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児童会館の大部屋の隅で佐藤は長方形の背の低いテーブルを挟んで3人の小学生と向かい合って少し硬いフローリングの床の上に座っていた。室内は恐らく児童会館を使用している生徒達が作ったのだろう折り紙での壁飾りや絵の具で書かれた絵が飾られていたり、遊ぶのは宿題を終えてから!と力強く書かれた張り紙などがいたるところに張られており賑やかな様子を見せている。壁際には本棚が置いてあり偉人の伝記やマンガなどが乱雑に置かれていた。このままにしておけば児童会館の職員から大目玉を食らうことだろう。
テーブルの前に座る佐藤の前には先程持っていた物理基礎と化学基礎と書かれた2冊の教科書が置かれていた。それを挟み向かい側には真っ黒に日焼けをした高学年位に見える男子が2人、そしてまだ入学したばかりに見える低学年の女子が座っている。3人の小学生の前にはまだ幼い文字で色々と書き込まれた大学ノートが置かれていた。
「前回の復習だね」
佐藤はそう言うと明らかに小学生向けではない、その専門の授業を受けている大学生でも難解であろう物理の公式を暗唱するとそれに習い3人の小学生も声に出し複雑な公式を暗唱した。4人の周りでは他の生徒達がその日の宿題を解いていたりマンガを読んだり、複数人で集まって楽しそうに遊んでいるが、3人の生徒はちらりとも視線を向けることなく続けて佐藤から暗唱される公式を繰り返していた。
それから暫くの間、佐藤が公式の暗唱する度に小学生がそれを繰り返す時間が続いた。出てきた公式は10を超えていた。内容は古典力学や熱力学、電磁気学に波動力学など多種多様な物だ。佐藤の前に置かれたままの教科書の中に載っていないものも幾つかある。
気が付くと児童会館の窓から見える空は茜色に染まっていた。それなりに騒がしかった室内も気が付けば長机に向かう4人しか残っていない。
「そろそろ遅くなってきたから今日はここまでにしようか。憶えた内容はノートに残しておくこと。皆さんお疲れ様でした」
佐藤がそう言うと3人は先程まで繰り返していた公式をノートに書き記してゆく。それを見て佐藤が時々間違いを指摘し小学生達が書き直す。やがて3人の手が止まりノートを閉じるとその表紙には「PTAより」と印刷されたうさぎの可愛いシールが貼られていた。
「先生またねー」
3人はそう言うとノートを手に児童会館の出口へと向かって歩いていく。その間3人が話していることは今日のテレビのことであったり授業中の友達の失敗や今遊んでいるゲームのことで、つい先程まで大学生でも何も見ずに暗唱することが難しいだろう公式を繰り返していたとは思えない、年相応の内容だった。
3人が完全に児童会館を出たのを確認すると佐藤は床から立ち上がるとテーブルを重そうに持ち上げると壁際まで寄せる。それから思い出したようにテーブルに載せっぱなしであった2冊の教科書を手に取った。すると少し腰を気にしたように反対の手をあて溜息を吐く。
「年を取ったなぁ」
そう呟いた後室内の壁掛け時計を見ると短い針は6時に限りなく近いところを指していた。
佐藤は誰もいなくなった大部屋をぐるりと一回りをして児童の忘れ物がないかを簡単に確認すると、児童会館の職員がいる事務室へと向かった。
事務室は6畳ほどの広さで所狭しと事務用品が置かれ、小奇麗に整頓はされているが如何せんスペースに対して物が多すぎるため圧迫感を感じる。その部屋のスペースの大半を使用しているテーブルに腰を預けるようにして1人の女が立っていた。
年の頃は30手前と言うところだろうか。黒い髪は1つにまとめ後ろで縛り、服装は動きやすそうなグレーのパンツスーツに身を包んでいる。胸の辺りには小さく児童厚生員とプリントされた下に黒いマジックペンで夏目と書かれたネームプレートがついていた。やや切れ長の目の下にはファンデーションでも隠せない程の隈が薄っすらと見えている。好みに寄るだろうが10人の男性がいれば半数以上は美人と言うだろう。だがその表情にはあからさまに苛立ちが見て取れた。
「佐藤先生、ようやくお帰りですか」
「ええ、まぁ」
夏目は苛立ちを隠そうともせず話しかけると佐藤は曖昧な笑顔を作り軽く頭を下げた。
「何度も言っていますが5時半には大教室は閉めることになっています。時間を越すようであれば中教室か小教室を使うように申請をして下さい」
「いや、誠に申し訳ありません」
「もう何度もその言葉は聞いています。申請用紙を出すだけで済むんですから今月中にはお願いしますね」
「夏目さんには本当にご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」
「聞き飽きました」
にべもなく夏目は切り捨てるとわざとらしく大きく溜息を吐いた。佐藤は教科書を持っていない手で頭を掻いている。
「佐藤先生。PTA会長が学校のPTA室で待っているとのことです。それなりに待たせていると思いますのでお早めに行って下さい」
「あ、本当ですか……。今日これから買い物に行きたかったんだけどなぁ」
「そういうことは本人に言って下さい。それでは私はまだ仕事がありますので」
夏目はそう言うと電話の子機を手にとって事務所から出て行った。恐らくは中教室と小教室の見回りをするのだろう。
1人になった佐藤は学校に繋がる扉を開けPTA室へと向かっていった。
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