第2話 脱出

 結論から言えば、新堂の予想は大外れだった。

「本当にそんなにあっさり外へ出られるのか」

 新堂はまだ男の言っていることが信じられないでいた。男は自信満々に説明する。

「日本政府に歯向かうお前みたいな厄介者は、どっからどう考えても国外に追い出したい。でも国外追放は、追放先の国が認めない。じゃあどうする?」

「自由の刑だな」

「そうだ。日本国内のでっかい檻の中に放り込む。そこへ、俺たち運び屋がやって来る。そしたらほんの一晩で人間の国さ。そうだろ?」

 ジョウと名乗ったその男は、海から現れた。


 刑場に放たれた日、新堂は川に沿って下流に歩いていた。水がある所には人が住むだろうという考えだ。それなのに、誰にも会わない。時折廃墟を見かけたが、みんな百年以上前の、ここが刑場になる前のものだった。

 空腹を抱えながら一日中歩いて、遠くに海を臨む頃には、空は夕焼けを終えようとしていた。

「空はこんなだったか?」

 星を見るのは久しぶりだった。火も電気もない。プリタリウムみたいだ、と新堂は思った。特に希望も絶望も感じなかった。

 そして翌朝、海辺でジョウに出会ったのだ。

「よう! 罪人さんか?」

 そう大声で言いながら、海の中から熊みたいな男が歩いてくる。新堂はしばらくの間、彼が何者なのかを考えて返事をしなかった。

「お前さんしかいねぇだろ。俺はジョウだ。外に出るなら手伝うぜ」

「外?」と新堂は思わず聞き返す。

「そうだよ。人間の国だ」

 全身ずぶ濡れのジョウが新堂の目の前までやって来た。

「本当にそんなにあっさり外へ出られるのか」

 新堂は流木に座ってしばらくこの男と話すことにした。

「日本から来た奴は何にも知らねぇ。全部教えてやるよ」

 ジョウはそう言うが、一体何から聞けばいいのだろうか。聞きたいことが多すぎて、何を聞いていいのか分からない。それに、ジョウが信用できるかどうかを判断する材料もない。新堂が黙っていると、ジョウは一人で喋り始めた。

「お前さんは俺のことを信用できねぇって思ってるかもしれねぇけどよ、それはあれだ。刑場とはいえ俺が日本国内に無断で入ってるからだろ。だがな、日本政府だって本音じゃあこう思ってる。刑場に人が溢れたらめんどくせぇってな。だから俺たち運び屋は見逃されてるんだ。長年培った信頼関係ってやつがあんのよ」

「政府との信頼関係」

 AIが不法侵入を見逃すなんていうことがあり得るだろうか、とは思ったが、新堂はすぐに考えを改めた。彼らは国内の安定のために最も効率のいい方法を採る。それは、罪人を長期間に渡って閉じ込めておくことではない。

「分かってくれたかぁ? 日本は入るのは大変だけどな、出るのは簡単ってもんよ」

 そう言ってジョウはガハハと笑った。


 船から見える海岸がどんどん小さくなっていく。

 新堂はついこの間まで、SEとして働いていた。独立して以来、里親とも会っていなかった。一人で黙々と仕事をしながら、ふと考えたものだ。

「日本の外には何がある」

 知識としては知っていた。AI政府を採用した国々は、いち早く復興を遂げた。一方、人間が治める国は、汚職やその場しのぎの政策のせいで、戦後の混乱が尾を引いている。でも――。

「人間はそんなに愚かな生き物なのか」

 それが、新堂を突き動かしていた疑問だ。AIが導き出す最適解に従うだけの国家に負ける程、人間には国を率いる力が無いのか。子どもの頃教科書で読んだ「民主主義」は、二千年前も二百年前も失敗に終わったと書いてあった。

「食事だ!」

 突然のジョウの声に、新堂はビクッと飛び上がった。大きな寸胴鍋のようなものから、硬くて丸いパンが二つずつ配られる。

「硬」

「文句言わずに食え」

 ジョウが隣に座る。

「他にも何人もいるのか。俺みたいな奴が」

「あぁ、この船にはお前さんを入れて四人乗ってる」

「この船はどこへ向かってる」

「中国大陸だ。まぁ行くのは端っこの小ちぇえ島だけどな!」


「運び屋はどうやって生計を立てているんだ」

 何とか一つ目のパンを飲み込んだところで、新堂はジョウに聞いた。

「面白ぇことを聞く奴だなぁ。お前さんはどう思ってんだ?」

 ジョウはもう二つ目のパンを食べ終わろうとしている。

「運ばれる俺たちが料金を払うか、別に雇い主がいるか」

「だがお前さんは金を持ってねぇ。そして俺たちは独立業だ。誰に頼まれてもいねぇよ」

「だとすると」新堂は他の可能性を考えてみたが、何も思い付かなかった。「趣味とか人助けってことはなさそうだな」

「分かってるじゃねぇか、趣味で食えたら苦労しねぇよ」

「俺たちが、商品か」

「早く食っちまいな。この先は揺れるぞ!」

 ジョウは豪快に笑って席を立った。


 ◇


「将来は官僚になりたいな」

「何言ってんだレモン。官僚は庶民の敵じゃないか」

 町からの帰り道、レモンは兄と山へ向かって歩いていた。彼らのような貧しい庶民にとって、税金をとっていく役人の類は、皆悪者だった。

「私が官僚になったら、税金を減らしてあげる! そうしたら、お兄ちゃんも楽できるでしょ?」

「ははは、レモンは優しいな」

 その言って兄はその高い鼻を右手で擦った。

「ついでに、お薬も安くしてあげる!」

 兄妹は笑い合って家路を急ぐ。今日も暖かいスープが待っているはずだ。


 今日の収穫を渡すと、お母さんは「これだけなの?」という顔をした。

「種の値段がどんどん上がってるんだ。それなのにこっちの物は前と同じ値段でしか買ってくれない」

 兄が持って行った物が七百でしか売れなかったことを報告する。

「そう、二人ともありがとうね」

 お母さんは二人を抱き寄せて、兄に向き直った。

「あなたはもうすぐ十六よね」

「分かってる。安心して、しっかり稼ぐから」

 この家の兄たちは皆、十六になると出稼ぎに行っていた。中には、島を出て大陸へ渡ったのもいる。皆、生き延びるために必死だった。お母さんは何も言わずに兄を抱きしめた。

「さぁ、ご飯にしましょう」

 白くてドロドロしたスープ。味はあんまりしないけど、お腹はいっぱいになる。食べ終わると、レモンは火の傍へ行って今日手に入れた手記を読み始めた。日本から脱出してきた人の手記だ。


 今世紀の日本は動物園か牧場の様相である。私はこの現状を看過することができなかった。

「動物園って何だろう」とレモンは思ったが、読み進める。

 つまり、管理されているのだ。餌を食べるか食べないか、どんな餌を食べるか、柵の中のどこで寝るか、それらは自由に選べるように見える。しかし実際は、我々がどんな餌を好んで食べるかが調べられた上でそれが与えられている。寝床として整備された場所で寝るように誘導されている。これでは、家畜と同じだ。人間の尊厳は踏み躙られている。そしてその牧場の管理者は、他ならぬAI政府なのだ。

「政府や役人を悪く言うのは、日本でも同じなんだ」

 政治を人間の手に取り返そう。それが、私が日本の外を目指した理由だ。

 ページが抜けていて読めない部分が多かったが、そんなようなことが書いてある手記だった。


「レモンは本ばっかり読んでるね」

 お母さんがやって来て、編み物を始めた。

「この辺りも、元々日本だったんだよね?」

「そう聞いたことはあるけどねぇ」

 もう随分と昔の話で、詳しいことはよく分からないとお母さんは言った。レモンは、いつまでもこの暮らしが続いたらいいなという気持ちと、早くこの生活から脱したいという気持ちとの両方を感じていた。

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