カクヨム先行 おまけ② 本日の三好堂デザイン事務所 ロケット男に被弾する(雅彦視点)
彼女はしっかり者で気が利く。
しかし仕事になるとその真剣さに鋭さが増す。
「本多君、これ三日後が〆切りだってわかっているよね」
もらったばかりのパソコンデスクで作業をしていると、後ろからそんな声。
「わかってる」
「いまやっているデザイン。もう一昨日からずっとかかりっきりだよね、そろそろ〆切りが迫っているものに手をつけて。バランス良く進めてね」
「うるさいな」
彼女の目が吊り上がった。
「ちゃんとやってね。これ出来ないなら『雅彦君』にはできそうにないって社長に言って、他のデザイナーに回すか、フリーランスのデザイナーに外注にまわしちゃうからね」
口答えも許されない。彼女として恋人だった時はむしろ控えめでかわいげがあったのになあと雅彦は溜め息をついた。
「それとこれ。新しい仕事、見るだけ見て。きっと雅彦君向け、じゃなくて……本多君向けだから」
このデザイン事務所の仕事のなにもかもを社長と一緒に管理している元恋人、『大内琴子』が、その仕事のオーダー票をすっとデスクに置いた。
一年前までは良く眺めていた綺麗な指先。もうそんなもの、特定の女から漂う色気なんてまったく感じたくもなくなっていたし、元恋人の琴子にはなんの未練もないし、感じるものもない。なのに、その指先にもの凄い違和感が少し前から存在して、雅彦はそれが無視できずにいる。
「あのさ、結婚式ていつなんだよ」
彼女に親身にならずに自分本位に捨てた男が、自分と違う男と幸せになろうとしているそんな状況で、そんなことを思わず聞いてしまった。
当然、元カノの琴子が唖然としている。
「えっと……、まだ詳しくは……決まって、いなくて……」
雅彦もはっと我に返り、らしくなくあたふたしてしまう。
「あー、その、その日を気にしているとか、そういうんじゃなくて」
琴子がそっと辺りを見渡す。他のデザイナー数人は自分たちのデザインブース、デスクで仕事に集中しているのを確かめている。
彼女がパーテーションに囲われているデスクに近づいてきて、雅彦にそっと囁いた。
「雅彦君、もしかして、居心地悪いの? その、私の結婚……で……」
琴子はこの印刷会社と二代目がやっているデザイン事務所で長く勤めている。琴子の結婚は一代目の印刷会社社員もデザイン事務所社員も全員が祝福している。しかも雅彦が元カレと皆知っていて、そこはなんとなく全員が上手に避ける空気をつくってくれている。雅彦はその空気づくりにむしろ感謝している。触れてくれるな触れまいというその空気に。
「別に。そこはまったく気にしていない」
でも、その指がめちゃくちゃ気になるんだよ!
なんでって。なんでおまえみたいな女らしい女の指先に、そんなごっついハードぎらぎらした『龍の指輪』があるんだよ!! ファッションセンス的にまったくもってあり得ない!!!
デザインをする者、ファッションを気にする者として、これほどの融合しない違和感はない。
しかもいま、この彼女の婚約者である『車屋社長』から『結婚する彼女をイメージした店のステッカーをデザインして欲しい』と依頼されているのに、その依頼主とイメージをすべき女性が『これほど違う趣味』であることを、まさに象徴しているのだから。元恋人のその指先に、まさにいま雅彦を悩ませている『困惑』が存在する。
「なあ、その指輪。婚約指輪なんだよな?」
「え、そう……だけど……。あの、その」
別れた男が職場で別れた女の婚約指輪を気にしている。これまた別れた彼女が気にしてしまうことを聞いてしまった。
「いや、いいんだ。つけてくれていても。ただ、その、すげえな、そのデザインと思ってさ」
「ああ、そういうことなの……ね」
別れた男は『デザインが第一』、その指輪のデザインだけを気にしているとわかってくれたようだった。
「東京に出張した時、オーダーしたみたい。こういうの好きそうでしょ、滝田社長」
夫になる男のことは、職場ではクライアントである『滝田社長』と彼女が言った。
「好きそうだよな。琴子は……希望とか伝えなかったのか」
「なにも聞かれなかったし、勝手に注文してごめんて言われたの。でも、そういう人だから」
「そういう人?」
「いまここが俺の真実て時には、まっすぐいっちゃう人」
俺の真実という時は。
その一言が雅彦には妙にすんなりと入ってきて腑に落ちた。
「あー、なるほど。俺もそう感じたな」
「でしょ。……あの、龍星轟のステッカー、引き受けてくれてありがとう」
元カノが嫁に行く店のステッカーを、嫁さんをイメージするステッカーの依頼を元カレの自分が引き受けるはめになったのを気に咎めているようだった。
雅彦は少し長い溜め息をついて、デスクのデザインモニターに向き直る。
「一緒だよ。あの人の『いまここが俺の真実』、俺にもどーんとぶっこまれてきたもんな」
琴子が少し嬉しそうに微笑んだ。
「そう、どーんとぶっこまれるの」
品の良い彼女が『ぶっこまれる』なんて平気で言ったので、雅彦は面食らう。
「もうさ、あの社長の影響受けまくりだな」
「雅彦君もそのうち受けるわよ。そういう、周りを引き連れて宇宙に連れて行っちゃう人だから」
意味深な笑みを見せ、琴子が去っていく。
「宇宙……てなんだよ。大袈裟だな」
しかしその後、雅彦はまさにその龍の男の世界に引き込まれていくことになる。
琴子が女として連れて行かれたなら、雅彦は男として引き込まれていく。
本日もさっぱりだった。
あんな女子力ばっちりの元カノの指に、ハードな龍の婚約指輪なんぞ見せつけられてますます『融合』が見つからずに混乱するばかり。
今日はもう早めに帰ろう。最近、飼い始めた猫が待っている。今日は彼女ともふもふして心を静めよう。彼女をスケッチしてもいい。
バッグに荷物をまとめてブースのパソコンの電源も落とし、席を離れる。
社長と琴子が仕事をしている事務所に玄関があるため、そこに入って通らないと帰宅が出来ない。なのに入ろうとするそこに、同じく帰宅しようとしていた他のデザイナー達が固まって前に進もうとしない。
「どうしたんすか」
自分よりベテランの先輩デザイナーもいれば、同世代の地元育ちのデザイナーもいる。そこで彼らがニヤニヤして事務所を覗いているが、雅彦を確かめると『なんでもない』となにかを誤魔化そうとしていた。だが、雅彦も強引に覗いてみると、彼らがにやけていた目線の先には、事務所の自分のデスクで指先を眺めている琴子が見えた。
先ほどの、銀の龍の指輪をしている指先を撫でてずうっと微笑んでいる。
「えーっと、帰ろうかなー」
元カレの雅彦の気持ちを察して、デザイナー達が散ろうとしている。
でも彼らがどうしてにやついていたか雅彦にもわかる。だから雅彦から呟いた。
「まったく琴子の趣味ではないのに。嬉しいもんなんだな。絶対にあんなデザインを琴子は気に入ることはなかった。自分で選ぶはずもない。もっと女らしいものが好みで似合う。でも喜んでいる。気に入っているんだ」
元カレの雅彦から、なんとも思っていないように呟いたせいか、先輩も同僚も顔を見合わせて立ち止まった。
「琴子ちゃん、本人は気がついていないかもしれないけれど、あの指を見るたびにああやって幸せそうな顔しているんだよなー」
同僚デザイナーも微笑ましそうに眺めている。そんな琴子の姿を何度も目撃しているとのことだった。
「結婚て、そんなもんじゃないかな。まったく違う趣味に生き方に価値観の『他人』が一緒になるんだ。融合を受け入れるみたいなもんだよ。あの琴子ちゃんがスカイラインに喜んで乗ってくるようにな」
既婚の先輩の言葉。雅彦も頷くしかない。
琴子は変わった。彼女自身はなんにも変わっていないけれど、彼女の背後にあの男が透けて見える。
「そんなステッカーを作れってことなんすね。ソフトな彼女とハードな彼の融合……、難しい」
雅彦が溜め息をつくと、先輩デザイナーも頷く。
「どこかにきっと、接点、融合があるよ」
励ましてくれる先輩に雅彦も頷いていた。
その融合している姿が目の前にあるのに、まだそれをデザイン出来ずにいる。
―◆・◆・◆・◆・◆―
あの龍の社長はほんっとにとんでもない。
新年早々、また雅彦に遠くから『ぶっこんで』来た。
年が明け、三が日を終え、仕事始めの日。
三好ジュニアの朝会が、デザイン事務所で行われる。三好ジュニアの新年のご挨拶というものだった。
本年もクライアントから愛されるものを造りだそう。戦力は君たちデザイナーだ。社長の自分とアシスタントの大内で支えていく。おもいっきりやれるように力を合わせていこう――という、よくある挨拶で、雅彦はどこの会社も変わんねえな、会社勤めかったりーと聞き流す。フリーランスならこんなことなかったけれどなあ。しかし、ひとつの事務所で管理されるのは嫌だと思っていたが、煩わしい管理を琴子がきっちりやってくれるため、デザインに集中出来ること、資金面と営業面でとても楽になるというメリットを知ってしまったので、もう辞める気もなくなってしまった。
しかも、でっかい仕事が舞い込んできた。街中の市民が目にする可能性が大きく、車好きの野郎共が絶対に見逃さないステッカーをデザインするという仕事。
あの社長が店のトレードマークだけは金をかけて、東京のこれぞというデザイナーに頭を下げて作ってもらったという星と龍のマーク。あれに匹敵するもの、中央のデザイナーに負けないものを作ってやる、そんな闘志が止まない。
あの男に出会ってからずっとこんな感じだった。すげえ刺激してくる男。
「では、今月初めのスケジュールのまとめは琴子が持っていくので確認するように」
三好社長の最後の指示で、やっと新年の朝会が終わってくれそうだった。
「あの、最後に少しお時間を頂いてもよろしいですか」
いつも三好ジュニアの後ろに控えているアシスタントの琴子が珍しくミーティングで発言を望んだ。
「どうした、琴子。スケジュールの見通しでなにかあったのか」
ジュニア社長の問いに、いつもは真顔で真面目に返答する彼女がなにか言い淀み、ためらっているのがわかる。
「どうした」
新年早々、なにか困ったことが起きたのかと不安そうなジュニア社長。だがやっと琴子が皆の顔を見渡してはっきりと言った。
「突然ですが、大晦日に滝田モータースの社長、滝田さんと入籍をしました。もう大内ではなくて、滝田になりましたのでご報告させて頂きます」
え!?
そこにいる誰もがそんな顔になった。もちろん雅彦も、ジュニア社長も。特に三好ジュニア社長が唖然としたまま固まっている。
「本当は結婚式の日かその前ぐらいに提出して入籍しましょう……と、一般的に考えていたのですが、滝田さんと話し合ってその日になりました」
「はあ!? なにがあった。琴子! なにがあった!!」
誰でもない。彼女の仕事のパートナーとも言えるジュニア社長が取り乱していた。皆が年越しと家族とゆったり休暇を取っている間の、目をかけているアシスタントの突然の入籍。そりゃボスとして驚くしかない。
「結婚式もいつだってまだ聞いていないし、準備中だったんだろ? そんな気配これっぽっちもなかったじゃないか! それとも結婚式が出来なくなったとか、そういうことなのか? あ。もしかして……! いや、それは聞いちゃダメなやつか!」
ボスに妊娠まで勘ぐられ、今度は琴子が困惑していた。『突然』というのがいけなかった、やはり仕事の上司にも相談報告するべきだったと後悔しているような顔をしている。
「も、申し訳ありませんでした。そうですね。三好社長にはすぐに伝えるべきでした」
「い、いや、そうじゃないんだよ! いきなり大内琴子じゃないなんて言われてびっくりしているんだよ!! あれか、滝田君だろ、絶対に滝田君が琴子を連れ込んだ!」
男が女を連れ込んだ――みたいな言いぐさに、琴子が恥ずかしそうに頬を染めたが、その通りだったのか上司から目を逸らした。
「あー、ほんっとそういう男だよ! 滝田君は!」
「あの、しばらくは大内でも通るようにしていきたいと思っています」
「そりゃ……、それが今日でなくても元々の予定でもそうなっていただろうしそうしていくし。いや、そうじゃなくて……悪い、頭混乱してきた。ちょっと一服する」
額を抱えてうなだれた三好社長がふらふらしながら、いつもタバコを吸っている窓際の応接テーブルへ行こうとしていた。だがまたハッとしたようにしてミーティングの輪に戻ってくる。
「やばい! 気が動転していた。えーっと、琴子、結婚と入籍おめでとう!」
もうやぶれかぶれとばかりにジュニア社長が叫んだが、それがもうこの日を待っていましたというような祝福ぐあいではなく、そう、なにか、そうだ『ぶっこまれて、びっくりして、もう驚きのままとにかく受け入れた』というとんでもない社長の顔になっているのを雅彦は知ってしまう。
それは他のデザイナー達も一緒で、ジュニア社長がそれだけ動揺すれば、彼らも唖然としたまま拍手をして『おめでとう』と言うしかない。
琴子も『そんなに驚かれるだなんて……』と意外そうだった。もう龍の男の感覚に染まっているとしか思えない反応。
そして雅彦も、目の当たりにしている。
くっそ。あの社長。琴子がいったとおりだ。宇宙に連れて行かれた! 連れて行かれるなにかを腹のど真ん中にぶちこまれた。
大晦日に入籍てなんだよ? 琴子はそんな女じゃねえよ。慎重で堅実でしっかりと吟味して考慮してから行動する慎ましい女だよ。ジュニア社長が言うとおり琴子の考えじゃない、あの龍の男がなにかがあって琴子を動かしたんだ。しかも大晦日てなんだよ? 普通こういうことは事始めとして新年のおめでたい元日にしましょうと考えたりしないのかよ? そうじゃないってことなのかよ??
いつも通りに、雅彦は俺はなんとも感じていない、人の幸せなんて人のもの。どうでもいいと思っていたのし、彼女の結婚についても哀しさも嬉しさも悔しさもない。本当に。なのにこうして『わーーー!!』と人をかっさらっていくあの男の、ハートの塊みたいなものが、俺にぶっこまれた!!!
どんだけいきなりで、どんだけまっすぐで、ほんとうに宇宙に連れていくロケット弾だ。
新年早々、雅彦の心臓はドキドキしていた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
琴子の入籍報告で騒然とした朝。
仕事始めだったがジュニア社長が落ち着かないため、デザイナー達もそわそわしていて、雅彦もその空気の余波を受けていた。とてもじゃないけれど、仕事に集中することができない。
しかも頭の中、ピットで車を見つめているあの男の目しか思い浮かばない。
雅彦はバッグに荷物をまとめて、社長がいる事務所へ向かう。
「三好社長。また龍星轟に行ってきてもいいですか。なんか感じてきたいんです。ついでに、未完成ですがいまあるサンプルを見せたいのですがよろしいですか」
ほんとうはこのタイミングでサンプルを見せたかったわけじゃない。仕事始めが落ち着いた来週にでも持っていこうと思っていたのに。今日、会いたくなってしまった。
タバコを吸っている彼がデザインサンプルを確認していた画面から顔を上げた。
「いいよ」
あっさりと許可してくれたから、雅彦のほうが拍子抜けする。
「わかるよ。あんなん見せつけられたら、おなじ男でも覗いてみたくなるよな」
「はあ……」
やっぱこの人、デザイナーの気持ちがわかる経営者かもと雅彦は今更ながら思ってしまう。
「俺も気になるからさ。絶対にあっちでもいきなり報告されて整備士の親父さんに兄さん達もひっくりかえってるだろうさ。どんなだったか俺にも教えてくれよ」
滝田社長がどんな顔をしているのか、なにを思っていたのか、どうなっているのか。三好社長も知りたいということらしい。
「ありがとうございます。では行ってきます」
「おう。なんか見つけてきな」
快く送り出してくれ、一月の爽やかな冬晴れの空の下、雅彦は愛車のクーパーに乗り込んだ。
空港へと向かう。そこに彼の店があるから。あの空港は海と面しているから、海沿いのコースで行こう。
車を運転していて雅彦は久しぶりに思った。
「インテグラ、また運転したくなったな」
もしまたスポーツカーに乗るなら彼の店でチューンとドレスアップをしてもらおう。そして俺のデザインしたステッカーを貼ってやる。
冬でも青い瀬戸内の海沿い。その道をロケットの弾道を辿るようにしてあの車屋へと雅彦は急いだ。
あの龍の男と早く話したいと思いながら。
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