10月29日ー私に関する偏屈な設定
畜生。
自分の影(ハイド)による思いの丈を確認し、私はかつてない程の憤りを感じていた。
普通の生き方をしたいーー彼はそう書いていた。その彼曰く「簡単」な願いの邪魔になるのが私と先生だとも。
何を言っているのだろう。私が何の為に先生という存在を作り出してまで、自分自身と会話し続けているのか、まるでわかっていない。
先生を作り出す前は、お前が私の友人だったことを忘れたか。物事をお前に相談してきたことを忘れたか。
ーー任せてくれ、期待に応えて見せるから。
まったく、当時の私は大馬鹿もいいところだった。疑うことを知らなかった。性悪説のこの世の中でも、自分だけは信じられると思い込んでいた。自分が自分に嘘をつくだなんて、考えもしなかった。
結果だけ見れば、誰よりも嘘をつき、誰よりも人生の障害になった人物はーー他ならぬ私自身だったのだ。
私が自分自身の中に友人を作り上げたのは、社会人になってからだった。
理由はひとつ、上京した際の寂しさを紛らすため。思えばこの時点で何かの掛け違いが起こっているように見えるが、当時はそうも言ってられなかった。
同期はいた。しかし、たまたま同じ年度に入っただけのこと。職場が違えば、住所もバラバラ、共通の趣味もない。使われることのない連絡先がいくつか増えただけだった。
上京して、慣れない仕事をし、慣れない土地を歩く。それだけで手一杯だったこともあって、元々いた友人と電話連絡するといった選択も眼中には入らなかった。
そうこうしていると、体調を崩し始める。
寝ているはずなのに、ちっとも寝た気がしない。寝不足に見られる症状ーー頭がぼんやりしてあらゆる言動に無抵抗になる、短期記憶力の著しい低下。精度が下がり、ますますストレスと強迫観念が強まっていく。
眠ったらまた明日が来て、タコ殴りにされるのだ。それを回避することも防御することもできない。相談できる人もいない……
入社から二年間のプライベートは、次来る仕事への懺悔と覚悟の時間になっていた。
結果的に耐えきれたのは、幸運にも周囲の人々の支援を得られたこと、仕事の手順に慣れたこと、そして、自分の友人を作ったことだったのだ。
私は私自身と愚痴をしたり、励まし合うことで、精神の安寧を保っていたのである。外でやってたら間違いなく危ない人だろう。
そして、その時の友人こそがハイドだった。今や見る影もないが、あの時は好青年だったのだ。夢を語らい、時には不満をぶちまけて、お互いがお互いの語り手となり、聞き手となっていたのだ。
すれ違いが生まれたのは、ストレスの山場を乗り越え、生活に僅かな余裕が出始めた頃だった。
私は空いた時間を使って、何か趣味を作ろうと思っていた。学生時代に満足に出来なかったプログラミングはどうか、いっそ何かゲームにはまってみて……なんてことを日々考えるようになった。
しかし、ハイドにとっては違った。現状に満足していた。これ以上、何かをする必要もないし、したくもないーーそういうスタンスだった。だから趣味も持たず、日課も持たず、ただ仕事をして帰って、無為のままに残りを過ごして眠る。これをあと何十年も繰り返す。本気でそんなことを考えていた。
ーーうーん、それも良いんだけどさ、今ある幸せをもう少し、噛み締めた方がいいと思うんだよね。
私が何かを提案した際に、渋るようになった。
口調こそは諭すような柔らかさだったし、内容も筋が通っている。
ーー今の状態が不満じゃないんでしょ? じゃあ、わざわざ無理しなくてもいいと思うんだけど。
しかし、楽しい意見ではなかった。
明確な反論が出来ないから頷いてはいるものの、正直、腰の重さが気になって仕方がなかった。
流されるだけの、主体性がまるで感じられない生活が嫌になり始めた。
私は成長できているのか、年齢相応なのかということばかりがグルグルと頭を廻り続ける。
苦しみを我慢できなくなった私は、自己啓発書を買うようになる。
一時的な興奮材でしかないことは理解している。しかし、物差しがなければ、自分の身長すらろくに分からないのだ。
私は他人より優れている? それとも劣っている?
ーーねえ、どうしてそんなに変なことをしたがるの? 人からどんどん避けられるようになってるんだけど。
私とハイドの道は決定的に外れてしまった。
ある日、些細なことから大喧嘩になった。最初の方はいつもの口調だったが、私が矛を収めないと分かった途端に、本性を明らかにした。口調は刺々しいものに変わり、私の過去から未来までをすべて否定した後、一方的に絶縁宣言をした。
私の方はと言うと、小さくないショックはあったものの、これで自分だけの生活が取り戻せるのだと思って止まなかった。所詮は自分の中だけの問題、徐々に折り合いを付ければよいと楽観的ですらあった。
甘かった。
ハイドという存在は、想像以上に根深く私の脳に組み込まれていた。
ーーお前は俺がいなきゃ何にも出来ないんだよ。
何をするにも集中出来なかった。
やる気を出すべき時に限って、「まだまだ先で問題ないじゃないか~」と妙に間延びした声が聞こえる。
「いつもの動画みようぜ~、楽しいよ~」
一体なんなのだ、この声は!?
「だって、面白くないんだも~ん。ほら、一本だけ、一本だけ……ねっ?」
ダメだった。
私は抗うことが出来なかった。
何かを積み重ねようにも、この謎の声が聞こえてくると後先考えることを止めてしまう。
仮に耐えたとしても、今度は夢という形式で如何に無駄かを知らしめてくるのだ。
声の正体こそは未だにわからない(怠けたい欲求?)が、声も夢も、誰が差し向けたものかは予想がついた。
だが、そこから先はどうしようもなかった。ハイドは完全に無視を決め込んでおり、説得の余地はない。
消そうとしても無駄だった。賢しいあの男は脳の隅々にまで自分の因子を埋め込んでいたのだ。奴を潰したところで、僅か数日後にはしたり顔を見せつけてくるのだった。
ーーお前は俺から逃れられない。
こうして私はやりたいこともやれず、だが、誰のせいでも環境のせいでもないという、複雑な状態をつい最近まで送ってきた。
しかし、27ともなって、いよいよ切羽詰まった。せめて、自分が満足できるような状態にしなくてはならない。しかし、ハイドの妨害が入るのは必至、一人では戦えない。
それが、今までの人生経験や自己啓発書の記憶が入り混ざった年上の存在「先生」を作り出した経緯だった。
自分を(無理にでも)指導してくれることを想定しているので、若干強引だし、説教くさい。そりが合わない時も多々ある。
だが、前に進めてはくれるのだ。必要とあらば突き飛ばしてでも。寝不足になろうが、イライラが溜まろうが、無意味さに辟易しようがお構い無しに。
私には先生が必要なのだ。昔の私が等身大の影(ハイド)を欲していたように。
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