第4話 楽しい朝食
「新堂さんおはようございます! 今日もよろしくお願いします!」
食堂で目ざとく新堂を見つけては、今日も飽きずに声をかけてくる。谷川の高めの声を、新堂はうっとうしく感じ始めていた。
「谷川さん、だったか。毎朝毎朝来なくても、もう職場の場所は覚えた」
「そりゃあ新堂さんだもん。私なんかがいなくても大丈夫ですよ」
「じゃあどうしてこう……」付きまとうんだ、と言おうとして、新堂は言葉に詰まった。人付き合いの苦手な彼も、その言い方が失礼かもしれないと思うくらいには気が利いた。
「付きまとうか、ですか?」
「いや、あの」
「顔にそう書いてあります。新堂さんは嘘が付けない人ですね」
谷川は明るく笑った。新堂は自分がそんな顔をしていたかと左手で自分の顔を覆うように触る。口角の下がった、筋肉を使っていない顔だった。
ふと気になって食堂を見渡す。朝食をとっている人は、皆三、四人で集まって楽しそうに話していた。時折笑い声が聞こえる。笑顔も見える。
「そうか、これが当たり前なのか」
「何か言いました?」
「いや、何でもない」
新堂は誰かと食事をしたことが無いかもしれなかった。少なくともすぐには思い出せない。注文すれば自動的に一式乗ったトレーが出てくる。ここみたいにいちいち人間から受け取る必要は無い。自分のブースで食べる食事は、どんなだっただろう。たぶんもっと色があって、肉もあって、米と味噌汁と漬物、とかではなかったような気がする。
そんな話をすると、谷川は興味を持った。
「すごいですね! もっと聞かせてくださいよ、日本のこと!」
「話すようなことはない」
新堂のぶっきらぼうな言い方が気を遣わせたのか、谷川は慌てて「そうですよね、脱日してきたんですもんね」と謝った。
「いや気にするな」
人と話すというのは面倒で好かなかった。特に谷川は面倒な男だと新堂は思った。しかし、谷川はそんなことお構いなしだ。
「新堂さん、一つだけ聞いてもいいですか? 一つだけ」と頼み込むように言うと、返事も待たずに聞き始める。「どうして日本を出たんですか? 嫌なこととかあったんですか?」
しばらく沈黙があった。漬物を噛む音だけが異様に大きく聞こえる。
なぜ脱日したか。それは、外の人にとっては最大の謎だった。豊かな暮らしを捨てる理由など、貧しい人には分からない。
「どうしてだろうな」
新堂はぼそっと言った。まだ日本を出られていないような気もしていた。
「はぐらかさないでくださいよ」と谷川が続きを促す。
「人間を知りたいと思ったのかもしれん」
たったこれだけだが、新堂が他人に自分のことを語ったのは初めてだった。
「俺も聞きたいことがある」
食事を済ませ、二人は仕事場まで並んで歩いていた。
「何ですか新堂さん」
「この国の統治システムについて教えて欲しい」
「統治システム?」
「誰が国の意思決定権を持ってる」
「新堂さんは難しい言葉を使いますね」と谷川は本心から尊敬するように言う。「一番偉いのは君主です。私たちは陛下とお呼びしています。でも、実際には沢山いる官僚たちが頑張ってる感じですね」
「上級市民というのは?」
新堂はジョウの言葉を思い出していた。確かそんなようなことを言っていた。
「一番上から、君主、官僚、上級市民、市民の四段階なんです。ちなみに、私も上級市民なんですよ」
谷川は誇らしげに見えた。
宮中は狭い。もっと聞きたいことはあったが、職場に着いてしまった。
ここでの仕事は、新堂にとっては優しかった。初めこそシステムの言語が違って戸惑ったが、所詮は人工言語。無数の例外で出来上がっている自然言語に比べれば、習得は難しくない。ほどなくして新堂は戸籍管理や税務にまつわる仕事を任されるようになった。仕事熱心な谷川は、いつも新堂に何かを教えたり何かを聞いたりしていた。
「谷川さんは官僚ではないのか」
「私がですか? いいですね。実は目指していたんです、官僚。でも試験が難しくって、とても私にはって感じでしたね」
谷川にとってそれはもう昔のことらしかった。
「試験に合格すれば誰でもなれるのか」
「そうです。あ、でもまずはしっかり納税して、上級市民になる必要がありますけどね」
「上級市民っていうのは、高額納税者のことなのか」
新堂は画面に映る戸籍を見る。上級市民は十人に一人もいないくらいだ。
「まぁそう思っておいてもらって大丈夫だと思います。上級になると待遇が色々と違うんですよ。国への貢献度も高いですから」
新堂は言わなかったが、内心では驚いてばかりだった。子どもの頃から「全ての人間は法の下に平等である」と教え込まれてきた。上級でない市民は、人権を侵害されているとして立ち上がらないのだろうか。君主は何の根拠や正当性があってその地位にいるのだろうか。
「君主はなぜ偉い」
新堂は、国のリーダーとして認められるだけの手腕と能力を持っているのだろうと期待したが、谷川は何を聞かれているのかよく分からないという顔をして言った。
「それは君主だからですよ。むしろ、偉いから君主なんです」
◇
お母さんの体調は芳しくなかった。日に日に悪くなるのを必死に隠している、と言った方がいいかもしれない。
「よし、できた」
「さすがお兄ちゃん!」
兄は、レモンの手に修理したてのドローンを置いた。
「でも、なぁ」と兄はため息をつく。続きは言わなくても分かっていた。レモンたちは、やせた土地に少しばかりの野菜を育てていたが、到底それだけで四人の胃袋を満たすことはできない。廃品回収は、貴重な現金収入を得る手段だったのだ。そしてドローンは、お金になりそうな物を探すのに必要だった。しかし、ドローンが直った今、今度は廃品を換金する手段を失ってしまったのだ。
「うちはずっとそうしてきたから」と言って母は咳き込んだ。
前の兄もその前の兄も、拾った物はあのオヤジに買い取ってもらっていた。それ以外に何でも買ってくれるような市場はなかった。ケチなオヤジが一家の生命線だったのだと、今さらになってレモンは思い知ることになった。
一家を包むどんよりとした気分が、ますます彼女の体力を奪っていたのかもしれない。もしくは夏のような太陽か。お父さんはあまり帰って来なくなった。
「もう一回、町に行きたい」
レモンは兄にそうお願いしてみた。兄は乗り気ではなかったが「他にもお店があるかもしれないし、探してみようよ」と、兄の顔を覗き込む。
「無駄だよ」
「お願い、一回だけ」
「ダメだ」
「行ってみないと分かんないじゃん!」
珍しくレモンが大きな声を出したので、兄が顔を上げた。しかし、その顔もまたすぐに俯いてしまった。
「お兄ちゃんどうしたの? 思ってることがあるならちゃんと言って」
レモンが怒ったように言うと、兄は地面を見つめたままぽつりと言った。
「もしもっと大きな街に行ったら、レモンはどうやって稼ぐ」
「え?」
初めは何を言われているのか分からなかった。次第に頭が整理されてくる。
「……お兄ちゃんはもう、もう、出稼ぎに行くんだね」
兄は小さく頷いた。そして、「レモンも来るか」と聞いた。
つまり、兄は二人で都へ行こうと言っているのだ。
「ごめんなさい。私はお母さんを置いて行けない」
それがレモンの答えだった。
夏が近付いていた。海から重たい雲がやって来る、雨の季節が。そんなある日、母は二人の子どもを枕元に呼んだ。
「これは上のお兄ちゃんたちが少しずつ送ってくれたお金よ」
母の声は半分くらいかすれていて聞きにくかった。
兄が束を数えると、一万二千余りの大金である。「お母さん! すごい大金だよ!」と、見たことのない額に兄の声も上ずる。
「これだけあればお母さんのお薬も買えるのに」
レモンは、なぜ母がこれだけの札束を今まで隠し持っていたのかと不思議に思った。しかし、母はゆっくりと首を横に振った。そして、しっかりとした眼差しで二人の顔を交互に見つめる。
「これで、二人で都まで行ける」
母の声は硬い意志に支えられていた。二人は何も言い返せない。ただ、今言われたことを何度も反芻させるばかりだった。都まで行ける――。
「でも――」と言いかけたレモンの手を取り、強く握りしめる。でも母にはもうそんな力は残っていなかった。レモンが母の手を握り返す。いつの間にこんなに細くなったのか。レモンは初めて母の覚悟を悟った。
母の幸せは、いつだって子どもたちだった。そして母は、こうやってこれまで五人の子を見送ってきたのだ。出稼ぎと言うとすぐにでも帰ってきそうに聞こえるが、皆知っていた。誰も帰っては来ない。未来のない土地に居続けるより、若者は都会の可能性に飛び込むべきだ。それが母の信念だった。
レモンだって薄々気付いていた。母が病気にならなくても、その時は近付いてきていると。そして今、はっきりと分かった。少しだけ早いけど、もうその時が来たのだ。
激しい夕立が降り始める。薄い波板に雨粒が当たって、バラバラと音を立てる。この季節は、夕方になると毎日のように雨が降る。雨は強まったり弱まったりを繰り返しながら、何日も降り続いた。
雨が上がり、空が夏の訪れを宣言しているかのように晴れた日、レモンは兄と二人、家を出た。
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