10月21日ー猿もおだてりゃ筆を執る


 私は先日、心の弱さに負けた。自分に負けた。

 自己顕示欲のあらわれ。変人にも狂人にもなれない常人。目的も思いもない。義務感で書かれたレポート。

 既に分かりきっている、敗北。


 朝起きて、ノートを広げる。一面に書かれた「小説を書きたい」の文字列。恥部の塊。決して見せられない自慰行為の痕。

 事務的にペンを持つ。「小説を書きたい」と書く。回数をカウントする。

 自己嫌悪の波。御守り代わりにしていた「小説を書きたい」という言葉だけが、自室に響くだけ。

 そして、ペンを放り投げた。こんな無意味で馬鹿らしい行為、止めてしまった方が良いのだろうか。


 先生。

   ――どうした、か弱き旅人よ。

 私はどこへ向かえばいい。

   ――そのままでいい。自分を信じてください。

 不安なんだ。自分の努力が正しいのか。

   ――努力に正しい正しくないはない。前進に変わりはない。立ち止まりたくなかったのでしょう。

 焦りを感じている。

   ――どうして。


 理由を尋ねられた。いつもなら「自分の非力さ」を回答していただろうが、今回はいつになく率直な気持ちが口から漏れた。


 公私ともに、私より優れている人が大勢いすぎる。私にはそんな熱量も馬力もない。

   ――君はその人達を越えたいと思っているのかね。

 越えられないと諦めている。

   ――そんなことはない。諦めてはいない。焦りを感じているのがその証拠。君は負けず嫌いの癇癪落ち。人生ゲームで敗北したくない。死守する為ならば、どんなに見苦しいことでも平然とやってのける。


 そう、その通り。パーティーゲームに大マジになるような、空気が読めない男だ。

 だが、それももう――


 その見苦しさが嫌になり始めたんだ。若い時はそんなでもなかった。あの時はまだ取り返せるという自信があったからなのだろう。

   ――君は悩んでいる。だが悩みは努力の有無ではない。何に対し、どのように努力するかが分かっていないだけ。君の良いところであり、悪いところでもあるが、君は負けたくないあまり、抜け駆け・・・・を目論む癖がある。つまるところ、近道を選びたがる。


 それは――

   ――分かっています。君のプライドがそうさせる。それは君の芯、簡単には治らない。だが、その意地汚さは人に見られると、途端に仲間を失う諸刃の剣。誰しもが持つが、君は特別に濃い。


 どうしたらいいんです。

   ――続ければいい。君は全ての努力に見返りがあると考えています。確かにその通りだが、全てが目に見える形とは限りません。むしろ、目に見えないものの方がよほど多く、更にその大半は成果が微弱なのです――だが、決して、決してゼロではない。


 そんなのは、いつもの理想論だ。


 彼らは、既にあんなに高みにいる。それは変えられない――

   ――君にとっての枷となるのは、努力の是非よりも、比較される人物の存在でしょう。それも君のごく近くにいる、君と似た思考回路、君と似た嗜好、君と似た立場にいる人物が。近しいはずの君と彼の人との差がこんなにも遠い。それが君に「敗北」を実感させ、君を苦しめる。凡人の嫉妬とは、天才にではなく、成功した凡人に向けられたものなのです。


 それが私の苦しみ。原因が私の核によるものだとしたら、もう解消する術はない。

   ――短絡的思考はやめなさい。すぐ諦める癖をやめなさい。考えるのです。深く根付いているのなら、時間をかけて解けばいい。花が醜いのならば、美しく盛り立ててやればいい。方法はいくらでもある。問題なのは、そこに時間と労力、無為さが存在し、それに君が耐えられるかということなのですよ。

   ――原因をすり替えてはいけない。誰々が邪魔だと喚くのは簡単、何も出来ないと嘆くのも簡単。だが、あなたは立ち止まった――自分の可能性とやらを信じてみたくなった。ならば、受け入れなさい。ある程度の苦痛、ある程度の挫折、ある程度の羞恥をね。越えた先に何があるのか、見届けなさい。


 だが、だが、私は――

 それをやって――失敗し続けた。何をやっても長くは続かなかった。今度だってきっとそうなる。 

   ――壁を感じているのなら、なおさらのこと。戦いなさい。今の時代、性別年齢に関係はない。平日の仕事で成長を実感できないのなら、休日に成長するしかない。君は目を逸らしている。何に目を逸らしているか。

   ――引き金トリガーは君が持っているということにだ。君にしかこの状況を変えることは出来ない。なぜなら関わっている人物が君一人だから。


 義務感で嫌々書いている作品に意味などあるのですか。

   ――君がそこでタイプしているのは義務感でも、ましてや嫌々でもない。過去の思いを継承し、現状の解決法を探索し、未来の自分に伝授しているのです。「今、自分はやっている」と。出来る出来ないはともかく、やっていると。


 実にくだらない。実に馬鹿馬鹿しい。

 心の弱さが愚痴を吐いたのも分かるような、単純明快な無意味さだ。

 先生はそれを無理矢理オブラートに包んで、意味のあることにすり替えようとしている。


 こんなの苦行だ。 

   ――望むところでしょう。

 こんなの汚点だ。

   ――点がなければ、絵は描けない。

 こんなの変態だ。

   ――昆虫は変態を通して成長するんです。


 私は――いや、

 俺は虫じゃない。 

   ――だったら、より一層頑張ってもらわなければ。


 しかし、まあ。

 そういうこじつけも悪くない。

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