ミステリー小説における覚え書というもの

 昨日に続き今日も家に帰る時間が遅くなった。俺は、動かすとお隣さんにまで金属の軋むような音が響く玄関を開き、いつもより暗く感じるダイニングルームの照明を点けて、普通の椅子の上に倒れ込むようにして座った。

 もう身体がくたくただった。サービスエリアでの晋三さんの言葉は、この事件と真正面から向かい合っている俺の精神力に響くものがあった。張り詰めていた集中力は切れ、頭を動かしていた疲労が肉体にまで影響を与えていた。


「ずいぶん疲れてるね。それなら先にお風呂に入っていいよ」


 インスタントコーヒーの入ったティーカップを机の上に起きながら、玲奈は俺の顔を覗き込むように見てきた。妹の表情には疲れを知らない子供のような元気いっぱいの明るい色があった。


「悪いけどそうさせてもらう」


 短く返事をして俺は風呂に入ることにした。我先にと風呂に入る風呂好きの玲奈がその優先権を譲ってくれるということは、俺の顔にはそうとうの疲労が浮かんでいたのだろう。

 とても狭い湯船に張られた熱めお湯は、玲奈のお気に入りである入浴剤のおかげで、がちがちに固まった全身のこりを和らげる効果を発揮してくれた。風呂から出て身体を拭き、寝間着に着替えている頃にはとてもさっぱりした気分になっていた。

 洗面所から出ると、玲奈は俺の分のコーヒーをカップに注いでくれていた。それに、机の上には大容量で売られている訳ありチョコレートの箱が置かれてあった。


「はい、兄さん」妹は、形が欠けて不格好になったチョコレートを一欠片くれた。「なんでチョコレートには集中力を高める効果があるんだろうね。甘い香りにその成分があるといわれるけど……、いずれチョコレートについての研究もしてみたいよ」


 妹と一緒に一口食べる。確かに心がリラックスしたような気がした。


「じゃあ次は私が入ってくるよ。あ……、昨日みたいに私の裸を見たら今度こそ通報するから」

「あれは事故だろ」


 こうやって玲奈の冗談に付き合えるくらい回復した俺は、熱々のコーヒーを飲みながら事件についてまとめることにした。兄として、探偵である妹の役に立てることはないかと考えてみたら生徒会の書記役員みたいに記録を書き留めるくらいしか思いつかなかったので、俺は新聞紙に挟まっているチラシの裏にこれまでの捜査で知ったことと晋三さんから教わった事件当日の詳しい流れを記すことにした。


 バスケ部殺人事件


 佐々木明菜について

・小笠原麻衣と同郷

・中学一年生の頃、同じクラスの伏見春香をいじめていた

・中学二年生になり引っ越し。東京へ

・遠藤綾と親友

・高橋直哉と秘密に付き合っていた

・そのことで遠藤綾と喧嘩

・高橋直哉と別れた?

・遠藤綾と関係が戻った

・和田克幸の彼女?

・彼とは高橋直哉の件で別れたらしい

・敵をよく作る。学生だけでなく教師も

・万引きや痴漢冤罪を利用して金を稼いでいた

・その被害にあった大人たちにも恨まれ、警察沙汰になったことがよくある

・両親にほったらかしにされていた

・夜中に家を出てどこかに行く


 事件現場の様子

・死因は縄跳び縄による絞殺(縄跳び縄は部室にあったもの。指紋なし)

・死体はパイプ椅子に座っていた(犯人がわざと座らせたと考える。他に理由はあるのか?)

・制服の中に大量のホッカイロが詰め込んであった(死亡推定時刻を遅らせるためだと考える。他に理由はあるのか? カイロに指紋なし)

・小笠原麻衣のメガネケースが落ちていた(麻衣は記憶にないらしい。彼女が最後にメガネケースを見たのは朝のホームルームが始まる前に読書用の眼鏡をしまった時だと言っている。麻衣以外の指紋なし)

・佐々木明菜の左の薬指から指輪が盗まれていた(指輪には高橋直之の名前が刻まれていると和田克幸は言った)

・他に盗まれたものはない(現場は比較的綺麗に整頓されていた)

・部室の照明が壊れていた(事件の三日前に壊れたらしいので無関係? リモコンで切り替えている)


 容疑者

・小笠原麻衣

・遠藤綾

・和田克幸

・その他?


 それぞれの動機

小笠原麻衣 いじめが原因で自殺した伏見春香のための復讐?

遠藤綾 実はまだ佐々木明菜と高橋直哉が秘密に付き合っていたことを知ってその復讐?

和田克幸 自分の彼女だと思っていた佐々木明菜が、高橋直哉と秘密に付き合っていたことを知って激怒?


 時間表・バスケ部関係者

17時50分 バスケ部の練習が終わる(バスケ部全員)

18時 河野歩美と武藤紗佳が帰宅(歩美と紗佳。明菜はまだ生きていた。このあと、二人は遺体発見まで学校に戻っていなかったことを確認済み)

18時07分 佐藤先生は外の喫煙スペースでタバコを吸っていた(佐藤先生。一緒にタバコを吸っていた教師たち)

18時13分 部室に明菜だけが残った(最後に部室を出た生徒。明菜はまだ生きていた)

18時15分 佐藤先生が部室に入る(佐藤先生。明菜はまだ生きていた)

18時25分 佐藤先生は、注意を終えて部室から出る(佐藤先生。明菜はまだ生きていた)

18時30分 佐藤先生は居残り勉強会の教室に到着(佐藤先生。参加者の生徒。この後、佐藤先生は遺体発見まで部室に戻る時間がなかったと確認済み)

20時30分 死体発見(歩美。佐藤先生)


 時間表・小笠原麻衣

19時30分 生徒会活動(麻衣。生徒会の生徒。しかし18時四15分から19時05分のあいだ一人になる。本人は忘れ物を取りに行ったと供述。目撃者は今のところ表れていない)

19時34分 見回り中、体育館から飛び出してきた克幸が曲がり角で綾とぶつかるのを目撃(麻衣。綾。克幸)

19時36分 そのまま綾とともに校門へ行く(麻衣。綾。他生徒)

19時40分 友だちと帰宅(麻衣。友人生徒。この後、麻衣は死体発見まで部室に戻る時間がなかったと確認済み)


 時間表・遠藤綾

18時50分 直哉と携帯電話を通し通話をしていた(綾。直哉。スマホに通話履歴あり。しかしこの時間帯に綾がどこで電話をしていたのか確認が取れていない。本人は家にいたと言っている)

19時34分 明菜からメッセージを受け取ったので部室に向かうと、曲がり角で克幸とぶつかる(綾。麻衣。克幸)

19時36分 そのまま麻衣とともに校門へ行く(綾。麻衣。他生徒)

19時38分 一人で帰宅(綾。この後、綾がどこにいたのか確認が取れていない。本人はそのまま家に帰ったと言っている)


 時間表・和田克幸

18時54分 電車に乗って山梨から東京に来る(克幸。確実ではないが、この時間に板橋本町駅で克幸によく似た金髪の男を見たという目撃証言あり)

19時??分 部室に入った(克幸。明菜はまだ生きていたらしい)

19時34分 部室から出ていき、曲がり角を曲がると綾とぶつかる(克幸。綾。麻衣。出ていく直前、明菜はまだ生きていたらしい)

19時35分 校門から出ていく(克幸。他生徒。この後、克幸はゲーセンに行った。一応だが確認は取れている)


 注意

・括弧の中は証人か補足説明。

・死体の解剖によって判明した死亡推定時刻は17時から20時のあいだ。

・取り調べによって判明した死亡推定時刻は18時50分から20時のあいだ。これは明菜のラインのメッセージ履歴から確認済み。


 以上


 ――これがミステリー小説における、ヴァンなんちゃらという作家が物語の中で用いた覚え書というものの簡易版であるということは後日知ったことだ。この時はただ記憶を巡らせて思い出したことを記しただけに過ぎないが、意外にもその出来栄えが充分にこの悲劇の順序を書き留めていると妹から称賛されたという事実も、ここで伝えておくことにする――

 そして最後に自分の考えを小さな字で控えめに記し、シャーペンを置いた。


『誰かが必ず嘘をついているはずだ。俺の予想では和田克幸が一番怪しい。もし彼が部室に入った瞬間に彼女を殺害し出ていったと考えるならば、怯えたような表情で走っていたという証言も、玲奈のおかげで得られた部室の中に入った時の証言に何かを隠しているという分析結果にも納得がいくと思う』

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