第4話 遠藤塚
遠藤塚
「遠藤塚」の話をしよう
とき婆ちゃんの姑から聞いた話だ
江戸末期頃の話だ(1870年頃)
佐渡の金山から江戸へ運ぶ金は、数頭の馬、警備の侍、馬飼いの十名位の一団を組んでいた
佐渡からは船、直江津の関で荷を作る
有る年は三国峠を越え江戸へ、数年に一度善光寺から中山道の街道が使われていた
荷は六つの俵に分け三頭の馬に振り分けられていた
黒馬、紅馬数頭の馬が居た
高井に住む遠藤小重郎「盗賊」は菅平の荷を盗んでは
松代の松平氏から指名手配されるはどの盗賊だった。
小重郎は直江津に視察に出かけていた、それは数年、又なん十回にもわたった
小重郎は馬飼いが飼っていた馬と同じ馬を小柴見の牧に用意した
俵には板倉の藁を用意し直江津の職人を使い
金山の俵と同じ物を用意した
十分に準備した
金山の荷と一緒に動いていた小重郎は直江津から関川に向うのを確認した
関川に向かう荷で、北国街道を確信したのである
野尻、栢原、古間、牟礼、新町、善光寺の宿場に族を配置した
宿場を飛ばし善光寺宿に荷が着く数日前に小柴見に戻っていた。
小柴見に戻った小重郎は,直江津で見た黒馬に似た馬を選んだ
俵の中には裾花川の崖の石をつめ
善光寺権堂の宿に、金山の一団が到着する知らせを待っていた
一団の宿につくのは、夕刻に成っていた
権堂の宿につく一団は馬を馬柱につなぐと、荷を直に宿に運び込んだ
宿についた一団そっくりに、自分の馬と荷の偽装を暗い提灯の明かりで、夜が明けるまえに済ませていた。
夜が明けると馬場から荷馬が宿の馬柱につながれた
朝餉が終るといよいよ俵が馬に振り分けられた
馬柱に繋がれた荷を積み終えた黒馬の尻が路地の出口を何度も塞いでいた
馬飼いの一人が厠へ急いだ隙に、路地から連れた偽馬を、平然と同じ馬柱へつなぐと
馬のすり替えの隙を待っていた。
厠から帰る前に、残った二人の馬飼いが眼を放すのを待った、馬飼いは警護の侍に顔を合わせた。
路地を塞いでいる黒馬と入れ替えるには十分の隙ができたのである
遠藤は、金を積んだ馬を路地に連れいれ、馬のすり替えに成功したのである。
十数日経ったある日
やっと金が盗まれた事に、江戸幕府は気づいたのだった
俵の藁を調べ、俵の作りを調べ、やっと中に有った石が裾花川の裾花凝灰岩
だと調べ上げた。
すり替えが行われたのは善光寺宿だと目星を付けられたのである
善光寺平に間者がはなたれ、小重郎が捕まるまでそれ程時間がかからなかった。
ここから「とき」ばあちゃんの話は怖かった
平柴から小柴見に下りる急斜面に、村唯一の山道が有った
阿弥陀寺に向かう山道だ
勝手沢から南の急斜面に善光寺平を左に望むように山道はきられていた
平柴の台地(扇状地)に上がると長野が一望できる曲がり角に、ちょっとした展望所が有った。
役人が立っていた
役人はその道を通る村人、参拝に来る旅人関係なく、曲がり角の一段上に連れて行くのだ
小柴見を一望する山の尾根に井戸を掘り
井戸の蓋は半月形で、両側から首を挟み
真ん中に落ち武者の髪の男の首だけが出ていた
男は、善光寺平を眺めていた
役人は竹で作られた鋸を通行人に手渡し,井戸板から出た首を一引きさせるのである
「首引き」が尾根で行われていた
見せしめだ
松代の松平は平柴は武田から上杉に鞍替えした記憶があったのだろう
(当時は未だ小柴見城のイメージがあった)
体が井戸に落ちるまで続けられていたのだ
数日で村人は通行しなくなっていたが
ときばあちゃんの姑は黒く変色した首を竹鋸で又後日、引いてしまったと言っていた
一か月経っても、首だけが井戸板の上に放置されていたのである
役人が来なくなった頃を見計らって
平柴村人により井戸は埋められ、石を置いた
小柴見の村人は全て所払いとなり、平柴の入口の村は数年廃墟となった
平柴の入り口に遠藤塚と言われる石碑が立っている
今は新道が出来、場所も移動してはいる
旧道の遠藤塚は近くに古墳時代の古墳があって、平成の終わり頃まで
古墳はその名を遠藤塚古墳と呼ばれていた
平成の終わりにはその古墳も取り壊され
処刑場の場所も特定出来なくなっている。
馬の生き埋めや、首引きの刑は歴史から抹殺され、
廃墟となっていた小柴見も
まるで遠藤小重郎が馬のすり替えをした様に、数年で住人が戻っていた。
江戸時代から松代藩の罪人が犀川を超え、善光寺領に入ると
手が出せない為、盗賊の村だと思われていた
おまけに幕府の金に手を出したのだから
それは目の上のたんこぶだった筈だ
すり替えられた俵の中身が小柴見と平柴の境の裾花凝灰岩であり
小柴見・平柴に遠藤の一味が居る筈だ!
松代は竹引きの刑を平柴の入り口で行い、小柴見は処払いになった。
平柴住民が遠藤塚として石碑を立てる事となったのか
それは、松代に対しての長い対立と、濡れ衣を着せられ
首引きをさせられた平柴住民の
怒りの現れだった。
あくまで曽婆ちゃんのお話しです。
長野市に県庁を置く時も、未だ、長野は盗賊の村だと
中野からの移転意見書の冒頭に記録されている
遠藤小重郎一味が中野出身にも関わらずだ。
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