12.いい仕事してますね
幾分か経った頃、三好デザイン事務所からデザイナー一同のサンプルがあがってきた。
英児の社長デスクを全員で取り囲み、琴子が持って帰ってきたサンプル画を拝見する。
一発で気に入ったものがあった。
だがその感覚は、パンサーサンプルの時と同じだった。何度見ても同じ。きっとこれは彼の作品に違いないと確信できる。
『店長の奥さんになる琴子の前カレが混じっている』という先入観を、従業員にも漏れなく無くすようにしてくれたのか、ジュニア社長が再度、作者であるデザイナーの名がすぐには分からないよう作者名のところを白いシールで隠してくれている。それでも英児にはすぐに『彼の作品だ』と一目で分かってしまう。
答も決まっていた。一発でそれを気に入り、そして、龍星轟の男共全員が迷いなく英児が選んだ作品と同じものを選んだ。
その作品の作者名は誰か、作者名を隠してあった白いシールをめくると『本多雅彦』。やっぱり彼の作品。英児のイメージに近いものを、きっちり描いてくれていた。
そして、琴子は……。
「私はこれがいい」
なんと、彼女だけは男共とは違うものを選んだのだ。
だがそれも作者名を開けてみると『本多雅彦』の作品。
男達と彼女が選んだ二種の作品は、同じ雅彦が描いたものでも、かなりの違いがあった。
男共が選んだのは、黒背景にぼんやりと優しくぼやける花の天の川の上を、同じように優しくぼやける紫の龍がゆったり昇っているもの。夜の優しい龍、色気があって華やかで男共は満場一致だった。
しかし琴子が選んだのは、白地に花降る街の中を、黒シルエットのスタイリッシュなスカートスタイルの女性と、緑色の龍が彼女の横に寄り添うように並んで浮かび、颯爽と『ふたりで』散歩をしているようなもの。モダンでどこかレトロ、そしてメルヘンチックなものだった。
それでも琴子は元彼の作品を、こだわりなく選んでいた。わざと避けたわけでもなさそうで、男共は唖然とさせられてしまった。矢野じいが一番最初にため息をついた。
「やっぱ琴子がいて良かったな。男共と女の子の感覚の違いはここにあり。本多君もよ、そこを分かっていて二種類用意したんじゃないか。龍星轟の男共が気に入りそうなレディスイメージ。だが琴子のような女の子が根っから乙女の気持ちで選びたいものとの感覚のずれが、これってことだな。俺達だけ選んでいたら、絶対にこの感覚は分からなかっただろう」
矢野じいの説明に、兄貴達も頷いた。そして英児も……。ここで琴子と食い違う感覚を目の当たりにしてしまう。
いや、違う。琴子のために作ろうと思ったステッカーでもあるが、なによりも『女の子が欲しいと思ってくれるステッカー』が大前提。琴子はそれを良く理解してくれている。だから敢えて、龍星轟の男共と共鳴はしなかったということなのだろう。
しかし、これで決まったことがある。
「どちらにせよ。俺達も琴子も、本多君のデザインで一致ということでいいな」
そこは龍星轟の誰もが揃って頷いた。
課題は残しているが、デザイナーは決定。数日後、英児は三好デザイン事務所とステッカーオーダーの『本契約』を結んだ。
もちろん。このオーダーを請け負ってくれる責任者、デザイナーチーフは本多雅彦だった。
そして英児は最後、唸っていた。
くっそー。前カレ。いい仕事すんな。
敢えてまったく異なるスタイルのステッカーを用意していたところ。恋人としてはよく見てくれなかったと彼女に思われるほど仕事優先だった男が、デザインでは元カノの心を一発で掴んでいたのだから。
これ、内心。畑違いの仕事をしていると分かっていても、英児は悔しくて仕方がなかった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
そろそろ新しい年の足音が聞こえてきそうな頃。英児は外回りの帰り道、彼女の実家に寄ってみた。
同居をすぐに許してくれた琴子の母親が、不自由な足も厭わずに独りで暮らしているので、なるべく顔を見に行くよう、娘の琴子同様に気にかけている。
愛車のスカイラインを、空っぽのカーポートにバックで駐車をする。黙ってこの家の駐車場に停められるのも、今は許されていることだった。
「英児君」
スカイラインから降りると、もう玄関には琴子の母親『鈴子』が杖をつく姿で出迎えてくれていた。
「お母さん、こんにちは。外回りで側を通ったから、寄り道です。これ、お土産」
外車持ちの大地主オヤジの依頼で、町はずれの自宅まで訪問した帰り。その帰りの田舎市場でみつけた『緋の蕪漬け』を義母に手渡す。
「あらー。もうこんな季節なのね。これ、琴子も大好きなのよ」
「え、そうなんだ。なんだ、もっとたくさん買ってくれば良かったなあ」
すると鈴子がクスリと笑う。
「英児君もまだ知らない琴子がいるんだね」
まだ出会って一年も経っていないし、ひと夏つきあっただけで婚約。ある意味『電撃婚』だったかもしれない。だからまだ本当の意味で彼女を知らないことも、いっぱいあるのだろう。
だがそこで、鈴子が妙に疲れた顔で大きなため息をついた。
「ねえ、英児君。母親の私でもちょっと琴子のことが分からなくてねえ」
「どうかしたんですか。うちでは、とりあえずなにも変わったところは見られないですけど」
まあ、中に入って――と促され、英児は大内の家に入る。
この家に来たらすぐにすることも決めていて、まずは一番に亡くなった彼女の父親に線香をあげるようにしている。
英児がいつもの挨拶の儀式をしている間、鈴子がお茶の準備をしてくれるのも、もう毎度のことになっている。
「英児君、珈琲がいいよね」
「はい。お願いします」
「珈琲に緋の蕪漬けっておかしいかしらねえ」
「いえいえ。せっかく買ってきたので、俺にも味見させてください」
リビングに行くと、対面式のキッチンで足と指先が不自由ながらも、鈴子は笑顔で準備してくれている。英児もこんな時は『手伝いましょう』と言わないことにしていた。
鈴子が淹れてくれた珈琲と、英児の手みやげで、ちょっとだけお喋りも恒例になってきた。
珈琲をひとくち。土産の漬物をかじって、英児は改めて聞き直す。
「琴子がどうかしたんですか」
結局のところ、英児はまだつきあって日も浅い『男』。どんなに愛している彼女でも、生まれてから育ててきた母親の鈴子が娘を思う気持ちには勝てるはずもなく、そんな母親が何を心配しているのか尋ねてみると。
「どう。結婚式の準備、話は進んでいる?」
英児はドキリとした。そしてやはり鈴子は彼女の母親だと感じずにいられなかった。
「それが……」
英児が口ごもると、鈴子もどこか残念そうに俯いてしまう。
「貴方と婚約した時、あの子、本当に嬉しそうで幸せそうで。だから結婚式の話もとんとんと進むものだと思っていたのよね。そうしたら、まだなにも決めていないっていうじゃない」
英児は男だし結婚事情に疎いから『そんなものなのか』と流していたが、心の中では鈴子と同じ事を感じていた。
プランナーとの話し合いも、もう回数を重ねているのに、プランナーの提案に琴子が『しっくりしない』を繰り返し、『あの、よく考えて来ます』と言って、すべての話が保留になっている。
慎重で堅実な彼女のことだから、英児と違ってじっくり考えてしっかり吟味しているのだろうかと思っていた。それに結婚式は女性が主役。英児は琴子が望むものになれば良いと思っているから、口出しをする気はまったくなかった。
ただプランナーから『そろそろ式場だけでもお決めにならないと、予約が取れなくなりますから』と釘を刺されたところだった。
「私のところに、パンフレットを持ってきて『どう、お母さん』と聞いてはくるんだけどね。琴子の好きにしなさい――とだけ言うのよ」
鈴子も英児と同じスタンスのようだった。
「もしかして、琴子。お母さんと俺にも『こんな式が良いのではないか』と言ってほしいのでしょうかね」
「そうなのかしらねえ。私も一瞬、そう思ったんだけど。でも、はっきり言って『式も披露宴』もやること一緒じゃない。どこでやっても。だからこそ、好きなところにしなさいと言っているんだけどね」
「逆に。似たり寄ったりで選べなかったりして……」
英児がそう言うと、鈴子が首を振った。
「あの子。二十歳ぐらいの時からね、あのホテルでやりたい~、あのガーデンでもいいわね~、教会は白水台のあそこでやりたい~て決めていたのよ。いまでも、この街の女の子達がこぞって選ぶ人気のスタイルなのに。てっきりそれで行くかと思ったら……なんなのかしらねえ」
鈴子が心配そうに、再度ため息……。英児もそんなお母さんを見ると、ちょっと胸が痛む。
「今度ドレスの実物をみることになっているんですよ。お母さんも一緒に……なんて、どうでしょうかね。俺から、琴子にも言ってみますから」
「あら、そう。琴子が嫌だと言わなければ、それは見てみたいわね!」
やっと笑顔になったお母さん。ご機嫌に珈琲を飲みながら、英児が買ってきた漬物をかじってくれる。
「今夜、うちでお夕食どう?」
「そうですね。いただいていこうかな。店も今日は俺がいなくても大丈夫だと思いますから連絡をしておきますね。あ、それなら琴子が帰ってくるまで、俺、買い物に一緒におつきあいしますよ。車を出しますから」
「そうね、そうしてもらおうかしらね。じゃあじゃあ、今日はお鍋にしよう。ねえねえ、英児君は何が食べたい?」
元気いっぱいに張り切る鈴子を見て、英児も一安心。
近頃はこうして、二人で琴子の帰りを待ってみたりする。その為に英児は寄り道ができる日は、鈴子から夕食を誘われても応えられるよう、夕方は仕事をいれないようにしていた。実のところ、矢野じいを始めとした龍星轟の男達も良く心得ていてくれて承知済み。後遺症を残す身体なのに、娘を嫁に出すために独り暮らしを決意した英児の義母になる鈴子の為にと、男達が協力してくれていた。
琴子も鈴子も気にしないよう、それは男達の間でひっそりとやっていること。
琴子にも連絡――。
『え、またお母さんと買い物をしているのー?』
「うん、そうなんだ。実家でお母さんと夕飯の支度をして待っているから。今日はこっちに帰って来いよ」
『うん、わかりました』
そして娘の琴子も、実家に集うのはやはり嬉しいよう。この日の夕、英児は鈴子と夕食の支度をしながら彼女の帰りを待つ。
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