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佐藤が思わず呟いたのも仕方が無いだろう。目の前に映る光景は記憶に残っている母校の工業高校の旧木造校舎の物だった。使う機会がなかった別学科の下駄箱周りなどに仔細変わりが無いかといわれれば自信は無いが、3年間通い続けた記憶のイメージは「限りなく」本物だと告げている。
「……<世界>使いの魔術師って言うのはこんなことも出来るものかな」
佐藤は自分の靴に視線を落とした後ちらりと下駄箱に視線を向けるが、小さく肩をすくめると土足のままで玄関を越えて正面玄関前のロビーに出る。多少足跡が廊下に残るが元々古い校舎な上に、この建物は魔術で作られた物なのであろう。汚した足跡に気にした風も無く廊下を進んでいく。
廊下を照らす天井の蛍光灯は所々切れ掛かり点滅を繰り返しているが、足元が見えないというほどではない。薄暗い廊下を進んでいくと足元からはぎしぎし木製の床が軋む音が聞こえている。その懐かしい音に佐藤は少し頬を緩め足を止めた。そのまま真っ直ぐに進めば体育館へ向かえる。少し寄り道をすれば記憶の中には実習棟へと向かう廊下があった。
4つの科があるこの工業高校の実習棟は冬になると、隙間だらけの木造の壁から雪が入り込み授業の前にはその雪を払うところから始まった。エアコンなどの空調設備は無く、だるまストーブと呼ばれる放射式の大型灯油ストーブが教卓の近くに設置されていた。放射式ストーブのため近くの席は非常に暑く、遠くの席は只ひたすらに寒い。実習を始める所の環境ではなく、入学したての時にはとんでもない学校を選んでしまったとやや後悔もした記憶が佐藤の脳裏に浮かんでは消えていった。
小さく溜息を吐くと佐藤はどこまで再現をされているのかほんの少し興味があった実習棟を諦め、体育館へ向かう廊下を歩き出す。
記憶を頼りに廊下を進んでいくと幾つかの教室を越えた先には予想通りの体育館入り口が見えてくる。体育館入り口の扉は開いており、オレンジ色の照明がその扉の入り口から漏れていた。その入り口前で佐藤は立ち止まると体育館の中を眺める。
顔を上げると天井からは格子が付けられた照明がオレンジ色の明かりを照らしている。格子の間には引っかかったまま外れなくなったバスケットボールが1つ見て取れた。そして正面を見ると壇上の前に1組の男女が立っていた。男は高そうな灰色のスーツ姿、女は白いセーターにベージュのロングスカートを着ている。この男が佐藤を呼び足した男なのだろうか。そして遠目のため佐藤からは顔が良く見えていなかったが、女は黛だった。最後に別れたときと同じ服装だ。そわそわした雰囲気で佐藤と隣の男を見比べている。
佐藤は携帯電話で着信履歴からさかのぼり、黛に電話を掛けてやろうとも思ったが直ぐに思い直す。一寸したイタズラにはなるだろうが、その後の空気が重くなりそうだった。仕方なく佐藤は体育館内に踏み込む。
「ご足労頂いて申し訳ないね<PTA>の佐藤さん」
佐藤が体育館の真ん中ほどまで歩いてくると壇上の男が声を掛けた。あまり大きな声ではなかったが、周りの音がまるで聞こえてこないためはっきりとその声は佐藤に聞こえている。
「<PTA>、Piety of Thorough Alchemistね。全く持って仰々しい名前です。日本人なら日本語使って下さい」
「全く持って同感です。上の方々は拗らせてるみたいですよ、色々と。でもまぁ、それも含めて日本人らしいと私は思いますけどね。横文字並べてニヤニヤするの」
「お陰で騙されました。紛らわしいんです」
「それはそれは有難う御座います。私も苦労してきた甲斐がありましたよ」
「まぁ、良いでしょう。それは置いときますよ。……私もこれでそれなりに忙しい身分でしてね。お互いにやることやってしまいましょう」
「全く持って同感です。始めましょう」
「ああ、その前に確認をしておきたいことがあります」
スーツ姿の男が壇上からひらりと飛び降りた後、佐藤は右手を上げてそう言った。
「何です?」
「そちらの黛先生ですが、どのように対応すれば良いですかね。一緒に来ます?」
「馬鹿なことを。彼女は再教育中です。邪魔はしません」
「そうですか。それは結構」
佐藤はそう言うと小さく頷き、スーツ姿の男はネクタイを軽く緩めた。
「あ、あの!服部先生!」
その時壇上から黛の声が聞こえた。その言葉に佐藤は小さな違和感を覚えたが、それが何か直ぐに思い付くことが出来なかった。
服部と呼ばれたスーツ姿の男は小さく舌打ちをした後、肩越しに振り返ると黛を睨みつけるが、黛の視線は真っ直ぐ佐藤に向けられている。
「私の<世界>では傷一つつけることが出来ませんでした!先生も気をつけて下さい!」
「君は黙って其処で見ていなさい。これ以上は何も喋るな」
服部がそう言うと、何時の間にか黛の後ろに立っていた旧日本軍の物と思われる軍服姿の男が音も無くその細い首に腕を巻きつけた後、膝裏を軍靴で蹴り付けるとその場に跪かせる。軍服姿の男の年は20代にはまだ届かない頃だろうか。黒く日焼けした顔は精悍だが、何処かに幼さを残しているように見えた。
黛は膝裏を蹴られた痛みと首を絞められる苦しさに顔を真っ赤にさせていたが、その視線は佐藤から外していない。その視線を受け、佐藤は小さく頷いたが、服部は黛の方を向いておりそれを見ることは無かった。
「……服部さんで良いですかね?余所見をしていても良いんですか?」
「……ああ、申し訳ないね。気を使わせてしまったかな。その隙に1度位は攻撃も出来たでしょうに」
服部はそう言うとゆっくりと佐藤のほうへ向き直る。
「いえいえ。これでも本当に、散々苦労して此処まで来ましたので……。折角なので此処は正々堂々正面からいかせて頂こうかな、と」
「そうですか。それが最後のチャンスだったかもしれないのに勿体無い」
服部はそう言うとスーツの内ポケットに手を差し入れるとA6サイズほどの薄汚れた本を取り出した。その表紙には小さく右書きで『ヨミカタ』と書かれていた。
「……見つけた。見つけた。ようやく見つけた。こんな所に、こんな近くに居たのか」
服部が手にした本を見た佐藤は大きく目を見開き、
「<ヨミカタ>。そんなところに居たんだな。これは大当たりだ。これは是非黛先生には何か奢らないと気が済まないな」
「何を言っているか良く分からないが、そうだね。私は<ヨミカタ>と呼ばれることもあるよ。この字を知っていてよく今まで命があった物だね」
「ああ、そうさ。よく命があった物だ。感謝をしても足りないよ」
佐藤はそう言うと白衣の下に見える、ちぐはぐな自分の服装をちらりと一瞥した。服部はそれを特に如何とも思わず話を続ける。
「だがそれも今日までのようだ。君から<PTA>の情報をしっかりと頂いた後は綺麗さっぱり無かったことにしてあげよう」
「傲慢だな<ヨミカタ>。いや、魔術師協会が、か」
「獅子が獲物を狩ることを傲慢とは言わないよ、佐藤さん」
服部がそう言うと同時に、一瞬にして体育館はだった空間は何処かの野原に変わっていた。その野原の所々には背の高い松の木がそびえ、空の色は茜色に染まっていた。
ちらりと佐藤は黛が居た所に目を向けると、突然壇上が消えたためその上に登っていた黛はそのまま落下して地面に強く両膝を打ったのか少し涙目になっていたが、その首元に腕を回している古い軍服姿の男の表情に変化は見られなかった。
「私の<世界>は黛君の物とは一味違うよ。本当の魔術師の力を良く知るといい」
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