カウント7

 そんな、こんなではありますが…

 ただいま会議中です


 冷房がキンキンに効いた会議室。

 午後一時から始まった会議は、既に三時間が経過している。

 招待した著名な学者達のプレゼンテーションが延々と続いていて、なかなか終わりが見えない。

 ……………

 んっ?

 隣の小澤さんに肘をつつかれて、慌ててスクリーンに視線を戻す。

 いかんな

 大事な会議なのに、ウトウトしていたようだ。

 四時間しか寝ていないせいだろう。昨晩遅くまで、党の若手議員同士で、今後の経済政策について議論していたのだ。しかし、そのことを言い訳にするわけにはいかない。

「えー。そんなわけでありまして、死の事前伝達を五年前に設定した際の、人の経済活動のシミュレーション結果が、こちらのグラフになります。消費は一年目で最大化し、その後、緩やかに減少していきます。ところが、最後の五年目になると、このように再び上昇ピークが現れるのです。この傾向は、過去に誤って早めに余命宣告された人達の消費動向にも見られる挙動と一致します。

 つまるところですね。この結果から概算しますと、余命宣告を一年から五年にすることで、五十兆円の消費が生じる可能性があると推定されるわけです。今日の低迷する日本経済に、非常に大きなインパクトを与える施策だと言うことができるでしょう。ここまで余命宣告の五年化について、経済的な側面から、そのメリットとデメリットを述べてきたわけですが。私共の結論としましては、余命宣告の五年化は、市場経済への寄与という意味でも、非常に有効な施策であると考えております」

「ちょっと、早崎さん。あなたのプレゼンテーションには、大きな欠陥がありますよ。まるで、私達が余命宣告期間の変更を利用して、経済を活性化させようと考えているなんて、疑われてしまうじゃないですか」

 経済学者である早崎さんのプレゼンに、篠田議員が噛みつく。

「篠田さん。勿論、余命宣告の五年化にそういった意図がないことは、私も理解しています。ただ私は、一年を五年にすることで、結果として消費が拡大し、国内経済が活性化される可能性があるということを指摘したまでです」

「だ、か、ら。そこが問題なのよ。あなた、わからない? 人の死と経済とを結びつけることが、そもそもナンセンスだっていうことが。人の死を活用して経済を活性化させようなんて発想、マスコミの前で公表してご覧なさいよ。どうなるかわかるでしょ。あなた、袋叩きに遭うわよ。そもそもね…」

「まぁまぁ、篠田くん」

 篠田さんの発言を制して、法務大臣である川口さんが口を開く。

「実に結構なことじゃないか。要は、一年を五年にすることで、経済が活性化されて、景気が上向く可能性があるってことだろ。それだけで、やる価値が十分にあるじゃないか」

「川口さん。ちょっと、待って下さい。その発言は、マズいんじゃないですか。マスコミも、本件には、かなり神経質になっているんですよ。最近では批判的な論調も増えてきていますし。下手に発言を取り上げられたら、内閣の支持率にも影響しかねませんよ」

「まったくなぁ。今更、そんな世間の目なんか気にしてどうするんだ。こんなことはな、さっさと決めてしまえばいいんだよ。

 わかるか。引き延ばすから、批判する連中が増えてくるんだ。批判するのは簡単だからな。そうやって、ヤツらは迷っている連中を扇動していくんだ。だから、私は急いでいるんだよ。こういったことは、一度決めてしまえば、誰も文句を言わなくなる。そういうモノなんだよ。マスコミってモノはな」

「しかし…」

「いいかね、篠田くん。我々に求められているのは、決断力なんだ。大事なのは、五年にするかどうかを決めることなんだよ。細かい理由なんて、後でつければいいんだ。谷口くん。今日の議事はこれで終わりか?」

 川口さんが、私に訊ねてきた。

「いえ。最後に、医学研究の第一人者である水田先生から、意見を頂戴することになっています」

「そうか、そうか。それでは、水田先生。医学的な見地から、余命宣告の五年化について、私共に意見をもらえますかな」

「わかりました」

 ダークグレーのスーツを着た中年の男性が立ち上がって、プレゼンを始め出した。

「こんにちは。東営大学の水田です。それでは、医学的見地から余命宣告の五年化に関して、私見を述べさせてもらいます。

 まず、人の死の定義を、皆さんはご存じでしょうか?

 そうですよね。首を傾げてしまいますよね。

 脳死であるのか、心肺完全停止であるのか。実際、医師によっても解釈が異なってくる問題です。ですから、人の死について、未だに様々なところで議論が為され、その度に定義が変更されています。現在の医学上の人の死とは、人体から自発的に発されるシグナルが消失した状態であると定義されています。しかし、そのように定めても、医師によってその判断が異なってきてしまうという実情があります。

 さて

 そんな中で、皆さんもご存じのように、現代の日本人の死因の99%以上が細胞限界症候群という症状に起因しています。文字通り、人体を構成している細胞に存続限界がきてしまうのです。一般的には、老化と呼ばれる現象の一つになります。

 しかし、問題なのは、この細胞限界症候群が年齢を問わず、若い方でも発症するということにあります。しかも、感染するわけでもなく、遺伝するわけでもないのです。その発症メカニズムについては、未だによくわかっていません。現在も、世界中で様々な検証が行われていますが。全容の解明には百年以上かかるだろうとも言われています。

 何より、この細胞限界症候群には、有効な治療法もわかっていません。様々な治療が試みられていますが、余命が延びるという明確なデータは得られていません。医学史上、最も克服が困難な病気と言っても過言ではないでしょう。ここ百年以上、人の寿命が伸びていないのも、この細胞限界症候群という病が大きな壁として我々人類の前に立ちはだかっているからに他なりません。

 一方で、この細胞限界症候群は病状の進行を推定しやすいという特徴があります。どのように細胞が衰えて壊死していくのか。そこに一定の規則性があるのです。それ故、一年前の死の予測精度が、99.99999999%もあるわけです。これだけの精度があれば、予測が一日だってズレることはありません。やろうと思えば、一時間単位での予測も可能です。一方で、十年前はどうかと言いますと、その精度が99.9%にまで低下してしまいます。結果として、十年前に通知するとなると、数週間単位で死亡予測にズレが生じてしまう恐れがあるわけです。それが五年前ですと、予測精度は99.99999%です。死亡日が一日もズレることはないと言っていいでしょう。

 何故に、十年前と五年前とで、予測精度にこれほどの差が出てしまうのかといいますと。初期の細胞の壊死速度に個人差がある為です。死期が近づいてきますと、細胞の壊死速度が加速度的に上がっていく為、個人差がなくなって予測が容易になってくるわけです。従いまして、余命宣告が五年前であれば、死亡日の予測精度について十分に保証できるものと私共では考えております。

 さて

 ここで話がガラリと変わりますが。折角の機会ですので、医療現場の声も、この場で取り上げさせて下さい。医療現場からも、余命宣告が一年前では短過ぎるという声が、非常に多く上がってきています。細胞限界症候群は発症するまでの潜伏期間が非常に長く、死に至る最後の二週間前に病状が急激に悪化します。一方で、それまでは特に支障もなく日常生活をすることが可能です。そんなこともあってか、自分はまだ大丈夫だろうと事前に病院側に連絡をしない方が増えてきているのです。そして突然、容態が悪化して病院に運び込まれるといったケースが近年、急増しています。

 しかし、そういった患者さんを受け入れるにしても、ベッドの確保、その後の治療ステップなど、病院側にとっても大きな負担となりますから、急には対応がとれないことがほとんどなのです。その結果、受け入れ拒否という問題が現実に発生してしまっているわけです。私共としても、ネットやテレビ、新聞などを通じて、事前に病院への入院手続きをするようにとお願いしているのですが。なかなか全ての方に浸透していないのが実情です。

 私自身、過去に医師として終末治療に携わっていました。その経験から申しますと、患者さんにとって、最後の一年というのは本当にあっという間なんです。自分の思いに整理をつけて、やり残したことをやって、自分の死後の為に準備をして…。そういったことを全てやりきるには、一年という月日ではなかなか収まりきりません。最低でも三年は欲しいと、どの患者さんもおっしゃいます。実際、そうして一年で収まりきらずに途中で死が迫ってきてしまった結果が、病院への緊急搬送に繋がってきているわけですからね。そういった観点からも、余命宣告の五年化は望まれているのです」

「いやぁ、素晴らしい!」

 川口さんが、わざとらしいと思えるくらい大きな声を上げた。

「水田さんの論理的な結論に、私共は大変勇気づけられましたよ。なるほど。予測精度の観点からも、五年という数字には根拠があるわけですか。是非とも、この資料は国民に説明していく中で使わせて貰いたいですな。

 あぁ、よろしいですか。ありがとうございます。病院の受け入れ拒否についても、昨今のニュースで頻繁に取り上げられており、問題と認識しております。そういった現場の声も拾い上げながら、法案に反映させていきたいと私共でも考えておるところです」

「その点につきましては、私の方から、医療現場の声を汲み上げた上での案文作成を各官庁に指示しております。骨子ができたところで、皆様から見解を頂けたらと思います」

 小澤さんが口を挟んでくる。その他にも、物言いたそうな顔の議員が何人かいる。

 いかんな

 早く終わらせないと。次の予定に遅れてしまう。

「それでは、以上をもちまして、本日の会合を終了させてもらいたいと思います。最後に、川口法務大臣の方から会議の総括を頂けますでしょうか」

 私の言葉に頷いた川口さんが、会議室をぐるりと見渡して口を開いた。

「今日は暑い中、本会議に出席して頂きまして、皆様には感謝申し上げます。さて、会議の冒頭でも述べましたように、余命宣告の法制化から既に百年近くもの歳月が経過おります。当時は、日本全国で大規模なデモが発生したそうですが、今ではそういった動きも沈静化しています。時と共に、現在の余命宣告法が国民生活に馴染んできている証左と捉えることができるのではないでしょうか。

 しかし一方で、一年前という余命宣告期間をもっと伸ばして欲しいという意見が、今尚、世論の大半を占めております。そんな状況であるにも関わらず、一部世論の批判を恐れてか、これまでこの法律はアンタッチャブルな存在として扱われてきました。今日のような議論が、様々なところで為されてきたにも関わらずです。

 ですから私、川口幸弘が今回、法制化に向けた準備委員会を立ち上げたのです。そうして、ようやっと法律改正に向けて、政府や官庁も動き始めました。世論調査でも、法律改正への支持が優勢となっております。そういった世論の後押しも上手く活用して、なんとしてでも法案成立にまで漕ぎ着けなければなりません。その為に、私自身、政治生命をかけていく所存であります。

 本日は、法案を作成するにあたり、広く意見を聞く目的でこの会合を設けさせてもらいました。社会倫理の観点から、社会保障の観点から、経済の観点から、医学の観点からと、実に様々な視点から貴重な意見を頂戴することができました。私自身、余命宣告を五年にする意義について、再び考え直す良い機会となりました。今回、皆様から頂いた意見を集約しまして、法案へと反映させ、余命宣告五年化の法制化に向けた準備を粛々と進めていきたいと考えております。本日は、誠にありがとうございました」

 会場からパチパチと拍手が上がる。

 会議中の発言とは違って、随分まともなことを言っているな。

 そこら辺が、世渡り上手と言われる、この人だからこそ為せる業なのだろう。専門家の先生達、一人一人に挨拶した後、上機嫌な様子で川口大臣が会議室を後にしていく。

 おっと

 いかん、いかん

 追いかけないと。

 これから、川口さんと一緒に著名人の講演会に行くことになっている。慌てて、川口さんの後を追う。会議室を出て、メディアゾーンを通り抜けようとしたところで、控えていた記者達が一斉に押し寄せてきた。

「川口大臣!」

 そんな声が殺到してくる。

 それに構わず、突っ切ろうとする川口さんの前に、記者達が立ち塞がった。

「なんだね、君達。私は、あなた方の見世物じゃないんだよ」

「大臣。本日の会合で、どのようなことが話し合われたのでしょうか?」

「何を話したか? そんなこと、あなた達に言う必要があるんですかね。どうせ、面白おかしく脚色して、批判的に書くんつもりなんでしょ」

「本当に、余命宣告を五年前にするという法案を、次の国会に提出するつもりなんでしょうか?」

「勿論ですよ。その為に今日、有識者の方々から意見を聞いたわけですからね。五年にすることに意義があるという、心強い意見を先生方から頂戴して、私共も大変勇気づけられましたよ。この法案を成立させる為に、私は政治生命をかけてもいいと思っているんですよ」

「本日会議に参加した専門家に関してですが、余命宣告の五年化について賛同の意志を表明している人しか集めていないという批判が上がっています。その点については、大臣はどうお考えですか?」

「そんなことはありませんよ。幅広く意見を聞く為に、こうして今日、様々な分野の方々に集まってもらったわけですからね。その中で、五年化についてハッキリと否定的な意見を言われる方が、今日はたまたま、おられなかっただけだと私は認識しております。ですから、否定的な意見の方を拒んでいるわけではありませんよ。私共としても、是非とも、そういった意見も聞かせて貰いたいと思っているんです。勿論、ただ否定するだけの建設的でない意見は求めておりませんがね」

「本件に関しては、議論が不十分じゃないかと、国民からも多くの批判が上がっています。五年にすることについて、大臣は、本当に議論がし尽くされたと考えているんでしょうか?」

「議論がし尽くされたかって? あなた、この件を何十年前から議論してきていると思っているんですか。その度に、結論を先延ばしして。それで議論が足りていない? バカ言っちゃいけないですよ。いいですか。私は、やるといったら、やるんだよ」

 そう言い残して、川口さんが記者達の間をすり抜けていく。

「川口大臣、逃げるんですか?」

「川口大臣!」

「そんな説明で、国民が本当に納得すると思っているんですか!」

 記者達の声が響く中を、素知らぬ顔で歩き去っていく。

 あぁ…

 なんでかな

 この人は、いつもこうだ。

 そんな応対をしているせいで、国民からの印象が悪化していっているというのに。直す気がまったくない。

 いや

 違うか

 この人の場合、そういったことをワザとやっている。そうして自らの悪評が高まっていくのを楽しんでいるかのようにすら見える。そんなことをして何の意味があるのかは、まったくわからないけど。

 しかし、気をつけないといけない。

 私まで、悪党の一味と見なされる危険性がある。ここ最近、テレビや新聞などで川口さんと一緒に写っている場面が、よく出てくるようになった。そんなせいか、記者の人達から川口さんとの関係を訊ねられることが増えた。非常に悩ましい問題だ。選挙区が近くて、地元が同じということもあってか、新人議員である私は、川口議員の世話になっているのだ。こんなワルの手下などには、なりたくないのに。

 川口幸弘

 議員歴四十年の大物議員。主要な大臣と党の役職を歴任し、現在は法務大臣を務めている。首相候補に何度も名前が上がったほどの、政界では指折りの実力者だ。

 しかし一方で、乱暴な物言いや気性の荒さ、傲慢と思えるほどの態度が度々、マスコミで取り上げられて、世間からは悪役というイメージが定着してしまっている。官房長官時代、世論や党内外の反対を押し切って、法案を何度か強引に成立させたこともあってか、国民から彼の良い話は聞かない。それでも、地元に強固な支持基盤を持っているから、川口さんが選挙で負けることはまずない。おまけに、党内で最大のグループを率いていることもあって、党内での発言力は首相よりも強いと言われている。今回の余命宣告の五年化にしたって、川口さんの一声で法制化に向けて動き出したのだ。今国会中に急遽、委員会が立ち上がり、次国会での法制化に向けて急ピッチで準備が始まり出した。

 確かにな

 こういったことは一気に通してしまわないと、時間がかかってしまうモノなのかもしれない。そうやって法制化を急ぐ気持ちは、わからなくはないけど。

 でも、じっくり話し合って決めるという道は、本当に残されていないのだろうか。議論していく中で、多くの人達にとっての最適解が見つかると思うんだけどな。私の考えが甘いのは重々承知しているが。

 不意に、川口さんの顔がこちらに向いた。

「谷口君。今日、晩メシでも食いにいくか」

「はい」

 ついつい

 そう答えてしまっている。

 昔から、断るのが苦手な性分だ。だけど、そんなこともあってか、これまで川口さんに政界のパーティーであるとか、財界関係者との打ち合わせであるとかに連れていってもらえた。

 有り難いことだ。新人議員のうちから、そうそう経験できるものではない。当然、そういった場で、著名人や大企業のCEOや役員と会うことになる。彼らと話していると、さすがにそれだけの地位に登りつめた人達なのだなと感心させられる。落ち着いた身のこなしや、堂々とした語り口調、余裕のある笑み。きっと、長い社会人生活で培ってきたモノなのだろう。

 そこで、法人税率の低減や輸出入の規制緩和、市場の自由化など、国への率直な意見や要望を頂戴することになる。こんな息子のような年齢の私に対しても、「頼みますよ」なんて声をかけてくる。その度に、それだけの立場に自分がいることを認識させられる。

 何かをやり遂げたという実績があるわけでもない、若造ではあるけれど。それでも、この肩に社会からの重責が圧し掛かってきていることを強く意識させられる。そして、それと同時に、己の力不足を痛感させられる。そういった意見や要望に対して、私自身、何から手をつけたらいいのかもわからないからだ。

 このまま何も成さぬまま、次の選挙を迎えてしまうのではないか。最近、そんな不安や焦りを、この内に募らせている。

 パチパチパチ

 拍手の音に気づいて、意識を外に戻すと、川口さんの話が終わっていた。

 在原仁先生の国際経済学賞受賞を記念した講演会。人間の価値を通貨として評価するという、荏原先生が提唱している経済理論に関する講演で、非常に興味深い内容であった。人間の特性を通貨に当てはめていくと、想像もしなかった領域で、特有の規則性が生じるという話。数学が苦手な私には、話の大部分がチンプンカンプンであったが。分かりやすい事例を用いて、面白可笑しく説明する荏原先生の語り口のせいか、内容を十分に理解できていなくても存分に楽しめるモノであった。

 講演会が終わって、川口さんが主催者の人達と話し込んでいる間。明日の委員会の為に、事前に理解しておくべき資料を読み込んでおく。理解が遅い私の為に、かみ砕いた形の資料を秘書の方達が用意しておいてくれる。

 有り難いことだ。公設秘書の菅原さんには、頭が上がらない。三十歳近くも年下で、こんなに頼りない私のことを、笑顔でしっかりとサポートしてくれる。内心では面倒だなとか思っていたりするのかもしれないけど。そういったことは、決して表に出さない人だ。

 顔を上げると、後片付けをしている学生達がいた。荏原先生のゼミの学生達なのだろう。楽しそうな声を上げながら、机や椅子を整理整頓している。

 十歳くらいしか違わないはずなのに、彼らと今の自分とでは、まったく違う世界にいるわけで。青春とか、夢とか、希望とか、そういったキラキラ輝くモノを纏った彼らから、自らがプチンと切り離されてしまったかのような心地になる。それが良いことなのか、悪いことなのかは、よくわからないけど。

「さっ。行くか」

「はい」

 川口さんに促されて、私達は会場を後にした。

 車中、川口さんの携帯が鳴って、川口さんはその対応に追われている。内閣の誰かに不祥事が発覚したようだ。政府としての対応と、事後策について協議している。辞職させるかどうかで揉めている様子が、こちらにまで伝わってくる。

 今日の夕飯はキャンセルになるかもしれないな。

 そんなことをぼんやりと思いながら眺めた都内のビル群は、どこか陰鬱としていて煙がかっているように感じられた。


「いらっしゃいませ」

 川口大臣御用達のレストラン。

 ウェイター達が、丁寧なお辞儀で車を降りた私達を出迎えてくれる。案内された部屋は十畳ほどの個室。壁には風景画とモノクロの写真が飾られている。中央には落ち着いた色合いの木製のテーブルと椅子。テーブルの上に敷かれているクロスは触らなくとも一目で上等な物だとわかる。こういった高級感漂う空間に、未だに少し戸惑ってしまう自分がいる。そんなモノには一切目もくれず、川口さんが椅子にズンッと座った。

「よろしかったのですか? 党本部に戻らなくても」

「あぁ、構わん。どうせ農相のポストが一つ空くだけだ」

 川口さんが素っ気ない返事をしてみせる。

「千葉さんですか」

「うむ。どうでもいいような団体から貰った献金を記載していなかったみたいだ。脇が甘いよな、アイツも。そんなんだから、しょせん農相止まりなんだよ」

「はぁ」

「君もな、金の管理だけはしっかりやっておくんだぞ」

「気をつけます」

「さぁて、今日は何を食おうか。腹が減ったな」

 川口さんが料理長を呼び寄せる。

 政財界の有力者達が頻繁に利用するという会員制のレストラン。会員の紹介がないと入店できない仕組みとなっている。その上、入店するのにも審査があって、その人の経歴や年収がチェックされる。私のような新人議員では、まだ一人で利用することはできないそうだ。

 驚くべきことだが、このような場で、この国の未来が決められている。それだけの人達が集う場所のようだ。それ故に、電磁波遮蔽も完璧だという。

「そんなイメージでお願いできるかな?」

「はい。ご期待に沿えるように、最善を尽くさせてもらいます」

 川口さんの要望に料理長が答える。

 このレストランには、メニューがない。ただ、こんなモノを食べたいという要望を伝えると、それに応じた料理が出てくる。

 しばらくすると、パンとシチューとワインが出てきた。最高級の食材がふんだんに使われたシチュー。味覚音痴の私でも、このクラスになると差というモノがわかる。

 口に入れるなり、口全体に拡がっていくスープの滑らかな感触。旬の食材が混じり合って生まれたコクが、舌の様々な部分を刺激してくる。それらが、頭の中を幸福感で満たしていく。日頃食べているモノとは、何から何まで違う。私にとっては、この場にいること自体が、非日常と言った方がいいのかもしれない。

「悪くないね」

 ワインを口にして、川口さんが言う。

「そうですね。味に深みがありますね」

「うむ。さすが、武村さんだ。料理には手が込んでいるし、器にしても、盛りつけにしても品がある。やはり、そこらのレストランとは格が違うな。君も、こういった場所にだいぶ慣れてきたんじゃないか」

「そうでもないです。こうして川口さんに連れていってもらう以外は、たいした料理を食べていないですから」

「そうか。まぁ、まだ新人議員だからな。慣れない部分も多いだろう。だが、長く議員をやっていると、こういったところでの会食も増えてくるぞ」

「はい」

 こんなところで毎晩のように会食していて、川口さんは胃が痛くならないのだろうか。議員としてやっていくには、図太い神経と無尽蔵の体力が必要だと聞いているけど。そのどちらも、私には不足している。そんなせいかはわからないが、こういったおいしい料理を食べているだけで、罪悪感のようなモノが芽生えてくる。

「地元には帰っているか?」

「ええ。時間を見つけては、帰るようにしています。先月は、一度しか帰れませんでしたが」

「駄目だぞ。忙しくても、若いうちは頻繁に帰るようにしないと」

「はい」

「どんな小さな集まりであっても、誘われたら、可能な限り出ておくんだ。面倒だとか、煩わしいとか思うかもしれないけど。そういったところで、少しでも顔を売っておくことが重要なんだ。それを何度も、何度も繰り返していくうちに、互いに声を掛け合うような仲になって、やがて顔馴染みになって、そういった人達が君を応援してくれるようになるんだ。支持者を増やすには、そうやって地道にやってしていくしかないんだよ」

「承知しています」

「うむ。こういったことに、近道なんてないんだからな。自らを過信するなよ。所詮、選挙に落ちたら、我々はただの無職の人なんだ。次の選挙の票読みだって、その都度、その都度で、やっておくんだぞ。いつ解散してもおかしくない状況なんだからな」

「ええ。野党の候補者達は既に地元で活発に動いていると聞いていますし、こちらでも選挙の準備は進めております。前回ほど世論を味方につけるのは難しいでしょうし、厳しい選挙戦になると予測しています」

「そうだろうな。前回ほど、世論の風がこちら側に吹くことはないはずだ。そもそも、そんなモノに期待してはいけないんだ。世論ほど不安定で、不確実に動くモノはないんだからな。今の党内には、世論が自分達の側にあると調子に乗っているヤツらがいるが。そういったヤツほど表層の人気ばかりにしがみついて、自分の地盤を疎かにするんだ。そうして、自分の地盤が緩んでいることに気づけない。だから、後々苦しむことになるんだよ。たった一つの発言や政策で、風向きは一変してしまう。いつ、こちら側に逆風が吹くとも限らないんだ。

 いいか。そういった中でも、選挙はあるんだぞ。それまで築き上げてきた支持基盤を失って落選していく議員達を、私はこれまで何人も目にしてきたよ。

 だからこそなんだ。確固たる支持基盤を持っていれば、どんな状況下であっても恐れることはない。そうやって何度も、何度も当選を繰り返すことによって、政治家としての実績は積み上げられていくモノなんだ。

 だから、いいか。地盤を固めておくことは、これからの君の政治家人生に関わってくることなんだぞ」

「はい。心得ております」

「うむ。その為にも、君もそろそろ、余命宣告の五年化以外に、独自の政治理念を掲げておいた方がいいだろうな。単に党の方針をなぞっているだけでは、党員以外の支持が拡がらないからな。その方が、君自身も支持者に訴えかけやすいだろ。悩んだら、私に相談してくれ。君には期待しているんだからな」

「ありがとうございます。川口さんにそう言って頂けて光栄です」

 有り難いことではあるが。

 なんで、この人は私なんかに期待をかけているのだろう。

 それだけが解せない。同じグループにだって、村山さんとか、岩下さんとか、有望な議員は他にもいるのに。正直なところ、政治家としての力量は、彼らと大きな実力差があると認めざるを得ないんだけどな。

「しかし、君は、少々真面目過ぎるきらいがあるな。もっと、砕けた方がいいと思うぞ」

「それは自分でも自覚しているんですが。あまり砕け過ぎるのもどうかと思いまして」

「まぁ、そういった部分は、人のよって好き嫌いが分かれるからな。難しい部分ではあるが。折角、人あたりが良いんだから、もっとフランクに人と接した方が良いんじゃないか。君の場合、肩に力が入り過ぎているんだよな。もっと堂々としていればいいんだ、堂々としていれば。少し横柄に見えるくらいで丁度良いんだよ。それに…。なんというか、君は顔が平凡だな」

「はぁ」

 自分でも自覚はしているけど。それを言われてしまったら元も子もない。

「何か、一目でわかるような特徴が欲しいな。案外、そういった部分で目立つことは重要なんだぞ。吉永なんて、何の実績もないくせにメディア受けが良いだろ。ヤツはな、顔だけでのし上がったんだ。そんな風に活用できるところは、可能な限り活用しておけよ。私だって、吉永に負けないように昔はオールバックにしていたんだ。それと、顔のエステにも通っていたな」

「川口さんが、エステに通っていたんですか?」

「そうだぞ。そんな風に見えないか?」

「ええ」

 川口さんが、ガハハッと豪快に笑ってみせる。

 目立つ為に、そんなことまでしていたのか。その努力が報われているとは到底思えないけど。

「そうか、そうか。まぁ、私だって世間から注目を浴びたいって思う時があったってことさ。それはそうと、君に尊敬する人はいるか?」

「尊敬する人ですか。いますよ。澤田祐樹です」

 私の言葉に、川口さんが呆れたような顔をしてみせる。

「澤田祐樹? 澤田祐樹って、野球選手じゃないか」

「そうですね」

「おいおい。君は正気か? 俺はな、尊敬する人を聞いているんだぞ」

 その言い方に少しムッとする。

「そうですよ。私にとって、澤田祐樹は…」

「まったくなぁ。君という人間は。そんなんじゃ、政治家失格だぞ。わかっているか。政治家とスポーツ選手とでは、求められているモノが違うっていうことを。君は、ヤツのように人々から賞賛を浴びたいのか?」

「そういうわけではないですが、大勢の人達から支持を受けるような政治家にはなりたいと思っております」

「そういった軟弱な考え方が駄目なんだ。政治家ってのはな、批判されてナンボの仕事なんだ。わかるか?」

「はぁ…」

 それは、あなたのコトじゃないかと言い返したくなる。

 わざわざ自分に批判が集まるように仕向けているくせに。

「そもそも、世間の人気を取る為にやった政策で、成功したモノが過去にあったと思うか?」

「んー。そう言われてみると、直ぐには出てきませんね」

「そうだろ。ないんだよ。大衆に迎合するということは、国民全員に金をばらまくことと同じだからな。そんなことをやっていたら、国が破綻してしまうんだ。

 強きを挫いて、弱きを助けたら、世間から喝采を浴びるかもしれん。だが、現実にそんなことをやってしまったら、国を支えている柱がボロボロに崩れて、国家が弱体化してしまうんだ。だから、一時の批判とか、賞賛とか、そういったモノに惑わされてはならないんだ。

 いいか。常に、物事の本質を見つめることを忘れるなよ。この法案を世に出したら、どうなるか。それを、ボロ雑巾が絞り切れるぐらいまで考えるんだ。この国のどの部分にどれだけの好影響が出て、どの部分にどれだけの悪影響が出てしまうのか。どういった人達が利益を得て、どういった人達が不利益を被ってしまうのか。それを必死に考えるんだ。作用・反作用の法則だよ。ある面にプラスに作用すれば、必ずある面にはマイナスに作用するんだ。この世の中、そんな風にできている。だからこそ、それらがこの国の景気や未来、国民生活にどういった影響を及ぼすのか。それを一つ一つ冷静に評価して、本当に必要なモノかどうかを判断していかなければならないんだ。

 だからな

 ぶっちゃけ、他人の意見なんか、どうだっていいんだよ。どうせ何をやったって、批判されるんだからな。探せば、必ず何かしらの穴は出てくるんだからな。そういうモノなんだって割り切らないと、いつまで経っても何も決まらないぞ。

 つまり、だな。誰にでも好かれるような人間になろうなんて思うのが、そもそも間違いだってことなんだ。ほら、君は、澤田に打たれた投手のことを考えたことはあるか? 澤田に試合を決められて、敗れ去った相手チームのことを考えたことはあるか?」

「そういえば、あまりそういったことは考えたことがないですね」

「そうだろ。それじゃあ、駄目なんだよ。政治家という仕事はな。輝くモノがあるっていうことは、そこには暗い背景が必要なんだ。敗れ去っていく者達が大勢いて、その中で勝者は輝くことができるんだからな。誰もが輝いていたら、ソイツがどこにいるのかすら見分けられやしないんだ。そうして活躍した一部の人間だけが賞賛を浴びて、高収入を手にすることができる。その一方で、多くのプレイヤーが五年程度でその職を失ってしまうという現実だってあるわけだ。だけど、そういった成果主義が悪いことだとは、君だって思わないだろ?」

「はい」

「だけどな、そういった社会的弱者を見捨てることは、政治の世界では許されないことなんだ。彼らも国民であり、有権者であるわけだからな。国民として必要最低限の生活ができるように保障してやらなければならない。

 その上で、違うことにチャレンジする機会だって与えてやらなければならない。そうやって、日蔭に追いやられた人達に目を向けることも、政治家にとって重要な責務なんだ。だから、楽しいことばかりじゃない。政治理念なんて掲げていることに空しさを憶えることだってあるさ。

 実際、泥臭いことばかりだからな。うんざりするようなことばかりだからな。だけど、そういったことを何度も、何度も経験していくうちにわかってくるんだ。政治家ってのは、ただ輝いていれば良いってもんでもないということにな。

 わかるか

 この世に正義なんてモノは存在しないんだよ。

 正論なんてモノも存在しないんだ。

 あるのは、何千万もの人間の無責任な意見だけだ。誰しもが、自分にとって都合の良いことを、好き放題言いやがる。自らの正当性を主張したがるんだ。そのどれにも、正解なんてないのにな。それなのに、みんながみんな、自分は正しいなんて思い込んでいやがる。実に迷惑で、厄介なことだよ。そうして、誰かしらから批判の声が上がるんだ。国民に目を向けていないって非難されるんだ。これだけ大勢の人達の為に、身を粉にして働いているのにな。それなのに、我々に対する賞賛や慰労の声が、メディアで取り上げられることなんて皆無だ。本当に損な役回りだよ。

 だけど、そういうモノなんだよ。政治家っていう仕事はな。それだけの重責がかかっているし、それだけ大きなことを我々はやっているんだ。この国の未来を、国民から託されているわけだからな。批判が上がることだって、寧ろ光栄だと思わなきゃいけない。政策に対して反応してくれているわけだからな。それに、わかってくれる人は、わかってくれているんだよ。信念を持って、しっかりとやっていれば、その事をちゃんと評価してくれるんだ。そして、それが次の選挙で結果として自分に返ってくる。

 だから、君もな。他人の批判なんかに惑わされるなよ。話をすれば、相手にわかってもらえるとか、変な幻想を抱くなよ。人はたとえ理解し合えたとしても、意見がピッタリ一致するなんてことは、絶対にないんだからな」

「はい」

 川口さんの勢いに押されて、ついついそう答えてしまっている。毎度のように聞かされる、川口さんの強引なロジック。

 納得できるようで、納得できない。理解できるようで、理解できない。そんな話ではあるが、その度にわからなくなる。自分の価値観とか、考えとかが、何を根拠としているモノなのかが。


 ふぅ

 家に帰りつくと、夜の一時を過ぎていた。明日は、委員会が二つある。その後、地元の県議との面談が入っている。それと、村山さんの勉強会にも誘われていたっけ。そんな風にして、毎日たくさんの人と会って、議論をして、議会の採決に参加して。日々が猛スピードで駆け抜けていく。

 議員になって三年。その間、休みを取ったという記憶がない。休暇であっても、地元に帰って挨拶回りをしないといけないから、ゆっくり休んでいる暇もない。そうして時間に忙殺されている内に、あまり頭を使うことなく口先だけで立派なことを言う術だけは身についた。

 澤田祐樹みたいには、なれないか

 そんなことは、わかっている

 わかっているけど。

 でも、彼のように、常に誰に対しても感謝できるような人でありたいと思う。仲間であれ、敵であれ、誰に対しても誠実に接することができるような人でありたい。

 大学時代、余命宣告の五年化を主張していた団体に入ったことがキッカケで始めた政治活動。それが縁となって、私は政治家への道を歩み始めていた。政界を突然引退した前議員の後継がいなかったが為に、その支持基盤を引き継ぐ形で、あれよ、あれよという間に選挙に担ぎ出され。総選挙で与党に追い風が吹いたこともあって初当選を果たし、こうして今、国政に足を踏み入れている。

 そう

 右も、左も、わからぬまま

「何をやっているんだろうな、私は」

 そう呟いた言葉は何物も響かせることなく、そこらへと霧散していった。

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