20.奥さんは、なんの花?

 仕事始めの一日。正月休暇中に車を走らせてばかりいた連中から早速、整備のオーダーが舞い込んでくる。

 整備は矢野じいと兄貴達に任せ、英児はオーダー整理に没頭の一日。それだけじゃない。

『本年もよろしくお願いいたします。本日、そちらに伺ってもよろしいですか』

 雅彦から連絡があった。さらなるサンプルが出来たので見て欲しいとのことだった。

 昼下がり。その雅彦が、クーパーに乗って龍星轟にやってきた。

「いらっしゃい。わざわざこちらまで来ていただいて、すみません」

「いいえ。室内にこもってデザインばかりしているので、たまには外の空気も吸いたいんですよ。程よいドライブも出来ますし」

 気分転換に事務所を出られる良い口実だと、相変わらずの洒落たスタイルで爽やかな笑みを見せられる。だけれどもう、英児の心に揺れは襲ってこない。

「びっくりしましたよ。今日、休暇が明けて仕事初めの事務所のミーティングで『大晦日に入籍しました』なんて、大内さんが、いや、滝田さん……が言い出したりして。社長もその時、初めて聞いたみたいで。もう余程驚いたのか興奮しちゃって、ちょっと騒然としたんですよ」

 雅彦も、なんだか興奮しているように英児には見えてしまう。ものすごいニュースを持ってきたと言わんばかりの。でもそのものすごいニュースの張本人が目の前にいるわけで、英児も苦笑い。

「あー、俺も今朝。店の連中に報告したらそんなかんじで」

「いやー、彼女から聞いていたけど。本当にこうと決めたらまっしぐらなんですね。いやー、また滝田さんに度肝を抜かれちゃいましたよ。これで二度目」

 元カレとは思えないさっぱりした笑顔で言われ、英児のほうが戸惑ってしまう。そこでやっと、雅彦がふっと笑顔を曇らせる。

「俺だったら、ここまで彼女をリードはできなかっただろうなと……」

 滝田さんだから、琴子をここまでひっぱって、ついに夫妻になった。

 そう言われていると英児には伝わってきた。どう返せば? おめでとうなど言われても困るし、雅彦だって男の意地があるなら前カノの夫に祝いなど言いたくないだろう。

「サンプルを見せてください」

 そう切り出すと、急に彼らしい目つきと笑顔になった。

「そうでした。見てください、これ」

 彼は根っからデザイナー。まだ嫁は要らない、自分の世界を全うしたい生き方を選んだ男。それを本人も分かっているだろうし、英児も男だから分かる。そこはもう……、互いに理解したものだと英児は思っている。

 白い革張りの応接ソファーに座り、ガラステーブルを挟んで二人で向き合う。

 テーブルの上に仕上がったサンプルの原稿を雅彦が並べた。

「今回は5点。俺がデザインしたものと、俺がイメージしてそのイメージを俺以上に描いてくれるデザイナーにも作らせてみました」

 チーフとなったからなのか。琴子の話から『独りよがり』というイメージだった雅彦が、上手に人を使っていた。

 確かに。前回、三好社長が『龍と星』をテーマにしたレディス向けサンプルとは明らかに雰囲気が変わっていた。

 あれこれ試したことが窺える。だが、英児は顔をしかめる。

「どうですか、滝田さん」

「うん。正直、前よりばらつきがあって、イメージが遠のいた気がするな」

 はっきり言ってみる。こちら龍星轟としても真剣にど真ん中のものが欲しい。依頼主なので譲るつもりはないから、はっきり言う。やはり途端に、雅彦も表情を硬くした。

「そうですか。いえ……なんとなく、そんな気がしたんです」

 『だけれど』と、英児はその中の一枚を手にして雅彦に差し出した。

「これ。ちぐはぐしているけど、なんとなく……。俺と琴子が混じっている気がするかな」

 雅彦がそれだけでハッとした顔に。

「これ。俺が描いたものです」

「やっぱり、本多君が描くものが一番理解してくれている気がする。これ前よりインパクトはないけど、でも、男と女が混じっている気がする」

 前回、龍星轟の男共が選んだ艶やかで色香があるデザインと、琴子が選んだガーリーデザインを合わせたようなものだった。龍に色気がある、それに合わせている女性のシルエットは可愛いだけで色香はない。そういうちぐはぐ感。

「前回、こちらの従業員の男性陣と琴子さんが選んだものがまったく違うタイプだったとお聞きして。今度はそれを合わせてみたのですが」

 そこで英児はこの男に『参った』と思わされたことをぶつけてみる。

「前回のサンプルは、あまりにも異なるデザインをワザと二種類、作ったみたいだけど。荒っぽい男の俺と女子いっぱいの琴子は同じものは選ばない。趣味がかけはなれすぎている。一発で気に入るのは『滝田はこのタイプ』、『琴子はこのタイプ』と書き分けた様にも見えたんだよな……」

 雅彦が目を瞠る。

「ええ、そうです。そうなんです、その通りなんです。あの時は、どうしても、二人を合わせたものが思い浮かばず描けず……。だから二種類」

「それだけ。俺と彼女がかけ離れていて、交わることはないと……」

 そこで雅彦が黙ってしまう。本心はそう思っている。デザインがしにくい、やりにくい仕事だ。そう言いたいのだろうか? 英児は彼の静かな眼差しを見てそう感じてしまう。

「いえ、どこかになにかがあるはずなんです。そうでなければ、こんな短期間であっという間に夫妻にはなれないでしょう。どこかであるはずなんです。お二人だからこそ、融合したなにかが」

 もう前カレの顔ではなかった。クライアントの希望に適うよう、手探りで答を必死に探しているデザイナーの顔だと思った。

「あの、そのチョーカー……」

 雅彦が急に、英児の首元を指さした。そこには、黒い革ひものチョーカー。琴子が作ってくれたものだったが、雅彦の目に留まったのはペンダントトップに特徴があるからだろう。

「それ、琴子さんの指輪と同じですね」

「ええ。その、」

 琴子が『整備仕事で指にはめられないなら、こうして首につけておくってどう?』と、革ひもに指輪を通して英児につけてくれたものだった。もうこれで琴子同様、肌身離さずつけていられる。それから毎日、英児の首元には龍の指輪チョーカー。

「彼女は婚約指輪だと言っていたんですけど」

 龍の彫り物がしてある琴子らしくない指輪。とでも言いたいのだろうか。

「絶対に彼女が選ばないデザインで、ファッションにも合っていなくて、ものすごく指先が目立つんですよ。分かっていても目についてしまう」

 やっぱり。琴子らしくない似合わないものを贈りやがった。とでもいいたのだろうか。英児も何故こうしてしまったか自身で分かっているつもりだが、この男にだけは言われたくないなと構えてしまう。

「なのに。彼女が事務仕事の合間に時折、その指輪を見つめて一人でにっこり嬉しそうに笑っているんですよ。本人は『人知れず』にっこりしているのかもしれないけど、三好社長を始め、事務所のデザイナー一同誰もが目撃をしていて、皆が『彼女らしくないごっつい婚約指輪なのに、あんな幸せそうに』と言っているぐらいなんです」

「え、彼女が……そんな顔を」

「そうですよ。『よほど、男っぽい滝田社長が好きなんだね』と口を揃えているほどですよ」

 うわー。あの事務所のデザイナーの誰もが、琴子のそんな顔をこっそり知っていたなんて。英児の頬が熱くなってしまう。

 だが、ふと見ると。雅彦は笑っていず、真顔だった。

「それを見て思ったんですよ。あんなに趣味が違う指輪を、あんなに愛おしそうに見つめているんだから。どんなに趣味が違う『厳つい龍』でも、彼女の中ではきっと、彼女なりの龍になっているはずだと感じているんです、俺も」

 その言葉に急に、英児の身体にざわっとした胸騒ぎが駆け上がってくる。鳥肌……と言えばいいのか。

 琴子の言葉で言えば『いま英児さん、ピカてビリて来たでしょ』というヤツ。

「それをいま、探しているんです。もう少し、デザインをさせていただけませんか。そこまでは俺も掴んでいるんですけど」

 琴子の中の『龍』。そう聞いただけでぞくっとした。

「それ、俺も見てみたい。琴子の中の龍を――」

 それを描き出せるのは、プロの仕事。雅彦だから成せるもの。

「勿論です」

 依頼した男と、受けた男の意思疎通。今日はそれだけで終わってしまった。

 却下になったサンプルを雅彦が片づけている。

「ところで。滝田社長はこのお店をつくるとき、龍と星をイメージに使ったわけですけど。琴子さんをイメージするシンボルがあれば、また良いかと思っているのですが」

「なるほど。俺が龍なら彼女はなにかということですか」

「それが彼女の龍を描く補助的なものになれるかと思うんですよね。たとえばですね、ご主人が奥さまを花に例えるなら何か。花でなくとも何か……というものがあれば教えて頂けますか。参考にします」

「花ですかー」

 なんだろう。と、英児は首をひねって考えてみる。

「うーん。花なら鈴蘭?」

 初めて出会った夜に感じた匂いが、清々しいイメージだったから。

「ああ、何となく分かりますよ。華やかじゃないけど白くて可憐で密やかに咲くってかんじ」

 元カレゆえに同意してくれるのかと思うと複雑。それでも雅彦はそれを手帳にメモしつつも、難しい顔。

「龍と合わせるには、線が細くて儚い気がしますね。それに直ぐに走り去ってしまう車のステッカーに描くことを考慮すると、鈴蘭はあまりにもインパクトが薄く女性全般をイメージするにはちょっと個性的かな」

 琴子限定なら鈴蘭もいいが……と雅彦は言った。やっぱりもう元カレではなくデザイナーとしての意見。英児も納得。インパクトに欠ける気がした。

「滝田社長、お客様がいらっしゃったみたいですけど」

 後ろで静かに事務仕事をしていた武智の知らせに、英児もガラス張りの事務所から外へと目線を向ける。店先に真っ赤なアウディが入ってきたところ。

 見たことがない車、だと思う。しかも運転席には女性。

「社長、自分がお迎えに行きましょうか」

「おう、頼むわ。武智」

 客の前では、きっちり従業員の顔を保っている武智が、眼鏡の横顔で事務所を出ていた。

「では。また数日後に経過をご連絡しますね」

 客が来たためか、雅彦の片づける手も忙しくなる。英児は初めての客を気にしながら頷くのだが、そこで雅彦が赤いアウディから降りてきた女性を見てハッとした顔になったのを見てしまう。

「うわ。……彼女、琴子さんの大学時代の後輩ですよ」

「え!」

 雅彦が『やばい』と溜め息をついて目を覆った。

 英児も驚き外を見ると、赤いアウディからショートボブヘアにパンツスーツ姿の颯爽とした女性が降りてきた。

 彼女の後輩と言えば。地方新聞社でお勤めの、バリキャリ女子。年下でも頼りがいあるアグレッシブな後輩だと琴子が言っていた、あの?

「俺、彼女……苦手なんですよ。琴子があまり自己主張をしない分、彼女が代わりにガンガン物を言うといった感じで」

 琴子を捨てた男として、琴子と仲が良い後輩の彼女にはよく思われていない。別れた後、しかも琴子が結婚した男と話している姿など見られた日には……。そんなところだろうか。

 その彼女が武智のエスコートで事務所に向かってきている。

 奥さんの知り合いなのに。奥さんが留守の間に、龍星轟でなにか起きそうな予感の旦那さん。


 

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