿があった。

 彼は、白い手袋をきっちり装着して、丸い画面の八方にボタンのようなものがついた筐体に向かっている。取り調べの時に見た、だらしない容姿は変わらないが彼の背中からは真剣さが伝わってくる。


「うわ、うめーな……。一つも失敗してねーじゃん」

「もちろん。あいつ今日のためにめちゃくちゃ張り切ってたからね」綾はなかば呆れているような顔だった。「本当は学校の帰りにゲーセン寄っちゃいけないんだけど、たまに見張りに来る教師の目を何度欺いて練習してたことやら……。まあ本当は明菜もあれに出場して競うつもりだったらしいんだけど……」


 そう呟いた彼女は、自分の彼氏であるはずの直哉に同情の視線を送っていた。


「遠藤さんはやらないんですか?」妹が切り出す。

「私はやらないよ。ゲーム苦手だし、誰かと対戦して勝ち負けを競うのも興味ないからね」


 言い終えると、急に綾は目を輝かせ妹の方を向いてきた。


「それよりも私は探偵ちゃんのほうがずっと興味深いよ。明菜のことについて捜査はどのくらい進んだ? もう犯人はわかったの?」


 声のトーンが大きくなる。そういえばこいつ、ミステリー小説が好きって言っていたよな……。やっぱり小説の中の出来事が自分の周りで起きたら関心を寄せるのだろうか。不謹慎だと思うが。


「捜査についての内容は誰にも話すなと、警察の方から注意を受けているのでなにも伝えられません」

「え~いいじゃん。キミたちが言ったって誰にも言わないよ」

「ですけど……」


 玲奈は眉を八の字にして、いかにも困っていますといった顔をした。


「んー。それなら私も探偵ちゃんに協力してあげる。多分だけど私、警察には絶対に知ることができないとっておきの情報を持ってるよ。他にも明菜の友だちからあいつの詳しい人間関係の話をさせることだってできるし。それと交換ってのはどう?」


 簡単には引き下がらない綾。

 とても気になる交換条件を持ちかけ、玲奈を落とそうとしているのがいやらしく目に見えている。

 しかし昨日晋三さんに言われたことだし、玲奈が事件について口外することなんて無いだろうと思っていたが……、なぜか妹は今回も失敗を繰り返した。


「いいですよ」


 そう短く承諾し、二人の間で約束が結ばれる。妹の顔は、もとからそうだったかのように無表情だった。


「じゃあ私から」綾は、まず自分からという常識を守って、俺たちにとっておきの情報というのを教えてくれた。「明菜の元中にいた伏見春香って女子生徒は知ってるでしょ。そうそう、自殺しちゃったって子。その子と同じクラスだったらしい私の友だちに聞いてみたんだけど、そのいじめっ子連中の中に明菜がいたらしいじゃん?」

「そのようですね」

「それでさ、実はその伏見春香ちゃんって子、小学校の時は女の子グループの中でも中心だったらしく、しかも克幸とすごく仲が良かったらしいよ。いつも一緒に帰っていたんだって」


 あっさりと綾の口から出てきた新事実は、事件解決の希望として目の前の靄を晴らす不思議な力があった。事件の流れを作っていた時に感じた、ほか二人の容疑者に比べ克幸の動機がひどく曖昧でむしろ彼は佐々木明菜ではなく高橋直哉に殺意を向けるのではないか、といった疑問がようやく解消された。いよいよ俺の中で克幸が真犯人であると確証が出てきた。


「お、おい、なんでそんな大事なことを取り調べの時に言わなかったんだよ」

「私もこのことを知ったのは取り調べの後なの。山梨にいる友だちにラインを送りまくって今日の朝教えてもらったんだから」


 むしろ感謝しろというような口ぶりで綾は言った。


「でもさ、その話は本当に信用できるのか? それにあの男も同じ中学だったんだし、普通ならいじめを止めると思うんだが……」


 とはいえ事情聴取から、綾の周りにも不良が多いと知っているのでその情報の信憑性を疑ってしまう。それにもしかしたらこいつが犯人で、適当なことを言って捜査内容を聞き出す可能性も無くはないしな。


「だから女のいじめは怖いんだよ」そう口を切った綾は、初めて見せる神妙な顔つきだった。「明菜は、克幸に見つからないよう影で伏見春香をいじめていたようなの。聞くところには、あの時のあの子は克幸のことが好きだったらしいよ……」

「まさか、そんなことまで……」

「女のネットワークを甘く見ないことね。あなたが信じるかどうかは勝手だけど、私は彼女たちの怖いところも全部知ってるから信じるしかないのよ」


 真剣な表情で言う綾。

 すると、同じ女として彼女の情報は正しいものだと判断したのか、玲奈は前に出て綾の言葉に全面の信頼を置くと言った。


「いろいろと興味深いことを教えていただけたので、私も全て話そうと思います」


 妹はこれまで得た捜査の情報を綾に漏らした。警察が綾のことを容疑者にしていることも全てだった。


「じゃあつまり、私はまだ容疑者の中から外れていないの?」


 聞き終えると、彼女は大声を上げる。店内の雑音はその声を一瞬にしてかき消した。


「そのつもりで捜査を進めています。佐々木さんがつけていた指輪には高橋さんの名前が刻まれていたと情報があったので」

「指輪については知らないってあれだけ言ったのに……。本当に警察官って頭固いよね。こっちとしてはむしろ教えてくれてありがとうって感じなのに、直哉のやつ、あとで絶対ぶん殴ってやる」


 綾は握った拳を前に出しながら笑顔になった。


「あの指輪のことは本当に知らなかったのか?」


 その態度にとても違和感を抱き、確認のため念を押して聞く。


「うん」綾の返事は、なにかを隠しているような動揺もなくきっぱりとしたものだった。「私、基本的に他人に興味ないからさ。指輪のことなんて聞こうと思わなかったし。ああ、探偵ちゃんは別だよ。ツイッターとインスタのアカウントを教えてもらいたいくらい」

「では二人が秘密で付き合っていることを遠藤さんはどうやって知ったのですか?」


 そのどちらにも登録していない玲奈が聞く。


「えっと、たしか学校の友だちが教えてくれたんだよね。ここのゲーセンって学校から近いじゃん、だからあの二人が音ゲーで遊んでいたところの写真をたまたま撮った子がいたの。それで、後から直哉に問い詰めたらボロっと吐いたってわけ」

「二人はどのくらい前から音楽ゲームで遊んでいたのかわかりますか?」

「一年前かな……。明菜が音ゲーに始めたのは直哉が遊び仲間を作るために誘ったからなの。このとおり私はやる気がなかったから、私とよく遊んでいた明菜に声をかけてみたんじゃないのかな。その時はどうでもいいって思ってたけど、でもそれがいけなかったみたい。知らないうちに二人きりでゲーセンに行くようになったし、まさか秘密で付き合ってるとは思わなかった」

「お前、よく直哉を許せたな……」

「うーん。もしかしたら私、そこまで直哉のこと好きじゃないのかな」綾はやけくそに笑って俺の方に視線を送ってきた。「どちらかと言うとね、キミみたいに身長が高い人のほうが好みなんだ」


 急に整った顔が近くに迫ってきた。綾は二歩前に出て、俺との距離を詰めてくる。やっぱり化粧をしていないような自然体な白肌だった。身長差は二十センチもあるので、おのずと彼女は上目で俺を見つめてくる。


「やめろよ……。克幸に怒られるぞ……」

「別にいいよ。あいつだって一回は浮気したんだし。お互い様」

「おい……」


 彼女の息がかすかにあたるところまで近づけられると、俺は甘い視線から逃げるように目を閉じて横を向いた。

 どうせこいつは俺をからかっているだけだ。取り乱しちまったらこの女の思う壺になる。それに、さっきから隣にいる玲奈がボールペンをぐりぐりしてくるのを早くやめさせなければ。


「バカなこと言うな」


 不本意ではあったが、俺は後ろに一歩後退してやり過ごすことにした。


「ふふふ。でもキミ、目つきが怖いからやめた」にやりと笑い人をからかったことに満足した綾は、近くなった距離を戻すとカバンの中からなにかを取り出した。「まあでも見た目だけじゃなくて中身も重要だから。私の場合は、ホッカイロを常に持ってたりと用意のいい人が好きかな。私ってその逆の性格だし寒がりだからさ、これがないと辛いの……。もう四月なのに、なんでこんな寒いんだろうね……」


 それは、佐々木明菜の制服に詰め込んであったという使い捨てカイロと同じもののようだった。

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