カクヨム先行 おまけ① 本日の龍星轟 走り屋の大失態(武ちゃん視点)
英児が女の子のコートを、車で跳ねた泥水で汚してしまったという翌日。
「じゃあな、武智。留守を頼む」
「いってらっしゃい、タキさん」
武智理大(たけち みちひろ)は、本日も龍星轟、事務所の留守を守る。
社長であって、高校生時代から先輩だった彼がでかけていった。
どうも気になる女性と出会ったとか、あんまりにも気に入ったのかぼんやりしていて走り屋のくせに泥水を跳ねて、その女性を汚したらしい。
朝から悶々としていて、ずうっと社長のデスクでマウスを握ったまま溜め息をついている始末。予定していた整備も『今日の俺は最悪のコンディション、やめておく』と言ってガレージに入らなかった。
いつまでもこの状態だと、あとで面倒なことになると思ったため理大(みちひろ)は、うだうだしている英児先輩にカマをかけてみると、その女性の存在が明らかになる。そしてその彼女が仕事に支障を来たしていたため、理大は『もうどうすればいいかわかっているんでしょ。その通りにしてみたら』と勧めたら、先輩も吹っ切れたのかいつものロケットダッシュで事務所を出て行ってしまった。
まあ、社長さんだし店長さんだし、これぐらいの『私用』どうってことないだろうという、長年後輩である自分の判断だった。
しかしまだまだ警戒をしなくてはならない。もう一人、面倒くさい親父がいるから。
「おう! 武智!! 英児のやつ、いつガレージにはいるんだよ!」
ほうら、来た。矢野じいが来た!
経理事務に勤しんでいたデスクから、理大は笑顔で振り返る。
「タキさんなら営業にでていったよ」
「はあ!? なんじゃ、そりゃ! 今日はそんな予定はないって、朝のミーティングで言っていただろうが~! なんの、どこの営業なんじゃあ!!」
相変わらずでっかい声だなあと、耳を塞いで凌いだ。
しかも全然騙されてくれない、むしろしつこい。
「おう、武智。おめえ、また英児のなにかを味方して隠し事してねえだろうな!」
しかも鋭い。すっごい適当でおおざっぱな親父に見えるけれど、タキさんの師匠だけあって、元経営もしていたし整備の腕は抜群。彼がいるから、若い滝田社長がなんとかやっていけているとも言える。
実は頭の中、わりと細かい思考を持っているこの親父に、タキさんは女のことで出て行きましたなんて言ったら大変なことになるし、理大一人では抑えもきかない。
ここは絶対に絶対に嘘を突き通さねばならない。
「それにな、なんか、あいつ様子が変だったよな。もしかして、それか?」
もう本当に彼の父親かというほどに、彼のことをよく見ている……。
「確かに、おかしかったねえ……」
「なあ、武智。最近、英児のやつ、女ができたとか、そういうこと聞いていねえか」
今度こそ、心臓がドキリと固まった。そこまでわかるんかいっという驚きだった。
「もし女なら、今度は俺が審査する」
「審査って……」
「そんじょそこらの、愛だの恋だの、稼ぎがいい男のことしか考えていねえ女は絶対に不合格! この龍星轟に踏みいることは、俺が許さねえ!!」
いままで愛弟子が、人がよい性格のせいで女性たちにいいように気に入られて、果ては捨てられてなどなど、よい出会いがなかったことをじっと耐えて見守ってきた親父さんも、今度は介入するつもりのようだった。
「ま、それはないんじゃないかな~」
理大もとぼけてみた。
「ま、そうだな。あいつももういい歳だしな。若い姉ちゃんも寄ってはこんか。だったら、なんだろうな……。まさか、あいつ……、また新しい車を買おうかどうか悩んでいるんじゃねえだろうな!!!」
ちょっと予測がずれてきたようで、理大はほっとする。
「か、かもね。でももうガレージ入らないし、これ以上の管理費はタキさんも捻出できないと思うよ」
「武智! 英児が車を買うとか言いだしたら、絶対に絶対に俺に報告しろよ!!」
「了解でーす」
女だったら報告しろとは言われなかったので、理大もひょいっと了解をすると、納得したのか矢野じいもガレージに戻ってきた。
そして。夕方。タキさんが買ってきたのは車ではなく、女性もののコート。
百貨店にあるようなお洒落なショップで購入したのがすぐにわかる大きなショップバックを手にして帰ってきた。
それを見た矢野じいが、目を丸くして、逆にショックだったのかタキさん本人にはなにも言わずに、理大のところにそっと来た。
「武智、なあ武智……。あれ、女物の店の……袋……だよな?」
「……わかんない」
わかっているけれど、騒がれたくないのでまた理大はとぼけた。
「武智……、どんな女か聞いているか」
「知らないなあ……」
「あれ、プレゼントってことだよな」
しかも行動に移ったせいか、タキさんは晴れ晴れとした顔になっているどころか、これからその彼女にもう一度会おうとしているせいか、にっこりした微笑みで事務作業をしていた。
「おっと、終業前にガレージに入っておくな」
コンディション最悪で注意力散漫だからやめておくと言っていたくせに、夕方になってやっと整備の仕事に事務所を出て行った。
それを見た矢野じいが、理大のデスクに千円札を置いた。
「フラれるに千円」
「え~、またそういう賭け事、やめてくださいよ~」
しかし、その後も事務所に戻ってきた整備士の兄貴二人、清家兄貴と兵藤兄貴にも賭け事を持ち込んだ。『英児が新たに気に入った女にフラれるかフラれないか!』。
「俺もフラれるに千円な」
「同じく、俺も千円」
兄貴二人も『どうせまたフラれるか、破局だろ』と軽かった。
「武智は英児の味方だから、恋が実るに賭けるだろ、な」
矢野じいがにっこりと理大に絡んできた。
「俺がそっちに賭けないと賭けが成立しないじゃないっすか。やです」
「お、じゃあ、武智から見ても英児はろくでもない女にお熱ってことなんか?」
うわー、なにげに核心に触れてきて、さぐられている気になってきた。やはりこの親父、侮れない!!
「んじゃ、実るに千円……」
俺が負けても皆さんの分け前なんて少ないじゃんと思いながら千円札を出してしまう。
その日も龍星轟は無事に閉店、終業。
店締めが終わると、タキさんはその大きなショップバッグを持って、スカイラインR32に颯爽と乗り込んで出掛けていった。
翌朝。滝田店長はもういつも通りの凛々しい社長さんに戻っていた。
そのせいか、フラれたのかフラれなかったのかが誰にもわからない。矢野じいに『おまえ、さぐっておけ』と言われてしまう。
彼が午前のガレージ作業が終わって、事務所の社長デスクに戻ってくる。
「タキさん、昨日、彼女にちゃんと渡せた?」
「ああ、うん。渡せた。同じコートがなかったからよう、彼女が欲しがっていたけれどちょっと高めで諦めたってやつ買って、弁償ってことで渡した」
理大はギョッとした。
「彼女が欲しがっていたコートて、どうしてわかったんだよ??」
「え? ああ、百貨店の女物売り場に行ったら、彼女が着ていたものと同じコートをディスプレイしていた店があったんだよ。そこのスタッフの姉ちゃんが、彼女のこと知ってた。ああいうコートてサイズ違いの一点ものなんだってな。確かに、滅多に見ない綺麗な色の洒落たコートだったよ。だから彼女もすげえショックだったんじゃないかな。ほんと、申し訳ないことをした。でも、きっとあの大人っぽいコートもきっと彼女に似合う。頑張り屋の女が着るべきコートだよ」
もう理大はあんぐりとして、兄貴の報告を聞いていた。
「……えっと、気のせいかな。その女性……、ほんとに一回会っただけ?」
ものすごく具体的な彼女の姿を聞かされ、理大は絶句していた。
「そうだけど? 泥水かけちまった夜と昨日コートを渡すために彼女の自宅前の国道、ほら、あの古い煙草屋があるところだよ。あの近所なんだよ。そこで待ち伏せていたら仕事帰りで歩いていたからすぐ会えた」
しかも思わぬことも言い出した。
「勤めている会社もわかっちまった。ま、もう関係ないけどな」
勤めている会社までわかってしまった社長眼にもう理大は驚くしかない。
「ど、どこの会社だったの」
「言わねえ。うちの顧客が経営している事務所だったから」
またまた理大は驚き、今度は思わずデスクを立ってしまう。
「どのお客さん!?」
だけれど、こんな時、元ヤン仲間だった先輩が鋭い目つきになる。それは理大をここまで牽引してきてくれたリーダーの、先輩の、社長の目だった。
「その客と彼女とのことは関係ねーだろ」
そのことを知ったからと言って、その会社に迷惑をかけるようなこと、余計なことはしないという社長の目だった。
「彼女……、受け取ってくれたんだ」
「渋々な。自分が買ったコートより高いコートだからもらえないて断られたけれど、無理矢理、渡してきた」
「そうだよね。百貨店のレディスフロアで売っているコートなら何万円もするものだろうしね。汚したのも一生懸命買っただろうし、タキさんが買った、彼女が諦めたコートもOLさんのお給与では厳しいものだったんだろうね」
「そういうところも、見た目どおり、きちんとしている子だったよ」
「気に入っていたんじゃないの。タイプだったんでしょ、タキさんの。なんのアプローチもしなかったんだ……」
こういうところ臆病な先輩らしいなと理大は溜め息をついてしまう。
「やっぱな、俺、元ヤンの空気とか出てるんかな。彼女、初めて見た夜も俺を見る目が怯えていたし、コートを渡す時も怖がっていたもんな」
怖じ気づいて帰ってきたということらしい。
リーダーシップがあるのに、女の子には弱い先輩。高校生の時からだった。いまもそれが彼のコンプレックス。
「でもな。お洒落な彼女のコートを汚しちまったこと、すげえ気になっていたから、これでよかった。もう、おしまい。会わねえよ」
「勤めている会社知っているのに?」
「だからだよ」
その一言に、理大も悟った。ああ、そういう『事務所できちんとお仕事をしている綺麗めOLさん』てわけか……と。タキ先輩が憧れるタイプの女性で、そして、厳つい元ヤンや走り屋とは縁遠い女性達。だから諦めたということらしい。
「残念だったね」
「おう。いいんだよ。ああいう子には、いいとこの男がつくって」
「ふうん」
あ、俺……。賭けに負けたことになるのかと、げんなりしてきた。
「またみんなで、俺のこと、賭けていただろ」
理大は先輩に見抜かれていてドキリとしたが、その先輩が社長デスクからじっと事務所の外を見ていた。
矢野じいが、気になっているのかワザと事務所の前でうろうろしている。先輩後輩の気兼ねのなさで会話しているその姿が『話題は昨日の女物のコートのこと』とわかっているようだった。
しかも気になるのか、やっとドアを開けて事務所に入ってきた。
「おうおう、英児。昨日の女物のコートどうしたんだよ~。どんな女にプレゼントしたんだ、ん?」
「別に。女とかそんなん関係ねえよ。……俺が、車で、泥水はねて、新品のコートを汚したから、弁償しただけだよ」
今度は親父さんがもの凄くびっくり、ショックを受けた顔で後ずさった。
「おめえ! 車で泥水、跳ねやがったのか!!!」
「う、うるせえな……。あの古い煙草屋の、国道の、水溜まりだったんだよ。あそこすぐ溜まるだろ」
「あの水溜まり! おめえ、あそこに水溜まるってよく知ってる箇所じゃねえかよ! あそこでやっちまったのか」
「……そ、そうだよ」
「マジか、あ、おめえ、やっぱりその子を気にしていたんだな。じゃなければ、走り屋があそこの水を跳ねるわけがない!!!」
うわあ、走り屋だからこそ、あの水溜まりで失敗したのは何故か――突っ込まれている! 理大は唖然とし、タキ先輩もそれは重々承知なのかバツが悪そうだった。
「タイプだったけど、そんなことで迷惑かけたから、きちんと弁償したんだよ」
「そりゃ、弁償せなあかんかったな。それで女物のコートやったんか」
「そうだよ。これで終わったから、もう大丈夫だっつーの」
「それでおめえ、昨日は浮かない顔していたのか」
「走り屋の大失態てやつだよ」
そうかそうか、わかった。納得したと、矢野じいも走り屋の気持ちだからこそ腑に落ちたようで、理大もほっとする。また派手な喧嘩なんかされたら、事務所で器物損害の元ヤン大喧嘩が起きるからね。
数ヶ月後。タキ先輩が事務所に、かわいらしい女性を連れてきた。
お洒落な夏のブラウスにきちんとしたスカート、華奢なミュールに、お仕事頑張っているお洒落OLさんのバッグ。
「大内琴子さん。えっと、彼女……になりました。これから龍星轟に出入りをするので、よろしく」
閉店前のミーティングにあわせて訪ねてきた彼女を、タキ先輩が紹介した。
整備の兄貴二人は大歓迎、だけれど矢野じいは既に『審査開始』しているのか警戒した恐ろしい目つきで彼女を睨んでいる。
しかもタキさんが驚くことを付け加えた。
「えーっと、コートを汚しちゃった彼女……なんだ」
理大は前もって聞いていたので驚かなかったが、矢野じいと整備兄貴ふたりは仰天していた。
そばに控えていた琴子さんもちょっと頬を染めて恥ずかしそう。
走り屋のあの失態が出会いのきっかけ。なにがあったか知らないけれど、数ヶ月経って、彼女とまた会えるようになったらしい。
「くっそ、武智。あの女、お洒落すぎるぞ、めっちゃいいとこのお育ちの匂い、ぷんぷんするぞ」
「いまどきのOLさんなだけじゃん」
「ああいうのと、英児は合わんのじゃ! わかっとるんじゃ!」
はいはい。それはこれから見守って行こうねと、なんとか親父さんを宥める。
さらに理大は矢野じいに告げる。
「賭けに勝ったの俺だよね。あの時の結果、訂正して」
あとで整備の兄貴二人にもあの時の賭け、俺が勝ったじゃんと言っておかなくちゃ。
「まだわからん。すぐに破局するかもしれないじゃねーか」
「はあ、もっと暖かく見守ってやろうよー」
賭け事の結果が出るにはまだ数ヶ月かかるらしい?
龍星轟に琴子さんが来るようになった。
数ヶ月後、理大は賭けに勝ったことになった。
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