遠藤綾と高橋直哉
俺たちが帝国高校に到着する頃には、すでに職員室の隣にある来賓者用の部屋で取り調べが行われていた。やはり例のごとく金剛力士像のように部屋の前で仁王立ちしていた大人たちに遮られたが、たまたま外にいた若い警官のおかげで取調室に入室することができた。玲奈が小島巡査と呼んでいたその人が言うには取り調べが始まったのもの少し前だそうだ。
「あの二人が遠藤綾さんと高橋直哉さんだよ」
入室してすぐ、玲奈がつま先立ちで耳打ちしてくれた。大きな長机を挟んで奥側に遠藤綾と高橋直哉がひとつ席を離して座っている。そしてこの部屋の扉がある方、つまり長机の手前側には晋三さんをはじめ志村巡査部長といった警察関係者や、他にも教師だと思われる小太りしたおっさんたちが重苦しい表情で陣取っていた。
途中から入ってきた俺たちは彼らの邪魔をしないよう扉のすぐそばに立ち、容疑者として事情聴取を受けている二人を見た。
まず目に飛び込んできたのは、相手を見下しているような態度をとる高橋直哉の方だった。大勢の警察官が目の前に座っているにもかかわらず、彼は挑発するように足を組みパイプ椅子の背もたれに寄りかかっている。
髪は茶色が入っていて男にしては長め。制服の下に着ているワイシャツの第一ボタンは外れていて、ネクタイもきっちりと締めていないところから俺は彼について、だらしないやつだという印象を受けた。けどまあ顔は整っている方だった。かっこいいかどうかと聞かれたら、男の俺でも気分次第でかっこいいと肯定するくらいといったところか。
そして遠藤綾の方はというと、俺自身に少しばかり彼女に対しての前提知識があったため違和感を覚えたが、初めて見た人間なら彼女のことを地味めで物静かな子と思われるだろう女子生徒だった。長い茶髪だった佐々木明菜と違い、彼女の髪は肩にかかるくらいでヘアカラーリングの形跡はない。あまり目立ちたがらないのか顔に化粧をしておらず、だが少なくとも俺の通う高校の女子たちよりかは可愛い顔ではあった。
「だからさあ、俺は本当に明菜と別れたんだって言ってるじゃん」
いかにもだるそうな口ぶりで、直哉が足を組み直しながら言う。鬱陶しそうに左目を細め、「何度も言わせんなよ。もう聞くことない?」と大人たちに威圧しているようだった。
しかし晋三さんは彼の態度に対しなんの感情もないような声で。
「今は遠藤さんに聞いています」と制し、顔を綾の方に戻した。「では遠藤さん、あなたが佐々木さんと喧嘩したときのことを詳しく聞かせてもらいます」
「わかりました」綾は、いちいち身体を動かす直哉と違って、部屋にいる大人たちの視線が一斉に向けられても動じることなくきっぱりと口を開いた。「とはいえ本当に口喧嘩くらいですよ。なんか知らないうちに尾ひれがついて殴り合いやら嫌がらせ合戦みたいなことに発展したようですけど……、そんな面倒くさいことはしていませんね」
「口喧嘩をした時、あなたは佐々木さんに対して暴言を吐いたと聞いていますが。例えば、殺してやる、とか」
綾はふてくされたようにため息を付く。
「そんなことで私を疑わないでくださいよ。口喧嘩してればそれくらいの暴言が出てくるのもしょうがないと思いますけど」
「では高橋さんと佐々木さんの関係が無くなったあと、あなたは佐々木さんに対する恨みを消し去ったということですね?」
「はい。まあ消し去ったというよりかは知らないうちに消えていたって感じですね。別に私が努力して忘れたんじゃなくて、うざいなーって気持ちが勝手にどっか行ったみたいな」
綾は事情聴取を受けているとは思えないほど、慣れのあるリラックスしたような顔で言った。
「それに昨日、私はバスケ部の部室に入ってませんよ。体育館に行く前に引き返したんですから。これは会長に聞けばわかりますけど」
「そのようですね」
晋三さんは手帳のページを戻して呟いた。メガネケースの持ち主である小笠原麻衣も同じような証言していたので、二人がぶつかったというのは真実なのだと確認するかのように小さく頷いていた。
「そこで怪しい男にぶつかったらしいですが」ページを戻し、ボールペンを強く握りながら聞く。「遠藤さんは彼のことをご存知ですか?」
「知ってますよ。名前は
「それは彼女が山梨県に住んでいたときのことですか」
「そうです。あいつ、山梨にいるのに月イチくらいで東京に来るんですよ。わざわざ明菜に会うために電車に乗って。なんでも自分が明菜の彼氏だと思ってるみたいです。二年くらい前からずっと、可哀想な男ですよ」
「ではその和田克幸という男について佐々木さんはなにか言っていましたか?」
「めんどくさい男、としか言ってませんでした。私も三回くらい会ったことあるんですけど一生関わりたくない人間ですね。やたら自分の武勇伝――大したことじゃないんですけどね――を聞かせようとするし、ちょっとでも機嫌を損ねるとすぐにキレるんですよ」
和田克幸について説明していると、綾は急に顔をしかめた。筋肉に力みが入り、保たれていた平常心がたちまち消えていくようだった。その表情から彼女がそいつのことをどれほど嫌っているのかわかった気がした。
「そうですか……」
晋三さんはボールペンを持っていた腕を止めて、一つ深呼吸を挟んだ。
「それではもう一度確認しますが、遠藤さんは十八時十分から十八時五十分の間、高橋さんと携帯電話を通して通話をしていた。それであなたは佐々木さんからメッセージがあったので通話を切り、そのままバスケ部の部室に向かった。しかし途中でその和田克幸という男が体育館から飛び出てきてぶつかり、その後すぐに声をかけてきた小笠原さんと一緒に校門前まで向かった。その後は学校に引き返すことなく家に帰った。これで間違いないですか?」
綾は頷いて直哉の方を向いた。
「おい刑事さん」彼が割って入る。「俺にもアリバイってのがあるだろ。その時間俺は家にいたってこと、姉ちゃんか弟が証明してくれるって」
「それも後で確認します。今はお二人が電話をしていたという事実を確認したかっただけですので。あなた方の通話履歴には確かに一時間ほど電話していたという証拠がありました」
「だから言ったろ。嘘なんかついてねーって」
直哉は鼻を鳴らして、睨みつけるような目つきを警察官にくれた。
「もう終わりでいいんだな。俺たちはこれからゲーセンに行きてーんだからよ」
「あの――」
直哉が立ち上がろうとした瞬間、隣にいた玲奈が大きく手を上げて発言した。
全員が俺たちに視線を送る。帝国高校の学生でないものが二人いることに初めて気がついたような困惑した表情をしていた。
玲奈はそんなことに動じることなく前に進みながら。
「遠藤さんはなぜ部室に入らなかったんですか?」と言った。
「え、えっと……、誰?」
綾が不審そうに聞いてきた。表情には取り調べの最中に見せた冷静さが抜けていて、不思議なものを見るような視線を送っていた。
「彼女は我々の捜査の手伝いをしているものです」晋三さんが簡潔に説明する。
「ああなるほど探偵ってやつか」今の説明で綾は全てを理解したかのように中学生探偵を受け入れる。「私もね、ミステリー小説が好きなんだよ。その制服からしてキミ、中学生でしょ。じゃあ赤川次郎の三姉妹探偵団に出てくる三女ちゃんと同じってことか。ふふ、知ってる? 表紙に可愛らしい絵がついたこと」
綾は中学生が警察の協力をしていることに、おかしさを感じずにいられないような表情を浮かべている。
「私、近所の図書館に蔵書されている本以外は読んだことないんです」
玲奈は目を閉じそっけなく答えた。
「そう。なら一度読んでみてよ」
そこで綾は周りを見渡し、大人たちの『無駄口を叩くな』オーラを感じとったらしく話を戻す。
「それでなんだっけ。ああ……そうそう、その体育館に入らなかった理由ね。えっとね、体育館に行く途中の曲がり角で克幸とぶつかったんだけど、そのときあいつの顔があまりにもアホ面だったからさ、部室に克幸がびびるおっかない先輩でも明菜が呼んだんじゃないかって思ったの。だから帰ることにした。めんどいし……。これでいい?」
徐々に自分の方へ近づく玲奈に向かって、綾は首を傾げた。この会話が飛び交っている間に、二人の距離はとても近くなっていた。
「はい」玲奈はさらに綾へ近づき、続けた。「もう一つ質問があるのですが、お二人はよくバスケットボール部の部室に訪れていましたか?」
「行くわけねーだろ。あんなことがあったんだしさ!」
年下からの質問に直哉は、もう勘弁してくれと苛立ちを隠すつもりもなく叫ぶ。
「私も最近は行かないかな」対して綾の方は冷静だった。「てか明菜が部室に呼ぶなんて本当に珍しいよ。よっぽど克幸の惨めなところを見せたかったんだろうね」
「そうですか……」
今の二人の言葉にどんな意味があったのか理解できなかったが、玲奈は満足したような笑みを浮かべて綾から遠ざかっていった。
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