家族への道

@yumeto-ri

第1話  往路

家族への道





1.




その日、私は夫と一緒に列車に乗った。




同じ列車に乗ったが、彼と私は少し離れた別の席に座った。



私たちはお互いにとって、偶然同じ時間の、同じ目的地に向かう列車に乗った他の


見知らぬ人々と大して変わらない。



今日、私たちは一人っ子の息子、Hの幼稚園の入園式に出席するために朝早くにこ


の列車に乗り込んだ。




今回初めて顔を見る彼と私の間の息子。







そもそも、私はなるべく彼と同じ空間を共有することはないように願っていた。


しかし、6ヶ月前に解雇され、新しい仕事がどうしても見つからず、他にどうし


ようもなかった。


いつホームレスに転落してもおかしくない切羽詰った状況だった。


強烈な自己嫌悪と、理不尽な世界に対しての深い恨みが私を捕らえて離さなかっ


た。


結局、体も心もボロボロになり、気まずい表情で彼の住む家の玄関をノックした



彼は静かにドアを開けてくれ、私をある部屋に案内した。




その部屋はきれいに整理されていた。


まるで、ずっと前から私が来ることを知っていたかのように、前もって用意された


きれいな部屋だった。



私は彼の顔をじっと見つめた。


彼は私の視線を避けて、言い訳をするように話した。



「この部屋はあなたの分だと思って空けておいただけです。」



彼はそれ以外、何も言わずに向かいの自室に入り、音をたてないようにそっとドア


を閉めた。


私はバス用品とタオルを勝手に使い、彼が用意してくれたきれいなベッドの中に潜


り込んでつぶやいた。


「そうよ。この部屋は私の分だよ。


当然の取り分だよ。」



わざと図々しい態度で、もやもやした気持ちを吐き出してしまうと、急に気が楽に


なり、その日は久しぶりにぐっすり眠ることができた。




*************************





6年前、未婚の独身男女に多額の税金を課す法案が可決された。


所得水準が一般月給生活者の平均以下である私のような独身男女は収入の殆どを


税金で払わなければならない状況だった。



独身で一人で生きるのはもはや選択ではなく、罪と見なされた。


罰金を支払う事が当然の利己的な生き方として非難された。



懲罰の法律案が議会へ提出されると、わずか3ヶ月後には施行された。


それで急いで結婚するカップルが急増した。


結婚は国によって奨励されて人為的に助長された。




私と一緒にオールドミスクラブの会長と副会長であることを自慢していたLは法


律案の施行の直前に出会った彼氏とすぐに結婚式を挙げた。



彼女はもともと3ヶ月ごとに彼氏を変える恋愛専門家だった。


今回の恋愛は不本意に特別な事になったよと、彼女は笑った。


ところが、結婚式を挙げた後には「意外に良いよ~」と言ってた。




「選択はタイミングだよ。


どうせ人生はね。


与えられた環境がどうであれ、半分はあきらめて、あとの半分は決断して生きるの


だと思う。」




与えられた環境という彼女の表現が気に入らなかった。


そうして彼女は残された私に後ろ姿を見せながら制度の中に消えていった。





Lのように恋愛を楽しむどころか、人と会うのも苦手で、面倒に思人間にとってこ


の法律は、大変深刻な問題だった。


何かを少しあきらめたり、ただ大胆に決断することで解決されるような問題ではな


かった。


結局、税金爆弾を避けるための偽装結婚という選択肢が出てきた。




結婚相談所は表では求婚者をマッチングしながら、裏では偽装結婚の仲介をして手


数料を取り、大儲けするようになった。


嫌々ながらもこれを選択するしかない多くの人の中の一人がまさに私だった。





税金爆弾を避けるため、という同じ目的を持った相手が必要だった。


可能であれば形式的な制度なんて犬の糞のように思う人が良かった。



私は、法律には仕方なく従うが、徹底的にお互いの人生に介入しないようなパート


ナーを必死に探した。



付き合いの長い友達でもなく、結婚相談所でそのような共謀者を探す事は、ものす


ごく勝ち目の薄い賭博だった。


しかし、私にはどうせ友達と呼べるほどの人がほとんどそばにいなかった。



そして私は幸運にも、静かな性格のYに出会った。




Yは制度に対して積極的に反対する人ではなく、ただ何事にも自己主張せず控えめ


な人だった。



私たちの共通点は、税金爆弾を避けたいという思い。




それだけだった。



結婚の誓いの代わりに、徹底して忠実に偽装結婚を継続するという裏の契約を結ん


だ。


区役所に婚姻届けを提出に行く時、Yは少し緊張した顔で、チラチラと横目で私を


見た。


たまに目が合うとすぐに目をそらした。


ただの小心者だと思った。



私は納得していないのに、他に選択肢がなくて、制度に従うしかない自分の無力さ


に腹を立てていた。



聴衆のない演劇の舞台に立っているような惨めな気持ちだった。




婚姻届を提出した後、私たち二人の名義で都会から少し離れた郊外の小さなマンシ


ョンが国から提供された。


私は彼に「私は住まないから、あなた一人でそこに住んでいいよ。」と話した。



「賃貸に出して、収入を半分に分けたらどうですか?」




Yのその提案は結構魅力的だったが、私はそれをきっぱりと断った。


そもそも政府の勝手な制度と恩恵なんかに縛られたくなかった。


今住んでいるところで、いつもの通りの生活を送り続けるのが私の唯一の望み


だった。


付加的な損益なんか考えたくもなかった。



Yは部屋が2つあるそのマンションに引っ越しをした。





そうして、私は日常に戻った。






**********************************

  




列車の揺れるトイレから自席へかえる時に、彼が列車の席に座って、アイパッド


を見つめているのがたまたま目に入った。



画面には生まれたばかりの赤ん坊が成長していく写真のスライドショーが映って


いた。



それはHの姿だった。



「あの人、あんなくだらないことを・・・・」



私はYが理解できなくて首を横に振った。


赤ちゃんを妊娠して出産することが天から与えられた贈り物だと言う人のことを


私は嘲笑った。


偽装の養子縁組で結ばれたH。


単に偶然で作為的な関係に過ぎない。



それをあんなに切ない思いで見ているYのことを私は情けないと思った。





私たちに子供ができたのは、婚姻届を出した日から1年半ぐらい過ぎた時だった。


独身税に続いて子供がいない家庭に対しての増税政策が追加で施行された。


低い出生率が国家の存立を脅かしていると数十年前から指摘されてきた。


それを知らない人はいないはずだったが、今は子供がいない家庭は利己的であり、


さらに反国家的な存在と責められるようになった。





子供がいない家庭に課す懲罰的な税金爆弾は、わざとらしい人為的な政策だった


が、すぐにその効果が出て出生率が急増した。


従来の高い養育費では、子供を持つを夢など見れなかった家庭が出産と育児を覚


悟するようになった。


養育費以上の税金爆弾を課されるよりは出産するほうが「経済的」であった。


やがてすぐに、養育費のほうも過去に比べればかなりサポートを受けるようにな


った。


出産が「経済的」な選択肢となり、新たなベビーブーム世代が生まれた。



長い間、放置されてきた保育園と小学校が次々とリニューアルし始めた。


そのように生まれたとしても、命は当然のことながら可愛くて愛された。


人々は、政府に対して不平不満を言いながらも、成長する我が子の姿を見ること


に生きる意味を見つけた。







私はYと相談して、偽装の養子縁組を決めた。




1年半の間、挨拶程度の会話以外は交わしたこともないYと私の間に、出産など


とんでもないことで、正式に養子縁組をして子育てをすることも到底できないと


思った。



偽装結婚と同様に、偽装の養子縁組を代行する施設が密かに急増した。



私たちは、田舎の孤児院を介して一人の子を書類上で養子縁組した。




田舎だから、年に一回払う養育費が比較的安かった。




私たちのような収入でも負担可能な金額だった。



しかし、最近になって年に一度、政府に家族写真を提出しなければならなくな


った。



面倒だけど、子供と直接会って写真を撮る必要があった。


でもそのくらいなら楽なものだった。


実際に手元で子育てをする場合にかかる養育費や懲罰的な税金、色々な苦労と


比べれば、はるかに「経済的」であった。


厳しい法律の枠内でとれる最も楽で安い選択肢であった。




そもそも一人で住んでいたなら、ない苦労だったが、仕方なく、私と彼はそれ


に合意した。


子供は彼の苗字に従い、名前はHと名づけた。



生まれたばかりで孤児院に捨てられた、顔も知らない赤ん坊はHと呼ばれるよ


うになった。




施設の関係者は、Hが成長する姿を写真に収めて定期的に二人にメールを送っ


てくれた。


私は演劇の舞台が少し変わっただけだと思うことにした。


顔も知らない孤児の後見人程度の役割だと思った。


アフリカや、名前もよく覚えられないある国の難民の子供に寄付するようなこ


とだと思った。


ランチ一食程度のお金を寄付することで命を助けることができるという救護団


体のメッセージと似ている行為だと思う。


この程度の好意と善意でも、誰かにとっては切実なものだろう。





一方、Yは日が経つにつれてHに対する愛情が大きくなっていくようだった。


Hのためにベビー用品やおもちゃ、絵本を定期的にプレゼントで贈った。


しかも、子供のために手紙を書いて送ったという。


自分に結婚と出産を無理やり強要した政府を非難しながらも、子供の笑顔の写


真を、その目を見ていると、すべてを赦せるようになると言ったLの変わった


顔が思い浮かんだ。



偽装の結婚と偽装の養子縁組という理不尽な環境の中で、その子供に愛情を抱


くようになったというのは、どう考えてもバカバカしい。


ゲームのキャラクターを育てる遊びをしている気持ちだろうか?


本格リアル育児ゲームのような。


「遠隔操作で養子を直接育ててみてください。」


救援団体がYを広報事例として活用するかも知れないと思った。




5時間もかけて、列車はやっとK市に到着した。



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