こだま数える鳥の章
夜に鳥
1.夜の微睡み
夜の空を一つ二つめくったところに、鳥が眠っていた。夜目がきかずに眠っているのではない。鳥は梟。今は月のような目を樹上に光らせ、地上を惑わせている時間ではないか。しかし月は平和に輝く遥か遥かの一点のみだった。梟の沈思か、待っているのか、獲物を追うのが怠惰なのか。ただただ夜に薄く溶けている。
梟は白い羽を持っている。夜に浮き立つ白を持ちながら、存在を誰にも知らせないのもその羽。彼は上手く存在を殺していた。
退屈そうに胸が膨らみ、ため息が一つこぼれる。薄く目を開ける。軽くまどろんだ程度だったのか。眠ってすらいなかったのか。梟が住むのは常夜の街。いつだって彼の目覚めの時間。眠りと活動の感覚が衰え、そろそろ疲れが出ているのだ。
眠らなくては、と梟は思う。
2.歪の果て
まどろみの梟の眼下には歪な街がある。喧騒でもざわめきでもない、地を擦るどよめきに包まれている。不気味な、しかし一定のリズムは人の声だろうか。いや、それだけではない。街自体が律動しているのだ。古い街には人以外にも沢山のものが住み着く。犬猫ねずみ然り、幽霊や妖精然り、また街自体の命も然り。息衝くものたちが街の律動と共鳴する。そして奏でるこの街は、常に姿を変え続けるのだ。昨日あった路地はもう存在せず、路上で眠れば目覚めても夢か現か分からない。それで街に取り込まれていく。
街は自然の流れに取り込まれている。街は壁を築いて自然を排したのではなかったか。湖に浮かぶ舟が呼吸したら、魚や水鳥に連なってしまう。
湖面を這う大蛇は背に家々を乗せて永遠の夜に留まる。天球に蓋をしてしまえばどこを這おうとも闇。空をご覧、月や星は軌道を描かない。天の綻びから入り込む光を星とは呼ばないだろう。夜ですらないのだ。
鼓動を帯びれば生命となる。人や獣の足音が鼓動となり、人の思惑や感情が繋がっては離れを繰り返すうちに信号となり、生命が街に宿る。街の人は歪の果てに命を生んだ。作ることに忙しくて、生まれた命や魔法になど見向きもしないだろうけれど。足元に魔法。壁や石畳で囲ったとしても自然からは逃れられない。自然は切り離された人々を受け入れたのではない。箱庭は自然に呑まれただけ。この地では、自然に下った街が人を呑む。利己と快楽を糧に、パッチワークの蛇は膨れ上がる。命の背に揺られているなど、ますます気付くには難しい。
3.地平の赤を切り
街の一角で、細胞が一つ食われた。捕食は繰り返す営み。生も死もありふれている。街は欲を肯定する。細胞は獣であれ鬼であれ構わない。集い、溢れ、変化せよ。街が歓び、路地がうねった。
返り血の影は、記憶に無い道々を適当に歩く。ただ歩けば良いのだ。辿り着く。考える者は迷う。彼は街の外からやって来た。移り住む者は多い。未だに人口が増えている。ただ、魔窟だと知って食われに来る者はいない。呼び寄せる魅力があるのだ。彼も街が囲うものに用事があった。目標には近付きつつある。しかし街に捕われてぬかるむ足を自由に動かすまでには至らない。遂げなくてはと影は思う。感情の浮かばない顔には焦燥のやつれがつきまとう。死神に追われている。いや、追い回すほどの執念の色。風体もまた異にして、近隣の国の者には聞き及ばない髪と瞳の色を持ち、身は分厚い黒衣に隠している。その黒は火中のはぜる炭ではなく、火を見下ろす冷めた星。暗黒星。
星は高みから街を覗けど、その環状をした造りのおかげで、軌道から抜け出せない。彼であってもせいぜい鳥といったところだ。街には鳥の目も知らずに朽ちる者も居るから、良い方ではある。飛んでは壁に阻まれる。なんと広大で深い街。この場所は栄光の元に栄えている。欲が尽きる事など無い。
ほら、欲を追った者がまた。
4.晩を引きて
黒い影は駆けた。後を追われている。様子見の尾行がいつの間にか追いかけっこに転じた。時間も分からぬまま逃げて、今はいつかいずこか? どうせ夜だ。そしてどこでもない。敵は二人。簡素だが質の良い装備を携えている。そいつらは街に住む流れの連中とは少し違う。環状の街の中央に巣を構える者たち。それは兵士。王都の兵士。
兵士は街の連中がとことん気に入らない。辛気くさいからか。或いは兵士がこうしてわざわざ街に踏み入るように、街の者も王都に向かう時があるからか。街は王都を抱え守りもするが、生かしもしない。それで時々、兵士がこうしてやって来る。治安維持という建前だが、ここには維持する法など無い。遊びでしかない。――それが街に喰われるという事だ。黒衣の男は笑った。刃の音がする。
「うしろの正面、だあれ」
梟があくびした。椅子の上で長く伸びをして、それから窓から飛び降りた。鈍い銀が揺らいだ。一瞬、月が梟から陰を奪う。銀の髪。煤の装束。梟はまた街の陰に入り、揚々と石畳を歩く。
「帰りが遅いんじゃないの、相棒」
夜が引かれていく。
5.常夜に迷う人
兵士はすでに迷っていることを悟っていた。だからといって街の住人に帰り道を聞く気にもなれない。聞いたところで住人が道を知るわけもないが。兵士は好奇心を呪った。眼下の闇に手を伸ばしてしまった。手を掴まれた。逃げるわけがない。落ちるしかないだろう。
「否、明かりが見えた気がしたんだ」
兵士が遺した言葉に、影の男は苦い顔をした。剣の血を払う。もう一人が斬りかかってくる。殺そうか逃げようか。考える暇はない、体に従え。声が割り込む。誰か。
「さあ相棒、逃げようぜ」
「仲間か」
「フクロウのやつ」
兵士が身を引くので、影は体当たりを見舞って路地に滑りこんだ。
声の方にフクロウがいた。煤を被っても白銀がちらつく。深い夜の路地でも見失いはしない。夜の猛禽に音も無くさらわれたのを情けなく思うが、それも今更か。
「迷うなよ、ハヤブサ」
迷っているのは誰だ。影の中の隼が誰にともなく呟く。ここは迷い人が来る街だろう。
6.くり返す夜
諦めきれなかったらしい兵士の靴音が迫る。こうるさい鳥たちを、一羽ずつ落とせば楽だと思ったか? からかうフクロウにつられて、追手は路地に入った。けっこうな忠義で。相棒にうながされてフクロウは逃げ足を早める。王都の兵士と街の住人と。朝と夜、月と太陽の追いかけっこ。住む場所が違うから追いつきやしない。時々蝕され、上へ下へ、正確なお仕事。
「帰る場所がある奴らは迷わせてしまえばいい」
「どうせ迷っているのだから、どこへ行こうと同じだ」
「おっと行き止まり」
「飛べ」
短くなった月を飛び越え、開け放たれた窓へ着地。
「すまね、邪魔するぜ」
「誰も居ない」
留守か、端から住む者などいないのか。窓から侵入したフクロウが扉から出ようとすると鍵がかかっていいて、建てつけの悪い家だとぼやく。しかしそんなことは無い。窓から侵入する輩などどこにでもいる。街は生き物だ、必要に応じて体を作り変える。さて、ドアノブをガチャガチャ回したり、蹴ってみたり、もたもたしていても鬼が来ない。諦めたか。ハヤブサが窓から顔を出す。上には低くなった月。随分下には兵士が転がっていた。窓を入り口にする事を躊躇ったのか。翻弄され、走り回った挙句落下してしまうのも不運。
「もうここで休め」
「コーヒーを残してきた」
「帰る場所は無いだろう」
「どこへ行こうと同じだって?」
確かになとフクロウが笑った。血のにおいがする。帰る場所は無い。星はまわり、彼らは飛び続ける事を選んだ。安息の地を求めた夜の鳥。求める地はすぐそこ。
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