第二章考察編Ⅰ

幼馴染

 次の日、新聞には『帝国高校バスケ部で起きた女子生徒殺人事件』というタイトルであの事件について記事が書かれていた。とはいえ十行ほどの小さなものだ。一面には有名なプロ野球選手とアナウンサーの熱愛疑惑だとか、またガソリン代が高くなったなどの内容で溢れている。

 新聞の出版社はそこまであの殺人事件について気にしていないというのか。たしかに昨日、志村巡査部長はありふれた普通の事件と言った。ニュースだって、連続殺人事件や怪死事件のような特質した事件を事細かく全て取り上げることはあっても、普通の事件を一つずつ流すことはない。今回のもそのうちの一つということなのか。

 それに取り調べのとき佐々木明菜のいい印象を語る人物がいなかったこともあって、なんだか亡くなった彼女がとても不憫に思えてしまう。

 どんな事件だろうと、同じ一つの悲劇だというのにな……。

 そんな気持ちで俺は、朝食を食べる前にこの記事をちらっと眺めていた。柴倉家の郵便受けには毎日、新聞紙が投函されている。玲奈が自腹で購読しているのだ。昨日まではなぜ妹がこうまでして新聞を読みたがるのか不思議に思っていたのだが、今日になってようやく、探偵だから事件の情報収集のために買っていたという理由で納得ができた。ついでに購読料の出どころも探偵業の報酬だったと知れて安心したというのは秘密だ。

 そのあと俺たちは普通に学校へ向かった。学生であるため、朝から捜査を始めている晋三さんたちと合流することはできない。俺としてはそのまま玲奈には普通の学生に戻ってもらいたいんだけど、昨日の意気揚々な姿を見ていたらどうにもそんなことを口に出すことができなくなっていた。

 やはり兄としてきちんと見張っていないといけないのだろうか……。


「ねえ、今の話聞いてた?」


 そこで俺は強制的に思考世界から現実に戻された。次の瞬間に脇腹へ激痛が走る。


「いでえっ!」


 そんな素っ頓狂な声を出しながら脇腹を押さえると、隣で歩いていたやつの拳が突きささっていた。


「殴んなよ。痛いなあ」


 俺は横を向き、その腕を掴み払う。目の前には、両目を細めて睨んでくる幼馴染の姿があった。


「聞いてなかった祐介が悪いんでしょー! いくら呼んでも返事してくれなかったし、自業自得だよ」

「はあ? ちゃんと聞いてたって」

「ほんとー? じゃあ私が何回宿題って言ったか答えられる?」

「んー、三回くらい?」

「残念。一回も言ってませんよー」


 べー、と小さく舌を出して歩き始めるこいつの名前は、平岡香澄。幼稚園児の頃から遊んでいた仲で、もし中学時代だけ別々の県にいたことが幼馴染の条件と無関係ならば、香澄はれっきとした俺の幼馴染になる。そして苗字からわかるように平岡晋三さんの一人娘でもある。

 ショートヘアーをゆらゆらと揺らし、大きな目はいつもにこにこ笑っているような輝きを帯びている。だいたいはどこにでもいるような女子高生と変わらなくて、身長も目立つことなくクラスの中間くらい。引っ込むところは引っ込んでいるが、出ているところは出ている……のかな……? って感じだ。性格の方はというと、常にうんうんと人の話を聞く時は話す本人よりも楽しそうにうなずき、誰かから声をかけられても嫌な顔せず接してくれるその態度はとても愛嬌があって好感を持てる、と俺の友人たちは評価している。まあそのことについては否定しない。たしかにいつも楽しそうに笑っているし、それに晋三さんと同様怒ったところなんて見たことない。交友関係も広く学校でも人気が高い。

 しかし、父親が警察官という家庭で育ってきた香澄には一つだけ普通の女の子に持っていない要素がある。それは、空手を習っているということだ。なんでも晋三さんの背中を見て育ったこいつは警察官になることを夢に見て、犯人に負けないよう強くなりたいから空手を始めたと言っている。すでに黒帯を所持していて、高校ではインターハイに出場した。もちろん進学先は警察官の採用に強い大学へ進むそうだ。 


「でー、もう一回最初から話すから今度はきちんと聞いてよねー」

「はいはい。けど家に着くまでには終わらせろよ」

「だいじょーぶ。ただの自慢だから」


 香澄はそう言って、殴ってきた方と違う腕を上げ手に持っているものを見せつけてきた。


「ほら見て。これ、なんだと思うー?」


 それはスマートフォンだった。通話するとき邪魔になりそうなピンクのうさぎ耳ケースがついている。画面には、俺の持っているスマホと違ってホームボタンがなかった。巷で話題の新型スマホだ。


「それ、iPhoneⅩだろ。最新機種の」


 立ち止まって幼馴染の手が持つスマホをじいっと眺める。画面には、保護フィルムを貼るのに失敗したような形跡がちらほらあった。

 不器用だもんなこいつ。逆に気泡がこれだけで収まったことが奇跡だ。


「え、なんでわかったのー。もしかして祐介の一族ってエスパー使いだった? 透視とかできるの? 私をサイコキネシスで浮かすとかはっ?」


 アホみたいにオーバーなリアクションで驚く香澄。もう気づいているやつもいるかもしれないが、こいつは少し抜けているところがある。いわゆる天然というやつで、語尾を伸ばすあたりそれが顕著にあらわれている。たまに話が合わないこともあるし。

 まあそれがこいつの数少ない可愛いところなんだけど、ただ一つだけ愚痴を言わせてもらいたい。叩いてくる時はもっと力を抑えてくれ。お前としては軽く叩いているつもりだと思うが、俺としてはサンドバックにでもなった気分だ。三発目くらいからはガチで涙が出る。


「で、そのケータイがどうしたってんだ?」


 俺はいつものように脱線しそうになった会話を元のレールに戻す。これをしないと脱線する前の会話に戻ることができなくなるのだ。


「えっとねー。口で言うより見せたほうがいいかな」香澄はスマホの画面を自身の顔に向け。「見ててよー。今からすごいことするから」


 自信たっぷりに宣言しながら電源を入れたら。


「じゃじゃーん。私は一文字もパスワードを入力してないのに画面が開くんだよー」満面の笑みでロックの外れたスマホ画面を見せてくる。「すごいでしょー。これ、顔認証システムっていうんだ」

「ほー、たしかにすごいな。そのスマホが」


 俺がそっけなくそう応えると、香澄はわかりやすくリスみたいに頬を膨らませて「ううー」と唸る。


「またそーやって私をからかって、楽しいのかー?」

「すっごく」

「くうう。今の憎たらしい返事、もし私のお父さんが警察官じゃなかったら絶対顔面に正拳突きを食らわせてやるところだったよ。もちろん寸止めじゃなくて」


 とんでもなく物騒なことを笑いながら言う香澄は、目にも留まらぬ速さで拳を握った右腕を前に突き出す。

 おいおい、さっきそれを脇腹に食らったてたら今頃俺は病院送りにされていたところじゃないか。通院費も高いんだぞ……。


「それじゃあ今度お前が寝てる間にその機能を使って勝手にスマホの中身をいじってやるよ。まずはアマゾンでニンテンドースイッチでも買ってもらおうかな」

「それって犯罪じゃん。お父さんにちくって逮捕してもらうから。いえーい逮捕逮捕ー」


 にひひ、と香澄は悪ガキみたいに笑う。

 ほんといつも笑ってるよなこいつ。悩み事とかないのか?

 前から気になっていたことだが、父親が警察官ということを一人娘の香澄はどう思っているのだろうか。凶悪な犯罪者と関わる危険な職業だし、もしかしたらという考えは湧いていてもおかしくないだろう。

 現に今の俺はそうだ。これからも玲奈が犯罪捜査を続けるんだっていうのなら、心配になりすぎて夜も眠れなくなってしまう。

 やっぱこいつも寝れないくらい心配しているのだろうか。しかしそのことをいきなり聞くのも恥ずかしいので、とりあえず玲奈が探偵をしていたという事実から伝えてみることにした。すると意外にも香澄は驚いた様子もなくのほほーんと口を開く。


「そんなの半年くらい前から知ってたよー」

「え、まじで?」

「うん。れいぴょん、この前だってうちに遊びに来てたんだけど、すぐにお父さんと小島さんと一緒にパトカーに乗ってどこかに行っちゃったんだ」

「な、なんだと……」


 玲奈のやつ、俺には犯罪の捜査をしていたことをひとことも伝えていないのに、香澄には話したというのか。

 まあそりゃ同じ女だし、たまに買い物に行くくらい二人は仲が良いし、悩み事とか秘密の話をするなら香澄のほうがいいと思うけどさ、警察の協力ってのはもしかしたら命に関わる大事なことなんだから、俺にも話してもらいたかったぞ……。

 俺は妹に頼られていなかったと自覚させられ、胸がとても苦しくなる。

 哀れすぎるぞ、柴倉祐介……。

 ちなみにれいぴょんというのは香澄が考えた玲奈のあだ名だ。


「くう……、なんで俺じゃなくてこいつなんだ」

「それは、私が信頼されていて祐介が信頼されていないからなのだー」

「あ、てめ、言ってはならないことを言いやがっな! 待て!」

「へへー。おーにさんこーちらー」


 逃げ出す香澄を全力で追いかける。

 さすが運動しているだけあって足が速い。運動不足の俺なんかが追いつける相手ではなかった。

 けどまあいいか。おかげで早く家に帰ることができたんだし。

 手を大きく振りながら走っていく香澄を、オンボロアパートの前で見送る俺。


「…………」


 あれ、会話が脱線した気がするぞ……。

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