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佐藤は体育館の出入り口近くで走ってきた女性と対面していた。
年の頃はまだ20代前半だろうか。身長は佐藤よりやや低め。所々落ちかけている化粧が見て取れるが見た目はどちらかといえば可愛いと言った印象を受けるだろうか。真っ直ぐな黒髪は肩の辺りで綺麗に切りそろえられている。北白石小学校では実際可愛い先生として生徒や教師からも受けは良い様だ。
その女性は息を切らし肩で呼吸をしながら余裕が無さそうな顔で佐藤を睨みつけていた。どうやら運動は得意な分野ではないのだろう。
「あなたねぇ、ちゃんと時間、聞いていなかったんですか?……こちらだって、まだ、残業中、だったんですよ!」
「いや、申し訳ないです。なるべく早く帰りたくて」
「交戦規定くらい、守って下さいよ……!」
「いや、申し訳ない」
「全然申し訳そうじゃない……!」
呪い殺せそうなほどの目付きで女性は佐藤を睨みつけたまま、だん、とグラウンドを踏みつける。
佐藤は困ったように頭を掻きながら軽く頭を下げる。その様子を見て女性は長い溜息を吐く。そろそろ上がっていた息が整ってきたのかその表情には余裕が戻ってきているように見える。
「まぁ良いです。予想外でしたが私も早く残った仕事を終わらせたいですからね。始めましょうか」
「宜しくお願い致します」
「この人何か腹立つわ……!」
女性は苛立った表情で呟くと佐藤から距離を取りグラウンドの中ほどで振り返った。
「ではこれから町内会規定により北白石小学校が北郷小学校に対し通学区域拡大の戦闘を開始します。代表者は<残雪>黛」
「佐藤です」
「あなた字は?」
「申し訳ありません。ありません」
「字も持たない人が代表ですか?」
「いや、恥ずかしくないです?それ」
「仕方ないじゃないですか!決まりごとなんですから!」
「やっぱり恥ずかしいですねよ<残雪>とかって」
「止めて下さい!そういうこと言わないで下さい!私だって我慢してるんですから!」
「成る程。そういう二つ名的なものが好きなわけでは無さそうで少し安心しました。流石にその年で中二病とかは一寸」
「いい加減にしてください!後悔させてやります!」
黛は顔を真っ赤にさせながらそう叫ぶと小脇に抱えていた本の背をを右手で持つと胸の辺りまで掲げてる。
その本の表紙には<国語五>と書かれており、印象画のようなユニークな梟の絵が描かれているそれは所謂国語の教科書だった。
その国語の教科書は風も吹いていないのにも関わらずバラバラと音を立てて捲れ上がる。内容は実際に使用されている国語の教科書の物だ。
「
黛がそう言うと教科書は捲れ上がるのを止めた。開かれたページには<大造じいさんとガン>とタイトルが書かれている。
次の瞬間、グラウンドは黛を中心にしてゆっくりと世界が書き換わるように草原が広がっていく。所々には小川や小さい沼のような物も広がる草原の中に現れる。それはグラウンド全体に広がると止まった。空を見上げれば不思議なことにうす曇の空が太陽に照らされている。グラウンドから離れた少し遠くに目をやるとそこは何時もと変わらない住宅街があり、空には雲ひとつない夜空と月が浮かんでいた。
「成る程。流石に2度も通学区域を拡大させるだけはありますね。凄い」
佐藤はそう呟くと足元に視線を向ける。
革靴が踏みしめているのは土と背の短い雑草。所々には菖蒲の花が咲いている。鼻には青臭い緑の匂いが感じられた。
「余所見をしていて良いのですか」
黛が忠告するとうす曇の空の向こうから雁行に隊列を組んだ大型の鳥が佐藤が居るほうに向かい飛んできている。その数は20羽は程だ。見る物が見れば黒褐色の体の腹部には黒色の横縞があり、顔のおでこの辺りからくちばしにかけて白色のその鳥は雁だと分かるだろう。
「
「いえ、私は魔術師ではありませんので魔術書は必要ありませんよ」
「魔術師ではない?……では何をしにここまで来たんですか?あなただって北郷小学校の代表でしょう?」
「ええ、今回はそのために赴任してきましたから」
「何だかあなたのことが心配になってきましたが……。どちらにしても対抗する手段が内容ですので早めに降伏することをお勧めしますよ」
そう言った黛は困ったような表情を浮かべ本気で佐藤のことを心配している様に見えた。元々は優しい性格をしているのだろう。佐藤はそう思い僅かに微笑を浮かべる。
「何を笑っているんですか。分かっていますか?あなたは今攻撃に晒されているんです」
黛が表情を引き締める。右手に持つ<国語五>が再度ぱらぱらとひとりでに数ページ捲られた。
すると佐藤に向かって飛んでいた雁は体を捻る様にして急降下を始める。その速度は軽く時速100キロを超えている。衝突すれば無事では済まないであろうその雁の群れから避けるように佐藤は早足に数メートル移動をした。
それから間もなくして先頭を飛ぶ雁が急降下の速度そのまま地面へと突き刺さるようにして衝突した。
まるでガス爆発でも起こったような爆発音が響き、その後連続して同じような音が何度も響き渡った。
もうもうと砂埃と千切れ飛んだ草が舞い上がり佐藤は思わず腕で顔の辺りを覆った。
「立場は理解して頂けましたか?」
その砂埃が収まると雁が衝突した地面が見て取れた。まるで爆撃でも受けたかのように草原は茶色の素肌を晒し、直接雁と衝突したと思われる箇所は50センチほどの窪みが幾つも出来ている。いくら大型の雁とは言っても実際に急降下をして地面に衝突をしたとしても現実には起こりえない光景だった。これが黛の言う<世界>が起こした現象なのだろう。
「次は当てます。降伏をお勧めします」
冗談を言っている様子は無く、黛は<国語五>に視線を落とすとぱらりと1ページ捲られた。
そのページには大造じいさんが銃を持つ様子が書かれてた。
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