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 午後6時を過ぎた校内には生徒の姿はもう見えず閑散としていた。教員も職員室で残務を行っているのか佐藤とすれ違うこともなかった。

 生徒用の玄関の向かいにあるPTA室は蛍光灯の明かりが灯っている。先程夏目が言っていた通り中にはPTA会長が居るのだろう。佐藤はその扉に軽くノックをすると静かに開いた。

 PTA室内は会議を行うためだろう長机を3つ、入り口を開けるようにしてコの字に並べて置かれている。広さは佐藤が居た特別教員室の3倍以上は広く、おおよそ生徒が使う教室と大差がない広さだった。

 そのコの字型に置かれた机の真ん中には1人の中年の女性が腕を組み立っていた。

 やや白髪交じりのくすんだブラウンカラーの髪は肩の辺りで綺麗に切りそろえられ、やや太り気味の体はグレーのスカートスーツに包まれている。顔に目をやると黙っていれば愛嬌がありそうな顔には黒縁の幅広の眼鏡を掛けている。ただ、その表情に今は笑みは欠片も浮かんでいない。


「お待たせしてしまって申し訳ありません井上さん。お呼びとの事でしたが?」


 だが佐藤はその表情に特に気にした風もなく軽く頭を下げて挨拶をする。

 中年の女性、井上はじろりと佐藤を睨みつけるようにして見つめると1度咳払いをした。


「佐藤先生。本日北白石小学校から宣戦布告を受けました。町内会の規定により21時より交戦します」

「なるほど。通学区域の拡大に動いてきたと言う事ですか」

「そうです。これ以上北郷小学校の通学区域を縮小させることは許されません。分かりますか」

「ええ」

「恐らく相手は今回もあの<残雪>黛でしょう」

「はぁ。話の腰を折ってしまって申し訳ないのですが私は先月こちらに赴任をしてきたばかりでしてもう少し詳しくお相手の説明をしていただけると助かるのですが」


 佐藤がそう言うと井上は溜息を吐いてから苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「赴任をしてから暫くは時間があったでしょう。渡された資料の中には前回、前々回の交戦内容も載っていたはずです。それには目を通していないのですか?」

「引越しと赴任後の業務が忙しくて申し訳ありませんがそこまで詳しくは読んでいませんでした。まさかこんなにも早く仕掛けてくるとは思ってもいなかったものでして」

「仮にもあなたは教育委員会から派遣されてきたのでしょう!ああもう会長からの指示がなければあなたみたいな得体の知れない人間に全てを任せることなんてしないのに!」


 井上はヒステリックにそう叫ぶと組んでいた腕を解き近くの長机を蹴り付けた。ぐわんぐわんと大きな音を立てながらも長机は倒れずに踏みとどまる。


「あなたあざなは?」

「今だありません」

「何てことよ!」


 井上は叫びながらもう一度同じ長机を蹴り付けると今度は長机はその場に踏みとどまれずに床に倒れ、廊下にまで響き渡るような大きな音を立てた。だが佐藤はぴくりとも身体を震わせることなく静かに井上を眺めていた。

 その様子に井上はやや我を取り戻したのか大きな咳払いをすると腕を組みなおし再び佐藤をじろりと睨みつける。


「もう良いわ、黛に直接会って何とかしなさい。それがあなたの役目なのでしょう。失敗は許されません。準備を整えたら指示された場所に向かいなさい。終わった後生きていれば連絡を入れるように。以上です。行きなさい」

「分かりました。では失礼します」





 佐藤はPTA室を出た後特別教員室に戻っていた。

 一度も開かれることなく手に持っていた2冊の教科書を本棚に放り投げると次に机の引き出しを開ける。中には何種類かのペンの他に銀色のピンバッジが入っていた。佐藤はそのピンバッジを無造作に手に取ると慣れた手つきでシャツに取り付けた。

 そのピンバッジには杖に絡みつく二匹の蛇のマークが刻まれていた。

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