9.覚悟
ズブリ、という生々しい音が鼓膜を震わせ、短剣が滑るようにゴブリンの体を貫く。
ユニークスキルの『弱点感知』が発動したのだろう、自然と何処に短剣を突き刺せばいいのかが分かった。
ゴブリンはグギギと力無く呻いた後、びくりと体を震わせ動かなくなる。
先程まで僕を殺さんと棒を振り上げていたはずの右腕はいつの間にかだらんとだらしなく垂れていた。
「うわあ!」
と僕は反射的に飛び退こうとするが、足が絡まり、尻餅をつく。
べちゃりという音と共にゴブリンの体が地に沈むのが視界の端に映った。
「痛てて。」と呟きながら右手で患部をさする。
「あれ?」
右手に違和を感じ掌を見る。そこにはべったりと赤黒い液体が付着していた。
うっと朝食を逆流させまいと左手で口元を覆う。
ゴブリンの方を見ると、短剣が突き刺さったままの所からどくどくと絶え間無く血が流れている。
まるで霞がかかっているかのようにぼんやりとした頭の中でこの小さな体の何処にこれだけの量があったのだろうと考える。
地面にはゴブリンの体を中心として赤く丸い染みが出来ていた。
殺した。僕が。本当に?などといった言葉が頭の中を駆け巡る。
僕の異変を感じ取ったのかルークさんが駆け寄ってきて何かを話掛けてくる。
…何言ってるんだろ?
言葉を理解することが出来なかったが、表情から僕を心配してくれていることだけは分かった。
僕はルークさんに大丈夫だと伝えようとするが、喉が詰まり、上手く言葉が出てこなかった。
なので僕は会話での意思疏通を諦め、大丈夫だと言うように右手をひらひらと降る。
…短剣を回収しないとな。
頭の片隅に芽生えた思考を実行するべく僕は立ち上がる。
ルークさんがまだ何か言っているがそれを無視しゴブリンの方へ足を一歩踏み出したその瞬間、僕はまるで糸が切れたマリオネットのように崩れ―――そこで意識は途絶えた。
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「ちょっとガイル!魔物がゴブリンだなんて聞いてないわよ!」
ばんっ!と大きな音を立て入室してきたのはレン・マイヤーズ近衛副団長だった。
「お前も最弱クラスの魔物を倒させる事に賛成してただろ。」
「確かに最弱クラスの魔物を倒させる事には賛成したわ。でもゴブリンは無いでしょう!あの子達は魔物も居ない平和な世界から来たのよ。それなのにいきなり人型なんて!リトルスライムやリトルボアとかにすべきだったのよ!」
「お前に相談せずに勝手に決めたのは悪かったと思っているが、俺はゴブリンにして正解だったと思うぞ。」
「…あの後ほとんどの人が気分が悪くなっていたし、気を失った人も少なくなかったのよ。武器を取り落とし殺せなかった人もいた。どこが正解なのよ。」
腕組みをしたレンが呆れたように言う。
一応上官なんだからその態度はないだろ。
まあ他に誰も居ないからいいけど。
「それこそリトルスライムやリトルボアだったらもっと戦えない奴が居たはずだ。あいつらはペットとして飼われるほどの見た目だしな。それにあれを話したらゴブリンに同情することも無くなるはずだ。現に殆どが話を聞く前と後で表情が違ったぞ。」
「…確かにあの話をしたらゴブリンに少なからず敵意は沸くでしょう、でもあなたはどうなの。」
「どうとは?」
「あの話―――いいえ、リンの話をして一番傷つくのはあなたでしょう。」
「大丈夫だ。5年も前の話だからな。もう折り合いはついた。」
嘘だ。
あの時こうしていれば等とまだ後悔している。
恐らく一生折り合いがつくことなんて無いだろう。
こんな嘘、レンにはバレバレだろうな。
レンは一瞬悲しげに顔を歪めた後、俺に背を向け。
「もっと私にも相談してよ、私達幼なじみじゃない。」
と言い残し、部屋を出て行った。
「もっと相談してよ、か。」
ガイルは虚空を眺め、ぽつりと呟く。
俺、レン、そしてリン。
昔は何処へ行くのもずっと一緒だった。
いつからこんなに壁が出来たんだろうか。
「俺は、いや、俺達は何処へ向かってるんだろな、なあリン。」
返事は無かった。
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「知らない天井だ。」
そんなありふれた台詞が自然と出てくるほど、知らない天井だった。
僕はぐっと腹に力を入れ、上体を起こす。
今までベッドに寝かされていたようだ。周りは緑色の半透明な液体や包帯が陳列された棚や、カーテンに囲まれている。
つまりここは医務室なのだろう。仄かにアルコールのようなつんとした匂いがする。
「ああそうか、僕はさっき気を失ったのか。」
さっき───それは僕が初めて魔物を───ゴブリンを殺した時。
ゴブリンの皮を切り裂き、肉を抉る。
その感触がまだ手にこびりついている。
右手を布団から出し、目の前まで持ち上げる。
綺麗に洗われている右手からは何故か血臭が漂っている気がした。
ベッドから下り、ふらふらと頼りない足取りでカーテンを開ける。
「あ、起きたんですね。」
と、朗らかな笑みを浮かべ、そう言ったのはシスター服のようなものを着た黒髪の女性だった。
恐らく彼女は
その証拠に、彼女の手元にはカルテみたいな紙があった。
「僕はどれぐらい寝てましたか?」
「ええと、10時間位ですかね。」
そんなに寝てたのか。
窓の外はもう夜のとばりが落ちていた。
「どうしました?顔色が悪いですけど大丈夫ですか?何か相談があるのならおねーさんが聞いてあげますよ。」
彼女が心配そうにこちらを見ている。
おねーさんって、見た感じそんなに歳、変わらなそうだけどな。
まあ、聞いてくれるなら言ってみるか。
「さっき僕初めてゴブリンを殺したんですよ。」
「おめでとう?」
彼女が小首を傾げている。
「いやまだ続きがあるんですけど。…それでその、罪悪感というか。殺すのはガイルさんの話を聞いたから間違っているとは思わないんですけど、初めてだったから、それをどう受け止めたらいいのか分からなくて。」
彼女が真剣な顔で頷く。
「私はね、見ての通り
これは元の世界でも聞いたことあるな。
確かトリアージだったっけ?
「本当は全員助けたいんだよ。でもね、見捨てないといけないときがある。その人の身分だったり、状態だったり。」
「その時、どう受け止めてるんですか?」
「…私はそれは仕方がないと割り切ってる。」
仕方がない、か。
僕はそんな風に割り切れるんだろうか。
「でもね、見捨てた人を―――その時の痛みを忘れてはいけないと思う。それを忘れた人に人を助ける資格は無いと思っているから。だからね、君もその痛みを忘れず、ちゃんと向き合うべきなんじゃないかな。」
「…僕に、そんなこと出来ますかね?」
「出来るよ、だって君は勇者なんだから。」
「…ありがとうございました。もっと自分の中で考えたいと思います。」
「うん、頑張れよ、少年!」
僕は彼女の声援を背に、医務室を後にした。
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