現状

 聞き込みを終えた佐藤先生、河野さん、武藤さんの三人を帰したあと、空き部屋に残った晋三さんは窓際に立ちながら腕を後ろに組み、窓ガラスの外をじっと見つめていた。


「今の状況はおそらく」沈黙を玲奈が破る。「被害者である佐々木明菜さんは多くの恨みを買っていた。それは学内の生徒、学外の生徒。それから教師までも。そして最低でも一人は彼女を殺したいほど憎む人間がいた……これは学校に関わる人物でない可能性もあるからきちんと調べる必要があるけど。それでその人物は彼女が部室の中にいることを知り部室に入った。不意をついたのか、はたまた二人はとても密接な関係で佐々木さんは襲われると思っていなかったのか、犯人は争うことなくきっちりと縄跳び縄を使って殺害した。そのあと死体から指輪を盗み、ご丁寧に制服の中に大量のホッカイロを詰め込んで椅子に座らせた。そして部屋を出た……。こんなものかな」


 晋三さんは振り返り、一度小さく息を吐いた。


「メガネケースを忘れているよ。とても重要なことだ。その犯人はうかつにも自分の私物を殺人現場に落としてしまった。そして気づかずに退室。取りに戻る前には我々が現場に到着していたというわけだ……」

「ほんと、死体の近くに私物を落としてくれるなんてずいぶんと優しい人ですね」と玲奈がすぐさま言った。

「気づかなかったのは慌てていたからだよ。どんな人間も他人を殺害したら正気でいられなくなるはずだ。殺人を快楽とする人間なら別だけどね、今回の事件ではその線は薄いだろう」

「私たちが取り調べをしてる最中になにか重大な発見はありましたか?」


 妹の問に、晋三さんは腕を上げ首を左右に振って応えた。


「現場にあれ以上の発見はなかったようだ。今は若いのを一人残らせて全員本部に戻してある。やはり重要な証拠になりそうなものはメガネケースだけかな」

「メガネケースに指紋は?」


 メモ帳になにかを書き込みながらたて続けて質問をくり返す。


「あの三人の指紋ではないものが一つ、そこらじゅうにあったそうだ。持ち主のものだろうね。他にも使い捨てカイロを詳しく調べてもらったけど、これにも指紋はついていなかった」

「では物の証拠のみで犯人を特定するのならばその持ち主が一番近いということですね……」


 持ち手部分が赤色のボールペンを机に置き、玲奈はパイプ椅子に深く座って車で見せたお祈りをするようなポーズをしながら、じっとメモの内容を見つめて考え込んでいた。


「私としては佐々木明菜と一悶着あったらしい遠藤綾という女子生徒が気になるな。もちろん遠藤綾は佐々木明菜を憎んでいただろう。だが高橋直哉の浮気を知ってから二ヶ月の間は殺そうと決意するまで恨んではなかった。しかしここ数日で二人の間になにかあった。理由はまだわからないが、それで遠藤綾は佐々木明菜を殺してしまおうと考えた。そうすれば自分の男であったはずの高橋直哉ともう一度恋人関係に戻れるはずだと。そして今日、彼女はしっかりと目的を果たした……。これならなぜ指輪を盗んだか説明がつく。その指輪には高橋直哉の名前が刻まれてあった。だからその男をめぐって佐々木明菜と喧嘩した遠藤綾にとって、指輪が警察に見つかると真っ先に自分に容疑がかかると思ったんだ!」


 自分の考えに手応えをつかんだように、晋三さんの声は大きくなっていた。


「充分にありえると思います」玲奈もそれに賛同して、俺の方を向いてきた。「兄さんはどうかな。今までの捜査でなにか気がついたことはある?」

「え、俺がか……?」

「うん。平岡警部と二人きりでいるってだけで私たち二人が援交してるんじゃないかとまで推理できる兄さんの逞しい想像力を貸してほしいんだ」

「はっきり言って何が何だかちんぷんかんぷんだな」妹の棘のある煽りをなんとか無視して、これまでの捜査で得た情報をまとめ自分の考えを言うことにした。「けど、あの先生にも佐々木明菜を殺害することはできるんじゃないか? 十分間も二人きりでいることができたんだし、その後事件の発見があるまで誰も部室に入ることがなければ彼女にしか犯行は無理だろ」


 言い終わって、意外とまともな推理だと自負してしまった。遠藤綾という人物がどんなに佐々木明菜を憎もうと、殺人を実行する機会がなければどうしようもないということだ。

 しかしそんな考えは晋三さんのかすかな笑い顔によって粉砕される。


「そうかもしれないが、そう結論つけるのはまだ早すぎるかもしれないよ。十八時二十分頃から死体発見までに部室を出入りした人間がいないとは考えられないからね。それに、彼女には動機が見当たらないな。取り調べの限りだと、自分の言うことを聞かないから殺した、なんて頭の悪そうな人には見えなかったけど」

「だけど兄さんの考えも可能性の一つにあるよ」と玲奈が口をはさんだ。「たしかに部室へ出入りした人間が一人もいなければ彼女にしか殺害はできないからね」


 兄の陳腐な考えを肯定した妹がそこまで意外だったのか、晋三さんは驚きを隠せない様子で玲奈を見た。


「ま、まあ、可能性の一つとしては……、それなら佐々木さんのところに訪れていた怪しい男やその他の連中も考えられる」


 彼は黙り込んで手を顎に当てた。


「どのみち捜査を進めて情報を集めていくしかありませんね」


 玲奈が切り出す。


「もちろん明日も徹底して調べるよ。特にメガネケースの持ち主探しに重点を置くつもりだ。玲奈くんは学校があることだし、いつものようにそれまでの結果はメールで送るから。もし課題など無くて手が空いているようならば現場に駆け寄ってもらいたいね」

「必ず」玲奈は即答した。「宿題を投げ捨ててでもこの事件の究明に協力したいと思います。今回の事件は、なんだかとても奇妙で興味深いものがありますので」と興味津々な表情でメモ帳を閉じた。

「玲奈くんがなぜそこまでこの事件に関心を持っているのかわからないよ。私としてはごく普通の殺人事件にしか感じなかったけど?」

「事件の表側だけを見れば普通かもしれません。しかしなにか引っかかるものがあります。もしかしたら私たちは犯人が考えたシナリオを無様に演じているのかもしれないような、そんな気がしてならないのです……」


 晋三さんは眉間にシワを寄せて聞き返した。


「ではきみは、メガネケースも指輪もこの事件には関係のないものだと思っているのかい?」


 妹は、思考することをやめたかのように背中の全てを椅子に預け、目を閉じて。


「まだわかりません……」と言った。

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