11月11日ー読書で世界を広くする
読書はいい。自分の世界がどんなに小さくて浅いものか、明らかになるから。
昔はフィクション作品(特にホラーもの)を読み、ちょっと前は自己啓発書や理論の本を読んでいた。最近では専らノンフィクション作品ーー史実やドキュメンタリーやエッセイ、経営者の成功談・失敗談を読むようになった。
なんでかと言えば、面白いから。「事実は小説よりも奇なり」というやつだ。自分がその人達と同じ星のもとで暮らしているのが不思議でならなくなる。満員電車の中にも著者と同じような境遇の人がいるかもしれない。皆に同様に与えられた時間の中で、茫然と突っ立っているだけの私と、世界を変えようとしている人が、同じ空間を共有している不思議(まあ、そんな人はグリーン席かもしれないが)。
その逆もある。難病と懸命に闘う方の手記を読めば、人生で何を為したかなどどうでもよくなり「どうして今、自分は生きていられるのだろう。不思議だ」などと感傷に浸る。
この世の中には不思議が多すぎる。
「小説を書く」ための下準備として、この一ヶ月、様々なことをした。
他のことに流されずに小説執筆だけを考える時間を設けた(たかだか一、二時間だが)。自分がどんな人物で何を欲しているのか分析もした(結果は陰気なナルシストだが)。雰囲気作りの衣装を買い、線香を焚き、小説執筆の環境も整えた。本題が行き詰まった時の息抜きの場も設けた。
これで小説執筆はある程度出来るようになった。いや「自発的に取り掛かれるようになった」というのが正しいのかもしれない。一ヶ月前までの問題はつまるところ「自発的に何かを選ぶ」能力の欠如だったのだから。
しかし、これはまだ始まりでしかない。例えるなら免許と自動車は手に入れたが、目的地も分からなければ、地図も持っていないのと同じようなもの。これでは宝の持ち腐れである。
自己啓発本を読んでいた頃は、それが分かっていなかった。エンジンを改良し、運転技術を磨いたところで、実際は自宅でゴロゴロしていただけだったのだから、本末転倒もいいところだ。
この実験も残り数日で終わりを迎える。試みの真価が問われるのはきっとこれからの一ヶ月なのだ。何をしたいのか、どう生きるべきなのか。それを知るために必死に本を読んでいる。そして偉大な先人達の選択を参考にするのだ。
「他人の人生を生きるんじゃない」という言葉がある。罪深い言葉だ。捉え方を誤るとたちまち人を暴走させてしまう。他人が歩いた道を
今や至るところに標はある。標を取りまとめたものが本であり、私はそれを読むことで他人の人生、自分が選ばなかったifの世界を見ることが出来るのだ。
情報を基に自分に合った道を考えて、道に沿ってみる。それもまた難しいことではあるのだが。
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