11.洒落男も負けてねえ
岬ドライブから、しばらく――。
「琴子。今日は俺のスカイラインに乗っていってくれないか」
彼女がそろそろ出勤する時間。英児は身支度を終えた琴子に、愛車のキーを差し出す。
「どうして?」
彼女も不思議そうだった。
「岬に行った時、久しぶりにゼットを高速で走らせたら、ところどころひっかかりがあったんだよ。足回りのメンテナンスと、レスポンスが気になるからCPUチューンをしたいんだ。仕事の合間にやるから、数日間ガレージ入りな」
「そうなの。うん、わかりました」
その日、琴子は英児の黒いスカイラインに乗って出かけていった。
仕事の合間、ガレージで自分のフェアレディZのメンテナンスをする。
英児自身が運転席に乗り込み、オリジナルのアプリケーションで調整をする。データーにアクセスしようと運転席にてノートパソコンを接続している時だった。
「滝田しゃっちょうー。滝田社長ー。社長ーー。お客様ですよー」
いつも口悪い矢野じいがバカ丁寧に英児を呼んだので、『気色悪りぃーッ。なんのつもりだよ』と運転席から顔を出してみると――。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
英児はギョッとする。
矢野じいが妙にニタニタした顔で連れてきたのは、スタイリッシュな身なりの男。ぶっとい黒ブチ眼鏡をかけた雅彦がそこにいた。
「あの、俺のデザインを気に入って頂いたようで、ありがとうございました」
スタイリッシュなうえに、初めてこうして真向かうと、彼もけっこう背丈がある。そんな彼が礼儀正しく、英児に礼をしてくれている。
英児も運転席から降り、彼と向き合った。
「いらっしゃいませ。いえ、サンプルをみて一発で気に入ったので三好さんに、このデザインがいいと伝えただけですよ」
「三好から『しっかりしたポリシーを持っている人気店だから、デザイナーもとことんこだわれ』と……言われまして」
「こだわって頂けることを、強く望んでいます。それで……本日は?」
英児から切り出すと、その素早い切り替えに雅彦のほうが我に返っている。
「龍星轟のサンプルをいまからデザイナー一同で提出する日が迫っているのですが、お恥ずかしながら『こだわれ』なんて初めて上から言ってもらえたのに、そうなると逆になにも思いつかなくなってしまったんです」
描けないほど、考えてくれている。英児はそう感じた。
「どのようなお店なのだろうと、気になって来てしまいました」
「そうでしたか。よかったら、店の中で様子を眺めていきますか?」
「はい。ありがとうございます」
最初からそのつもりだったようで、真顔だった雅彦が初めてホッとした微笑みを見せた。
「専務。店の中の、空いているデスクを彼に貸してあげて」
「かしこまりました、滝田社長」
あの口悪い矢野じいが、いちいち丁寧なのが逆に癪に障る。意味深な笑みを残しつつ、親父が琴子の前カレを店の中に連れて行った。
クソ親父。琴子の前カレと察知して、ワザと『いまの婚約者は、社長様だぞ』と必要以上に持ち上げてくれたな。
英児はそう思った。店のトレードマークを造るに当たり、専務の矢野じいには『気にいったデザイナーが、琴子の元彼だった』という事情は告げている。そこは親父も『そこんとこ、琴子ときちんと話し合っておけ』とは言われたが『その問題は、彼女とはもうきちんと解決済み。三好ジュニアも了承済み』と伝えると、矢野じいも納得してくれた。
矢野じいも『三好堂のデザイナー』と聞いた時点で『琴子の前カレ』と察したことだろう。それで『英児を格好良くみせてやらにゃあ』と張り切ってくれたようだった。しかし、それは英児のためでもあり、ある意味コンプレックスを持っている英児を持ち上げて助けてやったんだぞ、という嫌味でもある。
なーにが。かしこまりました、だ。普段もそれぐらい、社長の俺を敬えっつーの。なんて、一度は師匠に言い放ってみたいなあと思うが、師匠にそんなことしたら、十倍意地悪い切り返しでやり返されるのは目に見えているので、いまは我慢の弟子のまま。
それにしても――と、英児は再びフェアレディZの運転席に戻る。あの雅彦が自らやってくるだなんて。運転席でひとり、既存データーをPCマシンに吸い出し中。ノートパソコンに打ち出される数値もぼんやり見流し、物思いにふけってしまう。
「これ。琴子が毎日乗ってくるゼットですよね」
突然の声に英児は我に返る。運転席から見上げると店に案内されたはずの雅彦が、スケッチブックを小脇にガレージに戻ってきていた。
「そうです。この前、自分が久しぶりに運転をしたら気になったところがあったので、メンテナンスとチューンナップで少しの間だけガレージ入りです」
「ああ、だから。今日はスカイラインで来たんだ」
そして雅彦はゼットをぐるっとひと眺めすると、タイヤを触ってみたり、ホイールを眺めてみたり。
「俺、三十になる前はインテグラに乗っていたんですよ」
「ホンダの……。あ、もしかして、『本多さん』だから『ホンダ』だったりして」
英児の閃きに、雅彦が笑った。
「そう。ホンダだから。子供の頃から大人になったら『ホンダ車に乗る』と決めていたんですよ。単純でしょ。中古だったけれど、シビックも乗っていました。CR-X、プレリュードも乗りたかったんですけれど、最後に選んだのはインテグラ。不規則な時間帯の仕事になったのでドライブに行く機会が減って手放しました」
「すっごい。ホンダ狂じゃないっすか」
洒落た男だから、洒落た男の格好つけで『ミニクーパー』に乗っているのかと思っていたら。なんと、二十代は生粋のホンダ狂!
「こういうのみると、男は多かれ少なかれ、『ときめく』のは当然だと思うんですよね」
洒落たデザイナーの男が、車へのときめきを語ってくれるだなんて。英児はそれだけで、笑顔でうんうん頷いてしまっていた。
「やっぱり。車屋の社長さんの愛車だけあって、エアロパーツもマフラーもホイールもこだわっていそうですね」
「もちろんですよ。走り屋野郎共に『こんな車に乗りたい』と思わせる車でありたいんですよ」
「なるほど。あの、このフェアレディZをスケッチしてもいいですか」
芸術肌の人間が側にくるのは初めての英児。作業姿を隈無く見つめられるのかと思うと、それはそれで面はゆい。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
黒ブチ眼鏡姿の彼が、スケッチブックを開く。彼がパラパラとめくる途中に描かれているスケッチが英児の目に飛び込んできた。
「あの、そのスケッチ。見せてもらってもいいですか」
今度は英児から頼んでみる。雅彦が一瞬だけ躊躇ったのがわかったのだが。
「いいですよ」
すぐにスケッチブックを英児に差し出してくれる。それを受け取り、英児は描かれているものを眺める。
すべて女性用小物のスケッチ。花、果物、リボン、洋服、靴、化粧コンパクト、口紅、香水瓶。などなど。優しい色合い、か細い線で描かれた小物達。それを眺めているとなんだかとても身近に感じられた。その中のひとつ、小鳥の絵を見て英児はやっとその親近感はなんなのかを知る。
「これ、もしかして全部……」
雅彦もなにもかも分かっている顔で、英児が思っているとおりのことを言った。
「さすがですね。やっぱり……、琴子のことをよく見ていらっしゃるんですね。オーダーが『店長の奥さんのイメージで』と仰られたので……。彼女が好きそうな小物をスケッチしてイメージを膨らませていたんですよ」
予想通りだった。しかし英児はそれを雅彦の口から知り、僅かな胸の痛みを覚える。
『さすが婚約者の男。琴子のことをよく見ている』と言ってくれたが、それは雅彦だって同じだと感じた。英児だって一発で判った。すべてが『琴子っぽい小物』ばかりだったからだ。極めつけが『小鳥』。彼女が愛用している乙女チックな眼鏡ケースの模様に、とても似ていた。
琴子は『雅彦君は自分の世界が大事だから、私のことなどあまり気にしていなかった』と言うことがあった。だが、彼女が毎日オフタイムで愛用しているものを覚えているということは『見ている部分もあった』ということ。
「彼女。生粋の女の子でしょ。目立つような子じゃないけど、いわゆる『女子』というものに溢れているというか」
うわー。この男もしっかり今カレの俺と同じことをちゃんと感じていたんじゃないかと、英児の胸はますます締め付けられる。
「そんなガーリーな趣味の彼女と、ハードな旦那さんの感覚を融合させるところで、どうしても躓いてしまって」
それって。俺と琴子が『まったく融合するはずもない違う世界にいるから、デザインしようにもまったく噛み合わない』とでも言いたいのか。なんて、前カレから言われると一瞬だけそう感じてしまう。それはそれですぐに自己嫌悪に変わったりもする。
しかしそこで、なにかを悟っているのか。スケッチブックを見つめたまま黙っている英児から、雅彦自らスケッチブックを取り去っていってしまう。
「……ですが。必ずオーダーに適うものを創ってみせますから」
なのに。雅彦がそこで微かにため息を漏らしたのを英児は見逃さなかった。彼もどこか苦い顔に見える? そこで英児も思い改める。彼にとっても……。別れた彼女と彼女が結婚しようとしている男を融合させるものをデザインする仕事なんて……。もう終わった関係と解っていても、やりにくいに決まっている。
しかし。そこは男同士。各々が持っている『男の情熱』にプライドがあるなら、心に折り合いをつけ、摺り合わせ、ここを互いに乗り越えねばなにも生まれない。
「俺。本多さんの誰にもできない、俺しかできないと訴えかけてくるムードが気に入ったんですよ。頼みますよ」
「勿論です。俺も、いまの龍星轟のロゴと対等になれるものを作り出すことは、久しぶりのチャレンジですから。それに、これが街中の車に貼られる、対象者が多い、これだけの好条件のオーダーはデザイナーにとって願ってもなかなか無い仕事ですから」
そこで英児はやっと知る。多少のわだかまりが残ってはいるが、雅彦が真向かっているのは『東京プロがデザインした今ある龍星轟ロゴ』なのだと。英児が頼み込んだ東京のプロ。いまはこの地方で車好きの男達がこぞって貼ってくれるステッカー。その対になるレディスステッカーを作るには、その中央にいるプロと並ぶものを作り出さなくてはならないということ。しかも『多数の対象者』は、デザインものにはうるさい『女子』達。
もうその気持ちなのか。雅彦はすぐに白いページを開くと、フェアレディZのスケッチを始めた。
英児もその雅彦の気配を感じながら、ゼットのチューンナップの続きをする。
眺めていると雅彦のスケッチは面白かった。ただホイールをスケッチしたり。ハンドルをスケッチしたり。全体ではなく、部分部分。しばらくするとガレージを出て店のあちこちを眺めて、小物や部分スケッチに熱中していた。
午前いっぱい、スケッチを終えると雅彦は『お邪魔いたしました』と従業員ひとりひとりに頭を下げて帰っていった。
その帰り際『滝田さん、よろしかったらどうぞ』と、雅彦が一枚のスケッチを手渡してくれた。
ガレージの中にある、ドアが開かれたフェアレディZのスケッチ。ガレージに駐車している構図なのに、今にも走り出しそうな躍動感あるくっきりした鉛筆線。そしてさっと簡易的に水彩で銀色ゼットとわかるような色塗りもしてくれている。
さすが。と思える一枚。できたら飾っておきたい。でも、複雑……。雅彦が描いたものでなければ、新婚の家に飾りたいぐらい、車好きの男にあわせた力強いスケッチだった。
だがそれを受け取り、英児はますます思う。琴子をイメージした小物のスケッチはいかにも雅彦が描けそうな繊細さで溢れていた。なのに英児をイメージすると、こんなにも男っぽい荒々しいスケッチもできる。そして琴子と英児はこれだけ世界が違うのだということを見せつけられた気がした。
だからこそ。これだけイメージを掴んでくれる男だからこそ。任せたい思いが膨らむのも確かな気持ち。本当に……複雑。
「お、それ。前カレが描いてくれたのかよ。いい絵じゃねーか」
社長デスクで雅彦のスケッチを悶々と眺めていると、矢野じいがのぞき込んできて大きな声。
「やっぱ、プロだなあー。俺のマジェスタも描いて欲しかったなあ」
「親父、黙れ」
そっとしておいて欲しいのに。分かっているのか分かっていないのか、大きな声で英児のもの思いに割り込んできたので不機嫌に呟いた。
どんな倍返しが来るかと構えていると、社長デスクに行儀悪に腰をかけている師匠がただ静かに英児を見下ろしていた。だが眼差しが強面。その眼を見ると英児は今でも緊張してしまう。
「ま、向こうも男だったてことよ」
「わかっているよ」
親父がなにを言いたいか、英児もそれだけで分かる。
「俺もあの洒落男、気に入ったわ。サンプルができたら、俺達にも見せろよ。トレードマークはおまえら新婚夫妻だけのものじゃないからよ」
矢野じいが、この店の専務も認めてしまったら、もう英児だけの問題ではない。そう言われている気がした。
「わかった。サンプルがあがってきたら、この事務所で全員で見て選ぼうぜ」
「だな。その時、琴子も忘れるなよ」
龍星轟全員で選ぶ。矢野じいのいいつけに、英児も強く頷いた。
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