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 魔術師は当たり前だが魔術を使う。だがそれは高度に体系化された技術に制御された下で、起こしえる現象を必要な手順を追って起こしているというだけで、魔法のように何でも出来るという物ではない。

 電子ライターが火をつける際には大雑把な説明とはなるが火をつける燃料となる液化ガス、それに着火させるための電気を飛ばす電子部品、それらを覆うカバーが必要だ。魔術師が魔術を扱う際には液化ガスの変わりに魔力が。それを発現させるために魔術の技術が。それを安定させるためにグリモアと呼ばれる魔術書が一般的に必要とされている。


 黛が使用した<世界>の魔術は魔術師を中心として魔術書を媒介に仮世界を生み出すことが出来る技術だ。魔術師はその<世界>の中ではその力の流れに沿った現象を引き起こすことが出来るようになる。そしてその力の大きさを表す単位として用いられる物が<強度>と言う。

 その<強度>は魔術師の魔力と技術と想像力を基礎として、そしてその使用される触媒の知名度によって大きく左右される。

 今回黛は日本の小学校で長く使用されている国語の教材<大造じいさんとガン>を触媒として使用している。<大造じいさんとガン>が載っているこの教科書を持つ小学5年生は日本では約100万人おり、更にその授業を受けたことのある日本人の数はといえば数えるのも馬鹿馬鹿しくなるだろう。ある意味国民的物語とも言えた。そのため、黛が使用した魔術<大造じいさんとガン>の<強度>は恐ろしいまでの物といえるだろう。そしてそれを維持することの出来る黛本人の技量も同じことが言えた。

 ただ、黛のように強大な魔術を行使することが出来ていても、魔術を使用する際にブラックボックス化している技術的要素はまだまだ無数にあり、渡された便利な道具を言われた通りに使用しているだけに過ぎないという問題を、誰もが感じながら口には出せないままにしている。だがそれは電気や水道、通信技術など高度に発達したインフラの全てを理解した上で使用する人間がほぼ居ないことと同じではある。致命的な問題として魔術においてはそれを行使する技術者を誰も知らないということだが。


 魔術師を派遣する魔術師協会はその技術を独占している。世界に公表された魔術はその内の氷山の一角といっても良い。また、提供をしている部分はあくまでも技術ソフトウェアのみでハードウェアとも言える装置や設備についてはほぼ全くといって良いほど完璧に秘匿されている。

 だが、日本という国は技術を独自に発展をさせることには定評がある。それが世界における日本という国のの強みだ。いつの間にか技術の元の形が全く分からなくなるまで改変をされるなんて話は幾らでも転がっている。そして最後には踏まれても踏まれてもけしてへこたれない精神論という物を振りかざす、周囲の国から見るととても厄介な国だ。そしてそれは魔術師教会にしても。


 1つの分野が急激に成長をすると相対する分野が衰退するのは良くあることだ。固定電話が携帯電話にシェアを奪われたように。手紙が電子メールにシェアを奪われつつあるように。

 かつて世界のトップを走り続けていた日本の科学技術は今やその座を魔術に奪われようとしている。だが、日本人科学技術者は諦めなかった。新しい技術があればそれを貪欲に取り込み、自らに都合の良いようにいじくり回し新しい科学技術体系を整えつつあった。その影には休みも無く働き続けた何人もの技術者がいたのだろう。


 佐藤はシャツの襟についたピンバッジを一撫でした。

 杖に絡みつく二匹の蛇のマークを関するそれはカドゥケウスと呼ばれ、ギリシャ神話のヘルメスという神が持つ杖で死せる物に使えば生き返る力があると言われている。また均整が取れた取引や互恵関係を表したり、占星術や錬金術を指すシンボルとされることもあるようだ。日本では商業が関係する分野において実際に使用されている。


「魔術は凄い。魔力を扱えるならきっとどんな事だって出来るんだろうね」

「正確にはどんなこともではないですけどね」

「それでも。この世の理を捻じ曲げることぐらいは簡単にやってのけるでしょう?」

「そうですね。それが魔術師です」


 佐藤が呟いた一言に律儀に黛が答えていく。そうしている間にもうす曇の空には先程の何倍にもなる数の雁が雁行を保ったまま大きく旋回をしている。その先頭を飛ぶ雁の翼には白い羽が見えた。恐らくはあれが<残雪>と呼ばれる雁の大将だろう。そして黛の斜め後ろ50メートルほどの辺りには何時の間にか古臭い猟銃をこちらに向ける老人がいた。こちらが<大造じいさん>なのだろう。


「でも、僕たちは既に魔術を知っていたんだ。魔術師なんかに頼らなくても」

「時間稼ぎですか。それとも降伏をする前の自分語りですか?」

「小学校でも教えてるだろう?足し算や掛け算。面積の求め方とか」

「残念ですけど実力を行使します」


 ぱあん、と渇いた音が草原に響き渡った。

 音の発生源は<大造じいさん>の猟銃からだ。その銃口からは薄っすらと煙が立ち上り風に流され消えていった。


「なんで……?」


 思わず、と言った様子で黛が呟く。

 この<大造じいさんとガン>の<世界>の中では決して狙いをはずず事のない、<大造じいさん>の猟銃に撃たれた者に与えられる未来は確実な死だ。この<世界>に包まれている以上その理は覆すことはできないはずだった。


「教育という物は凄い。お陰で子供はみんな魔術を使うことの出来る基礎を勉強していたんだ」

「<残雪>!!」


 淡々と話しかける佐藤に怯えるように黛は<国語五>を掲げると大きな声で叫んだ。

 すると旋回していた雁の群れは<残雪>を先頭に恐るべき速さで佐藤に向かい急降下を仕掛ける。だが佐藤は今度はその場から動くことも無くちらりと視線だけを<残雪>に向けただけだ。

 次の瞬間には先程とは比較にならないほどの爆発音が草原一帯に連続して響き渡る。まるで無数の戦術爆撃機による絨毯爆撃を連想させた。

 立ち上る砂煙でほぼ視界がなくなっている。黛は少し顔をしかめながらその光景を祈るように見つめていた。


 やや暫くの時間が経つと、ようやく砂煙が薄まってきた中には人影が浮かび上がっている。それを見て黛は絶望的な気持ちになった。今の攻撃はこの<大造じいさんとガン>の<世界>のなかで黛が持ちうる最強の物だったからだ。あれで倒せないようであればもう手札は残っていない。

 今まで戦ってきた魔術師達の魔術は黛の<世界>により使うことすらを禁じられ心を折られ、偶にそれでも降伏を拒んだ場合でも威嚇行動でその抵抗を諦めた。そこまで行った上でもまだ戦おうとする者には<大造じいさん>の猟銃がひっそりと知らないうちに命を刈り取った。<残雪>を使用したのは罠に嵌められ、数十人の魔術師に囲まれた時以来だろう。勿論1回の攻撃で全てが終わった。それ以来黛は<残雪>と呼ばれるようになった。その全てのプライドを、自信をぽっきりと折られてしまった。


「僕はどちらかと言えば理系の方で文系は得意じゃないもので」


 まだ完全には消えていない砂埃の中から佐藤の声が聞こえた。


「想像力は無いから魔術師には成れなかったんです」


 砂埃の中で佐藤が右腕をそっと持ち上げたかと思うと、そこから青白い光の束がジグザグの軌道を描きながら一瞬で<大造じいさん>を貫く。すると同時に黛の持つ<国語五>の数ページが弾け飛んだ。その弾け飛んだ切れ端は所々焦げ付いている。


「降伏を勧めます。次は不本意ながら当てますよ」


 その言葉に黛は大きく溜息をつくとぱたんと<国語五>を閉じた。


「どちらかと言えばあなたの方がどんな事だって出来そうじゃない」

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