探偵は真犯人のもとへ

「…………」


 彼女が出ていった後、俺はいったい何分間突っ立っていたのだろうか。新たな証言はまるで、きれいな花だと思って精一杯に育てていた植物が実はただの雑草だったとときのような、いったい俺はなんのために今まで水を与えていたのかという報われない徒労を感じさせるものであった。

 しかしそのおかげで、複雑な糸の束だと思っていたこの事件ももしかしたらただの一本の線だったかもしれないという可能性が湧き出ていた。

 これまででわかったことといえば、この事件には三人の容疑者がいてそれぞれに佐々木明菜を殺害しうる動機があったということだった。しかし五日前、そのうちの一つである克幸犯人説は玲奈によって完膚なきまでに粉砕され、三人だった容疑者は二人に絞られることになった。そしてたった今、残った二人のうちの一人である小笠原麻衣も犯人であるはずがないという証言を手に入れ、それを百パーセント信じるとすればあとは二引く一の計算をするだけだった。つまり答えは一となり、その一とはで間違いないという真実だ。

 そう、この事件は初めから綾しか佐々木明菜を殺害する動機がなかったということになる……。


「じゃあ私は少し外に出ることにするよ」


 気がつくと、玲奈はガラケーの折りたたみ部分を全開に開かせたまま、さっき里奈が出ていった玄関のドアノブに手を付けていた。

 俺は時計を確認する。針はもう十八時を示していた。


「こんな時間からいったいどこに行くんだよ?」

「本当は明日にしようと思っていたんだけど」玲奈は携帯電話をチラチラと見せてきた。「平岡警部に頼んでおいた報告書が早く届いたから、これから犯人に直接会いにいくことにする。それで、自首してくれと伝えてくるよ」


 重要な部分だけをはっきりと言う玲奈の声は、空気がぴりぴりするほどのとても張り詰めた声だった。


「そ、そうか。じゃあ俺も準備しないと」

「だめ。兄さんはついてこないで」


 動きやすい服に着替えようと部屋に行こうとしたら、わりと大きい声で妹から否定の言葉を投げかけられる。声の本人からは鋭い視線を送られ、まさかの内容に驚き俺は石のように固まってしまった。


「今までは私のわがままで兄さんに捜査についてきてもらってきたけど、これだけは一人にさせてほしいんだ。だから、兄さんはついてきちゃだめ」

「いや、でもっ……」


 なんとか口を動かして妹を止めようとする。


「これから犯人に直接会うってことは人を一人殺せるほどの恐ろしいやつと二人っきりになるってことだろ。それはだめだ。危なすぎる」

「大丈夫だよ。ほら、防犯ブザーだって七個持ってるし」


 両ポケットから防犯ブザーを取り出して見せつけてくる。冗談を言って笑わせてこようとする妹の顔は、機械的な笑みすらなかった。


「それに、校舎の裏に呼び出して、なんてことはしないよ。犯人もひと目に見られそうなところにいるだろうし、そこで伝えるようにするから」

「それでも俺がついていってはいけない理由はないだろ。なんでわざわざ一人になろうとするんだよ」


 それこそ何かあってからでは遅い。

 叫ぶように注意すると、妹は何もかもを投げ出したかのように持っていた防犯ブザーを地面に落としながら大げさに頷いた。


「そうだね。本当にそう。全く兄さんの言うとおりだよ……。だけどダメなんだ。私一人じゃないと絶対に犯人を捕まえることができないの。ねえお願い。私を信じて、私を一人で向かわせて。兄さんは、私が帰ってくるまでここに残って」


 玲奈は、わがままを言う子供と変わりなかった。しかしその目は子供ではなく大人ですら気圧されるような闘志が溢れていて、その輝きに触発された俺はその後の反論の言葉を出せなくなった。


「電話は持っていくから。だからもし、万がいち私になにかあったらその時は真っ先に兄さんに電話するよ。そうならないことを祈るけど」


 頼んだよと言って玲奈は前を向き。


「ああ、あと一つ言っておかないと」とドアを見つめたまま振り向かずに続けた。「本当に万がいちで私から着信があったとしても、兄さんは黙ったまま聞くことに徹して。絶対に音を発しちゃだめだよ。……じゃあ、すぐに帰ってくるから」


 そして最後にそう不可解なこと言い残して、ガチャリとドアを開けた。

 一度決めたら聞かないというのはもう知っている。俺は小さい背中を見送りながら、すぐに帰ってくるという妹の言葉を信じると心に決め、尾行するつもりだった気持ちを閉ざすためにドアノブを引いた。

 しかし、本当に妹を信じていたのなら、俺はあいつの言うことなんて無視してついていったほうが良かったのかもしれない……。

 一時間後、妹から着信があった――。

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