10月24日ー己が影を見よ


 黒い夢を見た。「ああ、またか」と思った。そろそろだとも。

 その夢は何かが上手くいかなかった時に見る。内容と言うのを簡潔に説明すると、「その何か――勉強でもスポーツでも何でもいいが――を自分が延々と繰り返すのを窓越しに傍観し続ける」というものである。

 窓の向こうの自分は、徐々に老けていく。身体は細く、背は丸まり、皺が刻まれ、精気が無くなり、眼は窪む。溜息の数だけが増えていくのだ。

 今回は何をやっていたか、もうお分かりだろう。小説執筆だ。タイプしながら老いさらばえる姿を見せられた。

 自分のハイドが諦めさせる為に作り上げた虚像。無責任な嘲笑、悲嘆。


――お前自身、もう飽きちゃってるんだろ?


 今回はそれを、真正面から見据えなくてはならない。


 何かを「やめたい」と思う時というのは大体、デメリットがメリットを上回った時である。ゲームで例えるなら、現在の退屈や苦痛(デメリット)が、面白さ(感動)や快楽(メリット)を上回った時といった具合に。

 これはゲームだけでなく、他の趣味や娯楽、仕事、交友関係にも同じことが言えるし、当たり前のことだろう。

 問題なのは、この退屈や苦痛の閾値ハードルが低い――つまるところ、簡単なこと、些細な事がストレスに直結するような、とどのつまり私のような人種である。

 とにかく、続けられない。ちょっとつまずいただけで「駄目」に押し潰される。「無駄なんじゃないか?」という悲観的な分析と「どうせ実らないだろう」という諦観が入り交じり、私の足を洗わせにかかる。

 いや、いいのだ。別に。一度きりの人生、無駄にしたくないのは分かる。どうせやるなら、有意義・・・なこと。自分の可能性を開拓する、そういうことをするべきなんじゃないか――素晴らしい、素晴らしい提案だ。

 ちゃらんぽらんな自分の中に、こんなに高尚な視線があったとは。ならば、是非とも一つ、ご教授頂けないだろうか。


 その有意義・・・なこと、とやらを。


 これこそが、自己嫌悪の理由だ。やること為すこと否定するくせに、代案を一向に出してくれない。

 正確に言えば、出してくるにはくるのだ。将来の動向を学習しろ、これからは〇〇の時代だから〇〇しろ、世界に目を向けろ。

 しかし、恐ろしい程に理想的な――ハードルが高いものしか挙げてこない。小説すらまともに続けられないのに、より複雑でやり辛いものが出来ると考えてしまうのか。

 試しにやってみたところで、数日のうちに夢に出るだろう。経済誌を読みふける老いた自分の姿。「結局何も変わらなかった、別のことをやればよかった」と溜息をつく姿が目に見えている。


 だから決めたのだ。何でもいい、何かを一度、とことんやってみようと。

 ハイドは言うだろう。「お前の行いに価値はない、誰も評価しない。敢えてやらなかったことを、わざわざやっている。無駄な努力だ」と。

 当たり前だ。価値があるもないも、評価されるも糞もない。私の実験は、誰にも何の価値も与えていないのだから。

 今やっていることは、スタートからゴールを目指す行為ではない。スタートへ向かう行為だ。


 ハイドの部分もそうだが、ジキルの部分もまた、自分の頭を悩ませる。何の考えもなく安易に食らいつく。


――これも出来る、あれも出来る。是非やってみたい。やろう、やろう、やろう。

 

 選択肢が増えることは、いいことばかりではない。多すぎる選択肢に紛れて、本当にやるべきことを見逃す。それはハイドに口実を与えるだろう。


――これだけの可能性があるのに、お前はそれを意固地になって蹴ろうとする。何故なのだ。理解に苦しむ。その行いは、蹴ってまでやることなのか?


 だから私は目をつぶる。必死に陶酔し、必死に誤魔化し、必死に他の可能性を捨てている。

 そうしないと、頭がおかしくなるから。

 自分で自分を制御できないから。

 そして本当は――こんな状態、嫌で嫌で仕方がないから。


 私はデメリットを持っている。特に「楽しく生きる」ことに関しては致命的な類のものを。悪い意味で冷めており、悪い意味で熱い。

 偽りの万能感が自分を必要以上に肥大させ、偽りの無能感が自分を必要以上に卑小にする。

 痛く、気障キザで、へそ曲がりだ。それでいて、何も振り切れていない。

 変人にも狂人にもなれない常人。


 私は常人になるために、この実験をやり遂げなければならない。

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