第4話 協力者

 白い小さな手と、黒い大きな手は契りを交わす。固い握手をして、満足げに微笑んだカイルは嬉しそうに椅子へと座りノクスが用意したプレートを見つめる。カップに注がれた湯気をたてる紅茶と皿に置かれたビスケットを見て、カイルはなんの断りもなくそれらに手を伸ばした。両手でカップを持ち、ふぅふぅと少し冷ましてから香りのいい紅茶をこくりと飲む。


「うん、美味しい。ノクス、紅茶淹れるの意外と上手いね」

「お褒めいただき光栄でございます」


 にこりと笑みを浮かべたカイルの向かいに着席したノクスは、彼の言葉に安堵したように息をつく。

 両者が席に着いたところでなにかしらの話が始まるかと思いきや、唐突に思い出したように声を上げたカイルが上着の内側に手を入れる。


「僕の中で君への誤解も解けたことだし、これはもういらないね。無駄に隠すよりここに出しておくよ」


 なんでもないように取り出したそれは、幼児の手には有り余るほどの折り畳み式ナイフだった。

 本来幼児の上着から出てくるものではないが、その凶器にノクスは一瞬僅かに驚き、カイルは少し眉を下げて短く謝罪する。


「流石に驚いたでしょ、ごめんね」

「い、いえ……」

「僕、外見はこんなだから、ナイフなんて持ってるのは異様だと思うけどね。でも、僕はともかく、クリスが危機に瀕するかもって考えれば、これくらいの自衛は必要でしょ」

「……仰るとおりです。ですが、貴方がこれを持っていたということは、貴方がこれを私に突きつける可能性もあったということですね」

「そういうこと」

「私のことを思い出していただけて良かったです、本当に」

「それは僕も思ってるよ。大事な味方を刺さずにすんでよかった」


 自分のカップを手にしながら問うたノクスの言葉を、カイルは当然のように肯定し、弄んでいたナイフを静かにテーブルに置く。勿論、刃は折り畳まれた状態だ。

 ナイフから手を離して、カイルは漸く本題に踏み込む。

 カイルは、ノクスが何者であるかを理解し信頼し、クリスの幸福の為に手を組むという見解は一致しているようだ。ならば、ノクスにどのように支援してもらうかを考えねばならない。

 どこから決めるべきかと思案する一方で、ノクスはぽつりと話を切り出した。


「カイル様、今更な事項ではありますが、……本当に、私には百人力と称されるほどの価値があるのでしょうか。いえ、カイル様の言葉を疑う訳では無いのですが……」

「あぁ、そこ、不安だよね」


 彼が言いたいことを察し、カイルは迷いなく肯定した。

 ノクスがカイルの言葉を疑っている訳では無いというのは真実だろう。しかし、それでもノクスは色にある。彼がもつ肌の色、髪の色、瞳の色はそのどれもが異質であった。

 ノクスのもつ黒い肌は言わずもがな。スミレのような色合いの髪は本来はさほど異質でもないが、黒い肌でその髪の色は妙なことであった。そして、左右で異なる色を宿すエメラルドとルビーのような瞳も差別的に見られる要因のひとつであった。

 ノクスを容貌を構成する要素のほぼ全てが、現在の世では冷遇されても文句も言えないものであった。協力を具申したのは自分自身であるが、こんなものを背負った者には過大評価ではないかの問いだ。

 ノクスの事情はおおよそ分かっている。それでもカイルにとって彼の存在は重要なものになろう。

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せたカイルの様子に、ノクスは不安げに目を伏せた。


「……やはり、失礼な質問でしたか。申し訳ございません」

「いや、そんなことはないよ。それに、気持ちは分かる。でもね、今の僕にはなんであれ大人の力が必要なんだよね」

「……私のような、者でも、ですか」

「うん。被差別者でもなんでも、それなりにまともな大人の協力は不可欠だ。子供の僕にやれることなんて限られてるからね。協力してくれるならなんでも有り難いものだよ。だからあまり卑下しないで。……さて、いい加減に本題に入ろうか」


 紅茶で唇を湿らせ、再びカイルは言葉を続ける。


「僕たちは多分、お互いクリスを救いたい、自由に、幸せになってほしいっていう気持ちに変わりはないと思う。でも、クリスはまだ話すことすら練習中の身なんだよね。だから今のまま解放しても良くないと思うんだ。例えば、そうだね……ある程度話せるようになって世の中のことが少しでもわかってから、クリスを自由の身にしたい」


 カイルの淡々とした言葉を真面目に聞き入り、ノクスは同意する。


「それは同感です。何も無い状態で解放したところで、クリス様が苦しい思いを――」


 その刹那だった。言葉を遮るように向けられた冷たさに、ノクスは息を呑む。テーブルに出していたナイフの切っ先が黒い肌を撫でようとしており、その持ち主であるカイルの目には、狂気的な怒りが宿っていたのだ。

 直後、ノクスは何かに気づいたように顔を歪め、両手をテーブルから離し、途切れ途切れに謝罪を口にした。


「……大変、失礼、しました」


 弱々しい声にカイルは無言で刃先を下ろし、ナイフを折り畳み、眉を下げた。ごめんね、と慌てて口にした言葉にノクスは首を緩く振る。

 一見、ノクスのなにが気に障ったのか不明とも言えるやり取りだが、それは次のカイルの言葉が答えとなる。


「ごめんね驚かせて。でも次、あの子のことクリスって呼んだら、本当に刺すから」


 光のない瞳と共に投げられたその言葉に、呆れを秘めながらノクスは、ハハ、と苦い笑みを零す。

 カイルは、名付け親は自分だという強い気持ちがある故か、自身以外がクリスをそう呼ぶことをひどく嫌う気持ちがあった。幸い今までそんな人はいなかったため良かったが、ノクスの手を借りるとなれば話は別だ。瞬間的に爆発した怒りは、ナイフを向けるという形でノクスに向けられる。

 カイル自身、この怒りがとても理不尽であることは分かっているが、嫌なものは嫌なのだ。

 ならば今後クリスをなんと呼べばいいのか。その疑問にカイルが答えを出す前に、ノクスは自身で適切な名を探し、黙り込む。

 暫し思案し良い名を思いついたらしい彼は、クリスの呼び方をこう改める。


「……では、貴方に刺されぬためにも、今後はご令兄と呼ぶか、もしくは『シン』様と呼ぶことにいたします。それでいかがでしょうか」

「それはいいけど、シンって名前の由来はなにかあるの?」

「もちろんです。――私はあの方を美しい月のような方だと思っております。なので、月に由来する名前で呼ばせていただこうかと思いまして」

「あぁ、なるほど、面白いところからもってくるね。あれでしょ、古代の月の神様だよね?

「えぇ、その通りです。よくご存じで」

「合っててよかった。……それにしても、月か、うん。いい表現だ」

「ありがとうございます」


 ノクスの説明でカイルが真っ先に思いついたのは、古代に中東地域で信仰された神話の神である。その神話においては最高位の地位を有したともいわれるその月神は、人々の保護者として厚く信仰されたという。

 月がイメージだからとて月神からとるのは安直ではあろうが、割と良い名前ではないかと考えて、カイルは何事もなかったように話を戻す。


「これなら呼び方については解決だね。じゃあ話を戻すよ。――えっと、自由にするためにはクリスにしっかりと教育を施すことについては同意なんだけど、それ以外にも必要なことはあるよね。例えば、クリスへの教育と同時に環境を変えることも必要だよね」

「今は、シン様はどのような場で暮らしているのですか?」

「薄汚い小屋だよ。そこで、よく僕の親がクリスに暴力を奮うんだ」

「それは……ひどいものですね、許せません」


 クリスの現状に悲しげに顔を歪めてたノクスを見て、カイルは力強く頷く。


「うん。だから、僕は親を殺すつもりでいる。言ってしまえば報復というか復讐というか」

「……なるほど、カイル様のお気持ちは分かりました」


 まるでフィクションの顛末を説明するように淡々と口にしたカイルに、ノクスは戸惑いつつも冷静に返す。

 ひとつつけ加えておくが、カイルは親へ対する情がないわけではない。自分を産み育て、一人息子として相応に愛情を注がれていることは分かっているし、感謝もしている。父親の稼ぎのおかげでそれなりに裕福な生活ができていることも充分理解しており、保護者を失えば、カイルは一人で生きていけないであろうことも分かっている。

 しかし、両親が持つ普遍的な差別意識や、クリスへの理不尽な暴行はどうしても許せなかった。

 クリスを拒絶するならどこかの施設に預けるか、生まれて間もない時期に捨ててしまえばよかったのだ。それなのに中途半端に扱い、結果的にはただ暴力を受けさせるだけの道具にしている。

 そんなことをしている両親のことを好きにはなれないし、死ねばいいとも思ってしまうが、今衝動的に殺すのは悪手だと判断した。そのために、このノクスの家を利用することを考える。この手段をとることに一抹の不安はあるが、あの小屋に閉じ込めておくよりはずっといいはずだ。


「ノクス、ここでクリスを預かってもらうことはできる?」


 その提案に、ノクスは短く声を上げて声も出ない様子で暫しの間硬直する。信じられないとばかりに目を見開き泳がせて、それまでの冷静さなどどこかへ捨てたようであることは明らかだ。数十秒後、漸く言葉を発した彼の声は、やけに震えていた。


「あの、預かるって……ここで、ですか」

「そうだよ。なにか困ることでもあるの?」

「いえ、決してそのようなことでは!」


 ノクスは慌ててカイルの言葉を否定し、途切れ途切れに弁明をする。

 決して困るわけでも嫌なわけでもない、むしろ身に余る光栄であると言った。ただ、自分が保護し、あまつさえこんなところで過ごさせるなんて罰当たりではないかという気がかりがあるのだそうだ。

 しかしカイルから見れば、ここは物は多いがあの小屋よりはずっといい。きちんと人が住める空間だ。それに、ノクスはクリスを苦しめるわけが無いと確信しており、更には保護者として振る舞うにしてもさほど違和感がなく、親族にも見える。現状を思えば保護者としては最善といえる選択でもあった。


「それでも断る?」

「そういうことであれば、このノクス、喜んでお引き受けいたします。……ですが、本当に宜しいのですか? シン様と、下手に距離を置かない方が良いのでは?」

「うーん、それはそうなんだけど……今はまだ、これくらいなら、大丈夫だと思うんだよね」


 カイルが抱いていた淡い不安を指摘するような言葉に、内心冷や汗をかく思いがし、ついつい目を逸らした。それを見たノクスも僅かに憂うような面持ちではあったが、カイルの意向に従うことにしたのだろう。失礼しました、と一言こぼして話を進めることをにした。


「……それで、カイル様、シン様に来ていただくのはいつ頃からのご予定で?」

「そうだね……別に今から会いに行ってクリスに事情を話してここに連れてくる? 僕はそれでもいいよ」

「……えっ」


 カイルが言ったそれは、何気ない提案のつもりだった。クリスも含む三人の都合が良ければ、顔合わせも兼ねて早いうちにクリスを安全圏に連れていきたいという思いからだった。

 しかし、ノクスの反応は思ったよりも強烈だった。

 短い驚きの声を上げたノクスに目を向けると、その先にいたのは、瞠目し硬直するノクスで、彼はまるでカイルの言葉が信じられないと言うように、呆然と口を開けていた。

 そして次の瞬間。異なる色の双眸から、ぽろりと雫を零す。


「えっ」

「……っ」


 見間違いではなかったようだ。今確かに、目の前の男は静かに泣いている。はらはらと瞳から涙を溢れさせ、黒い肌の上を滑らかに落ちていくのが確認できる。

 突然目の前で泣かれたことに動揺を隠しきれず当惑するカイルの前で、ノクスは慌てて袖口で涙を拭った。


「すみません、あまりにも、私のような者にはあまりにも光栄で……」

「……いや、いいよ、別に。……驚きはしたけど」

「申し訳ございません……ご対面できるということも、彼のために尽くせるということも……えぇ、とても、幸福です」

――……会えるだけでここまで泣くとは。大丈夫かなこの人。

 溢れ出る涙をどうにかしようとする彼の様子を目に、呆れた気持ちでぎこちなく言葉を続ける。


「そう、だったの。……君がクリスをどう思ってるかは気にしないようにしてたけど、やっぱり中々の熱の入れようだね」

「……だって、シン様は、私にとっては、月ですから……」

「あぁもう、泣かないで。泣いてちゃクリスに会いに行けないじゃないか」


 すみません、と何度も謝るノクスは感慨深く息を吐いて顔を覆った。それは泣き顔を隠すためや涙を拭うためというより、もっと別の理由による行動に見えたが、正確には分からない。

 ただ中々泣き止まない彼を見て、果たして彼を引き込んだことは正しい選択だったのだろうかと、遠い目で漠然と考えてしまった。



 冷めきった紅茶を流し込み、やっと落ち着いたノクスを連れて、カイルは家を出る。外では雨が降っていたが、一日のうち何度も天気が変わるのもブリタニアではよくあること。霧雨のようなものであるため、傘も特に必要は無い。二人は足早にカイルの自宅へと向かった。


 極力人目を避けつつ自宅に辿り着いたカイルは、まず、親が居ないことを確認する。

 物陰にノクスを隠れさせ、普段通りに足を踏み入れる。自分が出かける際は親はいなかったが、今はどうだか分からない。

 年相応の子供のように親を呼びながら探索して、庭も含め無人だと確信したあとは、ノクスを呼び寄せ小屋へと案内し、小屋の近くで待機させた。

 コンコンと扉を叩いて呼びかけるが、返事はなく物音もしない。いつもならばクリスは直ぐに反応してくれるが、眠っているのだろうか。

 もう一度扉を叩いてみる。これで無反応なら時間を改めてみるべきか――そんなことを考えていると、小さな物音がして、ゆっくりと扉が開かれる。


「カ、イ……ル」

「クリス、ただいま」


 毛布を体に巻いたクリスがカイルの名を呼んだことに、言い表せられない喜びを感じる。最近名前の発音が上達してきただけにそれもひとしおだ。

 辛抱たまらなくなってクリスを抱きしめてていると、背後からの羨望の視線を受けていることに気づき慌てて口を開く。


「カイル、今日は僕のお友達が来てるんだ」

「……と、も……だち……?」

「そう、僕よりとっても年上で、背も高いから、びっくりするかもしれないけど、会ってくれる?」

「…………う、ん」

「ありがとう。じゃあ、おいで」

「失礼いたします」


 徐に入ってきたノクスを見て、クリスは本能的にカイルの背後へと身を潜める。大柄な大人であり、親やカイル以外の見知らぬ人間となれば、クリスには恐ろしいものに映ることも致し方ない。

 幸いにも泣き出す、パニックになるといった行動は見受けられなかったが、それでも無垢な目を少しだけ曇らせたクリスの様子は、恐怖していることの証拠ではあった。


「びっくりさせてごめんね。大丈夫、この人は、僕のお友達なんだ。……大丈夫、怖くないよ」

――流石にいきなりこれは、急ぎすぎたかな……。


 胸の内で自省するカイルの一方で、怯えを向けられているはずのノクスはやたら嬉しそうにしていた。

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