空縫いの時計塔

1.示された塔

 その日の夕暮れ、スイは

「塔に登ろうか」

と言った。これからの行き先である。

「雲より高い?」

「天より高いよ」

「良いね」

 これで決まり。


 雨霞の塔の裾野の村は、しんとしていた。雨を跳ねさせる平屋の屋根はどこも低い。尖塔もアーチも無い、ただ平らな村。漂う白い雨粒はその平らな屋根さえ掻き消して、天井の見えない塔とともに妙な遠近感を作っていた。旅人三人もまた静々と村を歩いていく。長く続いた霧雨で、足が重い。塔を見上げると重力を感じた。家々も重力で平らかになったのだと思えてくる。吹く風だけ、軽やかだった。

「見よ、天からの救いの糸だ」

「空よりも高い。とすると天でもこの塔を救いの糸と言っているに、違いないわ」

「では何が手を差し延べているのかな」

「星さ」

「どの星かしら」

「この星さ」

「まあ、手を引かれたら塔から真っ逆様」

「空か地か。どちらが救いをくれるかなあ」

「或いは救いは無いかもしれない。さあ、でも、行こう。もう目の前だから」


2.塔の示す方

 目的の塔は、ゆうらりと小高い丘と低い雲の間に、ぴったりと嵌まっている。

 塔に正式な名前は無い。塔は未だ建設途中、そして気の遠くなる昔に始められたものだから、名前があったとしてもすっかり記憶から掃除されているに違いない。正式な名はいつまでも分からないが、『時計塔』と呼ぶ者は一握り存在する。そしてこちらの通称は正式な名に代わり広まっていた。塔の麓の住人から旅人に、旅人から街の人に。雲に埋まる大きな塔の存在は、さして話題になるでもなく神話と文献の中にある。

 壮大な塔の外観はと言うと実に質素なものだった。淡々と素材が詰まれていて、飾り気は一欠片も無い。が、塔の内部を見た一行はその荘厳な様子に息を飲んだ。足元に地下の闇が広がっていたからだ。

「天地どちらに救いを求めるか、お任せってことだね」

 塔の扉より一歩進入した場所は、せいぜい階段の踊り場といったところ。そこから上にも下にも階段が伸びている。階段は円形の塔の壁に沿って螺旋に続く。

「一応言うが、落ちないようにね」

 上下に広がった暗闇に気を取られたシェミネの意識を呼び止めるように、スイが囁いた。

「率直に言うと怖いわね」

「私も、怖い」

「見せたいものはこの上なんだ。……多分」

「多分ときたけど上ろうよ」

「そこに階段がある限り、ね」

 僅かな明かりを頼りに、空の一歩を踏み出すのであった。


3.螺旋の階段

「時計塔の大工様、今朝も良い音で鳴っているよな」

 仕事をする麓の村人が、塔を仰ぐ。微かに音がする。一定のリズムで刻まれる音は鼓動。塔がなお伸び続ける証。大工は果てなく仕事を続ける。


 階段を上る音が何重にも聞こえる。塔の内部にも響く大工のリズムと靴音が、鳴り合う。時計塔と呼ばれるもう一つの理由がこの螺旋階段を上る音だった。自らが時計の部品となったように段を踏み続ける。時間を作っていく。

 光源は塔の隙間から漏れた薄明かり。しかし窓と呼べる大きさのものは足場の近くには無い。視覚ではなく聴覚が楽しむ塔の音。始まりも終わりも知れない螺旋。

「歩き続けなくては、と思ってしまうよ」

 耐えかねたリピアが口を開く。階段を上り始めて暫くの間、三人はそれぞれに音を楽しみ、塔の一部になっていた。しかし安定が過ぎると不安と疑問が出てくる。

 何の為に?

 どこまで?

 いつから?

「自分が限りなく薄くなっていく」

「登るごとに重くなるというのに」

「ではこの身体とはなにか」

「ただ重いだけだ」

「重いけれども持って行かなくてはならないわ」

 シェミネが一休みを提案した。登りはこたえる。時間はある。身体を連れて、ゆっくり進めばいい。

「話しましょう。それぞれのこと。旅のこと。お昼ごはんのこと」


4.風、吹き抜け

 地平線を割る時計塔。世界には天と奈落を繋ぐ場所が限りなく存在する。この恐ろしく巨大な建造物もその中の一つでしかない。奉られも攻められもしないのは、これが一介の大工の趣味の工作だから。

 仕事は密やかに延々と、無意味に。


 その無意味な建造物に、スイは何を求めて来たのか。よもや彼もまた何となく塔に足を運んだわけではなかろう。

 三人が塔の階段を踏み始めてから何時間、何日。耳から入った時を刻む音が血液に染み付きそうになるが、スイの許しはまだ出ていなかった。リピアの負けん気は螺旋をぐるぐる周り続け、シェミネの考え事はとりとめもなく天から降り奈落に流れていった。辛いとの声は上がらない。食料もあった。

「何日か寝泊まりして分かった。凄い塔だね」

「樹木が育つ方が凄いさ。限度を知っている」

「スイ、限度なんて知りたい?」

「知り過ぎていて寂しくはあるけれどさ」

「ねえ、ねえ。私たちはこのまま歯車になっちゃうの?」

「うむ、ここらに、しようか」

 言うやスイは壁を叩き破った。

「スイ、眩しい!」

 声が更に穴を広げる音に被る。反逆の歯車達は気持ち良く風を受けた。一瞬、仕事の音が止んだ。三人が見えもしない先端を見る。何事も無かったかのように規則正しい音が続いている。風穴に目を戻す。

「ああ……綺麗」

 視線は遥か高みの風景に釘付け。夕暮れ前の黄色く燃え上がる空があった。人の顔程度の大きさの穴から射す、突然の強い光と一瞬の発光に眩む。目も、神経も。

 午後四時過ぎの殺傷力が、感動に揉まれたリピアを転げさせた。壁に向かっていたから、退く体は塔の中央、吹き抜けを落ちる。


5.刻印の窓

「リピア!」

 シェミネの伸ばした手も僅かに遅かった。強い光が少女の顔を照らす。蒼白。今にも後を追いそうな彼女を掴みながら、スイもリピアを呼ぶ。二度、三度……。

「降りよう」

 鼓動が早まる。

 靴音が何重にもなる。どれほど降りたのか分からなくなる。

 トントン、タンタン。

    おーい。

 音に消されそうな声が響いた。反響で正確な位置は掴めないが、遠い。それでも返事があったことに二人は微かに笑みを交わした。なお走る。昼の光が弱まる中で息を切らす。また声が響く。声の主にはまだ遠い。途切れ途切れの大声は、愉快そうに壁を跳ねてやって来る。

「あんまり綺麗で、びっくりしてしまったよ ー 。ごめんねえ!でも、見たのが一瞬で、良かったあ。長いこと見ていたら、忘れてしまうからね!」

 スイは今度は苦笑する。

「呑気に感想を叫んでいるが、返事が遅かったのはどこかを打ったか失神していたか……」

「ふふ、リピアの感想は最もね。私もあの一瞬が刻まれた。頭は酷く打っていないようだから一先ず安心したわ。行きましょう」

「リピア!落ちて入口まで戻ろうと考えず、そこで待っているんだよ」

「痛い思いは、したくないしね。少し打っちゃったんだ。  休んでるよー」

 リピアは掴み損ねた階段に引っ掛けた手をさすった。落ちる勢いを殺せず手を擦り剥き、ついでにまだ少し落ちた。着地にも失敗し、体だか頭をしたたか打って一瞬記憶も飛んだ。不覚に心が痛むが、思わず転げてしまったほどの風景を細部まで必死に思い出しながら満足そうに笑っていた。

「随分落ちたね。無事かい」

 僅かな太陽さえも射さなくなった月明りの時間帯に、リピアは発見された。カンテラを置き、息を整え座る。そして心底ほっとしたと、口にするにも息が上がっているので、スイもシェミネもただごろんと寝転がった。

「スイはあれを見せたかったんだね。ありがとう。地図を見るより明確に、世界を知れた。果てなく、白い」

「微塵の景色に求めるものは探せないけれど、沢山の行先を見たわ」

「うむ」

 落下の衝撃にも勝る感動を提供出来た事を喜ぶべきか、少女二人の逞しさに頭を下げるべきか迷ったスイ。感動を語り合う二人の笑顔を照らすカンテラを見た。それから一つあくびをして、笑い声とまどろみに浸る。これからどこへ行こうか。空から行先を探してみる。鳥の視点を持って。


5+.天と未来に筒抜けの悪戯

「穴を開けてしまって、大丈夫だったかしら」

 階段を下る。音がついて来る。時を刻み、その中に一瞬の思い出が刻まれた時計塔。帰り道も長い。

 足を止めたスイが、困り顔でシェミネを見、空洞を仰いだ。いたずらに若干の罪悪感を持つ子供のよう。

「まあ、その」

 聞いてみよう、とスイは言うと、めいっぱい声を張り上げた。

「すみませんでした!!」

 怒ってなきゃ良いね、いたずらに笑うリピアだが、びくりと息を飲んだ。

    おーうよ。

 勢いの良い返事が、どこかも分からぬとりあえず上から聞こえたからだ。

「立派な建設者なのね」

 シェミネだけが、感心したように微笑むのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る