第8話 DPRJ

「うわぁ!」

 突然すべての電気が消えたことより、新堂は谷川の高い声に驚いた。

「変な声を出すな」

「新堂さん、逆によくそんな冷静でいられますね」

 全館停電なのか、画面も照明もすべて消えてしまった。西日のせいで思ったほど暗くない室内に、何人かのため息が聞こえた。

「今日の仕事は終わりだ」

 そう言って新堂は立ち上がった。元々就業時間間近だった。

 この頃を境に、停電が頻発するようになった。三十分から一時間くらい、街中が停電するのだ。さらに「官僚殺し」も相変わらず続き、宮中の雰囲気も冷たくなっていった。

「今年中に動きがありますよ。これは」

「動き?」

 聞かなくても分かるような気がしたが、新堂は聞き返した。谷川がそうされることを望んでいるような気がしたからだ。

「強制排除とか強制収容とか。これだけ事件が続けば陛下も決断されますよ」

 停電の原因は反政府勢力によるサイバーテロだと、盛んに報道されていた。

「反撃されないのか」

「彼らにそんな力ありません。そうでしょう?」

「そうか」

 そう答えたが、新堂には確信があった。国民島の君主がスラムの強制排除に乗り出しても、きっと失敗する。そして、新堂はそれを望んでいた。


 スラム街見学の直後、新堂は密かに彼らを支援する計画を立てていた。政治をすべての人民の手に取り戻す。そのためには、誰かが君主を打倒しなければならない。しかし、新堂は自由な外出もままならない身分だ。そこで、まずはあの時出会った鮫という男に連絡を取ることにした。そのために彼のアドレスを聞いておいたのだ。


「私は日本から来た新堂だ。先日は話が出来てよかった。早速本題だが、私はあなた方を支援したいと考えている。提供できるのは、情報や通信技術、システムへの侵入や破壊の方法だ」

 新堂はこの半年間で宮中の情報ネットワークの大凡を把握していた。彼のメッセージが官僚たちに傍受されることはない。

「こんにちは、新堂さん。私はK」

 返信をよこしたのは、鮫ではなかった。

「鮫ではないのか」

「私は代理です。鮫さんへの用件は私にお話しください」

「分かった」

 鮫は見た目に寄らず慎重な男なのだなと、新堂は思った。支援を申し出ると、すぐにまた返事が来る。

「ご支援の申し出、ありがとうございます。新堂さんがお持ちの情報を頂きます。君主の打倒のために同志に出会えて嬉しいです」


 それ以来、新堂は宮中にいながら、そのシステムの脆弱性をKに知らせてきたのだ。ハッキング技術の向上によって、停電を引き起こすことまでできるようになったのかと、新堂は電気の消えた部屋で一人感心していた。

 新堂がスラム街を見た時、既に発電機が用意されていた。ということは、街を停電させる計画自体は以前からあったのだろう。今後は停電の混乱に乗じてクーデターを起こすのか、などと新堂は想像を膨らませる。その時は、とりあえずその混乱を生き延びなければならない。そして、自分が支援者の新堂であると鮫に名乗らなければならない。そうすれば、新しい世界で新堂はついに自由になれるはずだった。そうして初めて、政治をすべての人民の手に取り戻す、という野望も実現できるのだ。

 新堂は久しく感じたことがなかったような充実感に包まれていた。これが本当の人生だ。そう思った。今の新堂は、人生ごっこのプレイヤーではなかった。


  ◇


 兄の元へ戻ったレモンは、今し方あったことを話した。鮫という男がレオの金の行方を知りたがっていると。兄が口を開く前に、カリンが反応した。

「鮫には気を付けた方がいい。危険な男よ」

「どう危険なの?」とアシカが聞く。

「野心家。それだけで十分に危険だけど、鮫は言葉ではなく力によって物事を成し遂げようとするタイプよ」

「どうしたらいい?」

「私たちが軍資金の秘密を握っている限りは手を出せないはずよ。だからKのことは絶対に話してはダメ。レモンも黙っててね」

 カリンは親切で言ったつもりだったが、アシカは「しまった」という顔をした。すかさずレモンが突っ込む。

「軍資金の秘密って何? 本当にお金があるの?」

 アシカは、お金のことはレモンに黙っておこうと決めていた。お金があると分かれば貧しい子どもたちのために使いたがるだろうが、それがKに知られたら支援を止められかねない。それは避けたかった。アシカの求心力のためには、十分な軍資金が必要だった。

「Kっていう支援者がいて、彼が発電機を買うためのお金を提供してくれたんだ。電気を供給して人々の支持を得るんだよ。最近は停電も多いからね」

 アシカの苦し紛れの説明に、レモンは一応納得した。


「いいの? 秘密にしたままで」

 アシカと二人になった後、カリンはそう聞いた。

「知らない方がいいんだ。この革命は俺がやる。レモンを巻き込みたくないんだ」

 アシカはそう言って鼻を擦った。

「一人前に、可愛い妹ってわけね」

 カリンはアシカの成長に目を細めた。カリンが知っているアシカは、まだ無邪気な子どもだった。ポケットから、レオが大事にしていた写真を取り出す。面影こそあれ、今のアシカはもう別人だ。


 レオの後を継ぐと決めた後、アシカは組織を大々的に改編した。これまでもスラム街の若者たちは「反政府勢力」として報道されてはいたが、単なる勢力であり、まとまりのある組織ではなかった。資金力のあったレオがリーダーとして支持を集めていたのは事実だが、それ以外は上も下も無い。スラムの外に住む貧しい若者たちにも支持者は多かったが、彼らもメッセージの配信でデモの日時を知って参加していただけだ。

 革命がいよいよ具体的な行動を計画する段階に至った今、より統制の取れた組織を作ることは、避けて通れない道である。それに、若いアシカが鮫のような男たちを抑え込む必要もあった。

「あんたはすごいよ、アシカ」

 カリンは心からそう思った。レオのように民衆を鼓舞するのはうまくないが、こういった緻密な作業ではアシカに分があった。自身はいくつもの下部組織を束ねる位置に就き、各下部組織にリーダーを置いて古参の面目を立てた。

「名前を決めたいんだ。組織の」

 そして大改編も終わる頃、アシカはカリンにそう相談した。

「名前ねぇ」

 組織でも何でも、名前を付けることによってそれが一つのまとまりであることが意識されるし、帰属意識や忠誠心も高まるものだ。アシカはそれを狙っていた。

「官僚と上級市民のための国を終わらせ、平等な国を造るという理念を表すような名前がいいんだ」

 アシカのメモには、何とか戦線だの何とか同盟だのといった言葉が並んでいる。


 しばらく資料をめくっていたカリンが、「○○民主主義人民共和国democratic people’s republic of ○○」と呟いた。

「どういうこと?」

「民主主義は、私たち民衆に国のことを決める権利があるってこと。共和国は、君主がいない国を意味する言葉よ」と、レオの残した資料を手渡す。「人民は少し意味が重なる気もするけど、より平等な、私たちの国っていう感じが出ると思わない?」

 カリンの提案を聞いたアシカは、目を輝かせた。

「国かぁ! 国って名乗るなんてすごい!」

国民島は、中国大陸の端にある小さな島だ。戦中から戦後にかけて、多くの日本人が逃げてきたのが始まりとされている。三十年ほどの間は日本国と区別して日本国民島などと名乗っていたが、六十年ほど前に世界政府によって日本という呼称が禁じられ、単に国民島となった。

「日本だ」

 アシカが、力強くそう言った。

「日本」と、カリンも繰り返す。

「日本民主主義人民共和国!」

 カリンが口笛を吹いて、驚きと賛同を表明する。

「日本をもう一度名乗って、日本を超える国にしよう。俺たちが自分たちの手で作る、自分たちのための国だ」

「人民の人民による人民のための政治ってわけね」

「それを言うなら人間でしょ?」とアシカは笑った。

 小さなスラムの一角から、新しい国が生まれようとしていた。日本民主主義人民共和国。Democratic People’s Republic of Japan. 後にはDPRJ、もしくは日本国と区別して日共国と呼ばれることになるのである。

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