自由の刑

山田(真)

第1話 自由の刑

「被告人を自由の刑に処する」

 判決が読み上げられると、新堂樹(たつる)は大きなため息をついた。部屋の中には、三人の見届け人がいるだけだ。この三人だって、うち二人は居眠りしていて見てやしない。

「何か質問はありますか」

「日本の外には何がある」

 どうせ無駄だと分かってはいたが、新堂は聞かずにはいられなかった。彼の罪状は、国家転覆未遂罪。国外の、正確には日本とその同盟国の外の状況を知ろうとして、国の管理システムに不正侵入した罪だ。裁判官は「その質問にはお答えできません」と答えた。有無を言わせない、いかにもといった返答だ、と新堂は思った。

「裁判を全部AIが担うようになったのはいつからだ」

「その質問にはお答えできません」

「じゃあどんな質問なら答えてくれるんだ。今日の日付か?」

「今日は、二一五九年、三月、十五日です」

「ほう、賢いじゃないか」

 新堂はふふっと笑った。三十年にも満たない彼の人生より、八十年近い実績を持つAI裁判の方がずっと歴史は長い。そんなことは誰でも知っていた。

「他に質問がなければ、ただちに刑を執行します」


 分断と紛争の二十一世紀を経て、二十二世紀は徹底した管理による偽りの平和を迎えた。これはあくまで新堂の持論で、一般的には、隅々まで目の行き届いた、最適化社会が到来したとされている。ものは言いようだ。

「刑場はどこにある」

 新堂は窓のない乗り物に乗せられた。すぐに結構なスピードで飛び始める。

「その質問にはお答えできません」

 灰色の壁を見ながら、逮捕される前の生活を思う。確かに心地よい社会であった。犯罪が無くなったとか、仕事しなくてよくなった、などということはない。適した仕事と適したパートナーを持ち、適切な数の子どもを育て、適切に親を看取り、適切に死ぬ。それが最適化社会だ。ただ、新堂は何かを諦めることができなかった。それが何なのかは新堂自身にもよく分からなかったが、新堂は政府に勧められるパートナーをことごとく断り続けた。断る権利も、自分でパートナーを選ぶ自由も、公に認められていた。同盟国には海外旅行だってできたし、仕事を頑張れば時には贅沢もできた。それでも、なぜか満足できなかったのだ。


「刑場に到着しました。刑の執行に移る前に、何か言いたいこと、親族に伝えたいことなどがあればそれを人に話すことができます」

 乗り物から降りると、白髪に白衣のおじいさんが出迎えてくれた。生きた人間と話すのは、逮捕されてから初めてかもしれない。

 白髪さんは穏やかに微笑んで、「伊藤と申します」と挨拶した。

「ずっとこの仕事をしているのか?」

「いいえ、最近になってからですねぇ」

 白髪さんは無礼な態度の新堂にも、丁寧に接する。

「勧められたのか」

「勧められはしましたが、決めたのは私です。しかし、こんな重役を仰せつかるとは、私自身も驚きました」

「ふーん」

 新堂には、伊藤の仕事が重役には思えなかったが、伊藤は罪人の人生を受け止める重大な仕事だと思っているらしかった。

「言い残すことはありませんか?」

「俺のことをどう思ってる」

「私がですか?」と、伊藤は穏やかなまま言った。「あなたのこれからの生活を心配しております。政府に頼ることができなくなりますので」

 確かに伊藤はこの職に適任だ、と新堂は思った。自由の刑とは、広大な敷地の刑場に放り込まれることを意味する。その中は何の法律も適応されない、自由な空間だ。食事も寝床も与えられることは無い。簡単に言えば、緩やかな死罪。そこへ送られる罪人をこんな顔で見送れる人を、他に誰も思い付かなかった。

「じゃあ、元気で。お互い」

「どうぞお達者で」と、伊藤は深々と頭を下げる。新堂は何も言わずにドアを開けて入っていく。


 新堂は一人雑木林を歩いていた。まずは川と人を探すことにする。

「日のあるうちに……」

 刑場がどれくらい広いのか、新堂は知らなかった。中にどれくらいの人が住んでいるのか。どういう暮らしをしているのか。新堂の予測が正しければ、江戸時代くらいの文明はあるはずだ。森と川と少しの金属があれば、外界と完全に遮断された刑場でもそれくらいは実現できる。この八十年の間に自由の刑を執行された数多くの先人たちが、生きるためにそうしてきただろう。

 新堂のプランはこうだ。まず、刑場の中の社会に溶け込み、生活の基盤を得る。次に、日本国外の人間の国、AIではなく人間が治めている国への脱出を試みる。そしてそこから、日本を自由な土地から眺める。うまくいく保証なんかどこにもないが、新堂の顔は自信に満ちていた。だって、この刑場にいる人たちは皆、今の政府に歯向かった、国家転覆未遂罪の罪人ばかりなのだから。


  ◇


「人間の人間による人間のための政治」

 巨大なプロパガンダ看板が、横倒しのまま放置されている。その表面を一生懸命ヘラで削り取っている少女は、中川レモン。七人兄弟の末っ子だ。

「レモン! 今日はもう帰るよ!」

「はーい!」

 一つ違いの兄が呼ぶ。太陽が傾き、看板は妙に光り始めていた。


 テントに戻ると、お母さんがドロドロのスープを作っている。レモンは「またこれ?」と笑いながら今日の収穫を机に置く。

「あら、すごいじゃない。明日は町に売りに行ってちょうだい」

 家にいるのは両親と、兄が一人だけだ。上の兄姉五人は皆出稼ぎに行っている。レモンが集めた特殊な蛍光塗料も、町に行けば貴重な現金になる。これで足の悪いお母さんの薬が買えるかもしれないと、彼女は内心喜んでいた。

「ただいま」

「あっ、お父さんだ!」

「これ、レモンに土産だ」

 玄関まで走って出て来たレモンに、父は廃品回収の途中で見つけたという本を渡す。レモンは「うわぁ、ありがとうお父さん!」と言って、すぐに食い入るように読み始めた。

「悪いなぁ、中学も高校も行かせてあげられなくて」

「ううん、お父さんがくれる本で勉強できるから」

 学校には行ったことのないレモンだったが、色んな本を読んでいたおかげで近現代史は何となく知っていた。

 度重なる争いの末に、AI政府と人間政府の国々が決別したのが約百年前。それから百年の間に、両者の運命は大きく分かれてしまった。前者では人間が継続して快適な生活を送れるよう、徹底して無駄が削られた。効率の良い社会システムのお陰で、生活水準は人間の国とは比べ物にならないほど高い。ずっと戦後の貧困を引きずったままでいるのは、自分たち人間の国だけだ。いつしかレモンは、AIに将来を託した日本に住みたいと思うようになっていた。


 一人で町に行くのは危ないからと、いつも兄と二人で行かされる。月に二度ほど、拾い集めたものを換金するためだ。

「レモン、手、離すなよ」

「うん」

 町は少し緊張する。掘っ立て小屋が並ぶ商店街は、抜け目のない輩が多い。銃を持った二人組の憲兵が通り過ぎる。レモンは兄の手を強く握った。

 集積回路やロボット部品を持って行くと、大概安く買い叩かれる。それでも、換金しないことには、レモンたちには何の価値もないガラクタだ。

「全部で七百だ」

 店のオヤジは、しわがれた声でそう言った。

「ちゃんと見てくれ。二千くらいにはなるはずだ」

 兄が商品を広げて必死に売り込む。

「あのなぁ兄ちゃん。五百にされたくなけりゃあ、とっとと全部よこしな」

 レモンたちは今日中に買い物までして、また二時間かけて帰らなければならない。自分たちのテントに。この町にはそういう人たちが沢山いた。店のオヤジは、そのことを一番よく知っていた。二人は仕方なく七百だけ受け取る。

「これじゃあお薬買えないね……」

「仕方ないだろ、もっと頑張ろうぜ」

「うん、そうだね。私たちが頑張らないとね」

「レモンは偉いな」と、兄がレモンの頭を撫でる。彼女はそうしてもらうのが好きだった。


 この日、レモンはもう一冊の本を手に入れた。日本から脱出した人の手記だ。わざわざ最適化された社会から外へ出てくるなんて、どういう人なんだろうと、レモンは興味を持った。それに、いつか日本に行くためのヒントが書いてあるかもしれないと、密かに期待していた。

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