第3話 新しい生活

「見えたぞ。あれが目的地の国民島だ」

 ジョウが水平線を指差した。かなり大きい島に見える。

「これから俺はどうなる。売られるのか」

 新堂はそう聞いておきながら、自分が売られるという事態をよく理解できないでいた。

「お前さんは何の仕事をしてたんだ? まさかベーシックインカムってやつで暮らしてたんじゃあ、ねぇだろうな?」

「SEだ」

「じゃあ大丈夫だ。一生奴隷ってことはないから安心しな。たった四年間だけ俺達のために働けばいい。きっかり四年間だ」

 ジョウは太い指を四本立てて、新堂の前に突き付けた。

「その後は自由なのか」

「それは自由の定義によるな」とジョウは笑った。「でも心配いらねぇ。日本人は教育水準が高ぇから、すぐ上級市民になれる。特にお前さんみたいな奴はな」


 近付いてくる島を見ながら、新堂は考えていた。自由の刑は、緩やかな死罪のはずだった。少なくとも日本国内ではそういう認識だったし、伊藤とかいう見届け人に遺書を託すこともできた。その状況に何とか反抗し、国外へ逃げてやろうという思惑だったのに、自分はジョウという運び屋に拾われてあっさり国を抜け出し、その見返りにこれから四年間働くのか?

 政府が想定する人生の路線から逸脱してもなお、何か見えないレールの上を走らされているような気がして、気持ち悪かった。新堂は海に唾を吐き捨てると、四年後の未来を想う。自由が待っているはずだった。

「我慢してくれ。元々罪人だろ?」

 そう言いながら、ジョウが新堂に手錠をかける。聞くと、人身売買は法律で禁じられているが、彼は何らかの「信頼関係」を持っているみたいだった。「国のために役立つ人材を連れて来るんだ。紹介料くらいもらって何が悪い」というのが彼の言い分だ。

 陸に着いてからは慌ただしかった。部屋を案内され、四年間働くという契約書にサインし、身体を拭いて床に就く。新堂の仕事は、国の各種統治システムの保守管理だった。外国人にいきなりそんな重要な仕事をやらせるのかと驚いたが、まぁこれならこれまでに培った技術で十分対応できる。四年なんてすぐに過ぎる。それまでの辛抱じゃないか。新堂は悪くないと思った。ベッドが異様に硬かったが、そんなことは気にならなかった。


「おはようございます、新堂さん」

 翌朝、部屋を訪ねてきたのは、爽やかな青年だった。「新堂さんの指導役を務めます、谷川と申します。宜しくお願いします」と頭を下げる。

 新堂は不意を突かれたが、「こちらこそ」と会釈した。

「まぁ指導役って言っても案内役みたいなもので、その辺は気にしないでください。僕も指導役なんておこがましいというか、何だかムズムズしちゃいますよね」

 よく喋りよく笑う男だなと新堂は思った。年はおそらく新堂より上だが、むしろ若く見えた。どうやら今日は一日谷川が案内してくれることになっているらしかった。

「宮中は自由に移動することができます。この食堂も自由に使えますし。あ、新堂さんもどうぞ。お米は大丈夫ですか?」

 谷川は二人分の朝食を受け取って新堂の前に置く。米と味噌汁と漬物。思ったよりまともな食事だ。

「いやぁ~、日本から来たんですよね。いいなぁ~。すみません、こんな食事しか出せなくて」と、谷川は笑った。

「いや、十分」

「これでも宮中で働く私たちは優遇されているんですよ。お米だって外では貴重品ですから。さぁどんどん食べてください。食べないと働けませんよ」

「この国についてもう少し詳しく知りたいんだが」

 日本にいた時は、国外の情報は一切手に入らなかった。今はその国外に来てしまったわけで、新堂が知りたいと思うのは当然である。しかし、谷川は別のことに興味があるみたいだった。

「まぁこの島のことはおいおい分かってきますよ。それより、早速仕事に行きましょう。新堂さんは日本でエンジニアだったんですよね。僕も教えてもらって、早くAIを使いこなせるようになりたいです!」

 谷川はそう言うと勢い良く立ち上がり、朝食の食器を窓口に返却しに行った。新堂は慌ててついていく。


 何日か経つと、新堂もいくつかのことを理解し始めた。

 まず、自分は宮中と呼ばれる、塀で囲まれた空間から出ることはできないということ。まぁこれは仕方がない。運び屋のジョウに運賃を払うために働かされている以上は、脱走できないようになっているはずだった。元々巨大な刑場でしばらく暮らすつもりだったことを考えれば、塀の場所が日本よりは国外にある方がむしろよいと考えるべきだ。宮中には仕事も部屋も食事も用意されていた。

 二つ目は、新堂の存在がとてもありがたがられているということだ。彼が国外の情報を知りたがったのと同様に、皆が日本国内の情報を知りたがった。外から日本に入るのは難しいとジョウも言っていたし、いち早く復興を遂げたという噂の国について、知りたいと思わないわけがない。それに、新堂の技術力も必要とされていた。プログラミングは教養教育として誰もが学ぶものと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 ただ、新堂がずっと疑問に思っていることがまだあった。それは、谷川の「AIを使いこなす」という発言だ。谷川に聞いてみようと何度も思ったけど、聞きそびれたままになっている。聞いたとしても、新堂が求める答えが返ってきそうにも思われなかった。AIを使いこなす。この不思議な響きの言葉に、新堂は惹きつけられていた。


  ◇


「お兄ちゃんはどこに行くつもりなの?」

 レモンはあまり気にしていないという風を装って、出稼ぎの行き先を聞いてみた。

「うーん、都まで行かないと難しいかもしれない」

 普段行く町でも物の値段は上がるばかりで、景気は良くなかった。

「どうして種とか薬の値段は上がるの?」

 前回高く売れなかった塗料ではなく、今度は金属部品を背負って二人は町を目指していた。

「今年は台風も干ばつも無かったから、高くなる理由は無いんだけどね」

 家から町までは二時間かかる。そこから都までは、電車に乗らなければ行けない距離だ。それはつまり、そう簡単には帰って来られないことを意味していた。


 重い金属部品は、思ったよりは高く売れた。

「千三百」

 いつものオヤジは、今日も機嫌が悪い。

「最近種の値段が上がってるんだ。もう少し何とかならないか」

 オヤジは目の端でレモンたちを見ていたが、黙ってカウンターに千三百と五十の金を置いた。

「持ってきな。うちは今月で閉める」

「え?」

 誰も何も言わなかった。レモンが一歩前に出る。

「どうして? 私たちが集めた物を買ってくれる人がいないと困るの」

「お前たちは兄貴らの時から長い付き合いだったな。じゃあな」

 オヤジは背中を丸めて店の奥へ消えてしまった。

「ここ以外に色々買い取ってくれるお店ってないよね」

 レモンは振り返って兄を見た。兄は何も答えなかったが、少しして「今日は薬を買って帰ろう」と言った。高い薬は、滅多に買わなかった。薬局に行くのは久しぶりだった。


「きっとお母さん喜んでくれるね」

 レモンは薬を手に浮かれていた。お母さんは足を悪くしていたが、薬を買ってあげられるのは久しぶりだったからだ。お母さんが時折痛みに顔をしかめていたのを、レモンは知っていた。

「こっちへ」

 正面から憲兵が歩いてくるのが見えて、兄はレモンの手を引いて路地へ入っていく。別に何も悪いことをしているという訳でもなかったが、どんな難癖をつけられるか分かったものではない。

「まずいな」

 慣れない町で、二人は突き当りに行き着いてしまった。

「どうする? 戻る?」

 ごみが散乱し、レンガ造りの壁も崩れかけている。人通りも無い。

「戻ろう」

 二人は手を取り合って、速足で元来た道を戻っていく。商店街に戻るための最後の角が見えてきた。

「あっ」

「くそっ」

 角から、二人組の憲兵が姿を現した。

「行こう」

 兄はレモンの手を引いてぐいぐい進み、彼らの横を通り抜けようとした。しかし、憲兵は足を開いて立ち、行く手を遮った。

「通してもらえませんか」

 声が震えているのがレモンにも分かった。

「子ネズミ達がこんな所で何してる」「悪いことしてたんじゃないのか?」

 憲兵たちはいたぶるようにゆっくりと言った。

「何もしてません。家に帰るだけです」

「いいから持ってるものを見せな」「鞄の中身も全部だ」

「通してください!」

「黙れ小僧!」

 銃身が弧を描いて兄の顔を打った。

「やめて!」

 レモンの叫び声が路地に響く。地面に倒れた兄を庇うように膝をついた。

「最初から大人しくしていればいいものを」

 憲兵はレモンの鞄を乱暴に奪うと、底を持って逆さに振った。中身がばらばらと地に落ちる。

「何だよ、しけてんなぁ」

 小さな巾着に入った植物の種が散らばる。数枚の小銭、乾電池、プロペラ。他にもドローンの部品がいくつか。最後に、一番下に入れていた薬の紙袋がカサッと音を立てて出て来た。

「お? いけない薬じゃねぇか?」

「やめて! それはお母さんの薬なの! お母さんの……」

 レモンは泣きながら憲兵の足に縋ったが、舌打ちと共に足蹴にされただけだった。その身体を兄が受け止める。

「なんだ? 痛み止めか? でもそんなに簡単に手に入る代物じゃあねぇよな?」

「少なくとも子ネズミ達が買えるような物じゃねぇよ。盗んだんだろ? これ」

 憲兵たちは二人で勝手に話を進めていく。

「盗んだものは俺たちが返してあげないとダメだよなぁ」

「悪く思うなよ、自業自得だ」

 憲兵は薬の袋を懐にしまうと、さっさといなくなってしまった。

「お母さんの……」

 レモンはその場に伏して泣いた。泣いても泣いても涙が止まらなかった。

 兄は散らばった種を一つ一つ拾い集めながら唇を噛んだ。

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