最後の証人

 そいつがやってきたのは玲奈の怒りが収まってから十分もしないうちだった。


「綾に頼まれて来たんだけどさ、ここであってる?」


 初対面にもかかわらずこの口ぶりで、さらにインターホンを押さずに勝手に入ってきた彼女の名前は、平野里奈ひらのりなというらしい。伏見春香について知っているということで出身はもちろん山梨県。通っている高校は和田克幸と同じ鶴工業高校だ。

 靴を揃えず部屋にあがってくる彼女の長い髪ははっきりと茶色に染められていて、ちらりと見えるピアスは銀色に輝き顔には化粧の痕も見える。今日が平日ということもあり制服を着ているが、絶対に見られるだろと思えるくらいスカートの丈が短く、黒いソックスは膝が隠れるくらいまで上がっていた。まあ『女子高生 ギャル』とネットで画像検索すれば一番上に表示されそうなやつだった。


「どうぞ」


 来客には必ずそうしているらしく、手際よく玲奈は急須からお茶をコップに注いで差し出した。

 けれど彼女は置かれたそれに見向きもせず、じゃらじゃらとよくわからないキーホルダーの付いたスクールバックから大きな本を取り出して口を開く。


「持ってきてほしかったのはこれでしょ。早く終わらせたいからさっさと見てよ」


 本を机の上に置き、滑らせながら玲奈の前にそれを差し出した。

 表紙には、出会いより別れを思わせるようなはらはらと花びらの散る桜の木が前面にあって、グランドを挟んで奥側には見たことのない校舎の写真が載っている。タイトルは『大月中学校卒業アルバム』とあった。


「これはアルバムだよな?」隣に座る妹に聞く。

「そう。佐々木さんと伏見さんが通っていた中学校の卒業アルバムを持ってきてくださいと、遠藤さん経由で頼んでおいたの」

「なんで今さら。小笠原麻衣は犯人じゃないんだろ? もうそのことを調べる必要はないじゃないか」

「…………」


 答えなかった。前を向いたままの表情は真剣そのものだった。


「早く終わらせてよ」


 里奈がもう一度俺たちに忠告すると、さっそく妹はアルバムに手を伸ばして警察官のように尋問を始める。


「では同時並行で進みましょう。このアルバムを読ませていただいているあいだ、この前のお話を詳しく教えてください」

「詳しいこともなにも、綾があんたに送ったメッセが全てだよ」


 玲奈がアルバムを開き始めると、もう既にここにいるのが面倒といった様子で里奈はスマホを取り出して顔を画面に向けた。


「そうですか。でしたらこれを読み終わるまでお待ち下さい」


 玲奈もアルバムを見つめたまま取り調べを諦めた。どうやら山梨にいる里奈にとって閉成中学の制服は馴染みが薄いものだったようだ。

 妹は黒目だけを動かし、上下に左右にと視線を送っている。


「ん? メッセ? なんのことだ?」


 勝手に二人の間で話が進んでいるので、なんだか仲間はずれにされている気分になって俺は聞いた。

 すると、下を向いていた里奈が顔を上げる。


「あんた誰? この子の彼氏?」

「ちげーよ。俺はこいつの兄だ」


 ほぼゼロ秒で俺は反論した。


「なーんだ」


 俺と妹の関係を知ったからなのか、なぜか急に面白くなさそうな顔を向けられた。

 俺の同級生も同じなのだが、なんで女子高生って他人だろうと関係なく恋愛の話を聞くのが好きなんだろうか。はじめて会ったってのに、ほんと失礼なやつだ。


「えっとそれで、こいつとどんな連絡を取り合っていたんだ?」

「明菜と伏見さんのことについて。土曜の夜に綾から連絡があってさ、探偵ちゃん? がどうしてもそのことについて聞きたがってるから教えてやれってうるさかったの」


 スマホの画面に視線を戻して、里奈は背もたれに寄りかかる。足を組み替えて落ち着きなく、そろそろ開放してくれと態度が語っていた。


「そのことってのは佐々木明菜が伏見春香のことをいじめていた件だろ? なにか違うことでもあるのか?」


 だがアルバムを返すまでは帰ることはないと思うので、俺が知らない間に二人で交わされていた会話の内容を知るため当然の疑問を投げかけると、里奈はスマホをいじる手を止めて睨みつけてきた。


「あんたらは明菜がいじめと自殺に関わっていたって話を信じているみたいだけどさ。あれって半分あってるけど、半分間違ってるんだよね。それで、警察は間違っている方を信じてるんだよ」

「半分? それはどういうことだ?」

「確かに伏見さんは明菜たちにいじめられてたよ。中一のときはね。だけど彼女が自殺をしたのは中二の秋ころで、その時にはもう明菜は転校していたの。だから、あいつは伏見さんの自殺に関わっていないってことなの」

「そうらしいけどさ、でも佐々木明菜は転校した後も山梨に行ってたんだろ? その時もいじめに加担していたんじゃないのか?」

「だからそれが間違ってるってこと」里奈は攻撃的に強く否定した。「警察の人もそうだけどさ、なんで伏見さんへのいじめを直接知っている私たちのような人間に話を聞かずに、外側だけしか知らないガリ勉ばっかの奴らに詳しく話を聞くんだろうね。もともと明菜が伏見さんを裏でいじめられていたのは知ってるだろ? 当時そのことを知っていたやつは私を入れても数人程度――どちらかといえばみんな不良ってやつだよ――だったの。明菜が克幸にバレないようにしてたんだからさ……。だけど明菜は東京に引っ越してしまったから、あいつを除いたいじめっ子たちはいじめを隠す必要もなくなったの。それでどんどんエスカレートしていって、たまたまその時に実は明菜も関わっているってことが周りに知られたんだよ。だから周りの連中は、たまに山梨に来る明菜は今も伏見さんのいじめに関わっているだろうって勝手に勘違いしてたってこと。まああたし的にあのとき一番クズだと思ったのは克幸だけどね、その時にはもう明菜のことしか頭になかったようだから、友だちだったはずの伏見さんがいじめられてるってことに全く興味がなさそうだったんだから。ほんとクズ」


 里奈の告げた言葉はとても衝撃的だった。俺は、佐々木明菜は伏見春香をいじめていて、そしてそれが原因で自殺してしまった親友の復讐として小笠原麻衣にも佐々木明菜を殺す動機があるということが、そして克幸にもその可能性があったということが常識のような当たり前の前提として脳の中に入り込んでいた。しかし、もしこの証言が真実ならばそもそもこの前提自体が無の存在となり、佐々木明菜と小笠原麻衣を結ぶ線は何一つなくて、佐々木明菜と克幸を結ぶ殺人の線もなくなるということになる。

 ということはやっぱり克幸が犯人じゃないというのはもちろんのこと、そしてこの事件の犯人を小笠原麻衣とした警察は、全く違う人間を逮捕してしまったということになるということだ。


「……ほ、本当に佐々木明菜はいじめに関係なかったのかよ?」

「そーいうこと。そもそも他の県の中学校に転校したっていうのにまだいじめを続けるなんてありえないでしょ。あいつ、東京にいった後は伏見さんのことなんて全く気にしてなかったし」


 知らずと里奈の姿勢も前に寄っていた。いつの日か妹に教えてもらった行動の変化というのを考えてみても、ずっと後ろに寄りかかってダルそうにしていたこいつがこの話になった途端に身体を俺の方に寄せて真剣な顔つきになったというのは、この話には後ろめたいものがないということで真実である可能性が高いということだ。

 この前の晋三さんみたいにもう一度別の質問をどうたらという確認を置かなくとも、俺にはこの話が本当なんだなと直感的に思った。


「じゃ、じゃあ、小笠原麻衣が学校にいじめの詳細を聞きに行ったってのは……?」


 俺も若干前のめりになって、里奈に質問していた。

 するといつの間にかアルバムを読み終えていた玲奈が会話に参加してきた。


「当時佐々木さんの名前を出したかどうかについては曖昧な記憶だったんでしょうね。けれど詳細を聞きに行ったという事実はある。そこから警察は佐々木さんと小笠原さんを線で結んだんだよ。ちょっと強引だけど、捜査ではよくあることだよ」

「あ。もー終わった?」


 妹が言い終わると、里奈は待ってましたといいたいような顔で玲奈のほうに向いた。


「はい。知りたいことを知れたので、これはもうお返しいたします」

「そう。で、あたしはもう帰っていい?」

「もう大丈夫です。中野さんのおかげで前に進めました」


 玲奈は読んでいたアルバムを返した。横顔から、やりきったような充実さを感じさせる目をしていることが分かる。


「そう。ならよかった」

「この後はすぐに山梨へ帰られるのですか?」

「いいや、これから綾と買い物に行くんだ。せっかく東京に来たんだし」

「そうですか。ではありがとうございました」


 玲奈がぺこりと頭を下げると、里奈はすぐに出ていった。

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