13.初めての彼女
鈴子と買い物を終え、今度は英児もそれなりに夕飯の支度を手伝う。すると、庭先には、またドルルンと重たいエンジン音。そんな時、鈴子が少し顔をしかめる。
「もう~。また我が家に、厳ついスポーツカーが二台、庭を占領ね。ご近所さんもびっくりしているわよ。あの琴子ちゃんがすごい男っぽい車に乗って……とか」
「すみません。元ヤンの走り屋野郎が影響しちゃって」
英児は冗談で茶化したつもりだったのに、鈴子がハッと申し訳ない顔をする。
「別に、お母さんは英児君のそんなこと気にしていないよ。ご近所さんだって、英児君がよく様子を見に来てくれる良いお婿さんだって言ってくれるし。男前で頼りがいがあって羨ましいって言われているんだから」
「マジですか、それ。えー、俺、そんな褒められたことないんですけど!」
「やだね、この子は。本当に男前で頼りがいあるんだから、自信を持ちなさい!」
鈴子お母さんに、バシリと背中を叩かれる。だが英児は『いて』と思いながらも、嬉しかった。
ここに、娘同様に俺のことを受け入れてくれるお母さんがいるんだなと――。今でもこの大内家にくると元気になれる。
ここはそんな暖かいところ。英児のもう一つの家庭だった。
「ただいま~」
ゼットを駐車させた琴子がリビングに現れる。
「わー。もしかして、今夜はスキヤキ? やったー」
「英児君にいっぱい食べてもらうと思ってね」
「英児さんのおかげね。あ、緋の蕪漬けがある!!」
「それ、英児君のお土産。美味しかったよ。ね、英児君」
対面式のキッチンで鈴子が仕上げた料理を盆に載せて運ぼうとしている英児も笑って頷く。
「いただきまーす」
帰ってきて一番、琴子が側に準備済みの自分の箸をもって、緋色の蕪を一枚、ぽいっと口に放り込んだ。
「こら、琴子。行儀悪いわね。荷物を置いて、手を洗って、座って食べなさい」
「はーい」
あの琴子がちょっと行儀悪になるのも実家だからだろう。そして今でも小さな娘のように母親に叱られるのも。
この家に来ると、そんな彼女も見られる。
冷え込んできた師走の夜。食卓が暖かに整う。
鈴子の目の前に、琴子と英児が並んで座り食事をする光景ももうすっかりこの家で見られるものとなっている。
やはり、母と娘の気兼ねない食事は会話も軽快で賑やか。間に英児もそれとなく入って冗談を言うと、母娘が楽しそうに笑い飛ばしてくれる。
その良いムードを狙って、英児は鈴子と約束したことを弾む会話の中に滑り込ませる。
「なあ、琴子。今度、ドレスを見に行く時、お母さんも一緒にどうかな」
楽しそうに箸を進ませていた彼女が『え』と表情を止めたので、一気にムードが壊れないよう英児は急ぐ。
「ほら。俺ってさあ。そういうファッションのこと良くわかんない男だからさ。上手い相談相手になれないかもしれないだろ」
彼女がまだ黙っているので、英児はさらに慌てる。鈴子は素知らぬ顔で、スキヤキ鍋に野菜を継ぎ足している。
「俺に『どう』と聞かれても、たぶん、どれも『似合う、かわいい』て見えちゃってダメだと思うんだよー」
なんて。咄嗟に言ってみたら、目の前の鈴子がぷっと吹き出していた。
「ちょっと、琴子。本当にここまで『かわいい、かわいい』なんて言ってくれる旦那さんは、そうそういないと思うよ。あなたが、英児さんを大事にしなさいよ」
彼女の母親がいるのに、ついいつもの調子で彼女を『かわいい』だなんて言っていたことに気がついて、英児はいつになく耳まで熱くなり逃げ出したくなった。
だが。そんな英児と母親鈴子の娘を諭す言葉はなんとか効いたようだった。
「そうね。なかなかイメージが湧かなかったんだけど。お母さんにも見てもらおうかな」
そこで鈴子母もほっと表情が緩んだ。結婚式準備の進行具合も気になるし、娘に少し頼って欲しかったのだろう。
次のプランナーと面会の日は、週末の土曜。彼女の母親も共に行くことに決定した。
―◆・◆・◆・◆・◆―
ところが。その『ドレスを母親と一緒に選んでみる』が、大失敗に終わる。
一言で言えば。娘の気持ちと母親の気持ちが大激突。英児は間でおろおろするだけで、割って入って仲裁なんてこともできなかった。
とりあえず、琴子を宥め、鈴子義母を慰め、母娘互いに相手が見えない場所で個々に対応し、その日もなにも決まらず、なんとか琴子を龍星轟に連れて帰る。
琴子は休暇だったのでこの日は店の手伝いはさせず、二階自宅でゆっくり休むようにきつく言い渡す。英児は店を抜けさせてもらっての結婚準備なので、すぐに龍星轟事務室に戻った。
「どうだった?」
いつも事務所で一人。黙々と仕事をこなしている武智が、にんまり興味津々な様子で帰ってきた英児を迎えてくれる。
だが、英児はひとまず社長デスクに座り込んで、これまた気心知れた後輩だからこそ遠慮無くこぼしてみる。
「ダメだった。琴子とお母さんが大喧嘩したんだよ。まさか、こんなことになるなんて」
良かれと思って英児が提案したことだったのだが、それがマイナスに転ぶなんて予想外だった。
だがそこで、眼鏡の後輩が同情のため息をつきつつも、なにやら分かり切った顔で笑った。
「母と娘って、どうやらそんなもんらしいよ。俺の妹と母親も女同士だからなのかな、よく喧嘩している」
「そんなもんなのか?」
そこで武智がまた要らぬことを口走った。
「香世ちゃんもそうみたいだけど。結婚式の相談で旦那と喧嘩、母親と喧嘩、もう結婚式なんて二度としたくない。でもドレスはもう一度着たいって言っていたなあ」
また『香世』。英児は顔をしかめる。
「あのな。そこで香世を出すな。どーして最近、俺が結婚する時になっておまえはいちいち香世のことを口にするんだよ」
すると、武智が社長デスクに向かって、一枚の顧客シートをつきだしてきた。
「香世ちゃんの車、もうすぐ車検。ご案内の葉書を出しておいたら、電話で予約いれてくれたんだ。近いうちに来るよ。で、電話をくれたそんときに、タキ兄が結婚することを教えてあげたんだー」
「ばっか。なんでもかんでも、俺の結婚を報せるなよ。いつもの内輪の野郎共だけでいいだろ」
「その野郎共から、高校時代のあっちこっちに情報行きまくりみたいだよ。あの滝田君がついに結婚、とかね。香世ちゃんもびっくりしていた。『英児君、ついに車以外に好きになれた女の子を見つけたんだ、みてみたい』だってさあ」
それを知った英児は、武智がこれ見よがしにピラピラさせている顧客シートを奪い取る。そして、その彼女がいつ店に来るか日付を確認した。
「良かった。平日だ」
平日は仕事に出ている琴子と鉢合わせをすることはなさそうだと、英児は安堵した。だがそこで武智が白けた横目で英児を見ている。
「隠すことないじゃん。千絵里さんみたいな人じゃないんだから。香世ちゃんは」
「うるさいな。琴子がどう感じる……じゃねえーよ。香世が琴子を見てなにを言い出すか分からないだろが」
「まあね。悪気はないけどお喋りだよね。主婦になってから特に。きっと香世ちゃんの口から、また同窓生女子軍団に広まっているかも。もうみんな、英児君のお嫁さんってどんな子かしらと見たくて見たくて、店に殺到してくれるかも」
「やめてくれ。彼女たち、店に来る『だけ』で終わるんだからな」
一度、そんなことがあった。その時も先導してやってきたのは『車検』を申し込んでくれた香世。彼女が車検をするついでに、何人も同窓生女子軍を連れてきて、英児を冷やかしにやってくるのだ。
「一度、琴子さんを紹介すれば納得して帰ってくれるよ」
そこで武智がまた呟く。
「いかにもタキ兄タイプの女の子だと誰だって納得するよ。だってさ、タキ兄が憧れていた眼鏡の真面目っ子『香世』ちゃん、初めての彼女のルーツそのまんまなんだから」
他人事のように言い切ると、武智は淡々とした眼鏡の横顔に戻って書類に戻っていく。
「おまえ、ほんとのところ、おもしろがっているだろ」
俯いて書類を書き込みながら『まさか』と淡泊な返事だけが聞こえた。だがこんな時、眼鏡の後輩が実は心の中ではくすくすと笑っているのだと、英児はよーく知っていた。
「はあ。香世のヤツ。また何を言い出すことやら」
同級生の彼女。元クラスメイト、英児の初恋、初めての女。そんな過去の関係がある彼女。武智が『香世ちゃん、香世ちゃん』と親しげなのは実家が同じ校区で近所だから。英児はその武智のツテで告白をしたことがある経緯が……。
でもそんな彼女も現在は三児の母。あの大人しかった眼鏡の真面目っ子ちゃんが、今では口も達者で立派なお母ちゃん。
彼女が『英児君、英児君』とまた攻め込むように店にやってくる姿を想像すれば、つい英児も微笑んでしまいたくなる……。
「堂々と紹介した方がいいよー。琴子さんに変に思われないためにもねー」
澄ました顔で事務処理をしているかと思えば、やっぱり英児の心を見透かして茶々を入れる武智。
「うっさいな。香世はもう俺の中では女じゃねえんだよ。同級生でダチってだけだろ。琴子とは全然違うんだからな。二人がばったり会ってもどうってことねえよ」
「当然でしょ。千絵里さんの時のような不手際はもう勘弁ね。合い鍵を回収していない上に、鍵穴もそのまんまってなんなんだよ。私生活ではガード緩すぎ」
ああ、この後輩の生意気な口をどうしてやろうかと。英児は持っていた顧客シートの紙切れで、武智の頭をぺしぺし叩いてから返しておいた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
龍星轟閉店、店じまいを終えた英児は二階自宅に戻る。
母娘が激しく衝突したところを初めて目にしてしまったこの日。英児はため息……。後輩の武智が『母娘とは……』と教えてくれても、やっぱり『いちばんそばにある家族』となる琴子と鈴子義母が喧嘩するのは、英児だって気分が沈む。しかも自分が『母娘でドレスを選んでみても』と提案したことが発端での喧嘩。
しかし。英児はその母娘が何故衝突したか。良くわかっていた。だがきっと、義母の鈴子は『何故、この娘は私が言うことを解ってくれないの。どういうことなの? 何を考えているの』と思っていることだろう。
玄関を開けると、夕飯のいい匂いがした。どんなことがあっても、たったこれだけでホッとしてしまう。
琴子も母親と喧嘩をして落ち込んでも、こうしてちゃんと支度をして英児を待っていてくれたのだと思うだけで嬉しくなる。
「ただいま」
だが、リビングの扉を開けても、キッチンにその支度をした気配があるだけで琴子はいなかった。
油で汚れた手を洗ってから彼女がどこにいるか探すと、ベッドルームにいた。ドアが少しだけ開いている。
「ごめんね、お母さん。ちょっと感情的になっちゃって……」
ベッドに腰をかけ電話片手に通話中。相手は喧嘩別れをしてしまった母親のよう。
「うん、うん。本当はね……。お母さんが言いたいこと、わかっていたの。でもね、私ね、あのドレスを選んだのはね……」
彼女がそこで次の言葉を躊躇っている。英児もそれを知りドキリと心臓が動いた。『それを母親に言うのか』と。彼女が言おうとしていることには、英児も深く関わっていること――。
それをついに。琴子が言ってしまう。
「あのね、その……。いつ、赤ちゃんが出来ても良いようにと思っているの。出来た時も着られるドレスを選んでいたの。本当はお母さんが私に似合うドレスを一発で選んでくれたこと、わかっていたよ。なのに、言えなくて。あそこでは言えなくて。まだ、お母さんには言えなくて……」
言ってしまったか。英児の肩から力が抜けていく……。婚前だけれど、もうすっかりその気で彼女と子供が出来ても良いようなことを繰り返している。それを彼女の母親に知られてしまう。
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