50.誓い


死んだような顔で和也は大通りを歩く。

もしエリナが、そう考えると昨日は一睡も出来なかった。

和也の胸に、不安が巣食う。

家に閉じこもってると、このまま不安に押しつぶされそうになると思い、とりあえず出てきたのだが、あまり意味は無かったのかもしれない。


行く宛もなく彷徨い続ける。


「痛てぇな、前見て歩け!」

「す、すいません。」





───そして、何度も人にぶつかりながら辿り着いたのは、寂れた小さな公園だった。


自分が今、王都の何処にいるのか分からないが、もう歩き疲れた。

ギィ、と軋む長椅子に腰掛ける。

和也の頭の中は昨夜のことで、埋め尽くされていた。


僕は、どうすればいいんだ。


びゅう、と夏とは思えないほど冷たい風が吹く。

夏の終わりが近付いていることを理解させられた。


…エリナを見捨てることなんて出来ない。

でも、このままあの化け物を放置してもいいのか?

レーナさんにレント君達、あと、ロンドさん達。

異世界に来て、知り合いも出来た。


頭をよぎるのは知人の顔ぶれ。


邪魔をするな。

つまりこれから魅了されることを伝えるのもダメなのだろう。

事前に分かっていたら魅了されないから。

魅了が効かない者は殺すと言っていた。

言ったら、皆殺されるかもしれない。

アリシアさんのことだ、皆で逃げたら必ず殺しに来るだろう。

勇者組を使って。

そんなの、太刀打ち出来る気がしない。

エリナ一人ならともかく、皆を守れる自信なんてない。

それに、エリナは最初から魅了の条件に引っかかるから、そもそも追い掛けて来ないかもしれない。

しかし、ただ魅了されるだけだとは限らない。

もしかしたら他に色々なことを無理矢理やらされるかもしれない。

それを無視するなんて……



皆との思い出が蘇る。


レーナさんには本当に色々助けて貰った。

何でも相談出来て、僕の背中も押してくれた。

こんな事を思ってるなんて失礼かもしれないけど、本当の姉みたいに感じていた。


頭の中でレーナが優しく微笑む。

あの笑顔に何度勇気づけられたか。



レント君達とクエストに行くのはとても楽しかった。

以外と親孝行なレント君に、一番頭のいいルーク。

ニニャは臆病だけど根はしっかりしていた。

あと、超絶天使なリリィちゃんに、いつも不機嫌そうにしていたルル。


ワイワイと、賑やかに過ごすのは和也の人生で初めてのことだった。



ロンドさん達には冒険者関連のことでかなりお世話になった。

いつも僕とエリナを気にかけてくれていて、とても頼れる先輩だった。

役立つ知識とか、モンスターの対処法とか色々教わった。


いちいちカッコつけるロンドにガハハと大仰に笑うドイル、それを困った顔で肩を竦めるナーシャ。

因みに三人は幼馴染みらしい。



…でも、皆には悪いけどやっぱり僕はエリナが一番大事だ。


ムスッと怒った顔に、泣いた顔。

鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌の良さそうな顔。

それに、大輪の花のように咲いた笑顔。

どれも好きだ。

これからももっと見たいし、ずっと傍に居たい。


答えは決まった。

僕は、


皆の顔が霞のように消えてなくなる。

悔しさをぐっと噛み締める。



僕は、エリナを選ぶ。



────────────────────



コンコン。

和也はドアをノックする。

前回とは違い、初めからちゃんとドアノッカーを使った。


「はーい、今行きます。」


と、この前来た時と全く同じ返事が返ってくる。

数秒後、ドタドタと急ぐ足音が鳴り、扉が開く。


「あ、お久しぶりです。」


エリナの母親は柔らかな態度で和也を出迎える。


「あ、はい。お久しぶりです。…あの、エリナ居ますか?」


その女性は再びニヤニヤした笑みを浮かべた後、「ちょっと待ってて下さいね。」と言い残し、扉の奥へ消える。

その時、中に案内されたが、遠慮しておいた。


数分して、急いだのか息を荒くして顔を赤らめたエリナが出てきた。

淡い青色のワンピースがよく似合っていた。


「い、いきなりだけど、どうしたの?」


和也は「ちょっと話があって。」そう言って庭のベンチに移動した。



青々と育った芝生に乗った露が陽光を反射し、黄金色に光る。


このまま二人でそれを眺めながら座って居たいのだが、そうはいかない。

和也は意を決してエリナの方を振り向く。


「エリナ、僕と一緒に他の国まで行ってくれないか。」

「え、…どうして?」


エリナの瞳が動揺に揺れる。


「ごめん、理由はまだ言えない。…でも、このままじゃ危険なんだ。」

「カズのことは信じてるから、理由は聞かないけど。…行くって何処へ?」


王国がそう簡単には追ってこれない場所が良い。

となると、王国と敵対している帝国だろうか。


「まだ、確定してないけど。…帝国にしようと思ってる。」


帝国と聞いて、何かを察したのだろうか。

エリナが神妙な顔つきになる。


「それっていつぐらいから?」

「出来れば今すぐにでも。」

「……」


エリナが和也の目を見つめる。

急なことだから、拒絶されるかもしれない。

怖い。


「…ごめん、何も説明出来なくて。こんなんじゃ、普通は決めれないと思う。本当は今すぐ出たいけど、一応まだ猶予はあるから後でじっくり───」

「…分かった。うん、いいよ。」


和也が言い切る前にエリナが口を挟んだ。


「カズに着いて行く。」

「…本当に?」


震える声で問う。

それに「うん。」と彼女は答えた。


「カズのことだから、ちゃんと私のことを考えてくれてのことだと思う。それに、」


エリナが両手で優しく和也の頬を包む。


「カズ、苦しそうな顔してる。いっぱい悩んで、私のことを考えてくれたんでしょ?…ありがとね。」


その手で和也の頭を優しく撫ぜる。

エリナへの想いが溢れ出す。


「きゃっ。」


気が付けば、エリナを強く抱き締めていた。


「好きだよ、エリナ。……ありがとう本当に。」


エリナの肩に顔を埋めたまま、気持ちをさらけ出す。

自分でも止めることが出来なかった。


「…うん。私も、カズのことが………好き。」


最後の言葉は小さくなっていたが、和也にははっきり聞き取れた。


そのまま、ずっと抱きしめ続けた。



────────────────────



「…じゃあ、母さんに言わないと。」


顔を赤らめたエリナが和也を優しく引き離す。

和也としてはもっと抱きついていたかったのだか、和也からもエリナの母親に言わないといけない。

渋々、とりあえず諦めた。


二人で手を繋いで、扉の前まで来る。

そして、エリナがドアノブを握ったその時。



「エリナ・フィールさん、ですね?」


ガチャガチャと鎧を鳴らしながら10人の騎士が近付いてきた。

その真ん中の騎士が懐から紙を取り出し、前に出る。


「…え、あ、はい。」

「あなたには現在、魔族に勇者の情報を渡したということで、反逆罪に問われている。我々に同行して貰おうか。」

「……え?」


エリナが何を言われたか分からないように目を白黒させる。


まさか、アリシアさんが動いたのか?

でも、まだ何もして無いのに。


「ふざけるな!エリナはそんなことしてない!」


咄嗟に叫ぶが、騎士はまるで和也の言葉が聞こえなかったとでも言うように無視する。


「…わ、私は、そんなこと……」


和也の手を握った手に力が入る。

その手は小刻みに震えていた。


「これは裏も取れている、さっさと来て貰おうか!」


和也は今、何も武装してない。

エリナが守りながら逃げることは難しいだろう。

なら───


「僕が時間を稼ぐから、全力で逃げてくれ。」

「え?」


小声でエリナに話し掛ける。

しかし、目は騎士を睨んだままだ。


「僕は今何も武装してないからあまり時間を稼げないかも知れないけど、エリナが逃げる時間だけは稼いでみせるから。」

「で、でも。」

「時間は掛かるかもしれないけど、後で王都の外で落ち合おう。」

「……分かった。」


渋々な様子でエリナが了承する。


「いくよ、3、2、1──」


1と言い切る前に和也は騎士に向かって駆け出す。

ちらりと振り返るとエリナも反対方向に駆け出していた。


「はぁ!」


和也は一番前に立っていた騎士を思い切り突き飛ばす。

不意だったお陰か、和也の予定通り背中から倒れ込む。

騎士は鎧を着ている。

起き上がるのに少し時間が掛かるだろう。


あと、9人。


「あぁぁぁー!」


和也は力強く咆哮を上げながら騎士に突撃する。



────────────────────



「はぁっ、はぁっ。」


エリナは路地の隙間をジグザグに駆ける。

周りには騎士もいた。

ここら辺一帯に散らばっているのだろう。


騎士を避け、王都の外に向かい、走り続ける。

もう少しで王都の門となったその時、前方に一人の男の背中が見える。

鎧を着用してない。

騎士では無いのだろうか。


近付くと、エリナに気が付いたのか振り返った。


「っ!!」


燃えるような真紅の目。

そんなの、この世界で一つしか該当しない。


「…魔族。」


その魔族はニヤッと裂けたような笑みを浮かべる。


「おやおや、こんにちはお嬢さん。道に迷ったのですか?こっちは街の外ですよ。」


どうしてこんな所に魔族が。


「別に迷ってない。そこを通して。」

「ああ、なるほど。」


魔族が得心いったように手を打つ。


「ですが申し訳ありません。私はここであなたを捕らえるように言われてますので。」

「!!」


それを聞いた瞬間、魔族の言葉に戦慄する暇なくエリナは振り返り、元来た道を戻ろうとしたのだが、戻れなかった。

道が黒い『なにか』に塞がれていたのだ。


「何、これ。」


固まるエリナに魔族がゆっくり一歩づつ近付いてくる。


「残念でした。」


エリナの意識はそこで途絶えた。



────────────────────



「ぐっ!」


和也は勢いよく地面に押さえつけられる。


どれくらい時間を稼げただろうか。

あの洞窟で上がったレベルのお陰で結構稼げたと思う。


エリナは……


「無駄ですよ、サエグサ様。」


頬に付いた泥を拭いながら、騎士の一人が近付いてくる。


「何十人もの騎士達でこの辺りを包囲しています。武装も何も無い彼女が逃げるのは不可能ですよ。」


和也は気が抜ける様な思いがした。


じゃあ、エリナは。


「…なんで、エリナを?」

「魔族に勇者様達の情報を売り渡したからですよ。…その結果、サトウ様が。」


騎士が目を伏せる。

佐藤の死を悲しんでいるようだ。


「あなたは、おかしいと思わないのですか。」


和也はその騎士に怒りの矛先を向ける。


「何がですか?」


何もおかしいものが無いと騎士がとぼける。

いや、とぼけたのではない。

本当に分からないのだ。

魅了によって操られているのだろう。


「どうして佐藤さんが殺されたのに、僕達は殺されなかったんだ?普通に考えたら不自然だろ!」


この場に居る騎士全員に聞こえるように叫ぶ。

無理な体勢で声を出したせいで喉が痛むが、そんなこと知ったことじゃない。


「……?」


さっきまで佐藤の死には感情を表していたのに、和也の呼び掛けにはどうでもいいかのような態度をとる。


「アリシアが、この国の王女が、剣崎を魅了する為に、魔族を使って佐藤を殺したからだよ!……ぐっ!」


右の頬を殴られた。

熱い。

焼けるように痛い。


「今のは、アリシア様を冒涜した罰です。例え、あなたがエリナ・フィールに誑かされ、世迷いごとを信じ込まされたとしてもそれはダメです。」


騎士はそこまで言ったあと、自分の右頬を殴る。

口を切ったのか唇の端からは血が流れていた。


「アリシア様にはあなたは無傷で捕らえるよう言われていますので。これは、あなたを殴った私への罰です。」


キモチガワルイ。


騎士の目はアリシアを信奉する信者そのもので、そのあまりにも異常な様に吐き気がする。


「大丈夫でしたか?痛くはありませんでしたか?殴ってしまってすみませんでした。」


全身の力が抜ける。

もう、何も力が湧いてこなかった。


「…エリナは、どうなりますか?」


騎士が考えるように腕を組む。


「そうですね、反逆罪ですから。審問の後に処刑になるかと思います。」

「……処刑。」


エリナの死を想像した瞬間、地面が崩れ落ちる様な気がした。

平衡感覚を失い、目が回る。

目が眩み、ぐにゃぐにゃと視界が回る。


ぐるぐるぐるぐる。


「……おえっ。」


そして、耐えきれず胃の中身をぶちまける。


「だ、大丈夫ですか!私が殴ったせいですか!?」


騎士の慌てる声を聞き流しながら和也は決意する。



エリナは何としてでも必ず助ける。



胃液の酸い味を噛み締めながら、そう誓った。

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