カウント2
春眠より目覚めると、夕方だったなんてこと
よくありますよね
あれっ
おかしいな
顔を上げると、リビングに差し込む日差しが随分と傾いていた。時計を見ると、十七時過ぎ。どうやら私は、一時間以上も寝ていたようだ。
頭がずっしりと重くて、モワモワとする。早く夕飯の材料を買いに行かないといけないけど。立ち上がる気力が出てこない。
うぅ…
駄目だ
重い頭を、再びテーブルの上に落ちつける。今日の夕飯は、残り物で済ませてしまおう。
ピンポーン
家のベルが鳴った。すぐに出なきゃいけないのに、体がなかなか動いてくれない。そんな私を見かねたのか、代わりに祐樹が出てくれる。どうやら宅急便が来たようだ。
「あっ」
少し驚いたような祐樹の声が、玄関から聞こえてきた。
「誰からだったの?」
私の言葉に返事はない。
ドタドタと足音を立てて、自分の部屋に閉じこもってしまった祐樹。
何だったんだろう。
変なモノを頼んでいなきゃいいけど。後で、こっそり確認しておいた方がいいかもしれない。
自分の顔の下敷きになっている紙。入院の手続き用紙。用紙には死亡予定日という欄があって、何故かそこだけ、私は書くのを躊躇ってしまっている。
まだ、自分が死ぬという現実感がないからなのかもしれない。
書いて、迫ってきている死を意識することが恐いからなのかもしれない。
祐樹の部屋に視線を向ける。
閉じた扉が開く気配はない。
自分の余命を告げてから、祐樹との間に距離ができてしまった。以前のように、祐樹が無邪気な表情を見せることがなくなってしまった。
私に対して、どう接したらいいのか、わからないのかもしれない。これからのことについて、もっと、もっと二人で腹を割って話し合っていかなきゃいけないのに。事務的な会話だけが行き交うような日々になってしまっている。反省しないといけない。
あれっ
夕飯の準備をしようと思って立ち上がると、真っ赤な目をした祐樹が隣にいた。
「どうしたの? 祐樹」
「ごめんなさい」
そう言って、私にぎゅっと抱きついてくる。
「どうしたのよ」
そうして顔を埋めたまま、それ以上何も語ろうとしない祐樹。温かくて、柔らかな体。それが私にピタッとくっついてきている。
何があったのだろう、急に。
先程来た宅急便が、何か関係しているのだろうか。
でも
そんな些細な事なんて、どうだっていい。だって、こうして今、祐樹の温もりを直に感じることができるのだから。それが、この胸をズクズクと疼かせているのだから。
「私の方こそ、ごめんね」
そう言う私の言葉は震えていて。
思わず、泣き出しそうになっていた。
駄目だな、私は
こんなに、どうしようもなく愛おしい存在のことを、どうして大事にできないのだろう。
だって、この子の為なら、何だってできるはずじゃないか。
この身を削ることだって、残された時間の全てを捧げることだってできるはずじゃないか。
ねぇ、そうでしょ
祐樹の小さな体から、私はそんな勇気と覚悟を受け取っていた。
うぅん
ガッカリだ
今日も、期待薄じゃないか。
一組目の夫婦は、変に気取っていて、まったくフィーリングが合わなかった。普通の会社員と言っていたけど。
本当だろうか?
突っ込んで聞くとはぐらかされたし、怪しさ満点だ。私に対して正直に話さない人は、絶対にお断りだ。そんな人達に祐樹のことを任せるわけにはいかいない。
しかしな…
ここまで祐樹の親を決められないでいる自分の決断力のなさには辟易とさせられる。あらゆる面で条件を満たす人などいないことくらい、わかっているはずなのに。いつまで私はこんなことをしているのだろう。残された時間は、あと僅かなのに。他にも、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに。
私は今、凄く焦っている。
そして、凄く後悔している。
親探しを始めた頃に出会った人達で、よかったんじゃないかって。
なんで、あの時、私は妥協できなかったんだろうって。
ここ最近、これっていう人がいないのだ。だけど、あの時すぐに決めていたら、それはそれで後悔していたかもしれないし。何が最適解であったのか、判断することは難しい。
「絶対に金村さんが譲れない部分を明確にしておきましょう。それ以外では、多少気になる部分があったとしても、目をつぶってもいいんじゃないですかね。こういったことって、一緒に生活をしてみないとわからないことが多いですから。実際、最初の印象がイマイチでも、うまくいく家庭って多いんですよ」
先日も、担当の藤沢さんから、そんなことを言われた。
わかっている
私だって、わかってはいるんだ
相手に引っかかっる部分があったとしても、それだけで相手を拒絶していたら、とても新しい親など見つからないということくらい。だから、多少許容できることなら、目をつぶるつもりでいる。
だけど一方で、自分の直感だけは大事にしたいと思っている。合う、合わないっていうものは感覚的なモノだから。
腕時計を見て、時刻を確認する。あともう少しで、二組目の夫婦がやってくることになっている。ディスプレイにプロフィールを表示させる。六十歳近い、老夫婦。夫の経歴には、会社役員という肩書きが記載されている。私でも名前を知っている会社だから、きっと凄く頭が良くて、大きな成果を残した人なのだろう。祐樹を養っていくぶんには、金銭的な不安はなさそうだけど。古い気質で、厳しいタイプの人だと、祐樹が嫌がるかもしれない。そこら辺は、実際に会って、話してみないとわからないだろう。
カランという音が鳴って、店内に入ってきた二人に視線がいく。
あっ
あの人達だ。
私の座っているテーブルに近づいてくる。
「こんにちは。金村さんですか?」
向こうから、声を掛けてきた。
「はい。金村沙耶です。本日はよろしくお願いします」
それから、私達は互いに自己紹介をして、当たり障りのない話を始めた。
今日の天候について、この辺りでおいしいレストランやお菓子屋さんについて、日頃よく買い物に行くスーパーや百貨店について。そうやって互いの共通点を探りながら、相手の人となりを慎重に見定めていく。
多少のもどかしさはあるけど。でも、大事なことだ。ここで見誤ることは絶対に許されないのだから。そうして少し打ち解けてきた頃合いになって、話が核心へと進んでいく。
「結婚して、もう三十年にもなるんですが、子供ができませんでして。二人ともこんな歳になってしまいましたが、やっぱり、どうしてもって妻が言うものですから」
「そうなんですか」
「ええ。お恥ずかしい話ですが、これまで私の方が、朝から晩まで仕事に明け暮れるような毎日を送っていましてね。あまり家庭を顧みずにいたんですよ。それで、妻にはずっと寂しい思いをさせてしまったなと反省してまして。まぁ、それはそれで、家に厄介者がいなくて、妻の方ではせいせいしている部分があるのかもしれませんが」
「そんなことはありませんよ」
「そうかね。たまに家に早く帰ってくると、不機嫌になるじゃないか。なんで、今日はこんな時間に帰ってきたんですかって。あっ、すみません。話が逸れてしまいましたね。実はですね。私の方が、もう少しで定年なんですよ。そんな事情もありまして、残りの人生をどう過ごそうか、二人で話し合ったんですが。このまま二人だけで余生を送るというのも、なんだか寂しいなという話になりまして、養子を探すことにしたんです」
「なるほど」
優しげな印象の旦那さんと、静かで落ち着いた雰囲気の奥さん。二人の会話と互いの距離感から、仲の良さそうな夫婦だとわかる。彼らから漂ってくる和やかな空気に、自然とこちら側の心も開かれていく。そんなせいか、私は、自分と祐樹が置かれている状況について包み隠さず、彼らに打ち明けていた。
「まぁ、あと三カ月で。それは、辛いですね」
奥さんが、いたく悲しげな表情で同情してくれる。そして、自分達にできることがあれば協力したいと申し出てくれる。それを丁重にお断りして、彼らの日常生活について訊ねてみる。歳のせいか、あまり無理のないゆったりした日々を送っているようだ。
祐樹が、彼らと一緒にいるところを頭の中で想像してみる。
彼らと食事をしている祐樹。夜、リビングでテレビを見ながら彼らと談笑している祐樹。休日の昼間、公園をのんびりと散歩しながら会話している三人。それらの光景が、自分の中で明瞭にイメージできる。
この人達なら、祐樹と会わせてもいいかもしれない。いつの間にか、私はそんな気になっていた。
翌週。私は祐樹を連れて、面談した二人の家に行った。
ここからは、互いの心の壁を取り除いていく為に、一つ、一つステップを進めていく必要がある。まず何よりも、祐樹に、あの夫婦と親しくなってもらわなければならない。そして、相手の家庭に慣れていってもらわないといけない。勿論、互いの相性もあるだろうし、まだあの夫婦に決定というわけではないけど。でも、あの二人になら、祐樹を任せられるというような安心感を私は抱いていた。
招待された彼らの家は、広い庭つきの一軒家。内装や調度品にも上等な物が揃った立派なところだった。
家に上がる時、祐樹が二人に対して、しっかりと挨拶をしてみせる。それに老夫妻がニッコリと笑って、私達をリビングへと案内してくれた。上品なお菓子と紅茶が出てきて、ティータイムが始まった。世間話をしているうちに次第に私達は打ち解けていき、祐樹からも笑顔が出てくるようになった。彼らからの質問に対して、祐樹がハキハキと答えてみせる。
終始、なごやかな雰囲気で終わったティータイム。老夫婦も、祐樹のことをかなり気に入ったみたいだ。そりゃあ、まぁ、私の子だからね。そういった面では、心配していなかったけど。でも、我が子のことを、良い子ですねって褒められるのは、やはり嬉しいモノだ。帰り道で聞いた、祐樹の二人に対する印象も悪くなかったし。あの人達となら、大丈夫かもしれない。
だけど、なんでだろう
何故だか無性に寂しくなって、帰り道の間ずっと、私は祐樹の手を握りしめていた。
家に帰りつくと、祐樹は酷く疲れた様子で、夕飯を食べるとすぐに寝ついてしまった。
そうだよね
はじめての人と会ったら、緊張するよね。
ましてや、それが、これから自分が世話になるかもしれない人達だったら、尚更だよね。
今日は、頑張ってくれてありがとう
その幼い寝顔に、そっと語りかける。祐樹が頑張ってくれているんだから、私だって頑張らないといけない。
残された時間は、あと僅かだ。
この子の為に、できる限りのことをしておかなければならない。最後の最後に、不安や後悔なんかを残しておきたくはない。そうして、私は自分自身のことを奮い立たせていた。
翌週。一泊二日で、祐樹が相手方の家に泊まりにいくことになった。パンパンになったリュックサックを背負った祐樹と一緒に歩いて駅まで向かう。
不意に、祐樹が道の途中で立ち止まった。
「どうしたの? 何かあった?」
「やっぱり、僕、お母さんといる」
そんな言葉に、この心がぐらりと大きく揺れる。
その訴えかけるような視線から、思わず目を逸らしたくなる。だけど、自分の動揺を悟られるわけにはいかない。祐樹の目をジッと見つめながら、彼の頭を優しく撫でる。そして、強い口調で言う。
「駄目。行ってきなさい」
「やだ」
「行ってきなさい。帰ってきた時に、イチゴのショートケーキを作っておいてあげるから」
「ほんと?」
少し涙ぐんだような表情をした祐樹に頷いてみせる。
「本当だよ。だから、頑張ってくるんだよ」
「うん。わかった」
駅の改札の傍で二人の老夫婦が待っていた。彼らに手を振って、近づいていく。彼らに対して、笑顔を作ってみせる祐樹。だけど、その表情は明らかに硬い。
わかっている
祐樹が無理をしていることくらい。
でも、彼にも、覚悟が必要だ。これからの彼を待ち受けている日々を受け入れる為の覚悟が。それを受け入れて、強くなってもらわないといけない。きっと、あの家にいることが嫌になることだってあるだろう。逃げ出したくなるようなことだってあるだろう。でも、そういった時に、あなたの側に、私はいてやれないのだから。
ごめんね
本当に、ごめんね。
こんなことをさせることになってしまって。祐樹に辛い思いをさせることになってしまって。だけど、私は、あなたのことを誰よりも愛しているんだよ。あなたの幸せを、誰よりも願っているんだよ。
だから、どうか…
「谷口さん、祐樹のことをお願いいたします」
老夫婦に頭を下げる。
どうか
この先の祐樹の未来が、素晴らしいモノとなりますように
祐樹のことをお願いします
そうして、その場で頭を下げたまま、私はひたすら祈っていた。
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