事件解決?
ゲーセンへ行った日からもうすでに四日の日が過ぎ去ってしまった。あれ以来犯人の手がかりになりそうな情報は一つも手に入れることができず、一日が百時間以上もあるのではないかと思えるほど長い日々が続いていた。俺は、妹が言っていた解決は近いという言葉を信じ明日にでもこの事件は解決できるだろうという期待と、もしかしたらそれはただの強がりでこれは妹や警察官にすら解明することができない事件なんだという失望で交互に心を揺さぶり、結局どう悩んだところで自分ではどうすることもできないという現実に胸を痛めていた。
玲奈の方はというと、学校に行く以外はほとんど自室にこもって本を読み続けているだけだった。珍しく誰かと電話をしている様子をちらほら見ることはあっても、通学以外で部屋の外に出るときといえば風呂に入るときくらい。それでもいつもは三十分いる風呂場にもほんの五分くらいで出てきて、すぐさま部屋に戻るを毎日繰り返していた。基本的に飯は部屋の前に持ってきてというニートのような生活を送り、途中から飯にすら手を付けなくなっていた。その代わりにコーヒーとチョコレートを要望するようになり、そしてどうやら毎日ほとんど睡眠をとっていないせいもあって、日に日に妹の顔が栄養不足でやつれていく様子が兄として見逃すことができなかった。しかし飯を食えと強要したところで、言うことを聞かない子供のように不機嫌な態度をとられ無視されるだけだった。
それでも玲奈は趣味である絵を描き続けることだけは怠らなかった。昨日妹の部屋から食器を片付ける時見せてもらった作品は、どこかの家の玄関を描画したものだった。玄関だけで家庭の環境がある程度分かるらしい玲奈は、ごく稀に人さまの家の中をこっそり撮影して、罪を犯していることを気にせずせっせと絵描きに励んでいる時がある。
その絵はどこか高級そうな、佐々木明菜の家の玄関に似ているようなところだった。たしかこんなだったなと思える高級そうな模様の入ったマットが敷かれていて、そういえばあったなと思える綺麗な花が飾られた花瓶が置かれている。しかしそんな上品さとはかけ離れている箇所もちらほら見えた。靴置き場には無造作に履き捨てられた女物の靴が一つだけ転がっていたり、全体的に煙のような靄がかかっていたりと、見るものからすれば俺たちのような貧乏人の家だとも思える出来栄えだった。そもそも佐々木明菜の家には父親もいたはずだからもう一足ぶん靴があるのではという疑問があったが、絵から感じる暗くて粗い雰囲気が今の玲奈の心情をそのまま表しているかのような気がして、なんだかこれ以上見るのがとても辛くなりそっと画用紙を置いた。
しかしそんな苦痛の日々からの開放を宣言するかのように、五日目の午後、学校から帰宅してソファに座りテレビを見ていると、一台の車が付近の駐車場で停まり続いて数人の足音がこっちに向かってくるような音がした。
「警察はなにか分かったらしいね」
急に後ろから声がして振り向く。
いつもは家の中にいると屋外の音なんて気にしない玲奈が即座にその音を聞きつけ、しかもこの四日間の廃人のような容姿から一変して瞳をぎらぎらと光らせながら自室から出てきていた。
俺は、久しぶりに声をかけられた玲奈になにか返してやろうしたが、その前に玄関の扉が開いて背の高い警察官と背の低い警察官が入ってきた。
「お邪魔するよ玲奈くん。おや、今日は祐介くんもいるのかい」
彼らはダイニングルームにあがると、妹が用意した椅子の上にどしんと座る。背の高い方、志村巡査部長は気持ち悪いほどの満面の笑みを浮かべていた。
「喜びたまえ。ようやく事件は解決したようだ」
志村巡査部長がほとんど叫び声のように言った。
「なにか重要なものでも見つかったのですか?」
あらかじめ沸かしておいた電気ポットからお湯を急須に注ぎ、玲奈はお茶の入ったコップを二人の前に置きながら動揺する素振りを見せず尋ねた。
「もちろん重要なものさ。これで犯人がわかったんだよ」
嬉しそうに声を大きくした志村巡査部長は、お茶を入れたばかりのコップを一気に飲み干し、熱さを感じさせないような清々しい顔で胸を張りながら答えた。
「やはり私が一番初めから疑っていた人物、小笠原麻衣で間違いなかったようだよ。たった今、重要な証拠品が見つかったのだ」
玲奈はその一言を聞いてから五秒ほど表情を変えず、そして自分がいま無表情であることを思い出したかのように急に笑顔になった。
「なるほど。ではその重要なものとはいったいなんなのかを聞かせてください。ああ、お茶のおかわりはいりますか?」
「もういらないよ」巡査長は勝ち誇った顔を玲奈に向けて言った。「これから逮捕状を完成させたりと大忙しだからゆったりはしてられないしね。まあここに来たのは一応キミにも報告したほうがいいと平岡警部が仰るからなんだよ」
志村巡査部長の声にはこの前会ったときよりもさらに皮肉が込められていた。
「わざわざありがとうございます。それで、小笠原さんが犯人である決定的な証拠とは?」
「指輪だよ」晋三さんが代わりに答えた。「ついさきほどのことだが、生徒会室で佐々木明菜の指から盗まれた指輪が見つかったという報告があったんだ」
「自宅ではなく生徒会室で?」
俺が疑問に思ったことをそっくりそのまま玲奈が代弁した。
「ああ。我々も見つかるのは自宅のほうかと思って張り込みを続けていたんだがね……。見つかったのは生徒会室の方だったよ」
「今まで根気よく粘ったかいがありましたよ」志村巡査部長が我が物顔で割って入ってきた。「きっと警察が自宅にしか目を向けていないと思って学校の何処かに隠し続けていたんでしょうな。毎日場所を入れ替えて。小賢しいことですがそれだけじゃ私の目をごまかすことはできない。私は的を生徒会室に絞ってどうにかそこに隠させようと誘導したんですよ。そしてようやく生徒会室に隠す日が今日だったわけだ。私の作戦にまんまとはめられた、哀れな犯人でしたね」
この話をしている時の志村巡査部長は、いくら宝くじが当たったとしてもこんなには喜ばないといった至福の時間を過ごしていた。
「小笠原さんの証言だと、十八時四十五分から十九時五分のあいだ以外に犯行を行なうことは不可能でしたよね。やはりその時間に佐々木さんを殺害したということですか?」
玲奈は表情を変えずに、視線だけを晋三さんに向けて質問する。椅子には背を伸ばして座り、いつものようにお祈りのポーズをしていた。
「その通り。もともと彼女のアリバイはあってなかったようなものだし、その忘れ物を取りにいっていたという時間に本当は部室へ向かったんだろう。そうすれば十八時五十分に佐々木明菜はメッセージを送ったあと小笠原麻衣によって殺されてしまったという流れが完成できる。そしてやることを終え、十九時五分に生徒会室に戻ったということだよ」
「動機の方は」この時の妹の顔はとても真剣だった。
「動機の方は伏見春香の件で間違いないだろう。あの後も彼女について調べてみたんだが、小笠原麻衣が実は佐々木明菜を恨んでいたと推測できる証言を手に入れられたんだ。伏見春香が自殺をしたあと、小笠原麻衣は中学校――彼女は別の中学校に通っている――に直接いじめの件についての詳細を聞きに行ったそうだ。それも数回。佐々木明菜がいじめに関わっていたのは確かな情報だし、きっとそこで彼女についてを知ることができたんだろう。知らなかったという証言は嘘になるね。彼女たちの近所の住人から聞いてみても二人は双子のように仲が良かったという証言しか出てこなかったし、動機は復讐のためで間違いないと決まったんだ」
「伏見さんが自殺をしたのは佐々木さんが転校してから半年以上も後なのに?」
「それでもいじめに関わっていたのは事実だ」巡査長は玲奈の質問に、怒った頑固親父のような攻撃的な口調で断言した。「小笠原麻衣が犯人で間違いない。親友であった伏見春香をいじめていた佐々木明菜に対する復讐だ!」
「でしたら志村巡査部長は数人の命を事前に救ったということですよ。もう事件発生から一週間以上経っていますけど、きっと小笠原さんは初めに身近な佐々木さんを殺害しその後もいじめに関わっていた他の人物を殺そうとしていたんでしょうからね」
「も、もちろんだとも」急な玲奈の激賞に、志村巡査部長は驚きながらも満更でない表情を浮かべ始める。「まあやはり、メガネケースと指輪が決め手ですな。特に指輪の方は我々を欺くための偽装だったかもしれんが、今回はそれによって自分の首を絞めてしまった。まあ使い捨てカイロを制服に詰めるのは高校生が考えたアリバイ工作にしては大したものだが、結局は警察をごまかすことはできませんよ」
「そのようですね。それで、今から彼女を逮捕しに?」
「そうだな。これから手続きを終わらせて正真正銘の捜査終了だ。いやはや、普通の事件だったというのにこんなにも時間を使ってしまったよ」
巡査長は両腕を天井に向かって伸ばし、ポキポキと骨を鳴らせながら大きく口を開いた。
「それで平岡警部」と玲奈が言った。「先日お願いした例のものは完成しました?」
「ああ、あれはまだ全て揃えていないよ。ごたごたしていたんでね。おそらく二時間後くらいには送るからそれまで待っていてくれ」
「あれとはなんのことです?」
帰り支度を始める志村巡査部長が二人に聞く。椅子は戻さず、今すぐにでも自分の手柄をこの目で確かめたいといったような顔をしていた。
「佐々木明菜が関係している事件の記録をまとめたものだよ。前にこの報告書を作ってくれと玲奈くんに頼まれてね。彼女、我々が思っていた以上に悪さをしていたらしい。まだ途中だが、多すぎてもうお腹いっぱいだ」
「ほほう。しかしなぜそんなものを? 今さらそんなもの必要がないと思いますが。事件は解決したんですし」
巡査長はおでこのシワを寄せ、とても訝しい顔をして玲奈を見て。
「玲奈くん。キミももう中学三年生だし受験が近いんだろ? そろそろこんなことも終えて受験勉強を始めたほうが自分のためだと思うぞ。ではまた」
このように歳の離れている玲奈に対して大人げない皮肉を吐いたあと、二人はパトカーで帝国高校に向かった。
「…………」
「頭にきたよ兄さん!」
玄関が完全に閉まった瞬間の、玲奈の第一声はこれだった。
「せっかく警察のミスを指摘してあげようとしたっていうのに、帰り際まで私のことを子供呼ばわりして! だいたいなにが私が初めから疑っていた人物だよ。最初に疑っていたのは男だろ。勝手に変えるな!」
妹は、おもちゃを買ってもらえない子供のように地団駄を踏み、今までに見たこともないような怒りの表情を顔に浮かべていた。
もしかすると、玲奈が探偵をしていたという事実よりも、すでに犯人が誰なのか分かっているという事実よりも、いま目の前にいる口喧嘩に負けて情けない暴言を吐き続ける俺の同級生の女子生徒のような妹の姿を目にすることが一番の衝撃だったかもしれない。
鉄仮面は鬼のような顔に変わり、ようやく細い目に似合ったいかつい妹が生まれる。ギャップというのは恐ろしいもので、普段見ないその姿がどんどん可笑しく感じてきた。これはこれでありだ。正直いつもの機械のような妹よりもまだこっちのほうが中学生っぽい。
「おお落ち着けよ。隣の人にも響くんだから」
とはいえいつまでもこうされていては困るというもので、俺は妹の両肩をとりあえず暴れないようがっしりと掴み、痛くて泣きそうになるがしょうがなく地団駄を踏む足の下に俺の足を置いた。
「こうなったら絶対に真犯人を捕まえてやる」玲奈は足を止めずに言った。「そしてすぐにでも警察の間違いを訂正させてやるんだから」
「おい、てことは小笠原麻衣が犯人じゃないのか? てか足を止めろ。いでっ!」
さっそく限界だ。次にこいつがキレたときのために防音のカーペットでも買ってこようか……。
「彼女が犯人じゃないなんて当たり前でしょ。こんなの、頭を使えば誰だって分かることだよ。きっと彼らは足しか使わないから脳みそが固まって思考する力がないんだよ。だから犯人の作った舞台の上で無様にも踊り続けていることにすら気づいていないんだ! ほんと、どっちが哀れなんだか」
「と、とりあえず足を踏むのやめてくれない……?」
あと一回でも踏まれたら足が潰れるんじゃないかというところで、玲奈は急におとなしくなって身体を静止させる。
嵐の前の静けさなのかと思っておそるおそる顔を見ると、妹はすでにもとの無表情で機械のように冷たい探偵に戻っていた。
「…………」
「ど、どうした……?」
「すぐに来客のためのお湯を沸かさないと。彼女との約束の時間もそろそろだし」
「ら、来客って……?」
百からゼロへ一気に変わった妹に内心ビビりながらも俺はそう聞くと、玲奈はなにもなかったかのように電気ポットに水道水を入れ始めた。
「最後の証人だよ。遠藤さんに頼んで、この前彼女が言っていた伏見さんと同じクラスだった人をここに呼んでいるんだ」
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