第6話 死ぬ世界

「ほらすごいですよ。随分と集まりましたね!」

 谷川は小学生みたいに顔を窓に近付けている。新堂も前の広場を見下ろしていた。仕事中、谷川に呼ばれて門の上に来てみたら、ただの通行人見物だった。

「これだけか」

 新堂は仕事に戻りたかったが、谷川はそうはさせてくれなかった。

「もうちょっと見ててくださいよ。ほら、どんどん増えていきますよ!」

 確かに、十分ほどの間に道は人で埋め尽くされ、その塊は宮中の塀沿いにどんどん広がっていくようだった。

正午のチャイムが鳴って新堂が「昼休みだ」と声をかけたが、ロケット花火の音にかき消された。谷川が「ヒャー!」と顔を輝かせる。

「俺は昼食にさせてもらう」という新堂の声は、届かなかった。


 新堂が戻ると、谷川はまだ同じ場所にいた。

「増えたな」

 今度は新堂も窓を覗き込まずにはいられなかった。

「あ、新堂さん! いやぁ~、どうしますかね、すごいですよこれは!」

 道路は完全に占拠されていた。塀を取り囲むように若者が座り込み、小屋の建設が始まっている。

「何かの祭りか?」

「何言ってるんですか新堂さん、これはデモですよ。しかも、過去最大級の!」

「デモ?」

 それは、新堂の知らない言葉だった。

「ほら、荷物を運び込んでます。もしかしたらこれはただのデモじゃないかもしれませんね」

「デモとは何だ」

「え? それはその、こういうやつですよ」

「集まって意見を言うのか」

 若者の中には、「陛下と直接対話を!」などの横断幕を掲げている者もいた。

「まぁそうですね。でも今回は暴徒になるかもしれません。もしかしたら軍事蜂起かも!」

「楽しそうだな」

 谷川は外を見ながら、熱心にメモを取っていた。つくづく仕事熱心な男だ。

「いや、これは緊急事態ですよ」と、今度は急に真面目な顔で振り返る。「これほどの規模のデモは初めてです。小屋を建てての長期戦も経験がありません。取り囲む人員配置も均等で、組織的と言えます。プラカードを見ても、官僚や上級市民に対する批判が多数を占めていますし、この運動が広まると収拾がつかなくなりかねません。治安部隊はまだでしょうか」

 谷川がただ面白がって眺めていたのではなかったと、新堂は初めて認めた。

「意見を聞けばいいんじゃないのか」

「彼らのですか?」

 谷川は、「まさか」という顔をして言った。特権階級にとって、それは大きすぎる譲歩だった。

「ではどうするのだ」

「強制排除一択ですよ。でもこの人数ですから。荒れそうですね」

 谷川は天気の話でもするかのように、そう言った。


 排除が始まったのは、二時間ほどが経ってからだった。郊外の基地から派遣されてきた装甲車が、一列になって市街を進んでくる。この後新堂が見た光景は衝撃的だった。ブルドーザーが土砂を押して山を造る。それが、外の様子を描写するのに最も適している表現だ。「そこまでしなくても」とは思ったが、新堂以外は誰も違和感を抱いていないようで、何も言えなかった。谷川も「やっと来ましたね」と穏やかに見守っている。他の人たちも「今日中に家に帰れるかな」などと話していた。車の燃える煙だけが、異常事態を告げていた。

「彼らの主張は何だ」

「要するに自分たちにもいい暮らしをさせろって言ってるんですよ。そういうことは国に貢献してから言ってもらいたいですよね」

 そう言う谷川は冷たく見えた。

 しかし、この国ではそれが当たり前なのだ。この国にはすべての人間を十分に食べさせていけるだけの富は無い。ならば、国に貢献している人から順に富が配分されるのは、妥当なのかもしれない。


 新堂は考えていた。これが本当に、探し求めていた、人間の国なのか。確かに、動物園ではない。選択を間違えれば、死ぬ世界だ。生きるための食べ物だって、自分の力で手に入れなければならない。国に貢献できなければ、国に見向きもされない。「ごっこ」ではない人生。

 ただ、新堂が考えていた人間の国とは少し違っているように思えた。頭の中で、「政治を人間の手に取り戻そう!」という文句が空しく響く。ここでは、人間の国では、政治は確かに人間の手にある。しかし、それは全ての人間の手ではない。新堂は思いを新たにした。

 政治をすべての人民の手に取り戻そう。

 自分が生きる世界に自分が関与できること。それが本物の人生だ。それは、AIに従うことでも、君主に従うことでもない。自分で自分の世界の行く末を決められる世界だ。リスクはある。自分たちの手で自分たちの住む世界を壊してしまうかもしれない。それでも、それが本物の人生だ。今度こそ人生ごっこは終わりだと、新堂は決意した。

 そのために、これからどこへ行き何をすべきか、新堂は分かっていた。


 ◇


 その事件は、「血の月曜日」として市民の記憶に刻まれた。


 郊外の丘の頂上に、若者たちが集まっていた。黒煙が天高く昇っていく。

「勇敢にも治安部隊に立ちはだかり、我らの志を示した、誇り高き十二の同志たちよ。安らかに眠り給え」

 花の一本も手向けられることなく、順番に荼毘に付されていく。誰も泣いてはいなかった。ただ、黙々と作業が進む。


「存在感を示したかっただけなのに……」

 睨むように炎を見つめる兄の横顔を、レモンは盗み見た。

「俺たちがいることを、分からせたかっただけなのに……」

 兄はもう一度同じことを言った。拳が痛々しいほど強く握られている。レモンは、兄がどこか遠くへ行ってしまったような気がして怖かった。

「レオ」「レオ」と、ざわめきが広がる。

 最後に、唯一棺に納められた彼の遺体が運ばれてきた。


 あの月曜日、レオたちは門の前に陣取った。座り込む場所は事前に打ち合わせてあった。約束通り正午に集まった若者たちの顔は、意外にも穏やかだった。

「これは武力蜂起ではない。市民はもちろん、官僚や上級市民に危害を加えないように」

 それが、レオの厳命だった。

「我々の存在を広く認識させることが目的だ。身勝手な政治を倒す力は我々にはまだない」

 拙速に無茶をして、反撃を食らってはならない。レオは冷静な革命家であった。若者の怒りに火をつけながら、そして希望の光を見せながら、しかし実際は地道な活動家だったのだ。

 治安部隊の装甲車が見えた時も、レオは落ち着いていた。落ち着いていなかったのは官僚の方だ。組織の頭を潰せば残りは烏合の衆と考えた治安部隊は、遠距離から彼を狙撃した。即死だった。突然の攻撃に動揺した若者たちは、装甲車を取り囲んで火をつけた。


「きょうだい皆でまた暮らしたい。それがレオの口癖だったのよ」

 それがカリンの口癖になろうとしていた。

 丸一日かかった葬式が終わり、街灯のないスラム街に戻ってくる。レモンは、日本ではこんな悲しいことは起こらないんだろうなと思った。こんな、力任せに貧しい市民を追い払うような、何の罪もない人々の命を奪うような圧政は。

町の憲兵を思い出す。彼らは商店主から賄賂をせしめていた。税金も上乗せして徴収していた。この島の政治は腐敗している。

「アシカ、あんたがレオの後を継ぎな」

 カリンが不意にそう言った。アシカは返事をしなかったが、カリンは続ける。

「ほら、私はこの身体だから」

 先の事件で、彼女は広く火傷を負っていた。

「いや、俺には無理だ。まだ来たばっかりだっていうのに」

 そう言う声が震えている。

「今日の皆の様子を見たでしょう。彼らにはリーダーが必要よ。レオの血を引くあんたならできるわ」

「いや、無理だ」

 アシカは頑なに拒否した。無理もない。偉大な兄とは九つ離れていた。

「それでも皆はあんたを必要とするわ」

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