第3話 協力者

 白い小さな手と、褐色の大きな手は契りを交わす。固い握手をして、満足げに微笑んだカイルは嬉しそうに椅子へと座りノクスがプレートを見つめる。カップに注がれた湯気をたてる紅茶と皿に置かれたビスケット。それらをカイルはなんの断りもなく口にした。


「うん、美味しい。ノクス、紅茶淹れるの意外と上手いね」

「お褒めいただき光栄でございます」


 にこりと笑みを浮かべたカイルの向かいに着席したノクスは、彼の言葉に安堵したように息をつく。

 両者が席に着いたところで話が始まるかと思いきや、唐突に思い出したように声を上げたカイルが、上着の内側に手を入れる。


「君への誤解も解けたことだし、これはもう出しておくよ」


 なんでもないように取り出したそれは、幼児の手には有り余るほどの折り畳み式ナイフだった。

 本来幼児の上着から出てくるものではないが、曰く身に危険が迫った時に備えてのことだという。


「僕、外見はこんなだから、ナイフなんて持ってるのは異様だと思うけどね。でも、僕やクリスが危機に瀕した状況を考えれば、そんなこと言ってられないでしょ」

「仰るとおりです。ですが、つまり貴方が私のことを思い出さなければ、これでやられていたかもしれないということですね」

「そういうこと」

「思い出していただけて良かったです、ほんとうに」


 カップを手にしながら問うたノクスの言葉を、カイルは当然のように肯定し、静かにナイフをテーブルに置く。勿論、刃は折り畳まれた状態だ。

 ナイフから手を離して、カイルは漸く本題へと話を向けることにする。

 ノクスが何者であるかをカイルは理解した。ならば、どのように支援してもらうか。その点を考えねばならない。

 どこから決めるべきかと思案する一方で、ノクスはぽつりと話を切り出した。


「カイルさん今更な事項ではありますが、……本当に、私には百人力と称されるほどの価値があるのでしょうか」


 彼が言いたいことをカイルは理解し、あぁ、と相槌をして打つ。

 カイルの言葉を疑う訳では無いというが、それでも気にかかる理由は、ノクスのもつ色にある。

 肌の色、髪の色、瞳の色――彼はそのどれもが異質であった。

 クリスほどでははないが黒い肌は言わずもがな。髪は本来はさほど異質でもないが、肌の色が違えばその認識も変わる。そして左右で異なる目の色も差別的に見られる要因のひとつ。

 現在の世では冷遇されても文句も言えないものを背負った者には過大評価ではないか。それを気にしての問いだと分かっているが、それでもカイルは溜息をつきたい気分になった。

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せたカイルの様子を受けて、済まなそうに目を伏せた。


「……やはり、失礼な質問でしたか。申し訳ございません」

「いや、気持ちは分かる。でもね、今の僕にはなんであれ大人の力が必要なんだよね」

「……被差別者でも、ですか」

「うん。被差別者でもなんでも、僕の復讐に協力してくれるなら有り難いものだよ。だからあまり卑下しないで。……さて、そろそろ本題に入ろうか」


 紅茶で唇を湿らせ、再びカイルは言葉を続ける。


「お互いクリスを救いたい、自由にしてあげたいっていう気持ちに変わりはないと思う。でも、クリスはまだ話すことすら練習中の身なんだよね。だから今のまま解放しても良くないと思う。例えば、ある程度話せるようになってから、あの大人たちの呪縛から解放したい」

「それは同感ですね。何も無い状態で外に出したところで、クリス様が苦しい思いを――」


 その刹那だった。言葉を遮るように向けられた冷たさに、ノクスは息を呑む。テーブルに出していたナイフの切っ先が黒い肌を撫でようとしており、その持ち主であるカイルの目には、狂気的な怒りが宿っていたのだ。

 直後、ノクスは何かに気づいたように顔を歪め、両手をテーブルから離し、途切れ途切れに謝罪を口にした。


「……大変、失礼、しました」


 弱々しい声にカイルは無言で刃先を下ろし、ナイフを折り畳み、眉を下げた。ごめんね、と慌てて口にした言葉にノクスは首を緩く振る。

 一見、ノクスのなにが気に障ったのか不明とも言えるやり取りだが、それは次のカイルの言葉が答えとなる。


「でも次、あの子のことクリスって呼んだら、本当に刺すから」


 光のない瞳と共に投げられたその言葉に、呆れを秘めながらノクスは苦い笑みを零す。

 カイルは、名付け親は自分だという強い気持ちがある故か、自身以外がクリスをそう呼ぶことをひどく嫌っていた。それがとても理不尽であることはカイル自身も理解していたが、嫌なものは嫌なのだ。

 なら彼をなんと呼べばいいのか。その疑問には、ノクス自身で答えを出す。

 暫し思案した後、彼はクリスの呼び方をこう改める。


「……では、貴方に刺されぬためにも、今後はご令兄と呼ぶか、もしくは『シン』様と呼ぶことにいたしましょう」

「それはいいけど、シンって名前の由来はなにかあるの?」

「もちろんです。私にとって、あの方は美しい月なのです。ならば、月に由来する名で呼びたいと思っても、おかしくないでしょう」

「あぁなるほど、面白いところからもってくるね。……月か、うん。いい表現だ」

「ありがとうございます」


 ノクスの説明でカイルが真っ先に思いついたのは、古代に中東地域で信仰された神話の神である。その神話においては最高位の地位を有したともいわれるその月神は、人々の保護者として厚く信仰されたという。

 月がイメージだからとて月神からとるのは安直ではあろうが、割と良い名前ではないかと考えつつ、何事もなかったように話を戻す。


「クリスにしっかりと教育を施すことも大事だけど、それ以外にも環境を変えるべきではないかっていうのも、つくづく思うんだよね」

「今は、シン様はどのような場で暮らしているのですか?」

「薄汚い小屋だよ。そこで、よく僕の親がクリスに暴力を奮うんだ」

「ひどいものですね、許せません」

「うん。だから、僕は彼等を始末するつもりでいる。言ってしまえば報復というか復讐というか」

「貴方ならそう言うと思ってました」


 まるでフィクションの顛末を説明するように淡々と口にしたカイルに、同じようにノクスも冷静に返す。

 ひとつ付けくわけておくが、カイルは親へ対する情がないわけではない。自分を産み育て、一人息子として相応に愛情を注がれていることは分かっているし、感謝もしている。父親の稼ぎのおかげでそれなりに裕福な生活ができていることも、充分理解している。保護者を失えば、カイルは1人で生きていけないであろうことも。

 しかし、彼等の差別意識やクリスへの理不尽な暴行はどうしても許せなかった。

 クリスの存在を拒絶するならどこかの施設に預けるか、生まれて間もない時期に捨ててしまえばよかったのだ。それなのに中途半端に扱い、結果的にはただ暴力を受けさせるだけの道具にしている。

 そんな二人は理不尽に苦痛を強いられて死ねばいいと思うが、今すぐ衝動的に殺すのは悪手だと判断し、まずはクリスを引き離す選択をとる。そのためにはこの場所を利使おうと考えた。


「ノクス、ここでクリスを預かってもらうことはできる?」


 その提案に、ノクスは短く声を上げて声も出ない様子で暫しの間硬直する。信じられないとばかりに目を見開き泳がせて、それまでの冷静さなどどこかへ捨てたようであることは明らかだ。数十秒後、漸く言葉を発した彼の声は、やけに震えていた。


「あの、預かるって……ここで、ですか」

「そうだよ。なにか困ることでもあるの?」

「いえ、決してそのようなことでは!」


 ノクスは慌ててカイルの言葉を否定し、途切れ途切れに弁明をする。

 決して困るわけでも嫌なわけでもない、むしろ身に余る光栄だと言ったが、ただ、自分が保護し、あまつさえこんな狭い部屋で過ごさせるなんて罰当たりではないかという気がかりがあるのだそうだ。

 しかしカイルから見れば、ここは物は多いがあの小屋よりはずっといい。きちんと人が住める空間だ。それに、ノクスはクリスを苦しめるわけが無いと確信しており、更には保護者として振る舞うにしてもさほど違和感がない。現状を思えば保護者としては最善といえる選択でもあった。


「それでも断る?」


 説明を受けたノクスは、迷いを見せていたが、少し考えて意を決したように頷く。


「そういうことであれば、このノクス、謹んで、いえ、喜んでお引き受けいたしましょう。……それで、その、いつ頃からのご予定で?」

「そうだね……別に今から会いに行って事情を話して連れてくるかい? 僕はそれでもいいよ」


 何気ない提案のつもりだった。思い出させてくれた礼や、大役を引き受けてくれたノクスへの褒美のようなものを兼ねてはいるが、特に他意もない、信頼する相手への些細な提案だ。

 カイルは、思案と共に伏せていた目を向けて、僅かに口角を上げる。その先にいるのは、丸くして声も出ずまたも硬直するノクスで、彼はまるでカイルの言葉が信じられないと言うように、口を開けていた。

 そして次の瞬間。異なる色の双眸から、ぽろりと雫が零れ落ちた。


「えっ」

「……っ」


 見間違いではなかったようだ。今確かに、目の前の男は静かに泣いている。はらはらと瞳から涙を溢れさせ、黒い肌の上を滑らかに落ちていくのが確認できる。

 突然目の前で泣かれたことに動揺を隠しきれず当惑するカイルの前で、ノクスは慌てて袖口で涙を拭った。


「すみません、あまりにも、私のような者にはあまりにも光栄で……」

「……いや、いいよ、別に。……驚きはしたけど」

「申し訳ございません……ご対面できるということも、彼のために尽くせるということも……えぇ、とても、幸福です」

――……ここまで涙脆いとは。

 溢れ出る涙をどうにかしようとする彼の様子を目に、呆れた気持ちでぎこちなく言葉を続ける。


「そう、だったの。……君がクリスをどう思ってるかは気にしないようにしてたけど、やっぱり中々の熱の入れようだね」

「……だって、シン様は、私にとっては月ですから……」

「あぁもう、泣かないで。泣いてちゃクリスに会いに行けないじゃないか」


 すみません、と何度も謝るノクスは感慨深く息を吐いて、顔を覆った。それは泣き顔を隠すためや涙を拭うためというより、もっと別の理由による行動に見えたが、正確には分からない。

 ただ中々泣き止まない彼を見て、果たして彼を引き込んだことは正しい選択だったのだろうかと、遠い目で漠然と考えてしまった。



 冷めきった紅茶を流し込み、やっと落ち着いたノクスを連れて家を出る。外では雨が降っていたが、一日のうち何度も天気が変わるのもブリタニアではよくあること。霧雨のようなものであるため、傘も特に必要は無い。

 とはいえ、多少は濡れるので止むのを待ってから出かけるかとも考えたが、ノクスの心境を鑑みて家を出た。


 極力人目を避けつつ自宅に辿り着いたカイルは、まず、親が居ないことを確認する。

 物陰にノクスを隠れさせ、普段通りに足を踏み入れる。自分が出かける際は親はいなかったが、万が一のこともある。

 年相応の子供のように親の名を口にしながら探索して、庭も含め無人だと確信したあとは、ノクスを呼び寄せ小屋へと案内した。

 しかし、いきなりなんの説明もなく会わせる選択はせず、カイルは待機指示を出して、コンコンと扉を叩いて呼びかけた。しかし返事はなく、物音もしない。いつもならばクリスは直ぐに反応してくれるが、眠っているのだろうか。

 もう一度扉を叩いてみる。これで無反応なら時間を改めてみるべきか――そんなことを考えていると、小さな物音がして、ゆっくりと扉が開かれる。


「カ、イ……ル」

「クリス、ただいま」


 毛布を体に巻いたクリスがカイルの名を呼んだことに、言い表せられない喜びを感じる。最近名前の発音が上達してきただけにそれもひとしおだ。

 辛抱たまらなくなってクリスを抱きしめてから、羨望の視線に漸く口を開く。


「カイル、今日は僕のお友達が来てるんだ」

「……と、も……だち……?」

「そう、僕よりとっても年上で、背も高いから、びっくりするかもしれないけど、会ってくれる?」

「…………う、ん」

「ありがとう。じゃあ、おいで」


 徐に入ってきたノクスを見て、クリスは本能的にカイルの背後へと身を潜める。大柄な大人であり、親やカイル以外の見知らぬ人間となれば、クリスには恐ろしいものに映ることも致し方ない。

 幸いにも泣き出す、パニックになるといった行動は見受けられなかったが、それでも無垢な目を少しだけ曇らせたクリスの様子は、恐怖していることの証拠ではあった。


「びっくりさせてごめんね。大丈夫、この人は、僕のお友達なんだ。……大丈夫、怖くないよ」

――流石にいきなりこれは、急ぎすぎたかな……。


 胸の内で自省するカイルの一方で、怯えを向けられているはずのノクスがやけに満足げだったのが奇妙に見えた。

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