行動の分析と絡まる糸
俺たちが再びパトカーに乗り高速道路で東京に帰る途中、空腹を満たすため談合坂サービスエリアのフードコートで小休憩をとることにした。
「私は報告のためパトカーに残るよ。だから二人で先に食べていてくれ」
晋三さんは、財布から取り出した千円札を二枚渡してくれた。これは彼自身の実費だそうだ。
俺たちは二回頭を下げ、お金を受け取りフードコートに向う。サービスエリアといえど、お店はたくさんあった。たっぷり五分ほど悩んだ結果、俺はその中からかき揚げうどんとかやくご飯を頼むことにした。玲奈はスタバのカプチーノと、売店に売っていた信玄餅を持ってきた。
二人で手を合わせ、ようやく一息つくことができた。玲奈と共にバスへ乗り込んでから三時間は緊張感によって気持ちが引き締まっていたため、うどんが喉に詰まってしまうんじゃないかというくらい箸が進んだ。
汁を吸ってしなしなになったかき揚げを口の中に突っ込んでいると、目の前にいる玲奈がおかしそうな表情で俺を見てきた。
「そんなにおなかすいてたの? ガツガツ食べると喉に詰まっちゃうよ」
妹はカップを口につけ、お淑やかにカプチーノを飲む。
「いつもならこの時間は夜ご飯だろ。逆にお前がそれで足りているのか心配なくらいだ。このご飯食べるか?」
「いらない」
かやくご飯がのった茶碗を渡すと、玲奈はぶっきらぼうにいった。
「今は消化より思考に全身を集中させたいの。だから私はこれだけで充分」
ようじを使い黒蜜のついた信玄餅を頬張る。美味しそうに食べてはいるが、頭では事件について考えているような無関心さが見て取れた。
「それにしても」ならばと、話題を殺人事件のことに移す。「和田克幸の態度はかなり怪しかったよな。落ち着きないくらいそわそわしていたし、きょろきょろ視線を逸して晋三さんを見ないようにしていたし、絶対なにかを隠しているに違いないって思ったよ」
「それはしょうがないことだよ」同じ話題で盛り上がれる仲間が増えた時のように、玲奈は楽しそうな目で答える。「警察官に尋問されたら誰だって落ち着かなくなるんじゃないかな。私としては、遠藤さんの態度のほうが普通じゃないと思うよ。とてもリラックスしていたし、私とおしゃべりする余裕まであったんだからね。それに、なにかを隠していた、なんて具体的じゃない考え方はよくないよ。じゃあなんの質問に対してどんな真実を隠していたのかわからずじまいで終わっちゃうからね」
妹からぺらぺらと言葉が溢れてくる。
十五年間も一緒に生活していたはずなのに、まさか玲奈がこんなにもお喋りだったなんて知りもしなかった。今までの寡黙で話したがらないという認識は誤りだったらしい。
意外な一面の発見に驚き、俺はたじろいて声が大きくなった。
「け、けれど、それ以上のことなんて普通わからないだろ。それこそテレビに出てくる心理学者みたいに一つのしぐさで相手が何を考えているのかを判明させないと」
そんな魔法みたいなことは一般人にできるはずがない。俺は玲奈の言い分への答えを、反発を込めて返した。
「そんなことはないと思うよ」妹はあっさりと、その反発に対し反発しかえしてきた。「心理学については基本的なことしか勉強していないけど、その知識だけでも彼がどの質問に対して嘘をついている可能性が高いのかくらいはわかったもん。取り調べ中、彼の態度は口から出た言葉よりも重要なことを語ってくれた。今回の平岡警部の尋問は、行動分析の基本に則ったお手本のような進め方だったから助かったよ」
「いったいどういうことなんだ?」
「ああいうタイプの人間はね、心を許した相手以外に多くを語ってくれないの。だから注目すべきポイントは彼の言葉ではなくて態度の変化であって、それをよく観察して彼が嘘をついているかもしれない質問を探ることがとても重要なの。たしかに兄さんが言ったように、和田さんの態度はそわそわと落ち着きがなかったよ。だけど気づいていた? 彼の貧乏ゆすりに変化があったことを」
「た、たしかに、最後はあいつの足も止まっていたが……、それがどうしたんだ。つまりその時は嘘をついていなかったってことか?」
「そうだけどそうじゃない」妹は首を振った。「勝手に自分の考えた理由を当てはめちゃだめ。兄さんが考える理由の他に、貧乏ゆすりをする原因があるかもしれないからね。まあつまり、その行動の原因を突き止めるためには他の可能性を潰す必要もあるってこと。……あと、心理学者が一つのしぐさから相手の思考を読み取っていると言っていたけど、それも間違い。よくババ抜きのババ当てとかしているテレビ番組を目にするけど、彼らは一つの行動からババのカードを特定しているわけじゃないの。実際は、ババを持っている相手のしぐさの前後関係を観察して分析し、ババがどこにあるか読み取っているだけ」
ここで玲奈は深呼吸をした。
「じゃあ私がどうやって和田さんが嘘をついている可能性の高い質問を突き止め、さらに他の原因があるかもしれないという可能性を潰したのかというと……。彼はまず、部室に入ったかどうかという質問に対して貧乏ゆすりを始めた。おそらく兄さんはここで彼に対して疑いを持ったんだと思うけど、あの状態でそう考えるのは早すぎるの。もしかしたら彼は他人と話す時に貧乏ゆすりをする癖があるだけかもしれないからね。だからその次に平岡警部は一度その話題について離れてみた。すると彼の足は次第と落ち着き出し動かなくなった。ようやくこれで、部室に入ったという質問が彼にとってストレスを抱かせる原因である可能性が出てきた。だけどこれで終わりじゃない。もしかしたら別の要因が彼の貧乏ゆすりを促していたのかもしれないから、次はもっと具体的に、部室の中に入りそこでなにを見たのかという質問をもう一度投げかけた。そしたら彼は更に激しく足を動かし始めた。よって、部室に入ってなにかを見たことがストレスの原因であると確かになってきた。だから最後にもう一度話題をずらした。彼が得意げに指輪のことを語っている間、足はピタリと止まっていたよね。これでようやく貧乏ゆすりをする原因は、部室に関係している確率が高いと断定されたってわけ。行動分析の基本は、この四段階を踏み行動と原因との関係の蓋然性を高めるための実験的分析なの」
「…………」
はっきりいってこいつがなにを言っているのかわからなかったが、結局は部室に入ってなにかを見たことが、克幸にとって聞かれたくなかった質問だったということが分かった。
では、彼は部室でなにを見たのか……。
一番必要な情報は間違いなくこれである。いくら質問に対してなにかを隠している可能性があると判明させても、そもそもなにを隠しているのかがわからなければ意味がない。
俺は深く考え込み、玲奈の言ったように和田克幸の行動の変化に意識してみた。
「とはいえこれだけじゃ彼がどんな真実を隠しているのか分からないけどね。この後は推理が必要になってくるからさ」
妹は笑って、俺が今なにを考えているのか分かっているような口ぶりで言った。心の中を覗き込むような鋭い視線から逃げるように横を向くと、ようやく報告を終わらせた晋三さんが顔のシワを目立たせながら近づき、フードコートで食べ物を買わずまっすぐに俺たちのもとへ来た。
「どうやらこの事件は、私たちが思っている以上に深く怪奇なもののようだよ」
到着して最初の言葉がこれだ。息を荒げ早口になっている。
どうやら、とてもじゃないほど重要な報告を受けたようだ。
対面に座っている玲奈は、新しい展開に心を踊らせたように身体を前にして尋ねた。
「なにかわかったんですか?」
「んん……」低く唸ると、晋三さんは捜査で欠かせない記録書を開いた。「佐々木明菜の過去を調べていたものから連絡があったんだがね。彼女が中学一年生だったころ在学していた中学校で、いじめが原因で自殺をした女子生徒がいたようなんだ。それは、佐々木明菜が一年生のころ彼女と同じクラスだった
それが終わると、三人とも口を閉じ数分の沈黙ができた。
もつれた糸は、これまでの捜査によって解れていたわけではなかった。晋三さんが持ってきたこの新事実は、糸の絡みをさらに複雑にさせ、俺は目的地のない無限回廊に取り残されたような気分になった。絶望という言葉は、まさにこの状態のことを言うんだと、俺は身にしみて理解できた。
「そしてもう一つ、とても重要なことが分かった」沈黙を破ったのは、それを作った本人だった。晋三さんはつばを飲み込み、さらに俺を絶望に落とし込む言葉を、より真剣な表情で言った。「小笠原麻衣は、伏見春香と家が隣同士で姉妹と思われるほど仲が良かったそうだ……」
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