第2話 復路

2.


  



5時間もかけて、列車はやっとK市に到着した。




Hのいる幸福学園は、駅からさらにバスで1時間以上行ったところにあった。


あまりにも長い旅で孤児院に着いた頃にはくたびれてしまった。




静かな山の麓に、「第1回幸福幼稚園入園式」という垂れ幕がかかっていた。


昔は学校だったと思われる小さくてみすぼらしい建物のロビーに入ると、全国から集まった偽装


養子の親達が大勢いた。


100人以上はいるようだった。



子供たちが施設の関係者に導かれて、それぞれの養親に出会った。



「あら、もうこんなに大きくなったのね!」


「先月の写真よりももっと成長したね。」


「わー!かわいいかわいい!」



喜んだり感心したりする親たちの興奮した声が式場に響いた。


一方で1年ぶりの再会なのに何も言葉を交わさない家族も多かった。



講堂に入ろうともせず、外でずっとタバコを吸っている人々もいた。




子供達の反応もいろいろだった。


丁寧に形式的な挨拶だけをして何も言わず先生の手を握り席に帰る子供、挨拶もせず書類上


の両親を完全に無視する子供、元気いっぱいに喜ぶ子供、一緒に暮らしたいと駄々をこねて泣く


子供・・・・色んな子供達が一つの空間に混ざって存在していた。



その中からHが、先生の手に導かれて、私たちの前に姿を現した。


にっこり大きく笑う顔は喜びが溢れ出て隠しきれないようだった。


しかし、抱きついて来たりはせず、私達から一歩距離をおいていた。


表情とは全く違う態度だった。


おそらく事前い徹底的に教育を受けたようだった。



「こんにちは、お父さんだよ。元気だった?」



YはHを見て感激し、涙まで浮かべていた。



「お父さん、お母さん、こんにちは。会いたかったです。」



以前届いた施設の関係者からのメールには、Hが私たちのことを実の父母だと固く信じていると


書いてあった。


Hは、いつか必ずお父さん、お母さんと一緒に住みたいと大人しい態度で話した。


それは長い時間をかけて何度も練習したように、きちんと整理された言葉だった。


施設の担当者が講堂を歩き回って、Hを含めた子供たちに両親にわがままを言って困らせては


いけないと何度も注意を与えていた。


何人かのダダをこねていた子供たちは、それでもそういったしつけに慣れているようで、すぐに甘


えるのをやめて、落ち込みながらも断念している様子だった。






K市幸福学園は、偽装養子の専用施設だった。





ここにいる人は私と同じ程度の所得水準だろう。



他の親たちのみすぼらしい服装や疲れた表情から大体の所得水準が推測できた。


おそらく私のように「経済的」という理由で、この施設を選んだはずだ。


支給される「経済的」な養育費を最大限節約できるから。


子供達も、自分達の小さな欲望を抑えて生きているだろうし、そしてこれからもそのように生きて


行くしかない。


子供達の性格はそれぞれ違っても、時代の陰が作った理不尽な制度を平等に共有していた。





50人ほどの施設のすべての子供たちが同じ立場なので、共感できる友達と一緒に成長して


いくだろう。


その点では良かったと思った。




入園式の時、Hはずっと大人しかった。


Yと私の間に座って両手で私たちの手をぎゅっと握った。




私は、その小さな手にずっと自分の手が握られていることで、自分の行動を制限されたようで身


じろぎもできず非常に不便に思った。


どうして時代の理不尽な要求は、こんな子供の小さくて可愛い、暖かい手をしているのか。


Yは子供と何回も目を合わせて笑顔を交わしていた。


しかし、私はできるだけ子供と目が合わないように努力していた。





入園式が終わって混みあう食堂の中で、私達はHと一緒に昼食を食べ、校庭で写真を撮った。


Hは休まずしゃべり続けていたが、Yは一つ一つ誠意をもって答えてあげた。


施設のあちこちで、ぎこちない三人の家族が一緒に時間を過ごしていた。


今日の行事の日程が終わるのは午後5時。



帰宅の時間が近づいてきた。





別れる時間が近づいていることを、Hは私たちよりも敏感に感じていた。


4時頃からHは泣きべそをかいた。


Hは一年の間、自分が描いた絵日記を私たちにプレゼントした。


いつか一緒に住む未来の家と家族の風景が数十枚以上ぎっしり描かれていた。



Yは感激した顔で日記を受け取った。


そして別れる時、YはHを強く抱きしめて信じられない約束をした。




「H、お父さんに一年だけ、時間をくれる?


もう少しだけお金を貯めて、一緒に住むところを準備するからね。


来年の今頃には必ずHを連れて行く。」



「そんな約束を・・・・」




私は唖然とした表情で、Yを見た。


Hは飛び上って喜んだ。


「ほんと?ほんとに?


やった!やった!


ぼく・・・ぼく・・・・・」




「僕、もっと良い子になる!」




子供は涙と鼻水まみれになって、私たちを見送りながら、そう叫んだ。



あの子がずっと願っていた未来が、1年後に実現されると信じきって・・・・・。






**************************************

  




「どうしてあんな嘘をついたんですか?!」





帰りの列車の中で私は、Yの向いの席に座り詰め寄った。




「嘘ではありません。


Hと一緒に暮らしたいです。」





先に結婚したLの笑顔が浮かんだ。





バカバカしい。




「しっかりしてください。


これはただの演劇ですよ。


私たちは仕方なくこのステージに上げられた役者にすぎません!」




一緒に過ごした6年間、一度もお互いの考えを聞いたことがなかった。


お互い、各々の生活にあまりにも忙しかった。


当然、お互いに何かを強要したこともなかった。


最初の契約通りに彼は徹底的にお互いのプライバシーを尊重してくれた。


彼が何かを主張するのは初めてだった。


その驚きもあって、私はわざとヒステリックに話した。


彼の即興的な選択のせいで、自分の人生にまで影響が生じることが不安になったからだ。




「寂しいならペットを飼ってください!」




私の言葉を聞いて、彼は下を向いていた顔を上げて私を直視した。


6年間、私たちは家の中でも目を合わせることは殆どなかった。


こんな彼の目を見るのは初めてだった。




彼の目には力があり、強い光が瞳の深くに見えた。







「私より、あなたの方がもっと寂しそうです。」







そして決心を固めた様子で言った。






「離婚したいと思っています。」







「何ですって?」




急な話に私は困惑した。


Yは、いつの間にかこの偽りの演劇舞台の上で、自分の役者としての素質と使命を見つけたみ


たいだった。




政府は偽装結婚と偽装養子縁組、偽装離婚の実態を早くから把握して対策を講じていた。


苦肉の策として出てきた離婚対策の中で、子供を持つ離婚カップルについては、罰金を課さない


内容が含まれていた。




ただし、離婚後の養育費を負担しない非同居の親の側には罰金が科せられた。



そもそも独身税も出産を促進し、労働人口を生み出すことが根本的な目的であるのが露骨に現


れている。



一人暮らしは許す。子供さえ産んで育てるなら。そのような意図であった。





Yが私と離婚してHと住むことになれば、私は今まで、定期的に施設に送っていた養育費をYに


送ることになるだろう。




「申し訳ないですが、今住んでいるところから出て行って欲しいです。


ギクシャクした関係で三人で暮らして子供を混乱させるより、お父さんとお母さんが離婚したと話


したほうが、よりすっきりすると思います。」





「はぁ?」





そもそも私の家ではなかったが、新しく部屋を借りることで、家賃や支出が増えることを考えると


胸が苦しくなった。



だからといって、子供と一緒に住んで一生演技をしながら生きることはできない。


突然、母性を作り出し、真面目なお母さんの役割を演じる自信はなかった。




私はこれ以上の会話は無意味だと思い、Yの席から離れた。





「あなたは、6年間一度も僕のことも、Hのことも見ていないでしょう。


あなたは人為的な制度や契約の中では、人の顔が見えない人なんです。」




Yはこの無理やり強制された契約を通して、私に一体何を期待してたのか。





制度が作り出したこの時代が、国家と人、人と人との契約を通じて、人々の切断された関係を結


びつけようとする善意を持っていたとでもいうのだろうか。




そうではないはずだ。



しかし、この冷たい制度の中で、人の顔を見て過ごしたYの前で、私は何も答える言葉が見つか


らなかった。




私は後の席に行って座った。





しばらく目を閉じて、YとHと本当の家族になることを想像してみた。






私がここで大胆に決断さえすれば、私たちは本当の家族になれるのだろうか。





列車の到着時刻が書かれたチケットを黙って見つめた。






私たちが乗っているこの列車が、私達を同じ目的地に連れて行ってくれるかどうか疑わしい。



窓を覗いても外は真っ暗で、車内の様子が写っているだけだ。


列車のたてるゴーっという音


そこに写る自分にそっと聞いてみた。



「離婚する?」


「急にいい母親にはなれないでしょう?」




彼の言葉を思い返した。





「あなたは人為的な制度や契約の中では、人の顔が見えない人なんです。」





その瞬間、子供の・・・・Hの笑顔が浮かんだ。











列車はただ暗闇の中を走り続けていた。






END

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