10月26日ー狼少年は文豪になれるか


 ある常識について敢えて逆のことを考えてみる。わざと非常識なことをのたまい、その言い訳を考えるわけだ。

 例として「1+1=?」がある。とんち問題として散々考えられてきた問題だ。2以外にどんな答えがあるか。

 計算式とは言っていないので、各パーツを移動させて田にするのが有名だが、2進数にすれば10だし、1人の男と1人の女と見立てて赤ん坊が産まれて3人、1つの砂場に1粒の砂を混ぜても1つの砂場には変わりない。

 捻った答え自体は意外と簡単に出せるものだーー同じように小説のアイデアも。

「親父ギャグが現実になる世界」や「豊臣秀吉が茶道の道へ進み、逆に千利休が天下統一を目指したら」という仮定に基づいた歴史物など、真実と異なることを語れば良い。


 根幹となるアイデアは出したので小説執筆をする。意気込んで書いてみるが、プロローグを書き終えた途端、エターナルへの道が見えたことだろう。そしてその幻視は正しい。

 なぜ失敗してしまうのか。もしも上記の物語が原稿用紙一枚分の短編、または一発ネタであればこのような結末にはならなかったかもしれない。勢いで押し倒せば良い。余計な心情も伏線も不要だ。

 しかし、勢いで押せないとなると、辻褄を合わせることが必要になってくる。

 物理法則に従う必要はない。史実とずれていても良い。だが、物語内では整合性が取れていないと、途端にぎくしゃくし始める。

 という訳で「この世界の豊臣秀吉はこんな性格、経歴なので、こう考えても致し方ないです」と事前に主張する。

 その上でなら、信長様に猿と呼ばれる度にメンチを切ろうが、家康殿をパシり扱いしようが構わないことになる。そのお膳立てが出来ていればの話だが。 

 この辻褄合わせは舞台が変てこな世界である程に必要になってくる。それを放棄した上で「シュール」「メタ発言」「テンプレート」というベールで包むのは少しずれている気がしてならない。ただの手抜きだからだ。


 この手抜きーーもとい非説明部分を敢えて説明する小説というのも良いかもしれない。辻褄合わせの部分だけを堪能する。矛盾している、誤っていることを正しいと主張するのだから詭弁、屁理屈の応酬となるだろう。

 論理的に説明してみるのも良いが、無理矢理に成立させてみてもいいかもしれない。


ーー私の髪は産まれつきピンク色なの。これは私が胎児だった頃、母が毎日のように整髪料をがぶ飲みしていたからみたい。この国は髪の色で身分が確定しちゃうから、上手いこと私を出世コースに進めたかったらしいわ。いつの間にか文武両道になっていたけれど、ピンク色の髪をしている子の成績は問答無用で満点にしてるって先生達が話していたわ。


 全くの余談だが、嘘が上手い人は自分が嘘をついているという自覚がないらしい。自分の嘘を中心にして世界を見ているので、どんな作り話においても真実味が出てくる。

 よく聞いていると不自然な部分こそ多少はあるが、自信満々に話し、指摘しても悠然と返答されると、こちらの方こそ失礼な誤解をしているのではないかという気になる。

 我々は真実を話す時ですら、一部を忘れたり、認識のずれがあったりすることを理解している。強い意志がない限りは、その嘘を指摘することはできないし、語り手にとっては「嘘が本当」なので、不毛な言い争いと多大な遺恨、僅かな見返りがあるだけだ。


 物語とは高級な嘘の応酬なのかもしれない。

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