晋三の考察

 遠藤綾と高橋直哉の取り調べはそれで終わり、その後は被害者と関係の深かった人物についての聞き取りを行なうため警察官はばらばらになって捜査を始めた。

 俺たちは晋三さんの後について体育館へ向かい、昨日取り調べをした空き部屋の中で女子バスケットボール部の生徒を一人ずつ呼んで話を聞いたのだが、捜査が前進するような情報を得ることはなかった。全員が裏で口合わせでもしているかのように、結局誰もが佐々木明菜のことを不良という二文字だけで説明を終わらせていた。

 現在は、全ての取り調べが終わりこれから和田克幸に話を伺うため山梨県に向かおうとパトカーに乗り込む前に、急にトイレに行きたいと言って一人でふらふらどこかにいった玲奈の帰りを駐車場で待っているところだ。


「なんだか事件が複雑になった気がするよ」


 隣でパトカーに寄りかかっていた晋三さんが空を仰ぎながら呟いてくる。横顔には苦難の表情が見て取れた。


「どうだい祐介くん、玲奈くんが帰ってくるまで私の考察を聞いてくれないか? なあに、意見を聞かせろなんて言わない。ただ私の独り言に耳を貸してくれればいいんだ」


 断る理由もないので俺は素直に頷く。むしろ警察官が考えるこの事件への考察にとても興味を持ち、身体を前に乗り出して聞いた。


「今回の事件には二つの重要な証拠があった。一つは現場に落ちていたメガネケースで、もう一つは被害者が付けていた指輪だ」


 晋三さんは、本当に独り言をしゃべっているように目を閉じて、自分の考えを語り始めた。


「そして今日、メガネケースの持ち主が小笠原麻衣だと分かった。他にも彼女には死亡推定時刻のあいだ二回も一人になるチャンスがあったと取り調べで判明し、特に忘れ物を取りに行ったという証言には確証を未だ得られていないため、彼女がその時間に佐々木明菜を殺害した可能性があると分かった。だから小笠原麻衣は容疑者となったわけなのだが……困ったことに彼女が指輪を盗む理由がなさそうなんだ」


 眉間あたりを親指の腹でぎゅうっと押し、深い唸り声をあげる。

 俺は、晋三さんから伝わってくる緊張感によって全身がぴりぴりと震えだすのが分かった。ごくりと生唾を呑み込み、彼の話を一語一句聞き逃さないよう集中する。


「昨日志村巡査部長が言ったように、私も指輪にはなにかが刻まれていたと考えている。でなければ指輪を盗む意味なんてないからね。きっと犯人はそのなにかを警察に見せたくないと考え佐々木明菜の指から指輪を取ったというわけなのだが……では小笠原麻衣が指輪を盗む理由は存在するのか? もし本当に彼女が犯人だったら、指輪を盗むという手間をかける必要がないんだよ。何故かと言うと、彼女の話を聞く限りあの二人は出身地が同じものの小学、中学校と面識がないようだ。そもそも、彼女は被害者と同じ出身地であること自体知らなかったようだしね。つまり、あの二人が人間関係のいざこざを起こしていたとは考えられない。だから二人の関係と指輪にはなんの接点もないんだよ」


 晋三さんはここで間をおいて、肺の中に溜めた酸素をできる限り吐くよう一呼吸いれる。

 今の独り言のおかげで、絡まったイヤホンの紐みたいに頭の中がこんがらがっている俺でも、小笠原麻衣に関する捜査内容を少しだけ把握することができた。つまり現場には彼女の私物であるメガネケースが落ちてあり、もし彼女が犯人ならそれをうっかり落としていたことになんの疑問も持たないのだが、被害者とそこまで関わりのない彼女にとって、指輪を盗むという時間のかかることをして誰かに見つかるかもしれない危険を冒すはずがない、ということなのだろう。


「そこで出てくるのが第二の容疑者である遠藤綾だ。これはあの指輪に高橋直哉の名前が刻まれてあって、佐々木明菜と高橋直哉が秘密に恋愛関係を続けていることを遠藤綾が知っていた前提で話すよ。取り調べ中の彼女を見てみると冷静で頭の回転が速い子のように思えたから、二人が秘密に付き合っていたことをいかにも知らなそうな素振りだったのも彼女の演技として考えれば納得できるからね。そうすると、彼女には指輪を盗む理由がある。もしあの指輪の秘密を彼女が知っていたら――取り調べの時は指輪についてなにも言わなかったんだけどね――高橋直哉をめぐって被害者と一悶着あった遠藤綾にとって、指輪は不利な証拠品になる。なんたって自分の男の名前が刻まれている指輪が別の女の指についているんだから」


 たしかにその通りだ。もし指輪の内側を見た警察官が、刻まれてある名前の男子生徒に事情聴取をして、しかしその男子生徒は別の女子生徒と付き合っているなんてことがバレてしまったら、必然的にその女子生徒に疑いの目がいく。遠藤綾にとって、今回は指輪を盗んで証拠をなくすという作戦は失敗してしまったのだが、一般人が考える偽装方法としては充分納得できる。


「そしてこの容疑者二人は事件当日に殺人現場に向かっていた。警察本部ではこの二人を重点的に調べるつもりでいるのだが、しかしこの二人はお互いが部室へ入っていなかったということを証明しているんだ。それには多くの人間による目撃証言もあり、つまり和田克幸という男が体育館から出ていった後、二十時前までに二人が再び体育館へ戻ってきて佐々木明菜を殺害することは不可能に近いんだよ」


 晋三さんや志村巡査部長たち警察関係者が頭を抱えて取り調べをしにいった理由がようやくわかった。彼らは二人の容疑者を割り出すことができたにも関わらず、その二人がお互いの無実を証明しあっているため捜査が前に進んでいないということに悩まされているのだ。しかもこれには多くの人間が後を押し、疑いようのない真実にまで昇華されている。これでは一向に事件が解決されないため、容疑者を一から調べ直すようばらばらになって事情聴取を初めたということなのか……。


「けれど昨日私が祐介くんに言ったように、和田克幸が出ていった後、誰も部室に入らなかったという保証はないけどね。これは一つの仮説だが、被害者のポケットには大量の使い捨てカイロが入っていた。これには死体の死亡推定時刻を進ませるための理由があってのことだろう。よって、遠藤綾か小笠原麻衣のどちらかが、この部室に入らないまま帰ったというアリバイを利用するため殺害時間を早まらせるよう細工をしたという考え方もあるんだ……まあこの場合、正確な死亡推定時刻を割り出せなかった警察側は恥さらしになってしまうが……」


 晋三さんは自嘲気味に笑って目を開いた。

 しかし一般人の俺からすると、彼の考察に精一杯の拍手を送りたくなってしまうほどの素晴らしいものだった。

 なるほど。そういう考え方もあったのか。

 もうあの二人は容疑者から外れたんだと思いこんでいた俺とは違って、犯罪捜査のスペシャリストは様々な状況から別の可能性を生み出した。アリバイを利用するため死亡推定時刻を早めるなんて、素人が考えられるようなものではない。晋三さんの推理は、長年の経験から成り立つもはや芸術のようなものだった。

 柔軟で広い視野から生まれた彼の考察に、俺は感動のような感情が湧き出て。


「たしかにその仮説はありえますよ。そうでもしなきゃわざわざ使い捨てカイロをいれておくなんて面倒なことしないはずです」と声を大きくして言った。

「ははは。祐介くんもきちんと整理できているようじゃないか」玲奈と違って彼の言葉には皮肉のようなものが混ざっていないように感じた。「そう。普通そんな手間のかかることはしないんだ。だけどね、世の中にはいろいろな人間がいる。使い捨てカイロを制服の中に詰め込むという行為になにか意味のあることだと犯人は考えているかもしれない。それは、私たちからしてみればどうでもいいことなんだけど、本人からしたら重要なことなんだよ」

「……では、使い捨てカイロを入れるなにかしらの理由がある人物が犯人というわけですね」


 いったい使い捨てカイロを死体の中に入れる他の理由があるのだろうか。先ほどの晋三さんの推理が見事すぎて、それ以上の考えを思いつくことはできなかった。


「まあホッカイロを暖める以外の目的で使用する人物なんて聞いたことなんだけどね」彼もお手上げといいたように腕を上げて笑った。「だけどもしかしたらいるかもしれない。犯罪にも可能性は無限大にあるということは玲奈くんがいつも口にしていることなんだ」

「玲奈がですか……」

「おや。噂をしたらその玲奈くんが帰ってきたみたいだよ。それに、佐藤先生も一緒じゃないか」


 晋三さんの見る方向に顔を動かすと、小さい妹と、それと比べると大きい女性が一緒になって向かってきた。

 佐藤先生……、ああそうだ。昨日取り調べをしたあの先生だ。


「お待たせしました」


 玲奈が軽く頭を下げた。


「ずいぶん遅かったな」


 俺が切り出す。


「お手洗いがどこにあるかわからなかったの。だから佐藤先生に教えてもらったんだ。あ、そこでハンカチを貸してもらったんだよ」


 玲奈は手に持っていたハンカチを見せてくれた。きちんと畳まれて、隅に花柄の入った上品そうなものだった。


「女の子なんだからきちんとハンカチを持っていないとダメよ」と佐藤先生が言った。

「はい。次の休みにでも買いに行こうと思います」

「ふふ。その時は私も呼んでね」

「ぜひお願いします」


 二人は、ただ仲のいい先輩と後輩が喋っているかのように気兼ねなく言葉を交わし合っている。昨日会ったばかりなのに、なぜかとても楽しそうだ。

 俺の妹は感情を表に出さない性格のくせに意外と大人たちから好かれているところがある。近所のおばちゃんたちにもそうだが、こいつの通う中学の女性教師からもそれがはっきりしていると三者面談の時に分かった。きっと頭のいい者同士共感するところがあるのだろう。佐藤先生も同じことだ。


「ありがとうございます先生。このハンカチはきちんと洗って返させていただきます」


 仲良く話す二人の間に入り、妹と一緒に御礼の言葉を言う。死んだばあちゃんの教えは、自然と口に出てしまうほど俺の身体に定着していた。


「え、いや別に、そんなことはしなくてもいいのよ」


 佐藤先生は少し驚いたような、予期せぬ俺の言葉に困ったような顔を見せる。


「無駄ですよ佐藤先生。彼らはいつもこうなんですから」


 晋三さんが笑って付け足した。

 うーん、そんなに俺たちのすることは珍しいことなのだろうか。人から借りたものを汚したまま返すほうが無礼だと思うんだけどな……。


「そ、そうなんですか……」


 すると彼女は納得したかのように顔を戻し俺たちを見た。


「じゃあそうしてもらおうかしら。あなた達、どうせまたこの高校に来るんでしょう?」

「どうでしょうか……。私は常に警察の方々と行動しているわけではありませんので……。ただの社会見学ですし」


 玲奈はあやふやに答えた。そもそも学校と家が近いから警察など関係なくても渡しにいけるというのに……。


「うーん……。なら私の家に届けに来てもいいわ。閉成中の子ってことは、工藤先生のこと知ってる?」

「ええ。私の担任です」

「それは良かった。それなら彼女と一緒に来てよ。春江、貸したDVDを未だに返してくれないのよ。それも返してもらわないと」

「それなら私からも伝えておきます。佐藤先生がかんかんに怒っていたと」

「よろしくね。二十時には家にいると思うから」


 佐藤先生は首をちょこんと傾けて、愛想のいい笑顔を玲奈に向けた。


「それで、今からパトカーに乗ってどこに行くの?」

「えっと、山梨県に行くんです」玲奈が答える。

「山梨へ? どうして」

「なんでも佐々木明菜さんの――」

「すす、すみません佐藤先生邪魔しちゃって。我々はそろそろ行きますので。さあ二人とも、早くパトカーに乗ってくれ」


 玲奈が続きを言おうとした瞬間、とんでもなく慌てた表情で晋三さんが割って入り会話を終わらせた。

 彼は、さあさあと俺たちを車の中に誘導し、急に話を遮られぽかーんとしている佐藤先生に一礼すると、慌ただしく運転席に乗り込みエンジンをかけた。


「玲奈くん、分かっていると思うがあまり関係のない人間に捜査のことを話さないでもらいたいんだ」


 車を発進させると、晋三さんはバックミラーから玲奈の顔を覗き、言った。


「すみません。あの先生とは仲良くなっちゃったんです。ハンカチを返しに行くついでに英語を教えてもらおうかな……」


 玲奈は晋三さんから逃げるようにサイドガラスの方に視線を移しながら言い訳をついた。

 そこで二人は黙り込み、最後にハンドルを強く握り運転に集中する晋三さんがこう呟いて会話は終わった。


「うーん……、玲奈くんにしては珍しいことだよ……」

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