11月3日-おまじないをサボる


「小説を書きたい」と書くのをやめてみた。日常的にやっている行動というものが、本当に必要なのか否か確かめてみたくなったのだ。

 小説のことは毎日のように考え、何かしらの作品を出すようにはしている。目的は達成されているように思える――

 ここ三週間実施し続けた10分程度のおまじないである。意識的にやらない・・・・というのも、若干のもどかしさを感じる。

 紙に書かないようにしても、スマホを持つだけでメモ帳アプリを開いて「小説を書きたい」と記入したい欲求に駆られるのだ。最初の数日間など、無理やりにでも書かせていたというのに。


 結果から言うと、おまじないをサボることは出来た。ただ、猛烈に後悔することになった。

 小説に関する集中力が目に見えてなくなった。今までの自分かと思う位に雑念が入り込んでくる。話の組み立てもぼんやりとして、なんだかまとまりが感じられない。

 なんということだ。「小説を書きたい」というおまじないは、自分の心を小説一本に(半ば強制的に)向けさせる為に不可欠なものだったのだ。それを自ら放棄してしまったのである。

 併行して実施できるものだと思っていた。ここまで書き続けてきたのだから、もはや他の作業が加わっても問題はないと――そう思いあがっていた。

 実態はそんなものではなかった。何かを継続する為には、何でもいいから動機づけが必要になる。特に見返りがない場合には「他の作業を差し押さえてまでやる」に値する強い動機が必要だ。私にとっての「動機」は継続する事の力を見ること、そしてそれを脳に教えこむ際の儀式こそが「小説を書きたい」を100回書くことだった。

 甘かった。とっくに短期記憶の壁を抜け、長期記憶――容易には忘れ去れない、変質したりしない領域に達したものとばかり思っていた。実態は違った。一日サボっただけで、小説に関する熱意は大幅に下がってしまったのだ。

 儀式に依存していたからこそ、それが崩れた時に大きな影響が発生するのは、今考えれば当たり前の話であるが、当時の私にはまるで予想が付かなかったのだ。


 しかし、真にまずいことは、もう一つの点にある。

 それは――全くおまじないをする気が起こらなくなったことだ。初日と全く変わらないか、更に悪化している。

 拒絶反応、反射行動に近い。シャープペンを持ちたくない。「小説を書きたい」と書かれた文章を見るだけでノートを閉じてしまう。「嫌だ」という感情が湧き上がり、頭や胸が重くなる。そこから先の行動が全く分からなく、否、分かりたくなくなるのだ。

 書かなくては小説への熱意は上がらない。しかし、今まで完璧にやってこれたこともあってか、全くやる気がしない。一種の燃え尽き症候群と言えるか。



 かくして、自分の実験の中では、かなりひどい結末を迎えてしまった。「毎日こつこつやる」というのは素晴らしいことだが、あんまり「毎日」にこだわりすぎると、それが崩れた際に反動が大きく、場合によっては本筋すらも崩れてしまう原因になる。

 こだわりもほどほどに。これが今日の教訓か。

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