第一章出題編
妹の援交疑惑
俺の妹、
あれは、学校が終わりアルバイトまでの暇な時間を家でのんびり過ごしてようと思って帰宅したとき、玄関に並べられた靴を見てあいつの部屋に男がいることがすぐにわかった。
その靴は一般的な中学生が履くような白い運動靴じゃなかった。めちゃくちゃ走りづらそうな革靴。しかもオンボロアパートに似つかかない上質なもの。
なぜそんなおぼっちゃまと妹に接点があるんだ、なんて疑問は浮かんでこなかった。俺の妹は閉成中学校というところに通っているのだが、そこは中高一貫の私立中学校でなんと日本で一番偏差値が高い。妹自慢ではないが玲奈はその中学校でもさらに成績が優れていて全ての学費を免除されているのだ。
そんな秀才がわんさかと集まる学校の中でさらに頭のいい妹に、ワックスで磨かれてピカピカに光っている革靴を履く金持ち彼氏がいたって驚くことはない。
……ないのだが、娘に彼氏ができた父親のように、相手の男のことを無性に知りたくなってしまう自分がいた。
妹の彼氏にそんな大げさな、なんて言うやつもいるかもしれないが、俺たちの家庭は普通とは違っていた。両親がいない。二人とも俺が中学一年生の時に少ない金を残して成仏してしまったのだ。その時の俺は絶賛反抗期のようなもので両親に反発していたからなんで死んだかは知らない。もともと尊敬できる親ではなかったし、だからその真相に興味は湧いてこなかった。
しかし小学四年生で両親を失った玲奈には心的ダメージが大きいはずだ。もしかしたらそれがきっかけで勉強を始めたのかもしれない。俺たちの母親は翻訳の仕事をしていて、海外小説の訳者として何冊か本を出版していた。学生時代に夢見ていた小説家としての人生を早く諦めてしまい、路頭に迷っていた頃に転がり込んできたのが海外小説の翻訳のアルバイト募集だったそうだ。もともと英語が得意だった母親はそのまま翻訳の作業を仕事として確立させ、死ぬまではうまくやっていたらしい。そのおかげで母親の口癖は『とにかく勉強しなさい! 特に英語!』だった。妹は母親の遺言をきちんと守っているということだろう。普通の高校で普通の成績の俺は全く守っていないことになるが……。
まあつまり、俺の家族は妹しかいないのだ。両親が死んだあと二人になった俺たちを育ててくれた親戚のじいちゃんばあちゃんも、次々と天へ昇り今頃干し芋でも食っていることだろう。
そんな状況で俺たちは共に協力して生活していたのだから、俺には妹に対するある種の父性愛のようなものが芽生えてしまった。娘とその彼氏に干渉したがる父親の心理がとても理解できる。しょうもない男だったらぶん殴ってやりたい。
だがこれだけ聞いていると俺が妹に恋愛感情を抱いているのではないかと誤解するやつが現れるかもしれないので、念を押して伝えておきたい。俺は別に世に言うシスコンというものではない。父親は娘を可愛がるが本気で恋しようなんて思わないだろ。それと一緒だ。
それでもって今日、アルバイトを早く終わらせてもらった俺は、玲奈の部屋のドアの前にいる。きっと俺の帰りが遅いから彼氏を家に呼んだのだろう。玄関には例の革靴があった。しっかりと磨かれて、中学生にしてはサイズが大きいし、背の高い男だろう。野球部とかラグビー部みたいなごつい体育会系なのか、はたまたいかにもガリ勉ですと言わんばかりのひょろひょろしたやつか……。
三ヶ月前の俺はアルバイトもあって男の顔を確認することができなかった。急な出来事だったので日和っていたのかもしれない。しかし今日こそはしっかりと妹が連れてきた男を確認しないと……。
そおっとドアに耳を当てて妹たちの会話を聞こうとしてみる。ぼそぼそと男のほうがなにか言っているが、雑音が多すぎて内容を聞き取ることができない。
しょうがいない。俺は意を決して引き戸のドアを数ミリだけ開いてみることにした。
最初に目にしたのは妹だった。腰まで垂れる長い髪は、赤いリボンでツインテールに結んでいる。小柄な体型で童顔だが目つきだけは鋭くていかつい。多分これは遺伝だ。俺もこの目のせいで初対面の人間からは身構えられる。
これは友人からの評価だが、玲奈はとてもがつくほど可愛い女の部類に入るらしい。いったいどのルートから俺の妹の情報を仕入れたのか知らないが、少なくとも何人かは玲奈とお近づきになるためだけに俺と友達ごっこをしている。なんと暇なやつらなのだろうか。まあ、あいつらと妹を絶対に会わせるつもりはないけどな。
妹は百均で買ったティーカップを持ち男の話を聞いていた。二人きりだって言うのにとても平然としている。もう慣れているのだろうか。途中垣間見えるうなずき方やカップに口をつける動作に大人っぽさを感じられる。
さて、肝心の男の方は……、と視線を男に移す。ネズミすら入れない隙間から覗き見している俺に、なかなか広い背中を見せているのが妹の彼氏なのだが……。
「いやあ、今回も本当に助かったよ。玲奈くん」
明らかに中学生じゃなかった。背は大きい中学生と同じくらいだが、髪に白いものが何本も混じっている。いくら中学生でもここまでストレスは溜められないだろう。とはいえ高校生でもない。
スーツ姿ということは大人だ。年齢は、五十代くらいだろうか……?
(どどどどど、どういうことだ……?)
思わずうろたえる。
彼氏の顔をおがんでやろうと思ったのに、それ以上にとんでもないものを見てしまった。
なんと、俺の妹は二回り以上も年上の男を家に連れていたのだ。
「なんてことありませんよ。私はほんの少し助言をしただけに過ぎませんので」
ティーカップを机において口を開く玲奈。やっぱり顔はとても平然としている。
なんてことだ。人で溢れ常に誰かに監視されているような東京でも犯罪はよく起こるもの。もしかしたら隣の家で誰かが誰かに包丁で刺されているかもしれない、そんな物騒な時代に俺たちは生きている。自己保身を必要としている都市に住む玲奈が見知らぬ男を家に連れ込んでいたなんて……。
俺よりも要領が良くてしっかりと自身の未来を見据えることのできるやつだと思っていたぶん落胆が大きい。
というかあの男……。
「依頼料はいつもの口座に振り込んでおいたよ。確認しておいてくれ」
「はい。ありがとうございます平岡警部」
幼い頃よく聞いていた低く落ち着いていて優しい声。そして玲奈が言った平岡警部……。
(な、なんで晋三さんがいるんだ!?)
けれど彼の職業は警察官である。警部っていうのはどのくらいの地位なんだ。名探偵コナンの目暮警部と同じだから相当上なのだろうか? 踊る大捜査線のギバちゃんが演じる室井さんはなんだっけな?
それより、依頼料ってなんだ?
玲奈たちの会話の中にあったひと単語が引っかかる。
依頼料って金のことだよな……? 妹は、晋三さんから金を貰っているのか……?
けどなぜ? 中学三年生の妹が警察官の人間と金銭のやり取りをしているなんて思えない。いったい玲奈に警察はなにを協力してもらっているんだ。しかも会話からして長期的に。
考えられるのは一つだ。妹は、警察官の晋三さんではなくただの男としての晋三さんとなにか関係があるということ。それはつまり……。
(援交……?)
そういえば一年と半年くらい前からだろうか、『金田一恭五郎』という見知らぬ名前の男から毎月一定の金が柴倉家の口座に振り込まれている。これは両親がいないための支援金なんかではない。そもそも支援金の振込名義がこんな金田一少年の親戚みたいな名前はありえない。
初めは見ず知らずの人間から金をもらうことがとてもうす気味悪く感じた。与えている方はなにを考えているのだろうか? 俺たちに金を振り込んで、いったいそいつにはなんのメリットがあるのだろうか? そんな事ばかり考えてこの金を使うことができなかった。
それでも、まだ働いてもいない俺たち二人が最低限生活するため仕方なく、その金に手を出してしまった。月ごとに振り込まれ続けた金額は、妹の一年分の学費と同じくらいの額になっているだろう。返すにも相手が誰だかわからなかったので、もしかしたらこの金を使う俺は犯罪者なのではないかという後ろめたさを抱いていた。
しかしまさか……、その金が……、玲奈が身体を売って手に入れた金だったなんて……。
腹の底から怒りのようなものが燃え上がった。妹に対してではない。警察官という立場であるにもかかわらず援交をしていた晋三さんと、なにしろその金で今までのうのうと暮らしていた俺自信に。
玲奈が本当に援交をしているのかどうか、きちんと確かめる必要がある。そして万が一それが事実だった場合、俺は兄としてやめさせなければならない。
「玲奈っ!」
俺は思いっきり引き戸を開き、妹の名を叫んだ。
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