第2話 夜

 報復という文字を頭に浮かべたあの日から数日が経過した。カイルは、今日も書斎にて本を漁る。

 目の前に並ぶ分厚い本たちは、小柄な体では手に取るのだって一苦労だ。しかし台に乗り手を伸ばし、なんとか読もうと必死になる。

 もうひとつ台を重ねて、危なげながらも手を伸ばし漸く目当ての本を取った。落ちる危険性を考慮すれば大人に取って貰うことが一番であるが、その選択肢は最初から彼の頭にはない。

 何故か。それは、カイルが手にした本が法に関する書物であったからだ。こんなものをわざわざ読みたいと言ったところで、おかしいと思われるか『君にはまだ早い』なんて言って相手にされないのがオチだ。


 カイルは今、被差別人種であるクリスを合法的に救う術、そして親への合法的な報復方法を探していた。

 重い本を床に置いて、索引ページから関連するであろうページを探す。所々意味がわからない文があれば、辞書を開いてとにかく読み耽る。

 しかし幾ら探してもカイルが求めるようなものは見つからない。

――クリス達みたいな人達の権利なんかは、まだしっかりとないのかもしれない。成人女性の参政権の話だって、まだ決着していないし。……というかそもそも……。

 本を閉じ、カイルはカーペットの上にゆっくりと倒れ込む。照明が吊り下げられた天井を眺めながら、ぼんやりと、非常に今更なことを思う。


「……例えそんな法や権利が存在したとしても、今の僕にどうにかできるわけがないじゃないか」


 遠い目で天井を見つめながらそんなことを思う。何度も言うようだがカイルはまだ幼児だ。親の保護にあるべき無力な存在だ。自分だけでクリスを守れるわけもないし、親に対する報復など以ての外。尊属殺人なんて許されるわけもなく、報復に合法的も何もあるものか。

――冷静になるんだ、僕。

 自らにそう言い聞かせて、本を棚に戻す。調べた行為は無駄ではなかったと思うため、得た知識をいつか何かしらに活かしていこう。そう決めて、カイルは別の棚の本を読み耽ることにした。そう、例えば、うまく話すことができない子供に、どう話し方を教えたらいいのか、などを。


 クリスは、次第に話すことも達者になってきたが、訓練は未だ続いている。次のステップに進むにはまだ修練が必要だ。

 拙いながらも必死にカイルへ気持ちを伝えようとするクリスの姿は、実に愛おしく、庇護欲が掻き立てられる。

 だからこそ強く思う。自分がクリスを守らなければ、救わなければと。そして、クリスを虐げた大人を許す訳にはいかないと。例えそれが、自らの親としても。



 それからカイルは、大人の協力者を探すことにした。

 年齢は20歳以上。少なくとも十代後半以上で、異なる人種に対する差別意識を持たない者。性別はどちらでも構わないが、のことを考えると、男性が適任か。

 まずは身近な大人から選ぼうとカイルは近い年の友人達及び、その保護者を観察することにした。

 身分は低いといえど、街には有色人種の姿もある。アフリカ系東洋系と様々だ。そんな人たちに子供が接した時、保護者はどうするか。そんな人の話をした時に子供や保護者はどう反応するか。その様子を見れば、クリスの協力者として相応しいかが分かるだろうと考えてのことだった。


 しかし、結果は想定通り芳しくなかった。

 困っている人に子供が何か手伝おうと足を向けた時、先にいるのが例えば黒い肌の者であれば、保護者は引き止めたり叱責したりする者が大多数を超えていた。

 保護者として、見知らぬ人物に子供が近づくことを忌避する気持ちはあるだろう。そのまま誘拐でもされてしまえば一巻の終わりだ。

 ならば『知らない人に近づくな』でいい筈だ。それなのに、相手の人種により態度を変え罵るのはカイルからすれば遺憾である。

 困っている相手が幼い子供でも、異なる人種のものであれば例外はほぼない。子供が善意で手助けをしようとしても親がそれを抑えつける。そのような光景を何度も目にした。

 幼子にとっては絶対的な存在と言っても過言ではない保護者が、そのような反応をし続けたなら子はどうなるか。『そういうもの』だとして覚え、無自覚に差別的言動をするようになる可能性は大いにある。

 勿論全ての子供がそうなっていくとは言いきれないが、親の教えを信じ従う子は多くいるであろう。

 ならば、引き留められ叱責された子供の前で、カイルが手を差し伸べる様を目にすれば、大人はどう思うのか。カイルはそれも試してみることにした。


 ある雨の日のこと。街中にて多くの荷物を手に持ち、運搬する黒人の青年を見かけた。彼は主の品物を運んでいらしいが、ついうっかり物を落としてしまった。慌てる青年の所から近くにやってきた箱を拾い上げ、カイルは手渡すことにする。

『これ、あなたの? どうぞ』

 無垢な子供のように聞いて小さな荷物を渡せば、青年は非常に驚いたあと謝罪をしそれを受け取った。そこまではよかった。

 しかし、その後やってきた主と思われる人物には「こんなやつ手伝う必要はない」と言われ、その後やけに嫌味を吐かれた。

 それだけでなく、周囲の通行人はカイルを異様なものを見る目をしていたり、くすくすと笑ったりしていたのだ。

――腐ってやがる。

 面ではただ少し困ったように眉を下げていたカイルは、内心では毒を吐き散らしていたのだ。

 周囲の大人がこれでは報復は兎も角、クリスを救うことはできない。未だクリスは基本的なことから訓練中といえど、いつ何が起こるか分からない。だからこそ諦めるという選択をしたくなかったカイルは決して行動を止めなかった。

 もっと調べれば何か見えてくるかもしれない。そんな微かな希望を胸に、霧の街というに相応しい空模様のある日、ひとり街の歴史ある図書館を訪れた。

 カイルはそこである運命的な出会いを果たすことになるのだった。



 高い本棚の間にて書物を開く。今回も開くのは法に関するものだが、幼児が読むには当然違和感がある。それ故か時々職員に声をかけられることがあるのだが、それが非常に煩わしい。ならば本を借りて家で読もう。そう思ったが、子供の場合は保護者同伴でないとできないと言われ、仕方なく諦める。


 黙々と読んでいるとまた大人に声をかけられた。職員だろうかと少しばかり振り向いた先にいたのは、予想とは大きく外れた見知らぬ――しかしどこかで会ったような気がする――妙な人物だった。

 平均的な成人男性よりもずっと高い背に、がっしりとした体つき。それに似合わぬ菫色の長い髪を、後ろでひとつに纏めていた。褐色の肌の色に赤と緑の異なる双眸がよく映えた。灰色を基調とした詰襟を身に纏う彼は、目線を合わせるために――いや、まるで王に謁見するかのように恭しく跪いた。

 流石に、見知らぬ人物に跪かれ冷静で居られる精神性は持ち合わせていない。思わず硬直したカイルだったが、目の前の青年は心地よいテノールを響かせた。


「お久しゅうございます」

「……っ、あ……すみません……どちら様でしょう?」

「大変失礼しました。私はレプロブス・ノクスといいます。以前お会いしたことがあるのですが……」

「……レプロブス……ノクス……ですか……」


 やや怖々とした態度ながらもその名を聞いて、カイルは思案する。

 ノクスというその名は『夜』を意味する言葉であるが、この国で一般的に使われる言葉かとはいえない。ヨーロッパの島国、ブリタニア連邦王国に住む者としては非常に珍しい名だ。更にレプロブスという名は伝説的聖人に関係するものだろう。本名でないことは確実であろうがそれはいい。

 ただ、既視感はあるのにどこで出会ったのかが、全く思い出せないのだ。

 非常に気まずいが仕方ない。カイルは正直に告白する。


「……申し訳ありませんノクスさん。貴方とお会いしたことがある気はするのですが、すみません、どうにも思い出せず……」

「そうでしたか。では、無理に思い出さずとも構いません。今後忘れずにいてくれたら、それで」

「そもそも、何故、膝をついたのですか?」

「そうする必要がありましたから」

「はぁ……とりあえず、立ってもらっていいですか?」

「わかりました」


 カイルのぎこちない問いに簡潔に返答をして、ノクスは立ち上がる。

 やはり背が高い。カイルが知るどの大人よりも体が大きい。それだけでも少々の怖さを抱くのは致し方ないだろうに、更に怪しい言動しかしていないともなれば、警戒もする。既視感はまやかしではないのか? 疑惑と警戒を抱きながら、本棚に目を向けた。

 カイルの心を知ってか知らずか、ノクスは平然と隣に立ち、カイルの手にある本を一瞥して呟いた。


「貴方様は非常に勤勉であらせられる」

「どうもありがとうございます。……ところで、声をかけて来ましたけど、なんの用です?」

「実に単純です。私は貴方の力添えをすべく、声をかけさせていただきました」

「えっ」


 予想だにしなかった言葉に、思わず瞠目し素で驚きの声を上げた。思ったより反響したその声につい口を押さえる。


「失礼しました。……まさか、貴方は、僕のやりたいことを知っているのですか?」


 小さな声で恐る恐る口にしたその問いをノクスは肯定し、更にこう続けた。


「私はそのために、ここに来たのですから」

「その、ために」

「はい。……私に、貴方のご令兄レイケイ様の幸福のための手助けを、そして、貴方の報復の手助けをさせてください」


 ノクスの申し出にカイルは大層驚いた。何故そんな細かく知っているのかという疑問はあるが、自ら申し出るなんて貴重な人物だ、大人の協力者として相応しいかもしれない。なんという僥倖かと心が震えさえした。

 しかし、カイルはまだ目の前の青年を信用した訳では無いのだ。『どこかで会ったような気がする』と言うだけで素性もさえ知らない。もしかしたらその言葉でカイルを誘い、危害を加える可能性も当然ある。

――警戒を解くな。これは罠だ。

 カイルは自らに言い聞かせる。そして、頷こうとした気持ちを抑えて冷静に言う。


「それの返事をする前に、少し貴方と話がしたい。貴方は僕を知っていても、僕は貴方を覚えていませんでしたから」

「それもそうですね。では、私の家にて話しませんか? 私では利用できない店も多い。貴方に危害を加えるつもりはありませんから、安心していただければ」

「お断りいたします。……貴方の家なんて、信用できません。もっとほかの場所にしてください」


 当然の答えにノクスは納得した様子ではあるが、それでも食い下がる。


「貴方が警戒なさるのも分かります。でも、来ていただければ、全てがお分かりになられるかと」

「……そんな馬鹿な」

「そう思われるのは自然なことですが、私は嘘は言っておりません。……それに、私は貴方に危害を加えることができません。


――そうなっている?


 ノクスの言葉に引っ掛かりを覚える。しかし結局は戯言に決まっている。やけにこちらの事情に詳しいのも、何かしらの方法で調べたに過ぎない。ならば不審者であることは確定したようなもの。早くここから去るべきだ。

 そう思ったのに、カイルは何かの後押しを受けたかのように頷いてしまった。


「……そうですね、わかりました。そうしましょう。……貴方を、信じます」


 何故そんなことを言ったのかと自分でも驚いた。

 知り合って間もない者の家にひとりで行くなんて、危険すぎる。だから警戒を怠らないようにしていたのに、何に押されたのか。

 分からないが、行くと言ってしまった以上、ついて行くことにする。最大限の警戒の為にも、カイルは上着の内側にある異物を今一度確かめた。



 図書館を出て、灰色の空を下を歩くこと十数分。二人は赤煉瓦を用いた倉庫のような建物に辿り着いた。これが彼の家だという。

 少々華美でもある自分の住まいとは大きく異なる建物に、恐る恐る足を踏み入れる。

 室内は広すぎず狭すぎずといった具合で、書き物用の机と、沢山の本が収められた本棚、食事をするための場といったもので埋められていた。机の上には、ヨーロッパの南東端に位置するエラスという国で開催されたスポーツの祭典を報せる記事が一面にある。

 ふと目を向けると、玄関とは別の扉がある。その扉の向こうが、炊事洗濯のための場所に繋がるのだろう。


「狭くてすみません。なにぶん、独り身なもので。仕事が出来ればいいかという感じで……」

「……お仕事は、なにをなさっておいでで?」

「教育関係……と、いった感じですね」


 どこかハッキリしない物言いに違和感を覚えるが、とりあえず指示された席に着く。ここまでにとりあえず身の危険に差し迫る状況はないものの、心は落ち着かない。

 茶の用意のためにノクスが席を外した。その隙に逃げ出してしまおうかと席を立つが、多くの本が揃えられた棚に興味が向かう。

 上背のあるノクスが使用する本棚なだけあって、高さはある。その中に入れられているのは、確かに教育に関する本が多かった。

 子供への接し方に始まり、わかりやすく教えるためのハウトゥー本、子供の問題行動の理由など。

 他にも医学本、歴史書、法についての本とジャンルは様々で、どうあれ勉強熱心なことが伺い知れる。

――もしかして、警戒しすぎなだけで、本当に頼れる人なのかもしれない……。いや、でも、やっぱり、既視感はあると言えども、怪しい。

 俄に思いながら眺めていると、ふと奇妙な本が目に止まった。

 棚の端に鎮座する厚い本。それは背表紙になにも刻まれていない真っ白な本だった。

 中にはそんな本もあるだろうと片付け、足を進めればよかったが、不思議な力が働いたかのようにやけに惹き付けられる。考える間もなく、カイルは自然と手を伸ばしていた。まるで、ノクスの提案を受け入れた時のように。

 小さな手で本を掴み引っ張り出したそれは、ずっしりとした重みがあり、外観の全てが真っ白だった。タイトルも作者名もなく、なんの本だかさっぱり分からないという不気味な本だが、やはり引き寄せられる何かを感じ中を検めることにした。

 中を目にした瞬間、カイルはまるで殴られたような衝撃を受けた。



 カイルをひとりにしてから十数分が経過し、漸く紅茶が完成した。

 簡素な炊事場の片隅で、ノクスはプレートに二人分の茶と菓子を用意し、それを手に部屋へ戻る。

 器用に片手でプレートを支えながら扉を開けた先、食事用のテーブルにカイルの姿はなかった。だがなにも慌てることはない。それはノクスの予想通りだったからだ。

 出会いを忘れられていることも、警戒されることも、ここまで、ほぼ全てノクスの予想通りだった。

 テーブルにプレートを置き、本棚に目を向ける。そこには、やはり白い本を手にしたカイルが呆然と座り込んでいた。

 静かに近づいたノクスは、徐に声をかける。


「……カイルさん、ご無事ですか」

「…………思い出した」

「何を、思い出されましたか?」

、どこで出会ったのか、だよ。……こんなの、そりゃ覚えてないわけだよ」


 カイルが呆れたように緩く首を振ったその様に、ノクスは緩く口角を上げ、傅く。カイルももう驚くことは無い。


「では、私のことも、信用していただけますか?」

「勿論だよ。君が味方になってくれるなんて最高だ。百人力だよ。寧ろ、あんなに警戒してごめんね」

「いえ、貴方は忘れたてしまっていたのだから、致し方ありませんよ」

「ありがとう、君なら、そう言ってくれると思ったよ!」


 高揚した声を上げて立ち上がり振り向いたカイルの瞳は、宝石のように煌めく。その輝きを目にして、ノクスは、心の底から安堵した。

『この御方が彼と共にいるならば、安心だ』と。


 胸を撫で下ろしたノクスの前に、白い手が差し出される。不思議に思い顔を上げたノクスに、カイルはこう言った。


「これから宜しくね、

「――はい。こちらこそ、宜しくお願い致します。カイルさん」


 ノクスは清々しい気持ちでその手をとり、固い握手を交わした。

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